1998年08月31日:フォルテピアノの音作り 1998年09月01日:時には義賊も必要だ 1998年09月02日:いわゆるメタミステリ [;^.^] 1998年09月03日:小栗虫太郎の版問題 1998年09月04日:背筋も凍る恐怖について 1998年09月05日:猿化する 1998年09月06日:さらに猿化する目次へ戻る 先週へ 次週へ
いまいち難航している、XP−50によるフォルテピアノの音作り。この「初期型ピアノ」は、現代ピアノに比べて、音が軽くて繊細で、滞空時間が短い。また、音色の「キメ」も粗い。すなわち、音域や打鍵の強さに応じて、かなり音色がばらつくのである。音色の個体差も相当なもので、ほとんど現代ピアノの小音量版といったものから、ハープシコードに極めて近いものまである。
ベートーベンの「合唱幻想曲」で使うのである。曲想から判断すれば、「現代ピアノに近い音」で良いようにも思う。サンプルとしてMさんに推薦されたガーディナー盤では、そういう音がしている。しかしもう1枚、MさんにプレゼントされたサンプルCD(先日、紛失したのち無事に発見されたもの)で聴かれる、非常にハープシコードに近い音も、面白い。この音で「合唱幻想曲」の長大なソロを聴いてみたい。
しかし後者は、合成するには難しい音だ。もとよりXP−50は、フォルテピアノのウェーブなどは内蔵しておらず、普通に考えると、ピアノとハープシコードを合成すればよさそうなものだが、これがどうしても“馴染まない”。“澄んだ”音にならないのだ..
..という問題に難渋しながら、MさんからいただいたCDを、ここ数日間、会社の行き帰りにカーステレオで繰り返し聴き続けていたのだが..昨日の帰路、ふと、あることに気がついた。詳細は省くが、個別の特徴を持つ複数のウェーブを合成しようとするから難しいのであって(これが、XP−50における音作りの基本アーキテクチャなのだが)、ひとつのウェーブを分解してから再合成すればどうだろう..?
昨夜は試している時間がなかったので、今日、その新しい考え方でいくつか試作を作ってみた。これは結構いけるかも。まだまだ、キータッチへの反応が十分に調整されていないので、非常に弾きにくいが、音質の“筋”は良さそうだ。
先日、「Bizseek」に登録した22冊のうちの1冊、「なをき・よしこのパソコン夫婦バンザイ」(唐沢よしこ & 唐沢なをき、光栄)に、反応あり。個人からであり、さっそく商談をまとめる。(「古本(等)の探索代行サービス」として紹介したが、「探索支援サービス」という表現の方が正しい。実際に探してくれる訳ではなく、言ってしまえば、登録している業者(現時点で88店舗)に探求本のメールをブロードキャストすると同時に、(検索システム付き)掲示板に探求本を掲載してくれるだけなのであるから。しかし、この“場”は、役に立つ。)
ネットニュースに、日本SF大会の速報。星雲賞コミック部門は、私の予想どおり「SF大将」(とり・みき)。
目次へ戻るバブル以前だったかも知れないが、確かゴッホの絵を何十億だかで購入した、どこぞの実業家が、自分が死んだら(愛する)その絵を、一緒に火葬にして欲しい、とか表明して、結構な大騒ぎになった。国際問題にまでなったと記憶する。
分不相応とは、このことである。
この男には、「絵」を所有する資格も器量も、無かったのだ。余計なことを口走ったお陰で、満天下にそのことを知らしめてしまった。(もとより周知の事実だったかも知れないが。)
「滅びの美学」というものは、存在する。永遠に生き延びるだけが芸術ではなく、ある時点で虚しくも破壊され、消滅してしまうからこそ、光り輝くのである..というテーゼは、成立しうる。
しかし..仮に「ゴッホの作品を焼く」ことに意義があるとしても、それに「付き合う」のが「自分」だと言うことに、途轍もない落差を感じなかったのかね。自分に、そんな値打ちがあるとでも思ったのか。(対等の立場で)クレオパトラと無理心中するようなものではないか。
この「遺言」は、実行されなかったと思う。(あるいは、この男、まだ死んでいないのかも知れない。[;^J^] 申し訳ない、「あの馬鹿」としか認識していなくて、名前も覚えていないのだ。[;^J^])しかし、仮に本人と遺族に「強行」する意志があれば、これを止めることは出来なかった..と思う。あるいは、「公共の利益に著しく反する」という理由で、差し止め命令が下されたであろうか? 私物である以上、所有者から、それを破壊する権利を奪うのは、難しいと思うのだ。
「こういう時こそ、ルパンの出番だ」、と、私は思ったものである。この金持ちには、ゴッホを所有している資格など、無い。しかしそれを彼から合法的に取り上げることは、誰にも(国家にも)出来ない..のであれば、彼から「盗む(強奪する)」のが、社会正義というものではないか。
もしも、当時、誰かが彼からゴッホを盗み、この金持ちが死ぬまで(あるいは、遺言が無効になるまで、または、遺族が焼く意志の無いことを保証するまで)返却しない、と公表したとしたら..世間は、間違いなく拍手喝采したはずだ。
(緊急避難としての違法行為を、一般論として認めているわけではないので、誤解無きよう。あくまでも、これはこの時だけの話である。)
目次へ戻るいまだにあとを断たない..というより、ますます増えているような気がするのだが..
..ネタバラシ記事がスポイラーにならないよう、文頭に改行をたくさん入れるのは、良いことだ。素晴らしい気配りである。しかし..
..サブジェクトにも、改行の前にも、なんのネタバラシをしているのか、作品名を書いていない奴が、実に多い。[;^J^]
読者のリアクションが、想定できているのだろうか。読者にしてみれば、なんらかの作品のネタバラシをしている、としか判らない。安全策をとって読まずに回避するか、思い切って読んでみるか。後者の場合、未読のミステリの犯人が明記されているかもしれない。
投稿する前に、読者(第三者)の立場で読み返してみれば、すぐに判ることである。自分の視点から一歩も(一度も)離れずに投稿するから、(自分自身は、なんのネタバラシがされているか判っているので)不具合に気がつかないのである。
ネタバラシに限らず、昨日も今日も明日も明後日も、未来永劫繰り返され拡大再生産され続けるであろう「売り言葉に買い言葉」のネットの喧嘩も、ちょっと自分の視点を離れて(今から投稿せんとする)自分の記事を読み返してみれば、大半は防げるか、あるいは早い時点で鎮火できるものばかりなのである。
目次へ戻る名古屋の古書店に、小栗虫太郎を4冊注文していたのだが、1冊落選して、3冊納本された。
小栗虫太郎を、もっとも「効率良く」読むためには、桃源社の全9巻の作品集(「全作品」と称するが、細々としたコント等は省かれているらしい)を集めるのが良いのだが、これが一筋縄ではいかない。同社は、この「全作品集」に先立って、ハードカバーを何冊か出しており、それを引き継ぐ形で「全作品集」にまとめられたのだが、その過程で、改題と(短編集のコンテンツの)組み替えが行われたのである。従って、「全作品集以前」のハードカバーか、「全作品集」か、どちらか一方のみ買い集めるのなら問題は生じないが、両者にまたがって(古書店のカタログだけを頼りに)収集すると、派手な「ダブリ」が発生しかねない(発生した)。
この、桃源社の「全作品集」は、昨年、沖積舎から復刻されていて、いまも現役である。しかし、この沖積舎版を買う気には、全くなれない。まず、1冊7千円という価格が、べらぼうである。次に、なんの工夫もない、ただの復刻なので、活字がかすれていて読みにくいのだ。活字が摩耗する以前の(四半世紀前の)古書の方が、遥かに読みやすい。そして第三に、これがもっとも気に障るのだが、何も考えずに(同じ版で)復刻しただけであって、当時の(今より遥かに情報が少なく、小栗虫太郎研究も進んでいなかった時代の)解説が、「そのまま」掲載されている。しかもそれにも関わらず、この解説が書かれたのが1970年代である、ということが記載されておらず、それどころか、書籍のどこをひっくり返しても1997年の新刊としか読めない(「帯」にしか、「復刻」の文字がない)のだ。これは重欠陥である。よくまぁ、解説者たちが抗議しなかったものだ。(このことを知らないだけかも知れないが。)
あと、これは、社会思想社の現代教養文庫版の作品集の解説(解題)で知ったことなのであるが、そもそも「桃源社版」の編集には、欠陥があるのである。それは、「ルビ」の異様な少なさ(省略)だ。桃源社版しか読んでいないと、このことに気がつかず、難しい漢字や熟語が多いなぁ、と思うだけなのだが、「ルビ」が(あまり)省略されていない版と読み比べると、情報量も、受ける印象も、著しく異なるのである。
だから、現状、まとめてたくさん読むためには、桃源社版を古書店で買い揃えるしかないとしても、これを無批判になんの手も加えずに復刻しているだけの(しかも高価な)沖積舎版を買う気には、どうしてもなれないのである。
(ちなみに、現代教養文庫の全5巻の傑作選のうち、「潜航艇「鷹の城」」だけが(少なくとも、紀伊國屋のBOOK WEBからは)入手できない。)
目次へ戻る昨日到着した小栗虫太郎の3冊を、リストと照合。桃源社版が、あと2冊足りないことが判明。これは沖積舎版を新刊書店で購入できるが、昨日の日記で説明した理由により、1万4千円払う気には到底なれないので、「Bizseek」に登録する。
同様に登録していて、この月曜日に売却申し入れのあった「なをき・よしこのパソコン夫婦バンザイ」(唐沢よしこ & 唐沢なをき、光栄)が、到着する。既に定額小為替で送金済み。これでようやく、唐沢なをきの単行本を全て読めるわけだ。(残りの全てを所有しているわけではない。どうしても入手できず、さる方からお借りして読んでいるものが、数冊ある。)
40歳の誕生日である。多少の感慨が無いと言えば嘘になるが、抵抗してもどうなるものでもない。[;^J^] 私は、自分が歳をとっていくことに対しては、むしろ「寛容」である。(良くある例だが、30歳になった時に、「まだ(16進数なら)20前だ!」などという、見苦しい粘り方はしなかった。[;^J^])しかし..ものごとには、程度問題というものがある。
新入社員との年齢差が、年々開いていくのは、仕方が無い..というか当たり前である。1970年生まれの社員が入ってきたときには、多少、感じるところ [;^J^] があったような気もするが、あとはもう「慣れ」である。しかし..
一緒に昼食を食べていた、ほぼ同期で同い年の社員から聞いたのだが..今年、彼の部署に入社してきた新人の「母親」が、ほぼ、彼と(従って、私と)同い年だったそうである。
血が凍った。
目次へ戻る画集スキャニングプロジェクトを、本格的に開始した。(この、最終的には数百時間を越えるであろう大プロジェクトを開始した背景については、「いかにして画集を救うか その三」を参照していただきたい。)
本格的に開始した、といっても、まだ、最終プロダクトを生成する体制は整えていない。即ち、CD−Rではなく、PDに記録している。CD−Rドライブを、まだ持っていないからだが、いずれにせよ、ある程度まとめて撮りだめしておいて、配列を変えたり、調色するなどの編集作業をしてから、CD−Rに焼くことになるので、PDによるバッファリングは、有効かつ必要なのである。
結構、いいペースでスキャン出来ている。次の(最後の?)課題は、CD−Rと、A3以上の大型スキャナーである。A4を越えるサイズのスキャナーは、一桁高くなるから止めておけ、と、忠告されてはいるのだが..
目次へ戻るどんどんスキャンする。画像1枚のスキャニングに、約5分。スキャニング作業自体とPDへのセーブには、それほど時間はかからないのだが、付随作業が、結構多いのだ。
一番、時間がかかるのが、「この絵をスキャンすべきか否か」の決定作業である。遠い将来には、全画像をスキャンする可能性もあるが、取りあえず、5分/枚という時間がかかるのである。平日であれば、深夜までかかっても、30枚から50枚くらいが限度であろう。他にやらなければならないことも、山ほどある。つまり、この作業に専念できない。週に2〜3日しか、時間を割けないかも知れない。従って、(1年以内くらいの)短いスパンでは変色の危険がない、と判断される画像については、後回しにする必要があるのだ(..などと考えている暇があれば、どんどんスキャンしろ、というのも、一面の真理であり、つまり(私好みの表現を使うと)「変数が多すぎる」問題なのである)。
他の画集に同じ作品の図版が収録されていて、そちらは変色の恐れが(当分の間は)無さそうだ、と判断される場合にも、原則としてスキャンしない。(極端にサイズが大きい、あるいは、どちらが本物に近いのかは判らないにせよ、全然色調が違う、など、「情報量」がある場合には、同じ作品であっても、スキャンする。)この「他の画集」の検索にも手間がかかるが、大学時代に(1年留年してまで)作り上げた画集目録・図版目録が、これほど大々的に役に立ったのは、初めてである。あの1年間は無駄ではなかったか(遠い目..)。
余分のPDは7枚ほど用意していたのだが、既に残りは2枚強。この用途のためのPDの買い足しは、考えられない。PD(650M)は、1枚1300円。同じく650MのCD−Rなら、ブランド品でも150円から170円。(いかがわしい廉価品は、さらに激安だが、保存用に使う気にはなれない。)もはや、CD−Rの買いどきか..
OAナガシマで、価格を軽くチェック。5万前後といったところか。午後から休日出勤したので、つい最近CD−RWを購入した後輩社員にインタビューをして、最新の情報を仕入れる。
同時に、スキャナーの情報も収集する。A4のスキャナーでは取り込めない図版がたくさんあるので、これらのためにA3スキャナーを導入することを(数ヶ月前までは)考えていたのだが、(品質に比べて)高過ぎるからやめろ、と忠告されていたのは、昨日述べたとおり。ちょっとインターネットで調べてみたら、確かに高い。
それに、そもそも無意味なのだ。リブ100のメモリは、最大に拡張して64M入っているが、このメモリ環境でも、スキャン用に使っているグラフィックソフト「Photo Finish」では、画像のサイズが16Mを越えられない。24ビットフルカラー&300dpiの解像度を死守するとすると、A4スキャナーに楽々収まってしまう程度の面積しか取り込めない。
解像度を落とすのは、本意ではない。となると、結局、サイズを小さくして分割スキャンするしかない。
分割スキャンというアイデアを、初期の段階で嫌っていた理由は、「つなぎ目が残るだろう」ということだったのだが、そもそも画集に見開きで収録されているような大きな図版の場合、つなぎ目が見えるどころか、中央付近は「見えない」ことも珍しくないのである。それを(さほど)問題とは思ってこなかった(そんなもんだ、と、諦めていた)のだから、今更、つなぎめごときを気にする理由は無い。
それに、今は(僅か64Mの)リブ100しかないとしても、いずれ超巨大メモリ空間を持つマシンを買うか、あるいはそういうマシンを持つアルバイトを雇うかできるであろう。その時に、丁寧につなげればいいのだ。今よりも、遥かに技術水準の高いグラフィックソフトが、作業を支援してくれるに違いない..(ふと気がついたので、あらかじめフォローしておくが、私には「アイコラ」の趣味は無い。[;^J^])
..ということで、CD−Rの購入は、前向きに考える。スキャナーは、キヤノンのIX−4025で、当分頑張る。
黒沢明、死す。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Sep 10 1998
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