*1997年06月09日:追憶:「エクソシスト」
*1997年06月10日:ある質問
*1997年06月11日:鮨食い放題
*1997年06月12日:「これで、シミ・ソバカスはなかったことにします」
*1997年06月13日:文庫版「デビルマン」完結
*1997年06月14日:「お気楽ヴェルレク本会」
*1997年06月15日:悪夢、テ・デウム、鉄腕アトム
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*1997年06月09日:追憶:「エクソシスト」


 (「エクソシスト」の結末に言及しているので、読みたくない人は読み飛ばして欲しい。)

 かつて観た、もっとも恐ろしい恐怖映画が「エクソシスト」だったか、と訊かれると、実は自信が無い。物心つくかつかないかの小学生の頃に、何か、非常に恐ろしい映画(複数)を観た記憶があるのだ。しかし今となっては、その恐怖の“残滓”(“余韻”)が微かに残っているだけであり、タイトルどころか恐怖シーンの断片も憶えていない。

 物心ついてから観た映画のうち、最大の恐怖を与えられたのは、争う余地無く「エクソシスト」(第一作)である。物心ついて以来もなにも、これは会社に入ってから数年後、恐らくは30歳前後になって、初めて観たのであった。

 それは、目一杯外しまくった行事であった。当時組合の代議員であった私がスタッフとして参加した、組合主催の「映画祭」。企画自体は、決して悪いものではなかったと、今でも思っているが、快晴の休日(土曜日)に、家族連れで映画館にやってくる人がどれだけいるか。結果として、組合で借り切った映画館は、社員どころか(両手で数えられる人数の)組合スタッフの貸し切り状態となったのであった。

 計6本位が上映されたと記憶しているが、(客が来ないとはいえ)受付当番も交代でこなした私は、植木等物と怪獣物(確か、モスラシリーズのどれか)を見逃し、「エクソシスト」と、あと1〜2本を観た。その1〜2本の記憶は、全く残っていない。「エクソシスト」が、あまりにも物凄い映画だったからだ。

 何よりもまず、その冒頭部が“嫌”だった。中近東と思しき砂漠地帯の遺跡で、互いに殺意を持って激しく吠えあう犬たちが、延々と写される。この、粗野で暴力的なイントロは、不吉過ぎた。

 以下、ストーリーをくだくだしくおさらいする必要はあるまい。印象的なシーンを、三つだけ挙げよう。

 まず、これはシーンというよりは“事項”だが、主役の神父に、なかなか教会本部(ヴァチカン?)からの“悪魔祓い”の許可が降りないことである。これが“悪魔憑き”であるという、確固たる証拠を提出しなければならないのだ。現実の教会は(悪魔祓いについては良く知らないが)少なくとも“奇跡”については、ちっとやそっとのことでは認定しないはずである。こういうものを大安売りしてはいけないのだろうし、万が一“詐欺”にでも引っかかったら、おおごとであるから、これは当然であろう。その点から類推しても、ここで描写されている、「なかなか“悪魔憑き”という事実を認定しない教会」には、非常なリアリティが感じられた。(さらに言うと、悪魔に憑かれた“被害者”の少女の診断に万策尽きて、彼女の母親に“悪魔祓い”を提案する医師団の、苦渋に満ちた表情にも。)

 次に、最大の恐怖シーン! 悲鳴を上げる少女の部屋のドアを開けたら、ベッドが宙に浮いていた! ..こんにちでは、こんなものは、もはや常套手段ですらなく..ポルターガイストのパロディの対象にもならないような、地味〜な心霊現象なのであり..そして、そういう“こんにち的な”空気をたっぷりと吸ってから、これを観たのにも関わらず..私は、座席から飛び上がらんばかりのショックを受けた。その主題や手法がいかに手垢にまみれようとも、“本物”の持つ“輝き”は不滅であるという、最良の例のひとつである。

 三つめは、幕切れ近く。主役の神父が、悪魔に憑かれた少女に(正確には、彼女に憑いた悪魔に)おどりかかって、「この俺に憑いてみろ!」と、叫ぶ。次の瞬間、彼の全身に悪魔憑きの症状が顕われ、彼は悲鳴を上げて窓から飛び出し、転落死する。悪魔に憑かれていた少女からも、神父からも、もはや悪魔憑きの症状(全身の皮膚の怪物的な醜い変貌)は消え、神父の自殺?と共に、悪魔が去っていったことが判る。そして、自らの命を犠牲にして、少女から“悪魔”を抜き取った瀕死の神父に、もうひとりの神父が、「懺悔したいか?」と、囁く..

 このシーンには驚いた。神父の“自己犠牲”は“罪悪”なのである。例えその目的が少女を救うことであっても、少女から“悪魔”を取り除くことであっても、(彼は確かに、そこまでは意識していなかったのかも知れないのだが、)自ら進んで“悪魔に憑かせる”行為は、罪悪なのだ。このラストシーンでは、彼は懺悔をするいとまもなく、死んでしまったように見えた。とすると、彼は地獄に落ちたのであろうか..?

 もちろん、「エクソシスト」よりも恐ろしい映画は、存在するに違いない。しかし、「エクソシスト」の孤高の偉大さは、不滅なのである。

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*1997年06月10日:ある質問


 この件は、あちこちで5回以上は書いたような記憶があるのだが、「廃虚通信」では初めてだし、他所でも、ここ数年は書いていないはずだ。「またか」と思う読者は少なかろう。という訳で..

 私が入社してから数年めの年に(すなわち、10年近く前ということになる)、新卒で入ってきた、女子社員の発した質問である。

 彼女は、開発部門に配属されてきたのだが、音大出身で、技術系の基礎知識は持ち合わせていなかった。しかし、上司や同僚の仕事ぶりの観察を通じて、新製品の発売ぎりぎりまで、バグに苦しめられて深夜残業が続くことや、発売後も、バグに由来するユーザークレームに膨大な手数を取られていることは、正しく認識した。そして、論理的に完全に正しい疑念を持ち、質問を発したのであった。


「バグのあるプログラムを、なぜ作るんですか?」

 ..私は、たっぷり15秒間、声を失った。その間、なぜだろう?と、真剣に自分に問い掛けていた。彼女の、全く混じりけのない、本質を突いた、無邪気で、真剣な質問には、それだけの力があった。

 私がなんと答えたか、全然憶えていない。それほどまでに、弱々しい、筋の通っていない回答だったのだろう。「人間だから」などという答えには、何の意味も無い。なぜならそれは、(人間は間違えるものである、という)単なる自然法則を述べているに過ぎないからだ。人間は、自然法則に逆らい、これをねじ伏せることによって、その文明と文化を築いてきたのであるからだ。

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*1997年06月11日:鮨食い放題


 午前半休を取って医者へ。診療科目は秘密である。

 終業後、とある宴会。鮨食い放題というプランなのだが、普通はこういう場合、あとからあとから、胸がむかつくまで山と運ばれて来るものだと思うが、どうも勝手が違う。一度に注文出来る量に制限があるのだが、その注文の品が出てくるまで、かなり時間がかかるのである。しかも、トータルの時間制限は(当然)ある。これではアンフェアではないかという不満も出たが、最終的には、ほぼ時間一杯かかって満腹になった。これ以上ペースが速くても、残すことになったかも知れない。まぁ丁度いい案配と言うべきか..

 学生時代に、やはり鮨食い放題というのをやったことがあるが、この時はもう、テーブルに並べきれないほど、あとからあとから出されたものである。それをまた学生の無分別さで、詰め込めるだけ腹に詰め込むものだから..私は、食事中にトイレに駆け込んで、嘔吐してしまった。そのあと、また食い続けたのだから、古代ローマの貴族並みの大馬鹿者である。

 そしてそれから、たっぷり半年間は、鮨の匂いを嗅ぐのも嫌だ状態に陥ってしまったのだから..ま、今日ぐらいのペースが、リーズナブルなところなのだろう。

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*1997年06月12日:「これで、シミ・ソバカスはなかったことにします」


 街で見つけた、とある化粧品のポスターである。いいなー、これ。この、“正直さ”と“潔癖さ”と“偽り”の、絶妙なバランス。

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*1997年06月13日:文庫版「デビルマン」完結


 講談社文庫から、既に第3巻まで出ていたが、この度、第4、第5巻が発売されて完結した。やはり落涙ものの傑作である。

 これは、指摘されることが少ない(というより、ほとんど目にしたことがない)点なのだが、デビルマンは、さまざまな技法の“青臭い”実験の場としても、貴重なサンプルなのだ。このことは、日を改めて、また書く。

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*1997年06月14日:「お気楽ヴェルレク本会」


 「お気楽ヴェルレク(ヴェルディ作曲レクイエム)本会」である。場所は幡ヶ谷の「グランリリカ」(つい最近、名称が変わったらしいが、失念)。午前中はオケとソロの練習が主体ということで、いつものように、東京駅に8時半に着く浜松7時過ぎ発のひかりに乗ることはせず、ゆっくりと10時過ぎの便に乗る。これで13時の本番スタートにちょうど間に合う。(しかし、いつもいつも思うのだが、新宿駅でのJR→京王新線の乗り換え経路は、最悪である。年に数回は通っている道だというのに、今日もまた、少し迷ってしまった。)

 今回は(今回も)、諸般の事情があって、ほとんど予習が出来ていない。練習会にも1回しか参加していない。と言うわけで、個人的には実に不満足な出来であった。まぁ仕方が無い。慢性寝不足気味の私は、合唱の出番の無い曲では、すやすやと眠っていたりした。脈絡は不明だが、化石の夢を見た。

 ヴェルレクを2回通したあと、オマケとして、第九の終楽章とブルックナーの「テ・デウム」を通して、本会は終わり。いつもの店で、盛大な反省会(宴会)。まるで小犬のように小学生のように、暴れまくるレディーたちがいることである。

 ..ふと気が付いたら、2時を回って、新宿に向かうタクシーに乗っている。[;^J^] 同乗しているのは、AさんとB氏。新宿に向かっていた理由は不明である。歌舞伎町の近くで降りてから、屋台でラーメンを食べ(これは、私が提案したような記憶がある)、ビジネスホテルを探して泊まる。ほとんど3時だったので、今更ホテル代を払うのも、金の無駄という気もしなくはなかったが..

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*1997年06月15日:悪夢、テ・デウム、鉄腕アトム


 ..読みさしの文庫本が片付いたので、ほとんど百科事典的に分厚いハードカバーの「フロイト集」に取り掛かるが(これは先日、ほぼ15年振りに偶然再会した旧友が出版社の編集をしていて、自分の担当した書籍を送ってくれたものであり、現代思想全集(だったかな?)の第4集なのである)、既にFCLAのオフの選曲委員会が始まっている時間で、私は「おもちゃの交響曲」の指揮をすることになったのだが、玩具の「鳴り物」は幼稚園児が担当することになり、どうやって彼女らに“キュー”を出そうか、悩む。なにしろ晴れの舞台である。絶対に落ちないようにしてあげたいが、いきなり合図を出したりすると、驚いて、かえって落ちるのではなかろうか..などと考えているうちに、演奏時間の合計がオーバーしていることが判り、エントリーを削らなくてはならないことになる。あるトランペット奏者が(自分がソロを取る)協奏曲を2曲エントリーしているので、これを1曲に減らせばいいではないか、ということに決まりかけたが、1曲は定番中の定番のバロック物、もう1曲は意欲的な現代曲であり、これを両方やりたいという気持ちは理解できる。簡単には削れない。そもそもこの事態が発覚したのは、「ウィーンの森の物語」が“8分”としてカウントされていることが判明したからである。この曲は15分なんだよ、だれが8分って書いたんだよ、そもそもエントリー申し込み書には正しく15分と書かれているじゃないか、どうしてカット&ペーストしなかったんだよ!(喧喧囂囂侃侃諤諤)..

 ..という、えらくリアルで具体的な夢から覚めてみると、10時17分。誰も起こしてくれない。ま、冷たいもんである。

 ホテルをチェックアウトしたのが10時半過ぎ。(ちなみに、ちゃんとしたツインルームをひとりで使って、5500円であった。これは非常に廉いのではなかろうか。カプセルホテルでも4500円位はすることを考えると、断然お得である。問題は、この日記を書いている時点で、ホテルの名前も場所も、全然憶えていないことだけだ。)

 まず地下鉄で神保町へ。もともと日曜日には半分眠ってしまう街であるが、午前中となるとなおさらだ。モーニングサービスを求めて喫茶店を探しつつ、すずらん通りを歩くが、結局三省堂の2階の店へ。ここにはモーニングサービスなどという軟弱なメニューはない。次善の策として、チーズをまぶしたトマトのパスタとアイスコーヒーを注文するが、宿酔いが僅かに残っている身には、チーズの匂いはよろしくなかった。しかし、空腹に不味いもの無しで、パスタが実に気持ち良く、口から喉へ、胃袋へ、“モリモリ”流れ込み、はっきりと自覚出来るほどの勢いで、リアルタイムに活力に転化して行く。これこそ“食事”だ。いやまったく、こんなに健康的な、本質的な食事をしたのは、久しぶりのことであった。

 食後、4Fの映画コーナーで「メイキング・オブ・ブレードランナー」の他、洋泉社のムックを3冊、「セクシーダイナマイト猛爆撃」「底抜け超大作」「怪獣(秘)大百科」を買う。

 三省堂前のグレ電でメールをダウンロードしてから、サントリーホールへ。新橋経由である。新橋駅前のバス停、都営01系(渋谷駅行き)で、約10分。サントリーホールの目と鼻の先に着く。これは便利だ。(従来は、地下鉄六本木駅から歩いていたのだ。)

 14時開演の日フィルの名曲コンサートは、井崎正浩の指揮で、「ラコッツィ行進曲」(ベルリオーズ)「交響曲第100番“軍隊”」(ハイドン)「テ・デウム」(ベルリオーズ)という、一見、不思議な組み合わせ。実は見事に筋が通っており、これら3曲は、いずれも“軍楽隊の”音楽なのであった。

 第一級の名演であるとは、とても言えなかったが、「テ・デウム」を実演で聴くのはこれが初めてでもあり(実際、滅多に演奏されない曲なのだ)、S席6500円が高い買い物だったとは、思わなかった。極めてダイナミックな事故(=とちり)も、楽しめたし。[;^J^](終曲のイントロで、パイプオルガンのフォルテッシモの和音が、飛び出したのである。これは完全に指揮者の責任。)

 渋谷に用事があるので、サントリーホールへ来るのに利用した、都営01系のバス停に戻り、そのまま渋谷駅へ。16時に乗って、到着が16時20分。これまた便利。

 しかし..渋谷って、ヒドイ街になったなぁ。道玄坂の下のあたり、今日は歩行者天国なのだが、歩道のてすりに、10人位のミニのタンクトップの(つまり、みため下着姿の)こげ茶色のブ○がズラーッと座り、コンパクトで化粧を直している。ここは洗面所か!?

 下手な芸人のビデオ撮りをやっている近くだったので、もしかすると、なにか“出し物”系の連中だったのかも知れないが..それならそれで、楽屋でやってこい! 公衆の面前で、そういうことをするな! ったく..

 などと憤慨しているうちに、ラブホテル街のど真ん中の、まんだらけ渋谷店に着く。わははは、同じ渋谷でも、全然客層が違うぞ、ここは(人のこと言えるか [;^J^])。

 カッパコミクス版「鉄腕アトム」の在庫をチェックしに来たのだが..無いな。おかしいな。中野の本店にあることは判っているが、この渋谷店にもあったと思ったが..その他の在庫をざっとチェックしてから、三軒茶屋に向かう。

 3軒茶屋の2階のマンガ屋では..あれ? 妙に書棚に空きが目立つ。店員もひとりしかいない..あ、そっか。例の「マンガ屋 PRESS vol.25」の抽選日は、昨日だったんだ。発送作業中と言うわけか。ここには、カッパコミクス版「鉄腕アトム」は6冊ほどあったが、いずれも高い。いわゆるABランク(美本とは言えないが、傷や汚れが気にならないレベル)で、全て2500円。ほとんど日焼けしていないので、納得のいく値付けだが、いったん見送る。他所で買えないものを、ここで補充することにする。(すなわち、今後は巡回路の末尾に置く。)「裏とり」(とり・みき)を捕獲して、中野へ。

 まんだらけ中野本店は、複数のフロアに分かれている。この中野ブロードウェイという、ちょっと猟奇入ったビルを、一度徹底的に探検したいのだが、いつもいつも時間がない。今日も、残り1時間もいられない。

 カッパコミクス版「鉄腕アトム」は、ここの在庫がもっとも廉く、もっとも状態が悪い。日焼け/変色が相当進んでおり、背表紙が半分以上ちぎれているものも少なくない。ここで3冊、400、500、700円で買う。同時に、以前から探していた、好美のぼるのC級怪奇漫画を1冊見つけたので、350円で買う。

 ここで時間切れ。東京駅に直行してひかりで浜松へ。晩飯は居酒屋Eで。日焼けの入った廉価な「アトム」は、これ以上“転売”しようとしても値段はつかないだろうが、普通に読む分には、全く問題の無い品質であった。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 18 1997 
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