1997年07月14日:正義の無力さについて 1997年07月15日:ある視察 1997年07月16日:ジャングル大帝(学年誌版)/ロップ君/どろんこ先生/夜明け城/ぼうけんルビ/ぐっちゃん、等調査 1997年07月17日:滅び行く伝言ダイヤル 1997年07月18日:私の腕時計の謎 1997年07月19日:品揃えの乏しい百貨店 1997年07月20日:有事のために目次へ戻る 先週へ 次週へ
HTML 関係のニュースグループにおける基本的な論調のひとつとして、現行の(というより、ネットスケープやマイクロソフトが勝手に拡張した)仕様のいい加減さ、及び、それらをあっさり認めてしまう各種ツールやブラウザのいい加減さ、あるいは、より“正当な”(それがどのようなものだか、私は良く知らないのだが)仕様や文法が、満足にサポートされていないことに対する悲憤、といったものがある。
言っていることは全部正しいが、まるで実行力(強制力)が伴わないので無意味である、という、わかりやすい例だ。「力の無い正義は無意味である」ことの、良い例証である。
それに、そもそも HTML が流行った理由の最大のもののひとつは、その文法のいい加減さ、少々間違った記述がされていても、テキトーに解釈して表示してしまう、ブラウザのいい加減さであった。これが数学的に美しい文法体系だったら、絶対に普及しなかっただろう。人間はいい加減なものであって、カウチポテトコーディングが出来なきゃ、プログラミングなんかしないのだ。適当に書いても、大体動く、というラフな親しみやすさは、往年のBASICに通ずるところがある。
そしてそのいい加減さが起爆剤となって、爆発的に流行して、確固たる市場を形成したからこそ、こんにちの、大規模なホームページエディタの数々(もはや、ユーザーが直接 HTML を目にすることすらない)がある。HTML が美しい文法からスタートしていたら、これらのツールは、出現しなかったに違いない。
そういう私は、もちろん、DOSのテキストエディタ(Vz)で書いている。自動生成される HTML 文など、信用できる訳がない。[^J^]
目次へ戻るもう何年も(10年以上も)昔のことだが、全国的に木材が不足したことがあり、社会問題となった。そして、時の大臣だか議員団だかが、木材の貯蔵所を視察したのである。その写真が新聞に載っていた。川には、結構沢山の木材が浮いている。大臣だか議員団だかは「なんだ、たくさんあるじゃないか(言外のニュアンスとして、売り惜しみして価格を吊り上げているんじゃないか)」という感想を述べていた。
ばっかじゃなかろか。
在庫の平常値を知らなければ、比較が出来るわけないだろう。思い付きで視察して、その日の量だけ見て、多いも少ないも言えるわけがなかろうが。
こういうことは、良くあるのだ。大体、物事を定量的に把握する場合、絶対値よりも相対値、あるいは変化量の方が、遥かに重用なのであるが、つい、物理的具体的瞬間的な数字自体(それ自体は、確かな裏付けのある、一点の曇りも無いものだ)にとらわれてしまいがちである。それは、その事象の属する“系”を把握(理解)出来ていないからだろう。“系”が判らなければ、そもそも比較する対象すら、判らない。
これは、自分の(その事象に対する)理解度の検証に使える。絶対値では無く、相対値あるいは変化量で、理解や説明が出来るか。腑に落ちるか。それが出来ないうちは、少なくとも報告書を書ける段階ではない、ということだ。
目次へ戻る今日も今日とて、代休を取って7時14分のひかりで国会図書館。(ほとんど、「常春の国、マリネラ」状態である。)
今日こそ、「ジャングル大帝」系列作品の調査を完了させる予定であるが、開館前に待合室で雑誌目録を調べていて愕然としたのは、小学館の「幼稚園」という雑誌が見当たらないこと。まさかこれの蔵書が無い訳がない..と、5分ほど探し回ったが、そもそもあらゆる雑誌が収蔵されている訳ではなく、また、収蔵されていても、欠落は無数にあるもの..と、(苦労のかいあって)妙にすれてしまった私は、手早く諦めた。「幼稚園」が閲覧できないと、「ジャングル大帝」の係累の調査に欠落が生ずるのだが、やむを得ない。なんにせよ、悩んでいる時間は無いのだ。国会図書館での調査は、時間との戦い。特に10時半までが最初の勝負どころなのだ。この件、午後まで調査先送り。
「ジャングル大帝」「ジャングル大帝 進め! レオ」の、「小学一年生」掲載分、及び後者の、「小学二年生」に掲載された最終回をチェック。同時に、同誌の 65/04 以降をチェック。実は 65/03 まで「ロップ君」が連載されていたのだが、年度を越えたということで、この月からは「小学三年生」に連載が移行した..と、従来資料からは読み取れるのだが、もしかすると「小学二年生」にも引き続き(同一内容の)連載を続行しているのではないか?と、睨んだのである。予想はどんぴしゃりであった。
「ジャングル大帝(ディズニーランド版)」は、残念ながら蔵書の欠落が多い。ここは諦めどころだ。幸い、最終回の号は閲覧できた。連載第一回の号が無いが、これは現代マンガ図書館にあったと記憶する。両端を押さえ、連載期間の検証が出来れば良し、とするか。
この間、新聞閲覧室では、並行して「どろんこ先生」のチェックを終わらせる。新聞連載漫画の未調査分も、(蔵書が無く、閲覧不可能なものを別にすれば)いよいよ残り少なくなって来た。
「夜明け城」をチェック。「中学一年コース」から「中学二年コース」にかけて連載された作品だが、「中学二年コース」に移った直後から、約6年分欠落。あっちゃあ。後半の閲覧が出来なかっただけでなく、このあおりで(同誌の欠落期間中に後半が連載されていた)「アリと巨人」がチェックしきれない。実はこの作品、最終回が何月号であったか、2説あるのだ。これだけは押さえておきたかったのだが..出納ミス、というのも、無い話では無いので、次回、リトライする。
ここで、ちょっと時間の余裕が出来たので、カウンターに「幼稚園」の件を相談しに行く。「リストに無いということは、つまり蔵書されていないのでしょうから、それは仕方がないとして、その出版社(小学館)のそういう雑誌が存在するということだけでも、調べられませんかね?」と、諦めのいい聞き方をしたのであるが、担当者は「幼稚園」が無い、ということに絶句し、そんなはずはない、と、リストを繰って、30秒とかからずに「小学館の幼稚園」という雑誌を探し出した。さすがはプロである。しっかし、やられた。[;^J^] この雑誌を「小学館の幼稚園」という名前で認識・記憶している人は、珍しいと思うぞ。[;^J^]
とにかくこれで、「ジャングル大帝」シリーズの調査を終わらせられる。「レオちゃん」「ジャングル大帝」の「幼稚園」掲載分のチェック。途中までは「小学一年生」版と同一内容だったのだが、66/04 から、タイトルは「ジャングル大帝」のまま(すなわち、一見して「小学一年生」版と同じに見える)だが、内容が全く変わってしまった。すなわち、テレビアニメのスチール写真をつないだ絵物語である。同様に、「小学一年生」版自体も、67/04 から絵物語になる。(2回で終わるが。)
なんとかこれで「ジャングル大帝」シリーズは“一応”チェック完。やれやれ。それにしても、「ジャングル大帝」系列作品の初出誌情報が、どの資料に当たっても、妙に中途半端だったり分かり難かったりする理由が、理解できた。学年誌連載の定石を無視して、年度越えで分岐したり、さらに、分岐したと見せて(つまり、同じタイトルを両連載が引き継いでいながら)一方は内容が異なっていたり、あるいは、手塚治虫の作品とは呼び難い、アニメのスチール写真をつないでキャプションをつけただけの連載があったりするのである。
最後の例は、よくある「原作:手塚治虫、制作:虫プロダクション」というパターンなのだが、このタイプをリストに入れるか入れないかは、ちょっと判断を要求されるところである。
もとより、リストで肝要なのは、対象範囲を明確にすること。とすれば「全部、入れない」か「全部、入れる」しか、無い。ところが、原作物を全部排除すると、いくつか惜しい作品が外れることになる。逆に、全部入れるとなると、数が増えるのも問題だが、どう考えても手塚治虫の作家性とは無関係な作品も、対象になってしまう。
そこで、実に中途半端な処理ではあるが、「対象範囲を明確に」という原則を破って、ケースバイケースで、入れたり入れなかったりしている。基本的には、「純然たる漫画作品」の場合は、原作物も出来るだけリストに加え、今回のように、テレビアニメのスチール写真をつないだものは、テレビアニメのストーリー紹介に過ぎない、とみなして、(このリストでは、アニメ作品は対象としていないのであるから)外している。
この機会に、「全集未収録作品」のリストに、エッセイ・対談・カット等が“中途半端に”入れられている理由も書いておく。
もとより、“手塚治虫漫画全集”の総目録としてスタートした企画であるから、最初は「全集未収録作品」のリストすら、なかったのである。これを加えた理由は、具体的には「ブラック・ジャック」の全集未収録エピソードが非常に多く、これらもリストアップしなければ、結局は使えないリストになってしまう、と危惧したからである。
つまり、「全集未収録作品」リストは、“本来、全集に収録されるべきであるにも関わらず、収録されなかった作品群”のリストなのである。そしてこの全集が“手塚治虫漫画全集”である以上、対象となるのは、漫画作品(全漫画作品から全集収録分を差し引いた、残り)だけであるはずであった。イラスト、カット、エッセイ、対談、座談会、等の類は、最初から対象外としていた。量も量だし、範囲の限定が難しいからである。
さて、“手塚治虫漫画全集”に“エッセイ”等が収録されはじめた。
はなしが違うぞ、こら! [;^O^]
「全集未収録作品」リストが、「“本来、全集に収録されるべきであるにも関わらず、収録されなかった作品群”のリスト」であるならば、自動的に、全てのエッセイ等が対象となるはずである。そうでなければ、筋が通らない。
多分、そうなる。そうせざるを得ない。あと数年以上はかかるだろうが、今は、全集に収録されたエッセイ等の初出誌調査の過程で発見したエッセイ等を、逐次加えている、というフェーズである。つまり、作業中なのである。だから“中途半端”な様相を呈しているのだ。そのように、ご理解いただきたい。
ひとつだけ追記しておくと、特に新聞の取材記事で良くあるパターンなのだが、手塚治虫の談話をまとめた記事が、手塚治虫の言葉のみからなっている場合は、口述エッセイとみなして、リストに加えている。そうではなく、記者の地の文に手塚治虫の言葉が差しはさまれていく場合は、手塚治虫の発言を引用している記者の著作物である、と判断して、リストから外している。
引き続き「ぼうけんルビ(幼稚園版)」「ぼうけんルビ」をチェック。新聞閲覧室では、「ぐっちゃん」をチェック。たまに欠号があるが、なんとか照合完。「グッちゃんとパイコさん」については、初出紙の該当号に見当たらぬ。関西版(大阪版)のみの連載だったのだろうか?
閉館後、現代マンガ図書館に移動して、まず「ディズニーランド」64/08 号をチェック。確かにこの号から「ジャングル大帝」新連載である。これを持って、「ジャングル大帝」の調査を終える。
さて、本日の現代マンガ図書館における、もうひとつの重要な調査は、吾妻ひでおである。「吾妻ひでお 著作リスト」の初出誌情報の中には、いまだに初出誌を直接閲覧出来ず、別のリスト、あるいは収録単行本の初出データから転記したままの状態のものが、7%ほど残されているのだが、中でも特に2点、非常に気になっているものがある。
まず、
ナマズン:ドライブ騒動:8:冒険王:? ナマズン:ナマズンのとりえ:8:冒険王:? ナマズン:ヤマメンにアタック:7:冒険王:? ナマズン:世紀の決とう:8:冒険王:?
これの初出誌が「冒険王」であるということについては、実は収録単行本には記載されていない。初出誌情報が、無いのである。私のリストに先行する、古い作品リストでも、初出誌・初出年月日不明とされている。とある(これも相当古い)同人誌に「73年、冒険王」と記されていたのを、唯一の拠り所としているのだ。
この当時の「冒険王」誌は、国会図書館でも現代マンガ図書館でも、ボロボロに欠落しているのである。そこで数年前に調査をペンディングにしていたのだが、ようやく手塚治虫の調査も先が見えて来た、ということで、調査を再開した次第。先日の調査では、国会図書館には、73年度分は、後半しか蔵書がなく、これらには掲載されていなかった。今日は、現代マンガ図書館で調査したが..見つからない。73年の前半の号は、1冊しかなく、これにも掲載されていない。71年から76年まで、飛び飛びにスキャンする。4回連載なので、連続4号の空白期間が出来ないように読んで行くが..無い。実際には、蔵書の欠落から、連続4号以上の(閲覧出来ない)空白期間が、何個所か出来てしまっているのだが、そこにぴったりとはまっている、と考えるのも、やや無理がある。初出誌は、この雑誌ではなかったのではないか?という疑念が、かなり高まってきた。
もうひとつ、気になっているのが、
ベスト典::10:月刊プレイコミック:79/07 吾妻ひでおの爆笑劇場::8:月刊プレイコミック:80/?
「吾妻ひでおの爆笑劇場」は、単行本未収録作品であり、未読である。いや、実はこの2作は、同一作品である可能性が極めて高いのだが、確証がないまま、こんにちに至っているのだ。
「ベスト典」の収録単行本である「やけくそ黙示録」では、「昭和55年月刊プレイコミック掲載」とされている。月号まで記述されていないことに注意。すなわちこの書籍の編集者は、初出誌の現物に当たっていない(なんらかの資料からの引き写しをしている)可能性が高いのだ。
次に、先述した古いリストには、「ベスト典」という作品は記載されておらず、「吾妻ひでおの爆笑劇場、月刊プレイコミック、79/07」とされているのである。
これらから推測するに、「ベスト典」のサブタイトル、あるいは原題が「吾妻ひでおの爆笑劇場」であって、掲載号は 79/07、「やけくそ黙示録」の昭和55年という記述は誤記、と考えられる。実際、「吾妻ひでお 著作リスト」の非常に古い版では、そのように考えて、この2エントリを1エントリに合体し、「吾妻ひでおの爆笑劇場」というタイトルは、注釈に追いやって「『ベスト典』の原題と推測される」としていた。
しかし、推測によって情報を欠落させるのも危険である、と考え直し、ある時点から「吾妻ひでおの爆笑劇場」という“謎の”作品を“復活”させ、79/07 という月号(「贋作ひでお八犬伝」の始まる直前の号)には、確固たる信憑性があるので、これを「ベスト典」の初出号とし、(恐らくは「ベスト典」の別名である)「吾妻ひでおの爆笑劇場」は、“存在するとすれば”80年のいつか、と考えて、現在に至っている。
そんな面倒なことを考えている間に初出誌にあたれば、全て解決する。しかし、初出誌を読めないのだ。肝心要の 79/07 号が、どの図書館でも欠号。また、80年の号は、ほとんど全部閲覧出来たが、80/02、80/09 を、読むことが出来ない。しかし、80年には、同誌では「贋作ひでお八犬伝」「チョコレート・デリンジャー」というふたつの連載が切れ目無く続いており、これらとは別に「吾妻ひでおの爆笑劇場」という“読み切り”が(2月号か9月号に)掲載された、という可能性は、極めて低い。ならばやはり、79/07 号だ..
今日の調査でも、結局該当号は見つからず、結論は出なかった。さて、どうするか..などと考えつつ、ひかりで浜松へ。
目次へ戻るあなたは「伝言ダイヤル」を知っていますか?
..て、多分、ご存知だろうとは思うが、要するに、電話局の中に、有効期限が一日限りのボイスメールスプールをインタラクティブに作り、それをアカウントとパスワードを教え合っている仲間で共有する、というシステムである。無論、容量制限がある。街中の電話ボックスから、簡単に使える。都市圏じゃないと、使えない可能性が高い。
とまぁ、街中で待ち合わせをするときの「伝言板」がわりに、実に便利に使われていたのだが..
例えば、ニフティのFCLAのオフで、過去少なくとも1年位は、伝言ダイヤルのアカウントとパスワードを申し合わせた記憶が無い。(1年どころではない可能性の方が、高い。)
理由は言うまでもない。携帯とPHSの爆発的普及により、こんな(簡単とは言え、手間はかかる)システムは、無意味になってしまったのである。使用感を、携帯&PHSと伝言ダイヤルで比較すると、電話対電報、位であろうか。
万人が携帯やPHSを持つようになるまで、伝言ダイヤルがなくなることは無いだろうが、その日は決して遠くない。
目次へ戻る私の時計は、6分少々進んでいる。
それは、マニュアルを無くしてしまったからである。たった2本の突起で、実に様々な機能の設定をする(はずの)時計なのである。ほとんど、鉄人28号の操縦機状態である。時刻を合わせようにも、怖くて触れない。何が起こるか判らない。何か良くないことが起こっても、絶対に復帰出来ない。
それにしても、これを買ったのは、確か5年位前である。1年で1分強、進むようじゃしょうがないなぁ、と、私よりは遥かに時計に詳しい人に話したら、それはクォーツにしては、恐ろしく精度がいい、と指摘された。そういうものか。安物なのだが。もしかすると5年前というのは記憶違いか?いやいや、どんなに近くても3年前。
もうひとつ謎なのは、これの電池を入れ替えたことが無い、ということである。太陽電池は入っていない。こいつは一体、どこからエネルギーを補給しているんだ?
..俺の、左腕からか?
目次へ戻る一人暮らしでつらいのは、(平日の)留守中にフトンを干して取り込んでくれる人がいないことである。先週末は雨その他。先々週は実家。ということで、この湿っぽい季節に実に1ヶ月近く、フトンも座布団も干せなかったのである。
今日は久々の快晴の週末。フトンを干してから、まずT歯科医院へ。歯石取りは(今日のところは)別にそんなに痛くはなかったが、あ〜、それにしても、血が美味い。[;^.^]
引き続き、図書館へ。調べ物をしてから、デパートへ。
年内に浜松から撤退する西武デパートだが、目下“フェイドアウト”中である。すなわち、次第に店舗が減って、残された店舗も品揃えが漸減している(補充していない?)のである。これは..事情は判るが..まずいな。
“品揃えの乏しい百貨店”というのは、語義矛盾である。早い話が、行っても不便なだけなので、もう行きたくなくなる。既に“投げている”フェーズなのだろうが、最後の最後まで、少しでも売り上げを伸ばしたいのであれば、こういう「告別交響曲」(ハイドン)状態は、良くない。
目次へ戻る先日、買い替えた車は、私にとっては初めてのパワーウィンドウ車である。そこで、従来は不要であった装備が必要となった。
そう、緊急脱出用のハンマーである。
(滅多に訪れることのない)カー用品店で探してみて、ちょっと驚いた。てっきり、プラスチックハンマーのようなものかと思っていたのだが、遥かに小振りで、窓を割るために必要最小限の突起を備えた、“ハンマー”という言葉からは程遠い印象の工具なのである。
私が購入したのは“防護盾”の付いているタイプ。盾からレバーを直角に起こして、レバーを握ると、盾が腕の外側(肘までの距離の半分位)を覆い、レバーを握った拳の外側に、盾に突き出している突起で、窓ガラスを叩き割る。これが、なかなか..かっこいいのだ。[;^J^]
足元の、運転の邪魔にならない場所に取り付ける。有事の訓練として、それを素早く取り外す(具体的には、一方の端に指を引っかけて、直角に起こす)と、先端を保護しているキャップが、外れて軽く飛ぶ。そしてレバーを握って、窓ガラスへ..うぅぅ、割ってみたい。[;^.^]
こういう馬鹿があとを絶たないらしく、取説には「普通の窓ガラスを割ると、車の窓ガラスとは割れ方が違うので、大怪我をします」と、わざわざ書かれている。また、一見、族に襲われても戦えそうに見えるのだが、この突起は、窓を一回割って使い捨てるだけの強度しかなく、盾も、割れ落ちるガラスから腕を保護し、割れ残りのガラスを掃き捨てるための、単なるプラスチックである。チェーンやパイプと戦うための武器は、別に用意すること。
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