27.ルナティック

 16時40分、救いの[;^J^]バスが来た。乗り込む前に、1時間半を共にした風景に別れの挨拶を送ろうと、東の山を振り返って驚いた。つい10分ほど前まで山頂から中腹付近まで覆っていた雲が、風に運びさられ、その下は真っ白になっていた。1時間前には、まだ雲に隠れておらず、褐色の林が見えていたあたりもだ。よほど沢山の雪を降らせていた雲だったらしい。あれがバス停付近の上空にいたとしたら、私の体は、さらに冷たくなっていたかも知れない..上空には、白い月..

 バスの乗客は、私ひとり。(どこに行っても、私ひとりである..)暖房で手足の凍えが溶かされ、ジーンという心地よい痺れが広がる。ここまで冷えていたとは思わなかった。いきなり寒い場所に放り出されたのではなく、長い時間をかけて、徐々に周囲の気温が下がったために、気がついていなかったのだ。結構危ない状況だったのかも知れない。

 夕闇が宵闇に変わる刻限を、バスは走る。約20分後に斜里駅着。17時24分、斜里駅発、18時4分、網走駅着。

 「はじめての町にいくには夜になって到着するのがいい」(開高健「夏の闇」)。

 JR網走駅は、市街の中心部から西に外れたところにある。その北側を東西に流れる網走川。それを渡る橋の中央で、ふと足を止め、右手(市街地方向)を眺めた私は、凍りついた..

 ..またしても、チェスタトンだ..

 鏡のような水面の両岸が、幅の狭い庭園のようになっており、不思議な装飾を施された街燈が並び、川面に弱い光を投げかけている..確かに平凡な夜景なのだが、事物の配置と光と闇のバランスが、私の神経を狂わせた。「木曜の男」(チェスタトン)だ。あの長編のプロローグとエピローグの舞台は夕方の公園だったが、その雰囲気は、この情景と、そっくりである。

 確かに夜の魔力のせいに違いない。昼の光のもとでは、この風景は全く異なって見えるはずだ。寒さも忘れて立ちすくむ私の頭上では、蒼ざめた月が、白く冷たく輝いていた..




28.貨幣について

 網走駅から徒歩5分、網走川を越えたところにある網走ロイヤルホテルに部屋を取り、北海道最後の夜を過ごすために市内に出かけた。足が妙に痛いので、出来るだけ近場ですませようと、駅の近くの「ブラッセリーあんじろ」で、パスタとカクテルで夕食。

 パスタはともかく、酒が物足りないので、タクシーを拾って、適当な居酒屋に案内してくれと告げる。「郷土料理志帆川」。メニューにはひと通りなんでも揃っているが、魚料理がメインのようだ。中ジョッキを傾けながら、大好物のサンマの塩焼きを注文すると、おかみさんは「今日のサンマは酷いもんだよ、サンマはもう終りだからねぇ」と、作ってくれないので、じゃぁ、うまいものを適当にみつくろってくれと頼むと、刺し身の盛りあわせとホッケが出てきた。結局、好物のサンマは食べられず、それほど好きでもない、刺し身とホッケのおいしく調理されたものを食べたわけだ。どうも釈然としない。[;^J^]

 タクシーで来たとは言え、ホテルまで歩いて高々15分ほどであり、足の具合もまぁまぁなので、酔いざましのために徒歩で帰る。途中で網走駅により、明日6時20分発のオホーツク2号(11時39分、札幌着)の切符(乗車券、特急券、合わせて1万円ほど)が、カードで買えることを確認するために、みどりの窓口へ。

 ウィンクルカードなら使えるそうだ。そんなものは持っていない。現金は、4千円ほどしか、残っていない。




29.“盲点”についての考察

 旅行記は、一ヶ月ほど間を置いて書くといい。帰ってからすぐに書く方が、それはリアルで正確だろうが、読んで面白いものになるかどうかは、別だ。旅の印象を心の中で整理し、不要なものは捨て、本質に焦点を絞り込むためには、一定の時間が必要だ。また、当事者である自分から距離を置くことによって、意外な事実に気がつくこともある。(無論、私の場合は、である。リアルタイムに書かれた面白い旅行記も、たくさん存在する。)

 昨年の夏に、やはり一ヶ月の間を置いて書いた、「シルクロード恐竜紀行」の時もそうだった。連載の最終回を書いている時に、思わず叫び声をあげてしまったのだ。子細は省くが、旅のあいだじゅう、ある物品の欠如に悩み続けていたのだが、なんと、それを最初から最後までズボンのポケットに入れて、後生大事に持ち歩いていたことに、その時はじめて気がついたのだった。

 前回、目的の乗車券を買うためには現金が足りないところまで、書いた。さてどうやって、僅か4000円の現金で帰ってくるか..と、物語は進むのだが、そんなことに悩まなくても、現金を入手するすべはあったではないか。深夜でも使えるCD機が、市内のどこかにはあるだろう。通用力の強いカードを何枚も持参していたのだから、どれかは使えたはずだ。何故このことに気がつかなかったのか..ということに、第28章を書いていて、はじめて気がついたのである。

 切符が買えないという衝撃[;^J^]と、カクテルとビールの酔いによる判断力の低下の相乗作用ではあろうが..しかしホテルに戻って、ロビーにCD機が無いのを確認して、えぇいこの蛸ホテルめ!と、内心八つ当たりした記憶はあるのだから、ますますもって、市内にCD機を探しに出かける、という解を思い付かなかったことが不可解である。これが、今度の旅行で残った(というか、今頃になって明らかになった)、最大の謎である。

 しかしこれも後知恵ではあるが、このことに気がつかなくて良かったのかも知れない。何故なら、この足の状態では、市内まで歩いて探しに行くのは論外で(時間も足りない。既に22時はとうに過ぎており、0時を越えたら、深夜営業のCD機も、多くは閉鎖されてしまうであろう)、当然タクシーを使って探しまわることになるが、もしもこれで見つかれば万事解決だが、まんいち見つからなかった場合、4000円から、タクシー料金がさらに引かれるのであって、翌朝早く、網走から離脱するための、最低限の起動力すら失っていたのかも知れないのだ。




30.一条の光

 さて、とにかく市内のCD機を探すことには気付かなかった。大体、どうしてここまでキャッシュを平気で減らしたのかと言えば、札幌駅のみどりの窓口では、VISAもMASTERも使えることを確認していたからである。同じJRでも、駅によって処理能力に差があるのは、当然のことであった。

 どうしても、網走発、6時20分のオホーツク2号か、9時30分のオホーツク4号に乗らなくてはならない。つまり、網走では朝、金策に走りまわっている時間がない。とにかく乗ってしまわなければならない。札幌までは買えないのだから、途中駅までだ。車内で乗り越し清算が、カードで出来るとは思えない。札幌駅の清算窓口でも、カードが使えるとは思えない。他の乗客に、「すみません、後日、現金書留でお返ししますので、6000円ほど貸していただけませんか?」などとやった日には、どこに出しても恥ずかしくない不審人物である。鉄道公安官に引き渡されかねない。

 先発のオホーツク2号に乗って、途中駅で降りて、そこで銀行のCD機から現金を下ろして、次発のオホーツク4号に乗ればいい。(このように、CD機を利用することは、思い付いているのだ。どうやら「翌日は平日だから、日中に都市銀行で**銀行のカードを使える」という方向に、思考が固まってしまっていたらしい。車内清算をクレジットカードで行なうことの可能性は、一応考察しているのに..)ところが、4000円では足りないのである。旭川まで届かない。旭川ならば確実に現金を引き出せると思えるのだが、旭川より手前の駅は、ことごとく無人駅であっても不思議はなく、そこで降りて現金が入手できるかどうかは、まさに博打である。そのあたりの駅で、残金1000円以下で取り残されたら、もう、鉄道もタクシーも使えない..

 頭をすっきりさせるためにシャワーを浴びようと、靴を脱いだら、なんと、左右両足の靴下の前半分の外側が、真っ赤である。靴下を脱いでみたら、これは靴擦れではなく、両足の小指の爪の処理がいい加減で、僅かに小さすぎる靴に締め付けられて、それぞれ、薬指の外側の皮膚をえぐっていたのであった。やれやれ..

 ..簡単な手当をしながら、私は突然、この窮状を切り抜ける手段を思い付いたのだった。




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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 16 1995 
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