17.どんどん北上する

「……知床に行くのだったら、斜里駅前からバスがあるよ」と、後ろの席の旅行者カップルに、地元のおやじさん。私はもちろん耳ダンボである。そうだ、別に斜里で留まる必要はなかったんだ。

 斜里駅で彼らと一緒に降り、軽く挨拶を交わして、バス停の場所を聞く。改札を出て、すぐ斜め前にバスがスタンバイしており、その向こう側にあるチケット売場で、

私「えっと、知床方面に…」
係「最終バスが出ますから急いで買って下さい!」
私「あの、どこ行きの最終バス…」

係「はい、これがチケット!」

 追い込まれるように乗車したところで、エンジンがかかる。ふと車外を見ると、さきほどのカップルが、改札で手間取っていたらしく、ようやく駅から出てきた。早くチケットを買えと呼び掛けておいて、運転手に「2分ほど待ってあげて下さい」「えぇえぇ、構いませんとも」。

 17時23分、斜里駅前から暗い町中に向かってバスは発った。やれやれ、ひと安心である..

 ..ところで、このバスはどこ行きなんだ?[;^J^]

 運転中の運転手に話しかけてはいけない。乗客は皆、寝ているか眠そうにしている。まぁ大雑把、北上していることは間違いないだろう。

 私には、非常にシンプルで明快で力強い行動基準がある。わからなくなった時は、目的地の方向へ、行けるところまで行くのである。終点で降りることにしよう。既に車窓風景は闇の中である..




18.民宿「太陽」

 18時10分、終点である。バス停前には観光案内所があるが、窓口は早くも閉まっている。たまに頼りにしようとすると、こういう目に会う。これも人徳というものだ。とにかくどこに着いたのかを、バス停の名称などから把握する。ウトロ温泉、知床半島の西岸の真ん中あたり。観光拠点のひとつだ。

 真っ暗な街中で周囲を見回すと、「宿泊できます 4000円」という看板が。何も考えずに引き戸を開けて、「すみません、部屋ありますか?」 民宿「太陽」であった。実はこの隣にあるのが、結構名を知られている(TVの旅番組にもたびたび登場している)という、ペンション「しれとこペレケ」だったのだが、暗くて判らなかった。民宿「太陽」も、(私の持ち歩いていたガイドブックには掲載されていなかったが)それなりに有名らしい。

 食事は7時半くらいになるということで、まずは2階の部屋に荷物を解く。ゆったりとした八畳間。

 これで1泊2食付き4120円(税込み)は、廉い。食事が非常に良かったからである。やはり、フランス料理よりも和食だ。それも会席料理などではなく、家庭料理。煮付けや照り焼きなど、魚料理が4皿も出て、食べきれないほどだ。小食の私が御飯を山盛りでおかわりをしてしまったのも、おかずが美味しかったから。この夕食は、1500円以上の値打ちがある。

 さて、ようやく知床半島まで来たが、もうこれ以上、あまり奥地には進めないことが明らかになる。半島の反対側の、東岸の羅臼に行く知床横断道路は、既に脊椎部の知床峠で閉鎖されている。ウトロからさらに北に行くと、知床五湖があるのだが、やはりバスはそれよりだいぶ手前で運行停止。こちらは道路自体は閉鎖されていないようなので、レンタカーを借りれば、あるいは五湖まで行けるのかも知れないが、運行停止になるには、それだけの理由があるはずだ。温暖な浜松育ちの、チェーンの装着もおぼつかないドライバーの、選択すべきオプションではない。

 無理をする必要はない。ここを基地にして動ける範囲内で、知床を堪能すればいいのだ。腹くちくなって部屋に戻り、宿泊客たちの寄せ書きノートを読んでみると、数日から1週間、あるいはそれ以上も投宿して、ここを根城に、温泉巡りやバードウォッチングを楽しんでいる様子が伺える。

 ここからすぐ近く、歩いて行ける範囲に、知床八景のうち三つ、オロンコ岩、プユニ岬、フレペの滝がある。明日はこれらを中心に散策することにしよう。風呂に入り、ボルヘスを読了して、22時頃就寝。




19.きまぐれな天候

 7時頃起床。オホーツク海に沿って走る国道を5キロほど北上したところに、知床自然センターがあり、そこまではバスで行ける。自然センターから15分ほど歩くと、フレペの滝。しかしバスの発車時刻は遅く、あまりにも時間が無駄だし、そもそも道中のオロンコ岩やプユニ岬をパスすることになる。小雨模様だが、ここは当然、歩きだ。オホーツク海を、たっぷりと堪能しようというわけである。

 まず堪能したのは、暴風雨である。[;^J^] 宿を出てから何やら雨足が強くなってきたと思う間もなく、飛んでもない強風に見舞われた。3分ともたずに傘が壊れるだろうと焦ったが、風が強すぎてたたむことも出来ない。前に進むことはもとより論外、横に進んで建物の陰に入ることも出来ない。風圧に逆らわずに後退することは可能だが、それでは事態が進展しない。ほとんど真正面から叩きつけてくる雨に濡れる面積を少なくしようと、傘をかついだ格好で風上に背をむけてしゃがみこむ..と、私の背後で雨宿りをしていたとおぼしきシベリアンハスキーと、目が合った。

 仕方がないので、この天候の激変と回復の見込みについて、意見を求め、話し合う。ばかなことをしていると思われるかも知れないが、この状況では、他にすることがないのだ。これでも、時間を有効活用したつもりである。

 暴風雨は、いきなり去った。体は、驚くほど濡れていない。雨量自体は、非常に少なかったらしい。シベリアンハスキーと、縁があれば帰路でまた、と、挨拶を交わして、改めて北へ。まず、オロンコ岩だ。




20.知床自然センターへ

 オロンコ岩は、岬となってオホーツク海に身を迫り出した、もったりとした巨大な岩である。どこが知床八景のひとつなのか、いまいち判らずに麓をうろうろしていたら、階段が見つかった。なるほど、頂上からの眺望が売り物であったか。

 高所恐怖症の私は、半べそをかきながら、オロンコ岩の外壁の断崖添いの階段を登る。まぁザルボ展望台への山道と異なり、しっかりとした手摺が付いているのだが、オホーツク海から吹き付ける強風は、半端ではない。[/_;]

 頂上は広い。絶景とは思わなかったが、悪くない眺めだ。ガイドブックには、日没の光景が素晴らしいと書かれている。

 確かにそうなのであろう。しかし、ふと気がついて読み返してみると、ほとんどの名所について、夜明けか、または日没の情景が、みどころとして紹介されているのである。これでは、行く先々で宿泊しなければならないではないかっ

 オロンコ岩の名は、かつてこの地に住んでいたという、オロッコ族に由来する。確かにこれは、難攻不落の要塞であったに違いない。ふと、「三つ目がとおる」(手塚治虫)に想いを馳せる。

 岩を降りて、海岸沿いの国道を北上。歩道は完璧に整備されているが、ここを歩いている人間は、私以外にはひとりもいない。雨は降ったりやんだりであるが、雨量がそれほど多くはならないことと、気温がそれほど低くないために、不快ではない。オホーツク海の風と波と光を、胸一杯に吸い込み、目の底に焼き付けながら、歩き続ける。鳥たちの声。

 プユニ岬は、途中、標高がかなり高くなったポイント。確かに眺めは良く、オロンコ岩も下方に見渡せる。

 約1時間後、9時55分に、知床自然センターに着く。ここは一見、ただのドライブインだが、実は、知床の自然のウォッチャーたちにとっての、貴重な情報センターなのである。

 ここを特徴づけているのは、巨大スクリーンが売り物のシアター(もちろん、知床の自然の記録映画を上映している)と、ホワイトボードの「壁新聞」である。このホワイトボードには、みんなが足で集めて持ちよった、ホットな最新情報が集約されている。

 「A森ではリスが見られるようになりました。XX付近の木の下を10分位じっと見ていれば、必ず会えます」「B付近の林に、鹿。道路への飛び出しに注意」「C山の紅葉は、今週一杯が見頃です。いそいで!」などなど、まさにミニコミ誌の雰囲気であり、これらの書き込みを眺めているだけでも楽しい。「消えるので、触らないでネ!」という注意書きも愉快である。他にも、D湖の近くでキタキツネが見られるとか、E道の近くでヒグマ..

 ..ヒグマ?




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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 27 1996 
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