さて、シーズンオフの北海道を、時刻表も見ないで移動することの恐ろしさが(今頃になって)わかってきた私は、少し真剣になって、今後の身の振り方を検討する。例えば、摩周湖からの眺望を堪能したあと、この日の残りは屈斜路湖畔に割き、取り敢えず(今は屈斜路湖の東側にいるのだが)屈斜路湖西岸の美幌峠までバスで移動して、そこからの眺望を楽しんだあと、屈斜路湖と摩周湖の中間にある川湯温泉まで戻って、そこで泊ろう..と、朝の時点では考えていたのだが、実は美幌峠までバスでいくことは出来るが、そこで降りたが最後、どちらの方向に行くバスもない..ということが判明した。タクシーだって通っちゃおるまい。危ないところだった。美幌峠は諦める。
ポイントは、今夜どこで泊るかだ。釧網本線の主要停車駅は、以下の通りだ。
釧路→摩周→川湯温泉→斜里→網走
釧網本線は知床半島の足元をフライバイしており、そこにあるのが斜里駅。即ち、釧網本線は知床半島には入り込んでいない。知床半島内部には、鉄道は走っていない。
私は明日は知床半島を回る予定だ。そして、明後日の夕方には札幌(新千歳空港)に戻らなければならない。石北本線と函館本線を使って札幌に戻るつもりなので、逆算すると、明後日の朝の時点で、斜里か網走にいる必要がある。知床半島に乗り込む基地は斜里なのだから、明日、出来るだけ長時間知床半島を味わおうと思うのならば、今夜も明日も斜里で泊るのが望ましい。網走まで行き過ぎてそこに泊る方が、宿泊事情と夜の食事の事情は遥かにいいだろうが、明日の朝、知床半島へ乗り込むのが、一歩出遅れる。一方、屈斜路湖畔を長く楽しんで、今夜は川湯温泉で泊まる、という選択肢もある。この場合も、明日の知床半島へのアプローチが、一拍遅れる..
この連立方程式は、式の数よりも変数の方が多い。こういう場合は考えても無駄であり、しばらく成り行きまかせに動いて、自ずから選択肢が狭まり、条件が絞りこまれるのを待つのがいい。(←全然、反省していない。)
11時20分、摩周湖畔をバスで発つ。ここにも必ず、帰って来る。今度こそ“霧の摩周湖”を見るためでもあるが、それよりも、どう頑張ってもフィルムに収めきれない、この広大な眺望に魅了されたからだ。
11時50分、硫黄山。墳気孔がそこらじゅうにある。それほど大規模なものではないのだが、勢いの良い黄色い墳気があちこちから吹き上げている光景は、なかなか見応えがある。岩場に来ると、精神年齢が8〜9歳位に巻き戻ってしまう私は、革靴ではしゃぎ回り、飛び回る。ひとめが気にならないという性格は、こういう時にとくである。
噴出するガスの上で卵をゆでて、売っている。もしかすると癖のある旨味を味わえるのかも知れないのだが、ちょっと荷物になるので、買わずにおく..と、こういう冷やかしの客は一発で判るものらしく、売り子のおっさんから容赦なく罵声を浴びせられるのが、いっそ痛快である。
麓のレストハウスの前に、立て看板と壁新聞。どうやら、アイヌの人がこのレストハウスに店舗を出そうとして断られた、という経緯があるらしく、差別行政を糾弾している。土地の買収(借り上げ)問題も絡んでいるようだ。私は事実関係を何ひとつ知らず、一方の側からの情報だけでは、何も判断できない。複雑な心境になる。
12時20分に、屈斜路湖東岸の砂湯というところに着く。岸辺の砂を掘れば温泉が湧いて来ることに由来した地名である。
..屈斜路湖は没だな.. 南岸(あるいは西岸や北岸)まで回れば、屈斜路湖のいい点は、きっとみつかるのだと思う。しかしここから見る屈斜路湖は、今日の午後を全部潰して(下手をすると川湯温泉まで戻ることすら出来ないかも知れない)、明日の知床行に割く時間を削るに値するとは、到底思えなかった。ただの湖、それ以上のものでは、全くなかったのだ。土産物屋の前には、クッシーの(実物大?)コンクリ像がある。なんとも貧相なものだが、確かに、クッシーでもいないことには、この湖は間が持たない。(“砂湯”の由来は確認した。暖かい水が、岸辺の砂場に掘った穴の底から、湧き出て来るのだ。)
13時5分に砂湯を発つ、逆方向のバスに乗る。実際のところ、これが、川湯温泉に戻る最後のチャンスであった。再度、硫黄山を経て、13時35分に川湯温泉駅前の停留所に到着。
そこには、全く何もなかった。JRの駅も、例によって無人駅である。土産物屋らしきものはあるが、閉まっている。
網走行きの便が出るのは16時34分で、3時間後である。川湯温泉に泊るという選択肢は、なかったことにする。実際、温泉町としての川湯温泉の本体は、さきほどバスで通過してきた2キロほど先の集落なのだが、そこに泊るのは、JRから離れるのが不安だったことと、あまり魅力的な温泉町でもなかった(ように見えた)ことから、やめにした。
時間を潰せる場所も、ないではない。銭湯だ。これは温泉でもなんでもないただの銭湯だったが、とにかく30分ほどノンビリと休む。真っ昼間だからか、客は私ひとりである。
駅のホーム内の喫茶店へ。なかなか感じのよい、いわゆる西部劇の酒場のムードを少し漂わせている、洒落た店である。塘路の喫茶店もそうだったのだが、無人駅の駅前の喫茶店というのは、その町の社交センターとしての役目を担っているせいか、凛とした気合が入っている(ように見える)。ビールを飲みながら、ボルヘスを読みふける。
16時半、ディーゼルカーが入って来る。この時点で、待合室で、ようやくタイプBの装備に増強した。すなわち下着を含めて4枚。半袖シャツ+Yシャツ+毛糸のチョッキ+ブレザーである。
切符は一応斜里まで買ったが、17時17分に着く斜里で降りるか、17時58分に着く終点の網走まで行くか、まだ決めかねていた。明日のことを考えれば、斜里で降りておく方がいいのだが、そこは(まさか無人駅ではないだろうが)さぞや寂しい町であろう。網走は大きな町だ。私は結局、町の子であり、やはり人ごみが恋しくなって来たのだ..
時刻はまだ早いが、既に景色が見分けられないほど暗い。肌寒い見知らぬ土地を、今夜泊る町すら決めぬままに、宵闇の奥へ、ディーゼルカーに揺られて進んでいく。さすがに心細くなり、気を紛らそうとボルヘスを読み、さらに一層、落ち込んでいくのだった..
Last Updated: Dec 16 1995
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