10.釧路に戻る

 塘路駅を17時7分に発つ、釧路に戻る便を待って、駅前のただひとつの店舗である雑貨屋の裏に併設された、喫茶店に入る..と、こう書くと、とことんうらぶれた、つげ義春的喫茶店を期待されるだろうが、意外に洒落た、小意気な店であった。展望台で写真を撮ってあげた女性の二人連れが、食事をしていた。

 40分ほど休んだところで、ディーゼルカーが来た。当初の予定では、釧路に帰る途中の「釧路湿原駅」で途中下車して細岡展望台に登り、夕闇に沈む湿原を鑑賞してから、2時間後の次の便で釧路に戻るつもりだったのだが、既に宵闇に閉ざされており、これではもう何も見えない。何の施設もない夜の展望台で2時間過ごしていても仕方が無い。素直に釧路に直行する。

 17時39分、釧路着。さて、宿と食事だ。食事の方は、ガイドブックであたりをつけておいた「洋風居酒屋ラパン」と決めていたので、同じガイドブックでその付近のビジネスホテルを探す。「ビジネス旅館ニュー広楽荘」。ビジネスが付いていれば廉いだろうという、アバウトな決定である。

 釧路駅前では、観光案内所の窓口がまだ開いていたのだから、そこで訊ねれば最も条件にかなうホテルを紹介してもらえたに決まっている。しかし私には、「窓口でものを訊ねる」「しかるべき筋に電話で問い合わせる」ことを極端に面倒がるという悪癖があり、聞かずに切り抜けられる(と思われる)場合には、自分の判断で動いてしまうのである。そうでなくとも、土地勘0、事前にたてた計画皆無、方向音痴、と、三拍子揃っている男が、こういうプリンシプルで動きまわる。これで無事に北海道を離脱できたら不思議である..




11.古書店にて

 釧路駅から「ビジネス旅館ニュー広楽荘」まで、10分もかからない。流石に少々寒風が吹き付けてきた中(それでも、装備はタイプAのままである)、てくてくと歩いていくと..

 ..目指す旅館のすぐ近くに、古本屋があった。私には、そこに古本屋があれば、例えいかなる状況下であろうとも立ち寄る、という習性(走古書店性)がある。

 これがなかなか素敵な店であった。在庫は多からず少なからずで、どちらかと言えば少ない。整理は行き届いておらず、かなり乱雑。しかし蔵書は私好みのものが結構ある。おそらくはその程々の乱雑さが醸し出しているのであろう、不思議な暖かさが、店内に充ちている。店主もとても感じが良い。これは、雪が降りしきる、あるいは寒風が吹きすさぶ、凍えるような日に、ゆっくり半日過ごしていたいタイプの店だ。店名を忘れてしまった。「全国古本屋地図'95」にも掲載されていない。「ビジネス旅館ニュー広楽荘」の角を、南へ50メートルほど、と覚えておいていただきたい。確かジャズ喫茶の隣である。

 買いそびれていた、ボルヘスの「不死の人」(白水社)を買う。好みのタイプのヌード写真集もあったのだが、荷物になるのでやめておく。

 「ニュー広楽荘」に部屋を取る。素泊まり3914円。荷物を置いて「ラパン」へ。1本1500円のワインを飲みながら、牡蠣料理や、蟹料理。残念ながら舌が肥えていないので、ガイドブックに掲載されるほどの値打ちものなのかどうかは、判らない。しかしそれなりに旨いと思えたのだから、これは良しとしておこう。

 飲み食いしながら、ガイドブックと時刻表を睨んで、明日の湖沼地帯への攻略ルートを探る..が、私には、時刻表を眺めていると眠くなってしまうという悪癖がある。それに加えて、ザルボ展望台往復の疲労と、酒だ。行けばなんとかなる、という結論で締めた。

 旅館に戻って、風呂。TVをつけると「十戒」。一応最後まで観たが、これ、昔は少しは感動したのだが、実のところ、B級の下ではないかな? 特撮のチャチさ加減はおいておくとしても、演出のテンポが、がたがたである。特に、肝心要の紅海のシーンでのもたつきが酷い。0時前に就眠。

 1時半頃目が覚める。RTを始める時刻だからだ。端末もないのに、と苦笑して寝直す。

 3時半頃目が覚める。ネットサーフィンを始める時刻だからだ。端末もないのに、と苦笑して寝直す。




12.摩周へ

 5時半起床。まだ釧路の町にはひとけがない。6時10分発の網走行きに乗る。これで朝一番に摩周に移動し、午前中に阿寒湖へ。午後二番位に摩周まで戻ってきて、摩周湖と、あわよくば屈斜路湖を訪れ、今夜の宿は摩周かその少し北の川湯温泉で..と、この時点では完璧にプランニングできていた。

 改めて湿原の東側を北上する。昨日は午後の便だったが、今日は朝の光の中だ。どこまでも広がる枯れ野原の光景を、目に焼き付ける。ここには、必ず帰って来る。5年…いや、3年以内にだ。

 7時40分、摩周着。ハイヤーに乗り込んで、阿寒バスのターミナルまで行くが、ここで、阿寒湖へ行くバスが、シーズンオフには、昼過ぎの1往復しかないことが判明する。(釧路からは、5往復位出ているのであるが..)こんなことは、前日に、阿寒町観光課なり阿寒バスなりに電話すれば判っていたはずであり、さらに言えば、それらの電話番号は、持ち歩いているガイドブックに記載されているのである。しかるべき筋に問い合わせないという悪癖の報いである。

 まぁ過ぎたことは仕方がない。今日ここから阿寒湖にバスで移動すれば、明日まで帰ってこれない。ハイヤーの女性ドライバーは、阿寒湖まで行こうと、しきりにモーションをかけてくるが、その手には乗らない。片道1万円近い。「阿寒湖はあかんわ」と、トラウマになりかねない地口を思わず呟いてしまうが、ドライバーには聞かれなかったことを密かに確認して、阿寒湖は諦め、摩周湖行きを指示する。まぁ仮に先に阿寒湖へ向かっていたとすれば、今度は阿寒湖から摩周湖へ移動する(タクシー以外の)交通手段がなかったのだ。どのみち二者択一だったのならば、摩周湖は正解だったと、自分を納得させる。




13.摩周湖にて

 8時5分、摩周湖の第1展望台に到着。

 ..なぁにが「霧の摩周湖」だ。晴れ渡った空の下、一点の曇りもなく隅々まで見渡せる。6月から8月にかけての観光シーズン中は、ほとんど霧に閉ざされているというが、シーズンオフになると、この通りだ。

 霧の無い摩周湖を見ることが出来るものは、幸いであると言う。また、それの裏返しの表現として、初めて摩周湖を訪れたときに霧が無ければ、晩婚であるとも言う。それらは逆説的に、霧の摩周湖の魔力を述べているのだと思う。霧のない摩周湖、日の光の下にさらけ出された摩周湖は、それは確かに美しい湖ではあるが、数多くの観光写真に見られる、霧に閉ざされた魔の湖の風情は、全くない。神秘的な美女の素顔を見てしまった思いである。

 しかし、山頂のカルデラ湖である摩周湖からの眺望、摩周湖を含む風景の遠望は、あまりにも素晴らしいものであった。摩周湖自体の眺めよりも、この果てしない大風景に魅了されてしまった。西側に連なる山脈から、南側に遥かに広がる大平原(その果てには、海が見える)、その中にかすかに、例えば工場の煙突からの煙のような、人間の営みが点在する。これはまさしく、大ブリューゲルの“世界風景”ではないか!

 ここで半日も過ごす観光客は、ほとんどいない。しかし私は、摩周湖から下山するバスが発つ11時20分までの3時間を、長いとは全く思わなかった。




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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 16 1995 
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