4.美術館にて

 正気に帰った私は、散文的に500メートル歩き、南門から北大を退出した。次の目的地は近代美術館。地図を読む(というか、複数の地図を照合する)のが下手な私は、北大からほど遠からぬ場所かと思っていたのだが、結構遠いことが判明したので、タクシーを使う。以降、タクシーに乗る癖がついてしまった。

 近代美術館で展示されていたのは、地元北海道に題材をとった4人の画家の作品と、アール・ヌーボー/アール・デコのガラス作品、および特別展「李王朝時代の刺繍と布」。「北のトポス」と題された4人の作品は、まぁこんなものかな。ガラス作品は、予想されるような精緻細密なものではない。もっと大らかな作りのものである。

 特別展の会場を入り口から覗くと、韓国の女性の民俗衣裳やスカーフのようなもの(なんというんだったかな)が多数展示されており、その類のものにまるで興味を持たない私としては、いかにも気乗りがしなかったのであるが、この付近のフランス料理店に昼食を予約した時刻まで間が持たないので、チケットを買う。

 これが大当たり。衣裳や枕カバーの類はほとんど無視して、屏風や(西洋でいうところの)タペストリーのようなものに注目。なんとまぁこれほどの精緻な細密画を刺繍で! 花鳥風月的題材から、自然風景、街並みの風景、ブリューゲルを思い出さずにはいられない「子供の遊び」。

 中でも凄いのが「吉祥図刺繍屏風」で、これは風景画の類ではなく、おめでたい内容の詩文を刺繍したものであるが、花文字的にデザインされた一文字ごとに、同じ大きさの花の絵を交互に置いていくのである。花の絵には、同じものはひとつとしてない。同じウェイトを持って配列された文字と花の絵は、全て素晴らしい技術で縫い込まれている。

 もしもあなたが荒俣宏の読者ならば、氏の最良の仕事である、一連の「19世紀以前の図鑑類の紹介」を思い出していただきたい。その中に「貝類の図鑑」があったはずだ。あれだ。あの感覚に近い。ここに封じ込まれているのは、しかし自然界の事象(貝類)だけではなく、自然界の事象(花)と言霊(文字)だったのである..




5.黒い羊

 mtoyo氏に紹介された「メゾン・ドゥ・サヴォワ」(643-5580)で昼食。ここには北大構内から、電話で予約を入れておいたのである。

 閑静なビルの1階の、洒落た雰囲気の、こじんまりとした店。5000円のコース。ワインは、普段は398円の安ワインばかり飲んでいる私が、二桁アップの5万円のものを飲んでも仕方が無いので、一桁アップの6000円のトカイワインでとどめておく。(ワインメニューの一番廉い方から数えて、3番目か4番目であったからなのだが。[;^J^])

 グルメ的素養は全くないのだが、確かにうまいと思った。mtoyo氏に感謝。特に茸の料理が美味であった。

 タクシーで羊ヶ丘展望台へ。相変わらず雨がぱらついており、そのせいか羊は放牧されておらず、大きな小屋の中で食事をしていた。人間さまは、それを窓から覗きこむ。

 不気味である。大体私は、羊が少々苦手なのだ。それは滅多に実物を見ることがないからだという、実につまらない散文的な理由故だが、詩的な理由も、実はある。

 「ゴーメンガースト」。

 「ゴーメンガースト」の名を知る者は幸いである。もしもあなたが知らなければ、声に出して唱えてみて欲しい、「ゴーメンガースト」と。これほど魔術的な響きをもつ名が存在するだろうか?(唯一匹敵するのは、「ペガーナ」である。)

 マーヴィン・ピークという作家がいた。彼は、ゴーメンガースト城を題材に、3冊の長編を書いた。一応は幻想文学に分類せざるを得ないこの三部作は、しかし幻想小説としては、あまりにも破格であった。この寡作な作家は、この3冊の他は、わずか1冊の短編集に、残りの業績をほとんど全て網羅されつくしている。日本では「死の舞踏」として刊行されたこの短編集(前記三部作共々、創元推理文庫)の悼尾をかざる、「ゴーメンガースト」外伝とも言える異様な中篇、「闇の中の少年」。

 ある巨大な城を脱出した少年が、暗く深い森の中に迷い込み、異様な人物(あるいは動物..「バンパイヤ」(手塚治虫)を想起せよ)ふたりと出会い、彼らを従え、ある巨大な暗黒の洞窟に辿り付く。そこを支配していた闇の魔王。それは羊の怪物であったのだ..

 ..羊ヶ丘の羊小屋の中で無心に草を食べつづける羊たち。その中に一頭だけ、黒い羊がいた。魔王だ。

 “が、最後の一語の反響が未だ消えやらぬうちに突然、すさまじい金切り声が響き渡った。仔羊が絶叫したのだ。その衝撃は恐るべきものであり、もし、ハイエナとヤギ男がその時少年の方を見やったとしたら、二人は、気絶しているはずのその体が鋭い針に刺されでもしたかのようにピクッと撥ねるのを目にしたことだろう。その絶叫は、脳髄にもみ込むがごとき金切り声であり、不意を打たれた二人は、一瞬、厭悪の情も忘れ、思わずヒシと身を寄せ合った。それも当然と言えば当然のことだった。ヤギ男もハイエナも、仔羊陛下の側近くに仕えた果てしない年月を通じ、ただの一度も、主人仔羊がそんな叫びを上げるのを耳にしたことがなかったのである。…”(「死の舞踏」(マーヴィン・ピーク 高木国寿訳 創元推理文庫)より)

 幻聴を聴くことの出来る者は、幸いである。彼は日常世界の裏側の、もうひとつの世界を生きることが出来るのだから。例えそれがいかに恐ろしい世界であっても。例えそれがいかに恐ろしい声であっても。

 しかし私には、仔羊陛下の絶叫は聴こえなかった。聴こえてこなかったのだ..




6.大失敗[;_ _]

 羊ヶ丘展望台からバスで下り、地下鉄とタクシーを乗り継いで、小さな丘の中腹にある円山公園動物園に向かうが、既に閉園時刻を過ぎていた。麓の地下鉄駅からはたいした距離もなかったので、林の中を歩いて下りる。

 今夜はすすきので、私の迎撃オフがセットされている。まだ時刻も早いが、場所の確認と宿の確保のために、地下鉄ですすきのへ。書き忘れていたが、今回の北海道旅行は、初日(2日)朝の札幌千歳への航空便と、最終日(6日)夜の札幌千歳からの航空便を確保しただけで、あとは今夜のオフ以外、事前には何ひとつ予定を入れていないのだ。

 まず、オフの会場を確認。第3グリーンビルの地下の居酒屋。集合場所はすすきの駅の改札(18時30分)なのだが、それとは別に会場自体の所在地も確認しておく、この入念な事前の準備は、もう私の習性みたいなものである。

 すすきのにはグリーンビルが沢山ある。道行く人に第3グリーンビルの場所を訊ねると、みなとても親切に、ひとりひとり全然違う方向に誘導してくれるのである。

 ある程度の疲労と共に、なんとかオフの会場の所在を確認した私は、宿を探す。薬屋で胃腸薬を買ったついでに、手頃なビジネスホテルはないかと訊ねると、「グリーンホテルがいいでしょう」。

 すすきのにはグリーンビルが沢山ある。その中のどれかにグリーンホテルが入っているらしい。道行く人にグリーンホテルの場所を訊ねると、みなとても親切に、ひとりひとり全然違う方向に誘導してくれるのである。

 かなりの疲労と共に、なんとかグリーンホテルにたどりついた私は、取り敢えず投宿。部屋に荷物を解いたのが、17時..

 ..ハッと気がついた時には、19時30分! 体感していたよりも、遥かに疲れていたらしい! 完全に眠ってしまった!

 慌てたあわてた。会場の居酒屋に取り敢えず電話して、MARCHEたちに今から行くと連絡を取ろうとするが、そんなことをしているよりも駆けつけた方が早いことに気がつき、つながる前に電話を切って、おろしたての105度数のテレカを置き忘れて、居酒屋に駆けつける。もう支離滅裂である。

 MARCHEとトロロの姿が見えないが、MARCHEの本名で予約されている座敷で食事をしていた女性たちに、「あの、もしや…」と声をかけると、「待ったんですよ〜〜!!」

 もう平謝りである。ほどなく、MARCHEとトロロがすすきの駅から戻って来て、もう一度平謝り。私が普段、遅刻をすることが無いとは言わないが、しかし、1時間以上も人を待たせたことなど、ほとんど記憶にない。20年振り? いや恐らく30年振りの大失態である。

 迎撃してくださったのは、FCLAのMARCHE、トロロ、みけ、の各氏と、TONさん。料理も美味しかったが、私はもっぱらビール。トロロ氏(男)以外は、素敵なお嬢さんばかりである。

 TONさんが、ジュラシックパークの恐竜の動きはどうも不自然で…、とおっしゃるが、そういう意見を聞いたのは初めてであり、かなり意外に思ったので突っ込みを入れ、話がはずむ。要は“鳥であり過ぎる”ことに違和感を感じたとのこと。(例えば、台所で子供たちを追い詰めるヴェロキラプトル。)あの動きは、意図的に鳥に似せていること、恐竜は鳥類の祖先であるという学説の宣伝映画に近いことなどを、楽しく話す。

 ガイドブックを眺めながら、明日以降の行動の相談。なにしろ北海道は広大であり、4泊5日ではどうにもならない。今後一生、あるいは10年以上も北海道旅行のチャンスがないというのならばともかく、無理して駆け足旅行をする必要はない。当初から、札幌以南の小樽とか函館とかは全て諦め、道東と道北に絞る心積りではあったが、道北に回るのもやめたほうがいい(移動時間のロスが大きすぎる)という助言をいただき、明日以降の3日間を、釧路、摩周湖など湖沼地帯、知床、の3ポイントに1日づつ当て、最終日の朝に知床付近を発って夕刻までに札幌千歳に帰還する、と、大雑把こういうプランがまとまった。さてこの通りに動けるかどうか。

 22時もかなり回ってからお開き。遅くまでつきあって下さった皆さん、ありがとう。グリーンホテルに戻り、明日あさいちの釧路行きにそなえて休む。両足の人差し指の第二関節に血がにじんでいる..




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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 16 1995 
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