7月26日。今日はオアシスの町、トルファンへ向かう。ここで土産物を買ってくる予定なので、ホテルのフロントで、さらに4万円、元に替える。9:52にバスは出発。2回目の休憩は、土産物屋。金子氏は夜光杯(薄い石から削りだした、中国土産の定番のアレです)一対を、230元に値切り倒してホクホク顔である。13:05、トルファン盆地の砂漠地帯に突入。あ、暑い! 山あいから抜けて、いきなり数度、気温が上がった。バスの窓を閉める。書き忘れていたが、バスは旅程の最初から最後まで、基本的にエアコン無しであった。外気温が高すぎてエアコンが効かず、無理に効かそうとするとエンストしてしまうからである。ここでもエアコンは無し。それでも、窓の外からドライヤーのごとき熱風が入ってくるよりは、密閉しておく方がマシである。また、気温は軽く40度を突破しているが、乾き切っているので汗が流れず、不快感は無い。時速80Kmで飛ばすバスの車窓から見える風景からは、緑が一切消滅する。見渡す限りの礫砂漠である。蜃気楼が現われては消える。
(fig.47)この写真には、蜃気楼は写っていない。
1時間後、トルファンに着く。まずはカレーズ。これは地下水路である。太陽光線で枯れてしまわない水脈を確保するために、そこここに縦穴を掘り、それを地下で横に連結している。地下水路に降りていく階段の上は葡萄棚に覆われて、砂漠の中とは思えない、気持ちの良い緑の光が満ち溢れている。このオアシスの町は葡萄の名産地であり、町中、いたるところに葡萄の樹があるのだ。
(fig.48)トルファンに近づく
(fig.49)カレーズに降りる階段 (fig.50)カレーズで水を汲む
14:23、町外れの交河故城に着く。故城とは城の廃墟の意。何もかも土塊に帰ってしまった、完全廃墟。もとの姿を知るすべとて無く、もっぱら、シュールで面白いオブジェを探してはフィルムに収める。少し高い地点に登って見渡せば、おぉ、この風景は、まさしくイヴ・タンギーの名作、「弧の増殖」ではないか!
(fig.51) (fig.53) (fig.54)
(fig.52)
(fig.55)本文では、「何もかも土塊に帰ってしまった、完全廃墟」と書いているが、写真を見ると、結構、形が残っているではないか。[;^J^] (fig.56) (fig.57)
16:00、蘚公塔に着く。トルファン有数の観光資源であり、確かに外から眺める姿は美しい。しかし内部には何の芸も無い。[;^J^] 観光客の国籍も多様である。顔形では区別しにくい日本人と中国人だが、見分け方は簡単、「歩き方」を持っていれば日本人である。
(fig.58)蘚公塔
16:33、オアシスホテルに着き、17:00、向かいのシルクロードレストランで“昼食”を取る。ホテルの名前も名前だが、レストランの名前もあんまりである。[;^J^]
(fig.59)オアシスホテル
さて、17:00にもなって“昼食”である。[;_ _] 夕食は23:00だと聞いて多少ともブルーになっていたら、お、ウェイトレス(ウイグル族)がなかなか美人(元気30%回復)、おおぉ! ビールが冷えているぅ!!(元気150%回復!)一気に、この小さなレストランの評価が、星ふたつアップした! [^O^](ここに至るまで、街中の食堂では、冷えたビールにありついたことが無かったのであった。)食事も旨い!
18:05、金子氏とT氏と私の3人は、先に食事を切り上げ、トルファンの町を散策に出かける。オアシスホテルの前の道路は、トルファンのメインストリートのひとつなのだが、交通量がほとんど無い。小型トラクター、驢馬車、自転車が時々通る位。歩道は端から端まで葡萄棚に覆われており、実に気持ちが良い。町の中心部まで出ると、さすがに自動車は増えるが、信号が必要になる程ではない。唯一の書店は1階がウイグル語の書籍(完璧に読めない [;^J^] )、2階が漢語の書籍である。品ぞろえは乏しい。どうせ本文は読めないのだから、画集か写真集、あるいはイラストの美麗な本は無いかと漁るが、その類の本は全く無い。書店の向かいがバザール。ここはウルムチの自由市場よりもさらに一段と異郷感が強い。ほとんどがペルシャ絨毯と衣類であり、土産に狙っていた楽器や干葡萄が見当たらない … と思ったところで、腹が。[;^J^]
(fig.60)本文中の「トルファンのメインストリートのひとつ」。交通量は、ご覧の通り。 (fig.61)その歩道。端から端まで葡萄棚。 (fig.62)本文中の「町の中心部」。たった2本しかない「メインストリート」の交差点なのだが、信号機は無い。
筆談で公衆トイレの場所を聞き出す。幸い、道路の向かいのビルの向こう、遠くはない。ところがそこへ行く途中で、客引きの群れに出会った。[;^J^] 実に見事な日本語で、どこに泊まっているのか、このあとの予定はどうなっているのか、明日ウルムチに帰ると言うのなら、観光スポットを回る廉い車をだすよ、などなどと、まぁしつこいこと。こっちはそれどころではない、という事態を納得させ、大きな公衆トイレに駆け込む。受け付けの窓口 [;^J^] の少年に、使用料1角(1角は1/10元)を払う。ここはドアは無いが壁はある。あ、やっぱり紙が無い。[;^J^] 窓口に帰り、3枚ほど貰う。助かった。水洗では無いが、床はちゃんと水洗いされている。気に入った。無事にすませてトイレから出ると、先程の連中が待ち構えている。[;^J^] 達者な日本語を操る奴等に遠慮はいらない、こちらも日本語は達者である。[;^J^] 豊富なボキャブラリでケムに巻き、強行突破してバザールに飛び込む。
(fig.63)バザールの入口
20:00に閉店らしく、既に雰囲気はたそがれている(とは言っても、日は高い)のだが、それでもなお、騒然とした印象である。表の商店群を抜けて中庭に入ると、その印象はさらに強くなる。並べられているアイテムはウルムチの自由市場とほぼ同じであるが、さらに田舎臭く、さらにワイルドで、さらに異郷的で、そしてさらに埃っぽい。確かに異様な魅力に満ち満ちている。今日一日しかいられないのが、残念でならない。
(fig.64)バザールの中庭を2階から見下ろす (fig.65)この写真だけ色味が違うのは、撮影者とカメラが違うからである。(旅のあとで、プリントをいただいたのだ。)
ウルムチでも日本語は少しは通用したが、トルファンとは比較にならない。理由は、少し考えればすぐ判る。およそシルクロードを旅する日本人であれば、ウルムチとトルファンとどちらか一方しか訪れない、ということは、まずあるまい。一方に行けば、必ずもう一方も訪れる。つまり、このふたつの町の日本人の人口は同じなのである。ウルムチの人口は160万、トルファンは3万。つまり日本人の人口密度が、実に50倍も違うのであった。
20:30、ホテルに帰る。このオアシスホテルの売店は、かなり充実している。金子氏は、来る途中の土産物屋で値切って230元で購入して大得意だった夜光杯と、ほぼ同クラスの夜光杯が1000円(80元位)で売られていてショックを受けていた。[;^J^] ここは安くてお買い得と決まったので、私はここで夜光杯の340元(一対)の物を買う。日本円で払えるのだが(4000円)元が有り余っているので、元で払う。まぁこれでも吹っ掛けられているのかも知れないが。店員は皆、うまくはないが正確な日本語を話す。
21:40、オアシスホテルから車で数分のトルファン賓舘の中庭で、ウイグル舞踏団の歌と踊りと楽器演奏を鑑賞する。国は違うが、こういう状況で民族音楽を楽しみにしていたら、日本製の電子楽器の自動演奏を聴かされた、という噂を聞いたこともあり、ちょっとだけ心配したが、大丈夫、現地の楽器の生演奏であった。[;^J^] 歌と踊りは、まぁこんなものなんだろうと思う(歌はともかく、踊りに関しては鑑賞眼に自信が無い)。演目の紹介を、四か国語でしてくれる。順番に、(多分)ウイグル語、(多分)漢語、英語、日本語である。日本人観光客が、いかに大事に(カモに)されているかの、証左である。とにかくこの町では、日本語がよく通じた。
(fig.66)
22:20に舞台がはねる。すぐそばの土産物屋で、ダップ(タンブリン型の太鼓)を買う(450元)。22:40、ホテルに帰り、値引き交渉係を引き受けて下さったシュクルトさんを伴って、売店の楽器売場に行き、まず、綺麗な脚を投げ出してカウンターの奥の机に突っ伏してスヤスヤと眠っていた売り子のねーちゃんを叩き起こす。[;^J^] お、ウイグル族の美人である。得した得した。[^J^] 小型のレワーブ(撥弦楽器)を650元で買う。
23:00、シルクロードレストランで“夕食”[;^J^]。頼むから軽い物にしてくれと泣き付く日本人グループに、李先生の「では、チャーハンがいいかヤキソバがいいか」という、穏当なオファー。やれやれと思い思いの物を注文してくつろいでいたら、来るわ来るわ、しっかり12皿。李先生の質問は、11皿に追加するところの、もう1皿は、「チャーハンがいいかヤキソバがいいか」ということなのであったのであった。[;_ _] これで不味ければ残せばすむのだが、旨いので始末におえない。[;^J^] 特に鶏が美味であった。
(fig.67)日付が変わろうかという時刻に出されるべき量の「夕食」ではない。健啖家の金子さんですら、さすがにげっそりしている。私は、魂がなかば抜けている。[;^.^]
食後、腹ごなしに、軽く散歩をする。バザールも百貨店も、まだ日が高い20:00に閉まってしまうのだが、その後の消費生活を支えているのが、お馴染みの露店群である。すでに0:30をとっくに越えているのだが、トルファン市民の夜は遅い。
(なんだか四大の出来損ないみたいなタイトルだが、この日はメインイベントが絞り切れなかったので、苦し紛れにこじつけたのである。[;^J^]“風”が揃わなかったのが残念。誰か風邪でもひいていれば良かったのに。[;^J^])
7月27日、9:16にオアシスホテルを発ち、10:00、もうひとつの廃墟である高昌故城に着く。こちらの方が荒廃は進んでいないが、それでも多くの建造物が土に帰っている。歩くのかと思ったら、中心部まではかなり距離があるとかで、2台の驢馬車に分乗する。こいつらが結構速い。こ、こら、バトルしなくていい、しなくてもいいったら! 落ちるじゃないか! [;^O^](以上、“土”)
(fig.68)火焔山 (fig.69)火焔山。本文中には書かれていないが、高昌故城への往復とも、火焔山の麓を走ったのである。これは高昌故城への往路の車窓風景。
(fig.70)高昌故城は、かなり広い。中心部までは徒歩ではなく、2台の驢馬車に分乗する。 (fig.71)後方から追跡してくる驢馬車。写真ではいまいちスピード感が伝わらないが、ほとんど恐かった。[;^J^]
(fig.72) (fig.73) (fig.74)
(fig.75)目つきの悪い駱駝ども (fig.76)
なんとか無事に高昌故城を発ち、11:25、孫悟空と牛魔王の闘いで名高い「火焔山」に着く。当然ながら麓には、三蔵法師一行の、観光客用の俗っぽいコンクリ製の像がある。お約束でも礼儀でもあるので、記念写真を撮らさせていただく。火焔山は、この角度から見ると、ただの砂山である。後先考えずに登り始め、砂山を登るのは“非常に”疲れるということに一瞬で気がつくも、せめて格好のつくところまで、あそこの中腹までは登らんと、と、しなくてもいい労働を背負い込む。[;^J^] とは言うものの、へとへとになって登り終えたポイントから見る眺めは素晴らしかった。砂漠の中に、様々に侵食された砂山群が聳え、それらに挟まれた谷間の底を一筋の川が流れ、そこだけ、まさにその川の周囲だけに、緑がある。オアシスもそうなのだ。トルファンの街中には水と緑が豊かにあるが、この町の境界を抜けると、僅か50m、いや、20mも進まぬうちに、完全な礫砂漠になってしまう。緩衝地帯がほとんど存在しないのである。
(fig.77)三蔵法師一行のコンクリ像が、右下に見える。 (fig.78)コンクリ像を近くから撮る。孫悟空は少し離れた場所にいるので、フレーム外である。
(fig.79) (fig.80)
火焔山は、反対側から見ると、その侵食模様と色彩とから、まさに焔が燃え上がっているように見える。これもまた、トルファンの重要な観光資源である。(以上、“火”)
13:00、トルファン郊外の葡萄園に着き、休憩。川の水は豊かに流れ、強い陽射しは葡萄の葉に遮られて、キラキラと緑色の輝きを放っている。すぐそこが砂漠だとは、到底信じられない。池の中では名も知らぬ、美しい魚が泳ぎ回っている。干葡萄がそこここに山とつまれて売られている。土産物としてしこたま買う。これは日本で、なかなか好評であった。日持ちがするし、おすそ分けしやすいので(忘れていた時に便利 [;^J^] )、当地の土産物として、お薦めである。
(fig.81)砂漠のまっただ中なのである。まさにオアシス。 (fig.82)魚影をうまく捉えられなかった。
13:30、葡萄園の中の食堂で、ラグメンを食べる。7月21日にラグメンを食べた時には、旨いは旨いが、余りの辛さに辟易したものだったが、ここではやはり日本人の口に合うように手加減されているらしく、辛さ控え目、実に美味しかった。
(fig.83)ラグメン
この食堂の子供たち(三姉妹)に遊ばれてしまう。上から順に、10歳、6歳、3歳位ではないかと思うのだが、カメラを向けると、下の二人は気取ってポーズを取るが、長女は照れて顔をそむける。一旦諦めてからまた(不意をついて)カメラを向けると、今度は部屋の中に隠れてしまう。以後、食事をしている私の様子を伺い、不穏な [;^J^] 気配を察すると、ぱっと隠れるようになる。下の二人は面白がって、食事中の私に身振り手振りで、今、姉さんはあそこで油断しているぞ、と教える。私がそっとカメラに手を伸ばすと、キャッキャッ大騒ぎをして喜び、当然、長女は気がついて逃げる(教えてくれるなら静かにしてろってば [;^J^] )。ふと気がつくと、私のしていることは、いたいけな美少女の盗撮を狙う変態カメラマンと変わらないではないか。私にはそういう趣味は無い(筈である)。未練を残しつつカメラをしまう。[;^J^] いや実際、了解を得ずに写真を撮るのは失礼なことである。相手が子供でも当然のことであった。反省、反省。[;_ _] 14:26、この気持ちの良い集落を発つ。(以上、“水”)
18:44、ウルムチのホテルに帰る。夕食は例のバイキングだが、日本の男組(おっと池上遼一 [;^J^] )は飽きたのでパスし、1階の清真料理ではない方の、中華レストランに入る。中々結構なお値段(即ち、日本並み)で、海老の中サイズが、一匹15元。平均的な中国人労働者の日当が飛ぶ。燕の巣のココナッツミルク(50元)も試してみたが、ただのココナッツミルクに不純物が若干沈んでいたとしか思えんぞぃ。この“不純物”が燕の巣だと思うが、歯の間に引っ掛かる程度しかないんだもんなぁ。凸[-_-メ] 結局、一人240元であった。味については特に印象に残っていないので、これは元(もと)が取れていない。
22:20、金子氏と二人で、ホテルの向かいの露店街をぶらつきに行くが、いやこの活気は素晴らしい。狭い路地を、様々な民族の売り子が様々な言語で売り込み攻勢をかけてくる。(聞き取れんっちゅうに。[;^J^])食い物が豊富にあるが、パッと見、清潔感は余り無い。しかしそれはそれとして廉くて旨いのではないか?と金子氏に訊ねたら、然り、廉くて旨い、但し、食中りする確率も、それなりに高い、と。なるほど、一人旅ならトライするべきであろう。(小規模なりとはいえども)日程の決まっているツアーでは遠慮しておこう。
すごい人ごみ、訳の判らぬ言葉の渦、ふと振り向くと大きな鍋一杯に、羊の頭の煮崩したものが山盛り。気分は既にブレードランナーである。
Last Updated: Oct 1 2013
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