振り返ると、若い僧侶のような人が、ペンションのバルコニーから、ニコニコして身を乗り出している。一瞬、腹の状態を忘れて、思わずお邪魔してしまう。ペンションの中にトイレが無かったことは言うまでもない(共同トイレを使うことになっている)のはいいとして、この人は当然トイレットペーパーを持っているはずであるから、これ幸いと拝借すれば良かったものを、そこまで気が回らなかった。というか、腹の状態を忘れてしまうような事態に陥ったのである。
彼は日本語が片言しか喋れない。私は中国語が片言も喋れない。お互い英語が不自由である。ならばさっさと筆談に移行すれば良さそうなものを、腹具合を思い出してしまい、神経の過半をそちらに奪われている [;^J^] 私には、なかなかそんな知恵も湧かない。とにかく、ラマ僧であることは、すぐに判ったのだが、そこから先、何かを懸命に伝えようとしているのだが、判らない。苦労して聞き取っていると、何度も
「ワタシ、トンジーデ、ティーブイアイエスニデマシタ」
と言い、手を擦り合せる真似をする。ああ!そうか!「東京で、TBSに出演した」のである。
ここでたちまち思い出した。私はテレビは見ないのであるが、「CDやCD−ROMの内容を、手で撫でるだけで読み取る超能力者」が、その手の番組に出演した、という噂を、NIFのFSF3か、fj.sciのどこかで読んだ記憶がある。その時は「またか」と読み捨てていたのであるが、まさか当人に合うとは思わなかった。無論私はその番組を見ていないのだから、本物かどうかは判らない(写真でも撮っておけば良かったものを、くどい様だが、そんな知恵は湧かなかったのである)のだが、いかにもテレビ映りが良さそうな風貌や物腰といい、日本人をつかまえてはからかっているとも思えない「誠実」な雰囲気といい、まず、本物であろう。
人間は本物としても、その超能力が本物だとは、到底思えない(アナログレコードの溝ならともかく、CDのインターリーブされたバイト列をデコード出来ると言われても困る)のだが、初対面の人間に向かって、「あなたのやっていることはトリックでしょう」などと、証拠もないのに言うようでは、社会人失格である。「祈リデ雨モ止メラレマス」という話ともども、興味深く拝聴させていただいた。あぁ、サインを貰うのも忘れていた。[;^J^]
そうこうしているうちに夕食時間(21:00)になり、待ち合わせの食堂に行く。ここにトイレがないか、一婁の望みを持って聞くが、レジのおねーさんは、食堂の外の“論外”方向を指差すのであった。あぁぁ。[;^O^] もっともこのあと暫く、腹は収まる。理由は不明。それよりも、料理を食べられなかった。
連日の(羊主体の)美食に拒絶反応が起きたのか? 離日する前は、10日やそこらの中華料理攻め位、どってことないさ、とうそぶいていたのであるが、やはり駄目なものは駄目か。油の匂いをかいだだけで、食欲をなくした。仕方が無いので(腹を壊しているというのに、大胆にも)新彊ビールを2本飲んだだけ。勿体無い。もっともここで一食抜いて消化器を休ませたせいか、翌日からは食欲が回復した。
ここで、中国のウェイトレスに関する一考察。彼女ら(に限らず、一般に中国の店員)の接客態度の悪さは、(少なくとも日本国内では)定評あるところであるが、ここまでの旅程では、それほど酷いとは思わなかったのである。確かに、営業スマイルは非常に控え目 [;^J^] であるが、そのこと自体に実害がある訳ではないし、日本にも酷い店員は無数にいるのだから、要は当たり外れの問題だよな、と。しかしこの食堂に至って、「ああ、これのことか」と、納得した。[;^J^]
我々が入った時点で、他にお客はいなかったにも関らず、テーブルが汚れており、灰皿が三つ、灰と吸い殻を周囲にこぼしたまま、放置されていた。たった今、客が退席したところならばともかく、前後の事情で、数十分以上、客の出入りが無かったことが判っている。まずこれが問題であるが、まぁこんなことはどうでもいい。面白かったのは、ここからである。
ウェイトレスを呼んで、「片付けてくれ」と灰皿を指差すと、私の目の前の、私が指差した灰皿だけを持っていく。呼び返して、「だから、全部片付けてくれよ」と言うと、残りふたつも持っていったが、こぼれている灰や吸い殻はそのままである。もう一度呼び返して、「だ・か・ら、綺麗にしてって言ってるでしょ!」と言うと、ようやくそれらを雑巾で拭いたのである。これは全く意味の判らないことであった。相手は(うるさい)日本人の客なのだから、最終的には全部片付けさせられるのは、容易に推測できるではないか。ならば、最初から全部片付けておけば、仕事は一回で終わったのである。毎回毎回、必要最小限の仕事しかしないことによって、却って、自分の総仕事時間は増えている。暇だったのかもしれないが、暇なら暇で、客あしらいはさっさと片付けて、仲間とだべっているか、好きな本なり雑誌なりを読んでいる方が、余程有意義な時間の使い方ではないか。
食事が終って22:25、パオに落ち着くが、うわぉ、ストーブに火が入っている。[;^J^] また、10分程前から、隣の広場で、野外映画上映が始まっている。40人程も集まっているだろうか。出し物は「BLACK COBRA 3」で、吹き替え版。… あれ? 英語と中国語の字幕付き。何語に吹き替えているんだ? 広東語であった。中国の輸入映画は、ほとんど広東経由であり、広東語に吹き替えられているのである。中国語にも色々ある訳で、広東語が聞き取れないのは普通のことなので、中国語の字幕が必要なのである。まぁ日本語でも、字幕スーパーが欲しくなる方言はあるわな。[;^J^] 24:00には終るかと思っていたら、1:00過ぎまでやっていた。[;^J^]
さて、トイレである。[;^J^] 食事中は治まっていたのであるが、無事にティッシュペーパーも入手したので、覚悟を決めて、懐中電灯を持って(照明は無い)先程見つけた集中水洗方式のトイレに行く。方式には戸惑う点もあるが、別に不潔な訳ではないので、すぐに慣れる。結局朝までに、3回かよった。[;^J^]
日本でも観光地のトイレなどは酷いものであったりするので、そのこと自体をあげつらうつもりは毛頭無い。ただここで指摘しておきたいのは、これほど小さなペンション街に4つもトイレがあり、うちふたつは封鎖され、ひとつは論外、ひとつは使える、という事態である。つまり、このペンション街の管理者は、トイレの清掃とか補修とかをせずに、(論外を通り越して)使えなくなる度に、封鎖して、新しいトイレを作っているのではあるまいか?という疑惑を拭い去れないのである。[;^J^] 真相は知らない。
このあと、トルファン/ウルムチ/北京のトイレも使用することになるのだが、次第に判ってきた、中国のトイレの問題点は、
1.床や便器があまり清潔でないことが「やや多い」。
2.ドアがないか、あっても鍵や、取っ手、あるいはドア自体が壊れていることが非常に多い。
3.トイレットペーパーが設置されていないことが、非常に多い。
4.水洗式の場合、水が流れないことがしばしばある。
1.は、これはまぁ日本の公衆便所でも珍しくはないことである。ちょっと目立ったというだけのこと。2.の、そもそもドア(や壁)が無いことは、良く知られており、これが中国の“後進性”の典型と言われることもままあるが、私はそうは思わない。ドアや壁が無いこと自体は、単なる文化の問題である。例えばアメリカ人が、「日本人が個室ではなく大部屋で仕事をしているのは、見ていて恥ずかしい、後進的だ」と言う(言われているかどうかは知らん)のと同じ次元の難癖であろう。ただ、ドアがついている場合に、ドアや取っ手や鍵を壊すのは、理解出来ない。これは、一流ホテルの(さすがに個室はともかく)フロアのトイレでも、しばしば見られることなのである。このシチュエーションではドアが確実に閉まることが期待されているので、これが壊れているのは困る。3.には参った。ただこれは帰国してから気がついたのだが、トイレの中に置かれている、しわしわの紙ばかりが突っ込まれている紙屑籠が、実はトイレットペーパー入れだったのかも知れない。ただ、どうも清潔感が無く、使いかねたのは事実である。また、これが置かれていないことも非常に多かった。4.だが、これは事前に水を流してみて、ちゃんと流れるのを確認してから使用すれば問題ないのだが、事後に水が流れないことに気がつく人も少なくないようである。この場合放置しておくしか打つ手が無い。(私は、こういう事態には追い込まれなかったが。[;^J^])結局、一番困るのは3.の問題であり、これは、ティッシュペーパーなりロールペーパーなりを持ち歩くことによって回避出来る。あとは、“慣れ”と“気合い”で解決できる。
7月25日、7:25起床。なんとまぁ、昨夜の映画上映の広場、塵ひとつ無く掃き清められているではないか。この情熱の十分の一でいいから、あそこのトイレの清掃に注いでくれると嬉しいんだが。[;^J^] これを見ても、トイレの難点を持ってして、中国人の衛生感覚や公衆道徳を云々することの不当さが判る。つまり、バランス感覚が違うだけなのである。どうも中国人にとっては、トイレは、「しゃにむに清潔にする必要は無い」場所なのではないだろうか。帰国してから、都内の、とある一流半のホテルに泊まる機会が有ったが、ここのトイレは、当然ながら塵ひとつなく、無論、温水洗浄つきである。中国人にとっては、これは全く無駄で無意味な、資源とエネルギーの浪費なのではなかろうか?
9:40、昨夜の食堂で朝食。既に述べた様に、夕食を抜いたせいか、食欲もあり、それなりに美味しく食べられた。ウェイトレスの接客態度(というよりは就業態度)も昨夜と同様である。とにかく横の連絡が取れていないので、「コップが三つ足りん」とクレームをつけると、3人が、各々三つ(計九つ)持ってきたりするのである。10:35、食事を終え、10:42、天池の観光客船の船着き場へ。ここは、観光を生業としているカザフ族の仕事場である。(サイドビジネスかも知れない。)
馬に乗ったカザフ族は、日本人と目が合うと、大人も子供も、「イチマイ」「イチマイ」と寄ってくる。写真を撮ってくれ、という訳である。好意やサービスでもあろうが、基本的にはビジネスの伏線であることは勿論で、写真を撮ると、この馬に乗らないか、と持ちかけてくる。1時間10元。廉いものだが、中国の物価水準を考えると、かなり吹っ掛けられているのは間違い無い。いずれにせよ時間がないので遠慮した。ちなみに、馬を誉めると、本当に嬉しそうな顔をする。これは営業スマイルではないと思う。とある白馬の飼い主に、「綺麗な馬だ」と言ったら、写真やパンフレットを取り出して、「この森で生まれたんだ」「この湖のほとりで育った」「この草原の草を食べて大きくなった」と、得意満面である。彼の日本語は、実に達者なものであった。
(fig.36) (fig.37) (fig.38)
11:03、小さな観光客船に乗って、10分ほどで湖を回る。小さな、気持ちの良い、風光明媚な湖である。20分後に天池発。ウルムチへの帰路、李先生の知合いのカザフ族のパオに立ち寄り、馬乳酒をいただく。要はヨーグルトで、少し不純物が混ざっている感じ。
(fig.39)
砂漠の真ん中でエンストをしつつ [;^J^] なんとか無事にウルムチに辿り付く。14:30。昼食は、久しぶりに清真料理ではない、普通の中華料理である。目先が変わったせいか、どの料理も美味しくいただく。ビールはやはり新彊ビール。やはり(何故か)いまいち冷えていない。
16:20、自由市場に着く。17:05まで自由行動である。「ウェストバッグは前に回して手で押さえる様に。尻ポケットには何も入れないように云々」と、あらかじめ注意を受ける。もっともな話であるが、(私が鈍感なだけかも知れないが)特に剣呑な雰囲気は無かった。それにしても、カメラを持ってうろうろしているのは我々日本人だけで、「ワタシ日本人デス、現金タクサン持チ歩イテイマス」と、大看板を背負って歩いているも同然である。何かあっても自業自得。
(fig.40) (fig.41)
実にエキゾチックな雰囲気である。ウイグル族や回族が多く、漢民族は少数派。羊の皮を剥いだ肉がぶら下げられ、野菜、ドライフルーツ、スイカ、ハミ瓜、強烈な芳香を放つ香辛料が並べられる。羊やスイカやを食す際に不可欠なナイフは、観光地の土産物屋だけでなく、こういう日用品を取り扱う市場でも不可欠なアイテム、あるわあるわ。そして膨大な量のペルシャ絨毯と衣料品。ナンが焼かれ羊が焼かれ、ウイグルの音楽がスピーカーから鳴り響く。
(fig.42) (fig.43) (fig.44)
17:30、地学科普鉱産資源庁というところにつく。地学&鉱山関係の小さな博物館で、ほとんど見るべき物はないのだが、世界でここにしか展示されていないベルサウルスの化石だけは、別。頭部はキャスト(模型)だが、それ以外は本物である。惜しむらくはガラスの向こうに展示されていたことで、一同、無理は承知で写真を撮りまくる。こういう時は、むしろスケッチの方が役に立つ。これは未だに謎の多い小型の竜脚類で、恐らく子供の化石なのだろうとされている。金子氏は、写真がうまく撮れないのをもどかしがりながら、脊椎や尾椎の数を何度も数えていた。
今朝からは調子が良かったのだが、ここで突然、再び腹具合がおかしくなった私は、トイレに駆け込む。が、紙が無い。14章で明らかにしたノウハウ(紙を持ち歩け)は、この時点では判っていない。これが役にたったのは、最終日になってからである。それほど切羽詰まった状況でもなかったので、ここは我慢する。[;^J^]
18:10に博物館を引き上げた時点で、ホテルに向かうことを期待したのだが、18:30に着いたのは、外国人旅行者専用の(非常に大きな)土産物店である。それほど切羽詰まった状況でもなかったので、我慢し続けているが、一刻も早くホテルに行きたかったのは言うまでもない。[;^J^](ここのトイレにも、(私がトイレットペーパーと認識できる)紙は、無かったのである。)ここは絨毯が中心だが、掛け軸や筆、象牙細工等など、中国に旅行された方なら御存知の、あの手の店である。モノはいいのだろうが(私には鑑識眼が無い)、値段も高い。絨毯の場合、1万円から30万円位まで。(値札がついていないのが不気味である。[;^J^])日本人の土産としては手頃な価格であり、つまり、一般の中国人に取っては論外の価格である。外国人旅行者(特に日本人?)から金を吐き出させるシステムなのだ。価格を円で書いたが、これは、店員が価格を円で言うからである。売り込みもやはり日本語。支払い自体は元で行うのだが(カードも使える)、若い女店員は、元の持ち合わせが無かったH氏から、円で2万円受け取っていた。別の人がやはり円で払えるかどうか、(フロア長といった貫禄の)女店員に聞いてみたら、今度は「Impossible!」である。思うに、この店では公には元でしか受け取れない(受け取ってはいけない)のであって、さっきの若い女店員は、小遣い稼ぎに(相場が上がるに決まっている)円を手に入れ、手持ちの(2万円相当の)元を店に入金したのではあるまいか。服務規定違反かも知れないが、私が口を出すことではない。彼女の蓄財戦略を、心中密かに応援する。ここでは絨毯を織っている仕事場も見せてもらえる。働いているのは、どうみても10台前半の女の子であった。
(fig.45) (fig.46)
19:20、ようやく、新彊環球大酒店に帰りつく。4日振りである。部屋に落ち着くのを待っていられる状況では無かったので、1階のトイレに駆け込む。一流ホテルのトイレですら、ドアなどが壊れている事があるのを知ったのは、この時であった。[;^J^]
夕食は、朝食と同じ24階のレストランでバイキング。味には文句は無いとは言え、飽きてきたので適当に切り上げて、金子氏と2階のバーに行く。これが外れであった。[;^J^] 本来はコーヒーショップだとかで、つまみらしいつまみが無く、ケーキばかり。新彊ワイン(白)を飲んでみたが、旨くない。新彊のワインがこれだけの筈は無い。旨いワインが無いわけがないのだ。要するに、日本で言えば、山梨のワインとして「甲州ワイン」一種類しか置いていない(しかもたまたまそれが旨くなかった)、この店の品ぞろえがボツなのであると結論し、適当なカクテルに切り換える。名前だけで選んで、“Laser”と“Alexander”。共々外れ。[;^O^]
仕方が無いので金子氏の部屋にしけこんで、オタッキーな話を30分ほどする。氏はイギリスの19世紀の音楽が好きであることとか(ちなみに、私の“専攻”はベルリオーズである。私は誰の挑戦でも受ける)、ラヴクラフト自身は暗黒神話大系の構想を持っていなかったのである、とか、平井呈一の翻訳はどこかおかしくないか、とか。
Last Updated: Oct 1 2013
Copyright (C) 1994/1995/2013 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]