5.ツアーの開始、街の印象

 前半の砂漠の旅程では、多分使い道は無いと思うが、念のため、ホテルで1万円を元に換金。7月16日のレートが適用され、855.2元(1元=11.7円)になる。(この元は、やはり全く使い道がなかった。[;^J^])

 ニッサンの19人乗りマイクロバスと、トヨタのランドクルーザーで、9:59、砂漠に向かって出発。メンバーは、日本人が前記の6人、中国人が7人、計13人である。中国人のメンバーは、李先生と、その助手で、実務一切を取り仕切って下さったシュクルトさん(ウイグル族。ちなみにこの人も、日本語が必要十分に話せ、中国語がまともに話せるメンバーがひとりもいない日本人一行としては、実に心強かった)。中国政府の役人である劉長剣さん(学校を卒業して間もないと思われる、若い女性。別に監視要員ではなく [;^J^]、来年、我々の今回のツアーと同じ場所でキャンプを催行する予定だとかで、下見として参加)と、その上司の係長氏と課長氏。学生(Jurassic Park の原書を、ずっと読んでいた)と、運転手氏。

 我々のホテルはそもそもウルムチの北の外れの方にあったこともあり、そこから北に向かって移動し始めると、ほどなく郊外に出る。その短い間に受けたこの街の印象は、「ポプラ並木」「煉瓦」「露店」「馬車、驢馬車」である。

 煉瓦には二種類ある。普通に焼かれた煉瓦色の煉瓦と、日干煉瓦である。前者は、日本人が普通に連想する煉瓦そのものであり、それの使い方(積み上げ方)も、日本人の連想と離れるところはないが、後者は、若干説明を要しよう。

 日干煉瓦は、ごく薄茶けた、実にやる気のない土色をしており、その積み上げ方も、実に投げやりな(漆喰を詰めるなど思いもよらない)ものであり、煉瓦自体も単なる日干しであるだけに実にやる気がなく、すぐに角がとれて互いに融合し始める。日干煉瓦で作られた、少し古い建物や塀は、ほどなく単なる“土”製と区別がつかなくなる。

 新しい建物も、大部分が焼き煉瓦製であり、たまに鉄筋が使われていても、ボディは煉瓦である。鉄筋コンクリートの建物が建てられている現場は、街の中心街でしか見なかった。それにしても、煉瓦作りの建物の建築現場は、一見して作っているようにも壊しているようにも見える。地面に積み上げられた建築資材であるところの煉瓦の山が、瓦礫の山のように見えるからであろう。煉瓦作りの建物(表面を塗らずに、煉瓦の壁面をそのまま生かしていることが多い。打ちっぱなしならぬ、積みっぱなし様式とでも呼ぶべきか)は、実にノスタルジックで暖かくて良い。

 露店は、ウルムチに限らず、トルファンでも北京でも、はやりにはやっていた。多い順に、「スイカ、ハミ瓜」「その他の野菜、果物」「(生温そうな)飲み物」「ビリヤード」「自転車の修理」である。特に目立つというか、日本人の目には異様に見えるのが「ビリヤード」であり、これは街角ごとに、必ずある。日本人の感覚では、ビリヤードは屋内競技なのだが、中国人にとっては、屋外競技らしい。飲み物屋がはやっている背景には、自動販売機が、ほぼ全く見られないことがあろう。これは、少なくともウルムチやトルファンでは、コインがほとんど流通していないからであると思われる。(北京では、若干流通していたが。)あの紙質の悪いしわくちゃの(小額)紙幣を読み取るのは、機械にとってはしんどかろう。

 「馬車、驢馬車」はウルムチに限った風物ではない。トルファンやチータイなど、経済的により遅れている都市ではさらに多く見られ、経済的に進んでいる北京ではほとんど全く見られない。これらについては、後述する。




6.砂漠へ

 11:15、郊外のポプラ並木(その外側は、一面の畑)の中、スイカ(及びハミ瓜)の露店売り街とでも呼ぶべきところに差し掛かり、ここでスイカとハミ瓜を大量に仕入れ、ついでに立ち食いする。

 実は、今回の旅行で最も面白かった発見が、この、スイカとハミ瓜の件である。この両者が、砂漠における主食とは言わないまでも、主たる間食なのであった。これらオアシスで穫れる野菜は、砂漠における水分の運搬手段として最適なのである。

 何よりも意外だったのが、これらは砂漠でも、結構ひんやりしていること。そりゃそうだ、夜間は結構冷えるのだから、夜の間転がしておくだけで十分冷えるし、日中は日陰に置いておけば、特に大きければ大きいほど熱慣性も大きいので、午後になってもそれなりに冷たい。(まぁもちろん、摂氏43度もの陽気ともなると、午後には暖かくなってしまうが。)つまり、冷蔵庫いらず、冷却水いらず。糖分も繊維もたっぷり。

 13:55、車は砂漠に入る(と言っても、まだ、舗装道路は続いている)。元来は砂砂漠であるが、飛行機から種子が蒔かれて“緑化”されている。緑化と言っても、砂地の中に灌木が点々としているだけである。砂漠の進行を食い止める(あるいは、スローダウンさせる)意味しかなさそうである。もっとも、この程度の緑でも、野性の草食動物を養うには十分である(むしろ、緑は少なめの方が望ましい)ことを、あとで知った。

Picture (fig.03)砂漠の道

 14:30、街道沿いの食堂にて、食事休憩。ごく粗末な食堂が数軒、粗末な宿泊所が数軒、それと小さな食料品店が集まっただけの小さな集落で、周囲は見渡す限りの荒れ地である。ここで、ラグメンを食べる。

 これは西域の代表的な料理で、手打麺に、トマト、ピーマン、インゲン、羊肉、唐辛子からなるスープをかけて食べる。旨い!辛い!多過ぎる! [;^J^] 普通の日本人なら二人前と言いたくなるであろう量であるが、私の基準で言えば三人前である。これを生ニンニクを噛りながら食べる(砂漠でのスタミナ対策らしい)のであるが、言うまでもなく、生ニンニクも辛い。相乗効果の辛さにたまらず、中国人スタッフが飲んでいる酒を(口直しのつもりで)いただく。白酒(パオチュウ)46度のストレートである。首から上が爆発した。[;^O^](私がこの様にパニックしている間に、金子氏は平然と平らげていたのであった。)

 15:36、食事休憩を終えて出発。本格的な砂漠(礫砂漠)に入る前に、「火焼山」の付近を通り、これを撮影する。山と言っても背の低い丘(但し数Km以上に渡って広がっている)であるが、鮮やかな赤色をしている。ジュラ紀に石炭が燃えたあとが、今に残っている由。

 16:40、いよいよ、舗装路から砂漠の中の道無き道へ入る。「砂丘河」と呼ばれる地帯である。幅4Kmほどの荒野であって、一応道はあるが、どこをどう走っても同じことである。

 17:40、五彩湾着。




7.多彩の地

 写真では知っていたのだが、それにしても第一印象は「冗談だろ」であった。非常に深く侵食された奇岩群が、その(侵食された)地形とは無関係に、かなり幅の狭い、五色、いや十色以上の水平の縞模様で彩られている。植物ならともかく、岩石それ自体が、これほど様々な色合いで彩られているのを、初めて見た。ジュリアン・メイではないが、まさに“多彩の地”である。

 18:30にテントの設営が終わり、日没まで自由行動である。いくらも時間が無いと思われるかも知れないが、日没は22:00である。

Picture (fig.04)テントの設営

 カメラを持って、そこら中の岩を登り降りしては、写真を撮りまくる。既に完全に子供返りモードである。周囲数十Km以内にいるのは、我々一行だけである。そして、この広い五彩湾の中、たちまちにしてお互いの姿は見えなくなり、即ち、この大空と大地の間にいるのは、自分ひとりになってしまう。

Picture (fig.05) Picture (fig.06)

 2時間ほども写真を撮りまくってへとへとになった私は、テント設営地の近くの小高い岩の頂上によじ登り、仰向けに寝る。(「火の鳥 鳳凰編」(手塚治虫)の、ラスト近くの我王の姿勢である。)中央アジアの大地を背中で押さえ、雲ひとつない空が、その周縁部からゆっくりと朱色に変色していくのを、ぼんやりと、眺めるともなく眺めながら、うたた寝する。実に贅沢な午睡だ。

Picture (fig.07) Picture (fig.08)

Picture (fig.09)

 22:00、食事。中国製の辛口のカップ麺と、スイカと、トウモロコシ。1時間ほどしてから、キャンプファイヤー。最高の月夜である。(月齢14日位か?)日中それぞれの、月の歌を披露しあう。ビールは生温い新彊ビール。栓抜き無しで栓を外す技を、李先生に教えてもらう。(つまり、栓抜きが無かったのだ。[;^J^])勿論、白酒も、たっぷりと飲む。

Picture (fig.10) Picture (fig.11)

 皆がテントに引き上げたのちも、日本の若手4人(金子氏、T氏、Yさん、私)は、オタク話にふける。主たる話題は、国会図書館の貧弱さとその閲覧システムの不合理、非能率。金子氏に説明していただいたワシントンの議会図書館(を始めとする、合衆国の数々の図書館)の蔵書と体制に比べると、天国と地獄である。やがてインデックスの話題に移り、ジョージ・オルシェフスキーの「中生代そぞろ歩き」(現時点で(いや、恐らくはこれからもずっと)最も完璧に近い恐竜化石のリスト)の話から、網羅文献としてのアジマリスト(私が編集している、漫画家 吾妻ひでおの著作リスト)の話にごく自然に(どこが [;^J^] )水を向けたら、金子氏はこのリストのことは御存じなかったが、現代マンガ図書館でアルバイトをしていた過去があるとかで、するすると話が通り(世の中どこまで狭いのだ)、「シベール」を全巻持っている知人がいらっしゃるそうなので、紹介していただきたいとお願いする。全く、中央アジアの砂漠まできて、なんの話をしているのだ。[;^J^]

 就寝は1:30。テントが個室(ひとりにひとつ)なのは、実に有難い。




8.未解放都市で

 7月22日、5:50、ドライバー氏の傍若無人の歌声で叩き起こされる。[;^J^] 夜明けの写真を撮るポジションを決めるために、カメラと三脚を持って岩登り。それなりの写真が撮れたが、どうやってここまで登ってきたのか判らず(お前は猫か [;^J^] )、面倒なので、地表までの最短コースを強引に降りる。幸運にも怪我ひとつせずに降りてから見上げてみると、20m近い絶壁であった。[;^J^]

Picture (fig.12)

 10:12、昨日の食堂に着き、ラグメンと同じスープの、遥かに薄いものをいただく。これは辛さ控え目で、実に旨かった。ナン(中近東のパン)との組合わせは最高である。(しかし、羊が駄目なMさん、ピーマンが駄目なYさんは、既に不自由モードに移行している。[;^J^])

 車は一路、奇台(チータイ)に向かうが、その途上で、本格的な蜃気楼と遭遇した。これは恐ろしく不気味なものであった。

 時速70Kmで走っているバスから地平線を見ると、島の様な木の様な影の群れが、ふらふらと浮遊して「ついて来る」。単について来るだけならば、遠くの山もそうなのであって、別にどうと言うことはない。不気味なのは、これらの影の群れのお互いの相対位置が(原理上、不安定な物である故)固定しておらず、ふらふらと「抜きつ抜かれつしながら」ついて来ることである。まさに魔界の軍勢! 彼岸の霊魂たちが我々を遠巻きにして、追跡してくるように見えるのである! 蜃気楼の原理を熟知している私が、この様な妄想に襲われたほどである。歴史時代の騎馬民族たちは、いかに恐ろしい思いをしたことであろうか。蜃気楼の真の不気味さは(高速で)移動している時に感じられるものであって、車を止めて観る蜃気楼は、それほどまでには不気味ではないと(この時は)思った。

 14:34、チータイの、奇台賓舘というホテルに落ち着く。実はチータイの街に入って早々、軍の施設の前を通りかかったので、これは面白いと早速カメラをスタンバイした時点で、李先生に制止された。ここは未解放地区であるから、写真は撮るなと。そうでなくても、一般に、軍の施設の写真は撮れないのが常識であって、これは私が迂闊過ぎた。

 と言う訳で、この街の写真は一枚も無い。(この日は)ホテルから出てすらいない。まず問題はなかろうが、トラブルを避けるためには、外国人は出歩かない方が賢明であるとのこと。しかし、これは本当に惜しかった。特にホテルの前の恐らくはこの街のメインストリート(地図も無いので、良く判らんが)の情景には、ホテルのバルコニーから、2時間以上も見入ってしまった。それほど魅力的だったのである。

 おっと、その前に昼食をしていた。15:05。そろそろ読者諸氏も気がつかれているかも知れないが、食事の時間が出鱈目である。確かに夜明けも日没も遅いのであるが、起床時刻、就寝時刻は、それに合わせて遅い訳ではない。だから、こんな時刻に“昼食”を食べるのはおかしいのである。これは我々のツアーの一行の中国人だけかも知れないが、彼らには、一食抜くという発想が無いのであった。[;^J^] 何時になろうと、一日に三食食べ、それらは順に、朝食、昼食、夕食と呼ばれるのである。

 で、食事の内容であるが(ここも清真料理の店である)、日本人グループは「軽い物を」と要請したのに、日本で食べる普通の中華料理よりも、遥かに皿数が多い。[;^J^] 酒はやはり生温い新彊ビールと、白酒。後者は、70度位あったのではなかろうか? ほとんど薬品と言うよりは化学実験の試薬を舐めつつ [;^J^] いただいたのは、羊、ピーマン、インゲン、トマト、ニンニク、鳥、カシューナッツ、茄子、等の順列組合わせである。これに、うどん。大体、砂漠地帯のスタミナ料理のパターンが判った。旨い! また、ほとんど全ての皿にピーマンが入っており、ピーマンを食べられないYさんは空腹に耐えていた。[;^J^]

 さて、このホテルの設備であるが、本来はこの街では「招待所」に泊まることになっていた筈。招待所の正確な定義は知らないが、党関係者の宿泊施設であり、ホテルよりはランクが下なのだと理解している。実は、当のホテルの北側に、中庭をはさんで招待所があった(但し、誰も泊まっていないらしい)ので、本来はそこに泊まる予定だったのかな?と思った次第。外から見る限りにおいては、やはり、ホテルよりは相当落ちる、実質本位というより、実質だけの宿泊施設である。

 我々が泊まったホテルの部屋には、一応、扇風機もTVもついている。面白いのは魔法瓶で、日本式の「押すだけ」ではなく、親指で蓋を開けて注ぐ方式でもない。コルクの中蓋を外して注ぐ方式である。これはここだけではなく、ウルムチ/トルファン/北京、全てのホテルに同じものがあった。中国の標準仕様かも知れない。

 ホテルのトイレは水洗であり、かつ、水洗設備が半分は生きている(トイレに関する諸問題は、のちに述べる。[;^J^])のは助かった。ついでに義理堅く、洗面所の水道も、半分だけ生きている。鏡はガラス製ではなくステンレス製で、遊園地モードであった。[;^J^] まぁ、どんなに歪んでいても、洗面、髯剃りには不都合はない。

 さて食後には、バルコニーから街路を眺める。人種は、やはり漢民族が多いようだが、ウイグル族、カザフ族、回族も相当いる。面白いのは交通機関で、非常に旧式の自動車、荷台を引いた小型トラクター、馬車、驢馬車、自転車、歩行者が、1:1:1:1:1:1位の割合である。全部ひっくるめた交通量は、それなりに多いのであるが、破壊力の大きい自動車の割合が少ないこともあり、信号はほとんどなく、車線の区分もなく、完全な混合交通である。(道のまんなかで井戸端会議をするなってば。[;^J^])この異種交通機関群の混合比が絶妙で、なんとも言えないエキゾチシズムを醸し出している。馬車は乗り合い馬車であり、そこここで客を拾い、また、降ろしている。驢馬車は荷役用。私はこの驢馬車が、非常に気に入ってしまった。

 19:00頃から、テレビをつけてみる。言葉は一言も判らない。[;^J^] コマーシャルのセンスなど、どうも日本の影響を受けているのではないか? 社会派(トレンディー?)ドラマが始まったが、会社幹部(だと思う)を集めての会食シーンでは、やはり中華料理を食べている..

..などとしょうもない感心をしていると、20:30、夕食の時間である。既に過食気味なのだが。[;^J^] 昼と同じ食堂で、昼と同じ素材による順列組合わせかと危惧されたのであるが、基本的にはそうだが、白身魚、卵、チャーハン、饅頭が加えられているので、助かった。それにしても食い切れない。助けてくれ。[;^O^]




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*解説


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Last Updated: Oct 1 2013 
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