ブラック・ジャック 21

*純華飯店

 胆石で苦しむ、純華飯店の年寄り。呼ぶ医者呼ぶ医者、みな、手術を薦めるのだが、何故かその老人は薬で取ることにこだわり、全ての医者から見放されてしまう。その胆石は大きく成長しており、とても薬で取れるような段階ではないのだが。そこで、ブラック・ジャックが呼ばれる。薬で取ると偽って睡眠薬を飲ませ、麻酔をかけて手術で取り出そう、というわけだ。

 この老人が薬にこだわっていたのは、本国(中国)の大学で漢方医薬の専門家となった息子から、どんなに大きな胆石でも取れる薬を作った、という手紙をもらっていたからであった。老人を眠らせて、携帯用手術室の中で老人の腹から胆石を取り出していたブラック・ジャックのもとに、老人の息子が中国から帰ってきた、という知らせが届く。ブラック・ジャックは、胆石を腹の中に元に戻すと、手術は失敗でした、と、偽って、純華飯店から逃げ出してしまう。

 入れ違いに、息子=南京大学病院薬学部の葉博士が帰ってきた。感激する老人。薬を飲ませる前に診察した葉博士は、手術の跡を発見する。

 後日、ブラック・ジャックの家を訪れた葉博士は、ブラック・ジャックが、わざわざ胆石を戻した理由を知る。息子の薬で治療してもらう方が、老人にとっては幸せなのだ..

 地味ながら、よくまとまった佳作である。(そんなにすぐに腹を切った跡がくっつくわけがないのは、ともかくとして。)莫大な報酬を用意せざるを得ない難しい手術とも思えないが、こういう芝居に付き合ってもらえるのは、ブック・ジャックだけ、ということか。

 戦時中、強制連行されて酷い目に遭わされた老人の、「日本人を見返してやる」という怨念は、作品のテーマとしては発展しない。日本対中国ではなく、父と息子の物語としてまとめられた。

*光る目

 イジメられっ子の哲男は、今日も、UFOの本を買うためのお金を、番長たちに巻き上げられた。彼の心の支えは、UFOと宇宙人だけなのだ。

 学校で目を回して倒れた哲男。その夜、闇の中で哲男の目は不気味に光っていた。宇宙人が自分に乗り移ったんだ、と、喜ぶ哲男。番長たちをその目で脅かし、お前は一ヶ月後に死ぬ、と宣告する。宇宙人との約束だと言って、医者にも行かない。

 別に宇宙人が憑いたわけではない。ただの緑内障であり、目が光っているのも「猫眼(びょうがん)現象」である。しかし症状が進行しており、手術は難しい。そこでもちろん、ブラック・ジャックの出番となるのだが..哲男は治療に抵抗する。目が光っているあいだは、番長たちに対して、睨みがきくのだ。治ったら、またいじめられる。甘えんじゃねぇ!っと、哲男をはり倒すブラック・ジャック。

 ブラック・ジャックは番長に会い、一ヶ月後に死ぬ、と、宇宙人に宣告されたんだろう? 宇宙人の予言だからあたるだろう、気になったら読んでおけ、と、宇宙人やSFの本を、置いていく。

 哲男の手術は、もちろん、成功する。「光る目」を失った哲男は、番長に再会するが..もはや、いじめられない。UFOだの宇宙人だのを頭からバカにしていた番長は、宇宙人やSFの本を沢山読んでSFファンになり、哲男と意気投合してしまったのだ。

 う、「宇宙人やUFO」と「SF」を一緒にするなぁっ!、と、叫びたいが [;^o^]、第一世代のSF作家である手塚治虫は、そんな混同がおかしい(幼稚である)ことは、百も承知。中学生の生活感覚としては、こういうものだろう。ま、いいでしょ。許す [;^.^]。

 自分の体が異形の者(宇宙人、怪人、怪獣の類)に変貌していく、ということへの喜びと恍惚感が、リアルである。恐らくあなたも(男の子ならば)おぼえがあるであろう。私は「ライダー世代」では無いので、ショッカーの怪人たちにはさほど感情移入できないのだが、しかし、筋金入りの(第一次)ウルトラ世代である。ケムール人やバルタン星人になりたいっ!、と、「本気で」夢見ていた。(あなたもそうでしょ、あなたも。)ちょっとした「おでき」が腕に出来たときなど、この「ブツブツ」が全身に広がって、僕を「怪獣」にしてしまえばいいのに、と..

 しかし、このエピソードにおける、夢見る哲男の変身願望は、イジメられっ子の避難先として機能している。なんとも切ない..

*死者との対話

 医学校での解剖実習。一年生の間武田(まぶた)は、たまらず洗面所にかけこみ、そこで、たまたま母校を訪れていたブラック・ジャックと出会う。喫茶室のふたり。間武田は、遅かれ早かれ、みんなこんな死体になってしまうのだったら、医者なんてなんのために..と、悩みをうち明ける。

 解剖実習が終わったあとの解剖室を訪れるブラック・ジャック。彼は、195号の遺体に会いに来たのだ。そしてその遺体と、想い出話を始める。

 195号は、死刑囚だった。医者にも見放される難病故にグレて、身を誤った彼は、しかし、今、牢屋の中で必死になって読んでいる、聖書をはじめとする本を読み終えるまでは、生きていたい、と、ブラック・ジャックに手術を依頼したのだ。

 手術は成功し、生まれ変わったように喜んだ、その死刑囚は、貪るように本を読み続ける、満ち足りた生活を送った末に..処刑された。解剖実習用の献体に使ってくれ、という遺言を残して。

 ブラック・ジャックは、その、手術の跡を確認しに来たのだった。綺麗に治っていた。彼は(忘れ物を取りに帰ってきた)間武田に、医者の仕事は虚しいばかりじゃない、満足なことだってあるのさ..と諭して、去って行く。

 残された、ほんの僅かな人生が、読書に耽ることによって満たされた、という死刑囚に、徹底的に感情移入してしまった。[;^J^]

*もう一人のJ

 ブラック・ジャックに酷似した傷跡を持つ、ジョナサンという男。彼は、ハンス・エンゲルという男の命を狙っていた。

 ふたりは共に、ナチの金塊を探していたのだが..ついに財宝を発見した時、ハンス・エンゲルは、宝を独り占めにするために、ジョナサンを滅多刺しにして、海に捨てたのだ。ジョナサンは一命は取り留めたが、酷い傷跡が顔に残った。ジョナサンが死ななかったと知ったハンス・エンゲルは、彼に分け前を支払ったが、ジョナサンはそんなものでは水に流さず、ハンス・エンゲルに恐怖を与えつつ、命を狙っていたのだ。同じ傷を負わせて殺してやる、と。

 ジョナサンにそっくりな風貌をしていたが故に巻き添えになったブラック・ジャックは、ジョナサンに、顔の傷を消してやる、と申し出るが、ブラック・ジャックを信用しないジョナサンに撃たれてしまう。

 防弾コートで事なきを得たブラック・ジャックは、発作を起こして倒れたジョナサンを自宅に運び込み、手術を施す。傷を消すだけではなく、その傷の治り方が悪かった原因である、視床下部の腫瘍も切除する。

 三ヶ月後、全快したジョナサンは、自分の顔の傷跡が綺麗に治ってしまったこと、その治療費は、全てハンス・エンゲルが支払ったことを知り、泣き崩れてしまう。彼を支えてきた(生き甲斐でもあった)復讐心が、その原因もターゲットも、失ってしまったのだった..

 このあと、ジョナサンが(絶望して)自殺したりすると、ありがちな悲劇になるのだが..作者は、ここで物語を打ち切った。このあとの、ジョナサンとハンス・エンゲルの運命は、誰にも判らない。

*白い正義

 インド帰りの白拍子医師は、機内で、マニラからの「脳腫瘍」の患者と、その付き添いの女に会う。聞けば、難手術なので、日本のブラック・ジャックを頼っているのだという。ブラック・ジャックの存在自体許せない「正義の医師」である白拍子は、とんでもないことであるとして、自分の勤務先の病院(東西大学病院)で手術することを承知させる。この事態に気が付いたブラック・ジャックは、東西大学病院に駆けつけ、白拍子に抗議するが、はねつけられてしまう。

 帰宅したブラック・ジャックを待ちかまえていたのは、ピノコを人質にした、マニラのマフィアたち。マニラから来日した(頭に一発ぶち込んでおいた)ツモという患者を引き渡せというのだ。(白拍子に横取りされた、例の患者だ。)ブラック・ジャックは知らぬ存ぜぬをとおすが、リンチに会う。その間、大学病院では、ツモの手術が始まろうとしていた。マフィアたちは、病院の住所のメモを見つけ、ツモを殺すべく病院に向かう。

 居残った見張りたちの隙を見て、ピノコは病院に通報するが、撃たれる。ブラック・ジャックは逆上して反撃し、見張りたちを半殺しにする。一方、病院では、駆けつけたマフィア一味を、ピノコの通報で先回りしていた警官たちが一網打尽にし、同時に、ツモの付き添いの女も逮捕していた。彼女は手術にかこつけて、日本に麻薬を運び込んでいたのだ。

 惨憺たる有様のブラック・ジャック邸に駆けつけた白拍子は、病院に通報して重傷を負ったピノコの姿を見て、私の責任だ、私の病院で治療させてくれ、と申し出るが、ブラック・ジャックに、はねつけられる。何もかも私からふんだくる気か、帰れ、この子は私のものだ、と。


「患者はね……いい人間ばっかりとはかぎらないんですぜ」
「そういう連中のために、私のような立場の医者も必要なんだ」

 「ブラック・ジャック」の、本来のメイン・テーマ(のひとつ)である。

 「脳腫瘍」が、「脳の近くまで破片が食い込んだ銃創」に、さりげなくすり替わっているのが、気にならなくもない。瑕瑾ではある。筋の要約など試みない限り、気が付かない人も、少なくあるまい。[;^J^]

*命を生ける

 永湖(えいこ)流いけばな展を訪れたブラック・ジャック。家元の永湖清水に会いに来たのだ。彼の娘のソノは、骨髄性ポルフィリアを病んでおり、日光にあたれない(あたると、皮膚病が発生する)体なのだ。

 ブラック・ジャックの診断でも、もってあと一年。彼は清水に、無駄な手術はしたく無い、と告げるが、清水は、娘が生きているうちに、家元を譲ってやりたい、と言う。つまり、それまでのあいだだけでも、生き延びさせてやってくれ、と言うのだ。ほんの一時のあいだでも、家元の名誉を味わわせてやりたい、と。

 娘の、たった一日の栄光のために、三億もの治療代を積む清水の気持ちが、ブラック・ジャックには解らない。しかし清水は言う。生け花は、たった二三日で枯れてしまう。その束の間のための芸術なのだ、と。そして、死ぬ人間のためにはなむけをしてやって、なぜ悪い!とも。

 日の当たらない暗い部屋の中で、ソノの修行は続く。新家元として相応しい実力を、身につけるために..そして、彼女は倒れる。その間、ブラック・ジャックは、新鮮な遺体を探し続け..ついに、理想の条件の死体が見つかった。ブラック・ジャックは、ソノの肝臓と脾臓、そして全身の皮膚を張り替える、という大手術を行う。

 一年後、ソノは、新家元として選出され、その妙技を祝賀会で披露する。その晴れ姿に涙を流しつつも、明日にでも彼女は死ぬかも知れない、としんみりしている清水に、ブラック・ジャックは、20年だって生きられるだろう。そういう手術をした、と告げる。ただ一日だけの栄光などよりも、生きながらえさせることだけに、ブラック・ジャックは興味があるのだ。


「死んでいく花より、野にはえて生きてる花のほうがどんなにいいかわからん」

 ストーリーだけ要約すると、特になんということもないこのエピソードを、印象深いものとしているのは、絵の力である。ソノの美しさと儚さ。清水のセリフにもあるような、松本零士風の美女なのである。

 (私の高校生時代の級友に、まさに松本零士的美少女がいたのを、思い出した。記憶の偽りがあるかも知れないが、とにかく本当に、睫毛がストレートの(さらさらとした)見事な長髪の「外側」に、飛び出していたのである。(付け睫毛では、無いのだ。)あれからほとんど四半世紀。今では見る影もないのであろうが..[;^J^])

*腫瘍狩り

 白拍子医師、新兵器「カンサー・ハンター(C・H)」を引っさげて、再登場。南プレメンス大学で開発されたばかりの、彼自身、研究・開発にたずさわった、ガン細胞だけをレーザーで殺す機械だ。これによって、癌治療には外科手術の必要がなくなる。(従って、(彼自身、軽蔑を隠さない)ブラック・ジャックの出番もなくなるはずであった。)

 ところが、その機械の欠陥が、当の南プレメンス大学から急報された。正常な自律神経まで、犯してしまうというのだ。現在、鳴り物入りでC・Hによる治療を受けさせている、癒着性肺門癌の患者が、危ない!

 やむを得ず、C・Hの使用を中止して、手術による治療に切り替えた白拍子だが、彼には不可能な難手術であった。恥を忍んで、ブラック・ジャックに手術の依頼をする白拍子。ブラック・ジャックは、報酬の代わりに、C・Hが不完全な機械だったことを世間に公表するよう、求める。

 2回続けて、損な役回りで出演している白拍子。それでも、最後に報道陣に、自らの判断ミスを発表しているシーンでは、いいところを見せていると言えるか。

*浮世風呂

 毎日、銭湯に、午後の3時過ぎに入りに来る、ゴリラづらの学生。彼のお目当ては、女風呂から聞こえてくる声。ピノコの舌っ足らずな声なのだが、ピノコの姿を見たことがない彼の想像の中では、スタイル抜群な美女の、甘くせつない声なのである..その(一方的な)逢瀬を、いつもいつも邪魔するかのごとく、いいタイミングで男湯に入って来る、ツギ男(ブラック・ジャック)。

 ゴリラ男は学校では、柔道部の硬派な主将なのだが、ある日、たまたま女湯から出てきた八頭身美人が「ピノコ」だと思いこみ、ますます熱を上げ、そして、柔道部の主将としては、どんどん軟弱になって行く。

 やがて、男湯のゴリラ男と女湯のピノコの間で、会話が成立し始める。お互い、自分は美女・美男とウソをつきあう。生まれて初めて女の子と会話したゴリラ男の感激。そこにまたしてもブラック・ジャック。時間をずらしてくれ、というゴリラ男の憤慨に、この傷跡だらけの体だから、混んでいると煩わしいんだ、と、ブラック・ジャック。案の定、そこに入ってきたヤクザに、どこの親分さんで、と、挨拶されてしまったりする。

 しかしある日、例の八頭身美人に、つきまとうなとはねつけられ..彼女はピノコでは無いことを知ったのだった。声が違う。それどころか、張保手一家の組長の女である。じゃあ、ピノコって誰だ?..男湯の中で、ヤクザに刺されたゴリラ男。即座に応急措置を始めるブラック・ジャック。そこにピノコが呼ばれ..それが、ゴリラ男とピノコの、初対面であった..

 夢破れ、再び、柔道に気合いを入れ、鬼主将として復活したゴリラ男。今日ものんびりと銭湯につかるブラック・ジャック..

 それにしても、最初の会話で、ピノコは「ハタチ バスト45 ウエストは……」と言っているのに、恋するゴリラ男は(「ハタチ」に気を取られて)どこかおかしいということに、気が付かなかったのである。

*20年目の暗示

 ブラック・ジャック、不調である。手術中も指先が気になり、高速道路の料金所では、お釣りを落とす。車の運転もおぼつかない。まさか、指が動かなくなってきた!?

 手塚医師に相談するブラック・ジャック。どこにも異常は無いのだが..子どもの時に指先が切断されていることが、気になる。本間丈太郎先生が、完璧な手術でくっつけてくれたはずだが..彼は手塚医師の紹介で、本間医師の元同僚、精神科医・浅草上乃の催眠術を受ける。浅草上乃は、本間が、バラバラになったブラック・ジャックをつなぎ合わせる、奇跡的な手術をやってのけた時も、立ち会っていたのだ。

 ブラック・ジャックの幼年期の記憶を探り出す..手術後..本間医師の顔..判ったことは..何かの理由で、病床の黒男(ブラック・ジャック)は元気を無くし、本間医師が、それを必死に力づけていた、ということだけである。そして、ある時点で、彼の記憶は断ち切れている。なぜ、黒男は元気を無くしたのか? なぜ、記憶が断ち切れているのか?

 自宅に帰ったブラック・ジャックは、動かぬ指で手術を始める。そこに駆けつけた、浅草医師。原因が判ったのだ! 浅草医師は、再び(手術中の)ブラック・ジャックに催眠術をかけ、ブラック・ジャック(黒男)の記憶がとぎれた時点に、記憶を遡行させる。そして、部屋の外の声に、注意を向けさせる..それは、浅草医師の声だった。

 「きみの手術は失敗だ。おそらくからだのあちこち……手や指などは、二十年もたてば、用をなさなくなるだろう」。浅草医師の、この声を聞いて、黒男は暗示にかかってしまったのだ。この恐ろしい予言を忘れようとして、黒男はこの記憶を消した。しかし二十年たって、後催眠が効いて、指が動かなくなったのだった。

 浅草は暗示を解き..そして、ブラック・ジャックの指は、何ごともなく、動くようになった。本間医師の手術は、完璧だったのだ。

 ゴルゴ13にも、このパターンの短編が、いくつかある。超一流の(天才)職人の指が動かなくなったとき..というのは、普遍的な素材と言えるだろう。

*裏目

 ハリウッド。ブラック・ジャックは、踏み倒されている手術代、10万ドルを取り立てるために、プロデューサーのパーキンソンに会いに来たのだが、パーキンソンはノラリクラリと言い逃れをした挙げ句、新しい映画のプランをうち明ける。ブラック・ジャックをモデルにした映画だ。ついては、主役はオーディションで決めるとしても、手術シーンだけは、出演していただきたい、と。ブラック・ジャックはあきれ果て、もちろんそんな映画に出る気はない、明日、取り立てに出直す、と、立ち去ってしまう。

 悪徳マネージャー(ハム・エッグ)登場。彼は、5万ドルの報酬と引き替えに、ブラック・ジャックに、この撮影所の中で手術させてみせる、と、パーキンソンに持ちかける。段取りは、以下のとおりだ。撮影所内の診療所内には、隠しカメラ。そして、ブラック・ジャックでなければ手術出来ない、重傷の怪我人の調達..

 ハリウッドの下町のスラム街。貧乏な黒人青年のサミーが撮影所に誘い出され、そこでセットが崩壊し、サミーは下敷きに。撮影所内にいたブラック・ジャックが、ただちに呼び出されるが..彼は一目見て、99.99%死ぬ、と、見放す。そう言わずに、と、口説き落とされて診療所に入るが..スタンバイした隠しカメラの前で、やはり、無理なものは無理だ、と、立ち去る。

 収まらないのはパーキンソンである。手術シーンが撮れなかったどころか、人ひとり死ぬハメになったのだ。(サミーの命などどうでもいいが、)病院の費用、慰謝料! そこに戻ってきたブラック・ジャック。彼は前日、ハム・エッグのたくらみを、全て聞いていたのだ。過失ではない。立派な傷害致死である。パーキンソンから、口止め料込みで、都合20万ドルふんだくると、大喧嘩を始めたパーキンソンとハム・エッグを後目に、サミーのもとに向かう..

 ただのかすり傷だったのだ。ブラック・ジャックはサミーとその姉に、「撮影所からのおわび金」10万ドルを渡して、去って行く。

 実録映画に出演させようと試みる(が、無惨な失敗に終わる)、というネタは、やはりゴルゴ13にもあった。このタイプの主人公に対しては、必然的に思いつくパターンなのだろう。

*笑い上戸

 ティーン・エージャーの頃、ブラック・ジャックの級友だった、笑い上戸のゲラ。貧窮の中でも、漫画家を目指していたゲラ。両親が夜逃げして置き去りにされたという、悲惨な身の上であるにも関わらず、彼は底抜けに明るい笑い声を絶やさなかった。泣くだけムダ。笑えるのは、高等動物である人間だけ、と考えるゲラだった。当時、母親を廃人にし、自分の体をバラバラにした怨敵に対する復讐心に凝り固まっていたブラック・ジャックの心も、いつしか解きほぐされつつあった。

 ある日、ゲラは、借金の取り立て屋のリンチに会い、その場に居合わせたブラック・ジャックが持ち歩いていたダーツで、喉を刺されてしまう。ゲラは、一命は取り留めたものの入院し、救急病院から郊外の病院へ、さらに、遠い地方の療養所へ..そして、学校からもブラック・ジャックの前からも、姿を消したのだった。

 8年後、医大で、若き天才として頭角を現していたブラック・ジャックは、時至れり、と、ゲラを探す旅に出る。彼を治療出来るだけの腕が、身に付いたからだ..

 ようやくゲラを発見したが、彼にはかつての面影もなく、やつれ果てていた。喉の損傷が原因で、声を出そうとする度に、呼吸困難に見舞われるのだ。彼は、この8年間、ただの一度も笑ってはいなかった。

 人工気管支を接続するというブラック・ジャックの手術は、成功した。しかし、ゲラは、二次感染で死んだ。漫画家になるという夢も虚しく..死ぬ直前、ゲラは、思いっきり大声で、底抜けに明るい笑い声で笑ったのだ。ブラック・ジャックのおかげで、ゲラは、死ぬ前に笑うことが出来たのだ..

 これも、私の好きなエピソード。患者の性格故か、どこか「水頭症」のエピソードを想起させるところがある。


*手塚治虫漫画全集 370

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 8 1999 
Copyright (C) 1999 倉田わたる Mail [kurata@rinc.or.jp] Home [http://www.kurata-wataru.com/]