フランケンケチで有名なフーラー博士は、ロボットにスイカの種を踏んづけられたことを根に持って、ロボットの数を減らすべく、ロボット処理車を作って暴れさせる。ロボットを破壊するばかりか、暴走してフーラー博士の家まで壊したロボット処理車は超強力で、正面からではアトムもかなわない。アトムは地下から接近し、武器の無い下側から持ち上げて、空中で破壊し、海に捨てる。フーラー博士の家は、ロボット大工がただで建て直す。ただなら嬉しいフーラー博士。
ロボットの迫害者としてのフーラー博士は、「マッド・マシーンの巻」が印象深い。
アトム対アトラス科学省精密機械局で、コンピューターが故障して、できそこないのロボットを勝手に作り始めた。中でも大型のロボットは、まだ首がすえつけられていなかったものだから、自分で勝手に、そこらに置かれていた首をいくつも重ねて大暴れ。このままでは爆発する。アトムの活躍でロボットは取り押さえられ、ロボットの望みどおりの顔の頭部が作られ、すえつけられた。それは、お茶の水博士の顔だった。
子ぞう プーラ悪人の、ギス伯爵とスカンク草井が、アトムより強いロボット、アトラスを作る。悪者が作っただけのことはあって、ふたりの言うことを全然聞かぬ、大変な腕白小僧である。ギス伯爵は、アトムと同じ七つの力に加えて、第八の力、爆発性のおしっこを出す能力を与える。アトムとアトラスの戦い。力が互角なので、勝負がつかない。アトラスは奥の手のおしっこをひっかけようとするが、アトムに、おしっこはトイレでするものだと諭されて、悪者の屋敷のトイレに戻っておしっこを。大爆発。アトラスはアトムと協力して、悪者たちを引っ立てて行く。だって、いいことをする方が、かっこいいもんね。
話自体は他愛もないものだが、キャラクター的には非常に濃い。「少年」版アトムの最大の敵が、勢揃いしているのである。
悪の心(オメガ因子)を持ち、それ故にアトムよりも人間に近い「アトラス」(初登場「アトラスの巻」)。「アトムは完全ではないぜ、なぜなら、悪い心を持たねえからな」「完全なものはわるいものですぜ」と言い放つ、スカンク草井(初登場「電光人間の巻」)。ここではギス伯爵と呼ばれているが、「青騎士」型ロボット(人間に危害を加えることに対する禁忌を持たないロボット)の誕生を誘発した、ロボットの敵、ブルグ伯爵(初登場「青騎士の巻」)。
彼らは、戦闘力や組織力の面で「最強の敵」なのではなく(その意味では、どちらかというと、むしろ弱いかも知れない)、アトムに「より人間的であるためには必要である“悪の心”」が欠如していることを突き、アトムの出自と使命(役割)の矛盾を抉り出すのである。
ロボット ギネス子象プーラの母親が、ロボットの象に殺された。他にも象の死体がゴロゴロと。どれもこれも象牙を取られている。これは人間のしわざだ。ロボット象を操縦していたのは、スカンク。アトムはもちろん、このロボットを破壊し、孤児になったプーラは、他の象たちに引き取られる。
暴走ロボット世界一小さいミニロボットを、お茶の水博士は飲み込んでしまう。彼女はロボットギネスにも載っているのだ。ついては、アトムを世界一強いロボットとして載せたい(と、博士の腹の中からしゃべっている)。アトムも博士も気が乗らないが、結局掲載されてしまう。それが気に入らない、世界一(我の)強いロボット。佐々木小次郎よろしく、アトムを南海の孤島に呼び出して、決闘を申し込むが..実はその「島」は、世界一大きいロボットとしてロボットギネスに載せるためだけに作られ、大きすぎて使い道が無く、海中に捨てられたロボットだったのだ。世界一になってもろくなことは無い、と、ふたりを諌める「島」。後日、お茶の水博士は「世界で始めておなかにロボットを飲み込んだ人」として、(人間の)ギネスブックに掲載された。
「世界一強いロボット」というモチーフは、「少年」版でも繰り返し取り上げられている。もちろん、その頂点は「地上最大のロボットの巻」である。人間の虚栄と愚かしさが引き起こした、ロボットたちの悲劇を、年少者にもわかりやすく、コンパクトにまとめあげた佳品。この、「世界一大きい(だけの)ロボット」の悲劇も、実は深刻なものである。
磁石ロボットわがままなウラン。番犬のジャンプが芸を憶えないから、と、ぶつは殴るはのイジメである。ロボットと生き物は違うんだから、と、アトムが諌めてもきかない。その晩、ロボットの暴走族があらわれ、ジャンプに瀕死の重傷を負わせる。かわりに買ったロボットの番犬(踊りも踊れるし、トランプの相手もできるので、ウランは大喜び)も、暴走族にエネルギーを吸い取られてしまう。そこでアトムが番犬に化けて、暴走族を退治する。病院で、ジャンプが死にそうだから、作り直して、と泣くウランに、生き物はロボットじゃない、作り直しはきかないんだ、たった一回しか生きられないんだ、と、諭す医者。ウランの祈りが通じたか、一命を取りとめたジャンプ。ウランは、ジャンプを喜ばせるために、芸をしてみせる。
ほんの僅かに詰め込みすぎであるが(ロボット番犬のくだり)、平凡ながらも良く出来たお話である。ウランを、きょうびの子どもに置き換えても成立する。
ジャイアント ウラン「右や左のだんなさま…」と言うのに飽きた乞食が、(廃品とおぼしき)ロボットを助手にして、代わりに「右や左のだんなさま…」とやらせたところ、乞食ロボットとは珍しい、と、面白がられて、銭を山ほどかせぐ。そこで乞食は、もっと稼ぐようにと、昔ロボット工場で働いていた腕にものをいわせて、磁石ロボットに改造する。コインはまさに、雨あられと飛んでくる。そこでさらに、吸引力10万倍のジャイアントサイズにして、国内巡業に送り出す。金目のものはなんでも、ピストルもパトカーもロボットもドラム缶も吸い付けて歩き続ける巨大ロボット。アトムは、丈夫で長い紐の先に、100円玉をつけてロボットを釣り上げると、北極の氷山の上に捨てる..が、誤って吸い付けられてしまい、レーザーでロボットの磁石装置を破壊して、難を逃れる。お茶の水博士からごほうびをもらったアトムは「おありがとうござい」。
1981年にもなって、(“記号”とはいえ)いまだにこの手の乞食を登場させるとは。[;^J^] もっとも、1960年代には、21世紀にはこんな乞食はいなくなっているだろう、と、明るく予想されていたはずだが、(だからこそ、未来の話の中に現代の風俗を描き込む、という、手塚治虫の技法として、意味を持っていた、)こんにちでは、21世紀どころか22世紀になっても(あるいは未来永劫)、ホームレスが姿を消すことはあるまい、と認識されている(と思う)。「右や左のだんなさま…」とは言わないにしても。
宇宙人のお人形ノミの夫婦登場。やせっぽちの亭主はロボット技師、巨大に膨れ上がったギンギラギンの女房は、オバタリアンである。アトムと喧嘩して負けたウランに同情したオバタリアンは(「女の子は、いつも弱いんでそんをするにい」)、亭主を殴り付けて、ウランを巨大化改造させる。七つの威力も、ちゃんとある。「空を飛べる」「爪を出してひっかく」「お尻で突き飛ばす」「おいもを食べてガスを出す」。巨大ウランはアトムをお尻で突き飛ばし、喧嘩に勝つが、そこを見込まれて、怪物退治に駆り出される。悪人の作ったロボット怪鳥。ウランは七つの威力で戦うが、全然かなわない。アトムが駆けつけ、ウランを救出して怪鳥をやっつける。ウランは元の大きさに。せめて七つの威力は残しておやり!と亭主に噛み付くオバタリアンを、ウランは、七つの威力のひとつ「うるさいおしゃべりをだまらせる」(胸のチューブからトリモチ噴射)で退治する。
ま、これだけの話である。[;^J^]
砂漠の幽霊工事現場から発掘された、なんとも珍妙な姿をした巨大ロボットが、暴れ回る。群集が逃げ回るモブシーンでは、
「またもロボットの大あばれだ」
「いつもこうだもんなーー」
「ロボットのまんがは、いつでもぶっこわすから、きらいよ」([;^J^] 作者の照れ(自己批判)かも知れないし、あるいは、PTAあたりから、漫画表現の“破壊的内容”に“教育的指導”が入ったことに対する、くすぐりかも知れない。)
で、ほとんどネタは割れているのだが、これは巨大な宇宙人の玩具(ミルク飲み人形)だったのである。アトムは巨大ロボット(ミルク飲み人形)ごと、宇宙人のUFOにとらえられ、宇宙人の幼児に、壊れたミルク飲み人形のかわりに、お人形さんにされてしまうが、その母親にこっそり逃がしてもらう。フリルヒラヒラの可愛いお洋服を着せられて。
実に手抜きでやる気の無い宇宙人の造型が、かえって印象的。[;^J^] 宇宙人のパパは、いしかわじゅんの「パンクドラゴン」にそっくりである。
宇宙の虫砂漠の妖怪の調査に赴くアトム。さっそく現われた妖怪の群れは、なんとアトムにそっくりで、その実体は、砂の固まりであった。次に現われたのは蛙型アトム。さらに化け猫型アトム。さらに、さらに..アトムのグロテスクなパロディの群れ。それらを突破して地中の基地に飛び込むと、そこは妖怪工場だった。かつてここに棲みついていた宇宙人が、身を守るために、やってくる敵の姿をモデルにして、その敵にとって一番恐ろしい姿の妖怪の幻影を、砂を材料にして作り出して、追い払っていたのだ。しかしアトムはロボットなので、恐怖を感じないのだった。妖怪工場を破壊してお茶の水博士のもとに帰還したアトム。そのアトムにくっついていた毛虫を見て震え上がる博士。
宇宙人を「三つ目族」と読み替えると、ほぼ同じ構造のエピソードが、「三つ目がとおる」にある。砂を材料にして、自分にとって一番恐ろしい姿を..というのは、いうまでもなくソラリス。オチはしょうもない。
おかしなアヒルなんとも愛らしい姿の、宇宙のイモムシ。これを採集してきた男は、この鳴声は鈴虫や松虫の比ではない、と、無理矢理鳴かせる。それは確かに美しい鳴声であり、これを聴いた記者たちは、陶然となって踊り出してしまうほどなのだが、アトムが飛び込んできて制止する。アトムの電子頭脳には、「たすけてー、たすけてー」と翻訳されて聴こえるのだ。これは虫ではなく、宇宙人なのだ。しかし、「ロボットに虫の声の音色がわかってたまるもんか」と、一蹴されてしまう。
(これは確かに、アトムにとって、痛いところを突かれているのだ。実際、「アルプスの決闘の巻」では、電子頭脳に“情緒”が組み込まれていないこと、虫の鳴声どころか、音楽に感動することもできないことが、明らかにされている。もっとも、虫の鳴声の美しさを理解できるのは、日本人だけ(?)らしいから、その意味では、日本人以外は、「人間以下・ロボット並み」といえよう(ちょっと待て [;^J^])。)
さて、この「虫」の、美しい鳴声(実は悲鳴)に呼応して、巨大な怪物が現われ、暴れまくる。怪物は、「虫」を奪いに来たのだ。アトムは怪物と戦うが、この、世にもグロテスクなフォルムの怪物は、急激にしぼんで、小さくて可愛らしい、犬型のエイリアンに変身してしまう。実は、囚われていた「虫」型の宇宙人の飼い犬だったのだ。主人が地球人にいじめられたので、怒って膨れて暴れたのだ。アトムは、もういじめないから、ふたりともおかえり、もう地球人につかまるんじゃないよ、と、宇宙に送り返す。
とにかく、虫型と犬型の宇宙人(エイリアン)の可愛らしさが、尋常ではない。彼らの姿を見ているだけで、幸せな気持ちになってしまう。動物(型の生物)を、これほどまでに愛らしく描けることが、作者の大きなアドバンテージであった。
ねこのまもり神お茶の水博士を逆恨みするフーラー博士は、実にはた迷惑なアヒルロボットを作って、お茶の水博士に、お中元として送りつけた。それは、「あんたに一生くっついて離れない。もし壊そうとすると酷い目に逢う」というものである。トイレ、ベッド、食事、風呂、と、つきまとい邪魔をしまくり、お茶の水博士はノイローゼ。車で逃げても飛行機で逃げても追いかけてくる。アトムは一計を案じ、お茶の水博士のダミーロボットを量産する。どれにつきまとったらいいものやら、アヒルは混乱し、狂って自爆してしまう。
しかし後始末がまた大変。お茶の水博士のダミーロボットたちは、皆(出来が良すぎて?)自分が本物のお茶の水博士だと主張して譲らない。アトムは全員ひっつかまえて、科学省に送り返す。やれやれという顔で、アヒルロボットの残骸を捨てに行く途中で、フーラー博士に出会う。実はオレのしわざさ、と、得意満面のフーラー博士の背中に、お中元のお返しとばかりに、大音声で鳴きまくる巨大なセミロボットを貼り付ける。剥がそうとすると、おしっこをひっかけるからね!
アヒルのすっとぼけた造型が、なかなか良い。オーソドックスな筋運びと、型どおりの解決であり、格別の傑作とは言えないが、手堅い職人芸という印象を受ける。
スペースシャトル撮影所の前に捨てられていた子猫を一匹、ウランが拾って帰ったら、残りの数十匹の子猫がついてきてしまった。アトムもウランと一緒に、子猫たちを送り返すべく箱詰めにしようと奮闘していたら、テレパシーが!「おまえは猫だ。影は猫みたいだし(とがった髪の毛)、目が光るし、高いところから落ちても平気じゃないか!」 かくしてアトムは催眠術にかかり、テレパシーのぬし=「猫の守り神」は、アトム、ウラン以下、アトム一家全員を「猫憑き」にしてしまう。
ずーっと学校をずる休みしているアトムの家に家庭訪問したヒゲオヤジは、猫憑きの一家に散々な目にあわされ、お茶の水博士が真相を明らかにする。「猫の守り神」を自称する、巨大な化け猫ロボットは、実は化け猫映画のために、一千匹の子猫と共に用意されたものだったのだ。ところがこの「化け猫」は、自分が本物だと信じた上に、子猫たちを逃がしてしまった。アトムたちは、「化け猫」の発する電波に操られているのだ。博士に修理されたアトムは「化け猫」を懲らしめるが..退治しきれない。子猫たちが母親だと思ってしがみついているからだ。博士とヒゲオヤジは、子猫たちを引き離そうとして、ボロボロにされる。
富士山の決闘スペースシャトル1313号が、微細だが主要な部品が装着されないまま、打ち上げられてしまった。このままでは、コンピューターが狂って墜落してしまう。アトムは部品を持って、スペースシャトルを追って宇宙へ向かう。
スペースシャトルに追いついたが、やはりどこかおかしい。ママがどこかに行っちゃった!と泣いているのである。ブースターのことである。それはママではない、と、アトムが説明しても聞く耳もたず。アトムはママを連れてくることを約束して、持参した部品を装着する。アトムは軌道上のロケットのゴミ捨て場(墓場)からブースターを探し出すが、これは、電子頭脳がない、生きていない(意識が無い)、ただの抜け殻である。アトムはこれをシャトルのもとに持ち帰ると、ブースターのうしろに隠れて、ブースターの声色(?)で、ママとして語り掛け、ママに頼らず、これからはひとりで仕事をしなさい、と、説得することに成功する。
細かい理屈を言えば、足りなかった部品を装着して修理した時点で直ったはずで、(存在しない)ママを恋しがるなどという「狂った」感情は消滅するはずなのだが、まぁいいでしょう。明らかに「ロボット宇宙艇の巻」を想起させる。
フーラー博士、3回目にして最後の登場である。今回で最終回なので、せめて最後にアトムをやっつけたい、と、「小学一年生」で連載中の「ユニコ」にヒントを得て、超強力な4万キロも伸びるツノを持つ、巨大なユニコーンロボットを作る。富士山でアトムと決闘したユニコーンは、しかし、4万キロもツノを伸ばしたために、ツノが地球を一周して、自分自身を突き刺して自爆してしまった。めでたしめでたし。(..あなたがどこに突っ込みたいか、私には良く判っているが、そんな細かいことは気にしないこと。[;^J^])
イランの砂漠の無人地帯で、地震が起こり、謎めいた塔が姿を現した。巨大な井戸の入り口のようで、一面に銀粉がぬられている。アトムとお茶の水博士がその中に降りてみると、青銅の扉。その奥には、奇怪な遺跡。不思議な姿のロボットが2体。その体に積もったほこりから計算すると、一千年前から立ち続けているのである。そんな時代に、ロボットが作られていたはずが無い..
遺跡内に並べられている多数のカプセルの中には、食料らしきものが..無論、一千年の古さで、みな干からびているが..その時、ふとしたはずみで、2体のロボットにエネルギーが供給され、生き返る。彼らは夫婦であり、その名もアダムとイブ。アトムと博士を、異星からの客人だと思い込んで、ここは銀河系の中でも、とりわけ美しい世界として知られる地球である、と、案内をし始める。そう、ここは、宇宙人観光客のための、宿泊施設だったのである。
アトムと博士に対する、もてなしの宴が始まったが..あの干からびたゴミを食事に出されても食べられるわけが無く、揮発油の酒杯を飲みほせるわけもない。アトムと博士が部屋に引き込んだあと、アダムとイブは、恐るべきことに気づく。美しかったはずの地球が、みるも無残に汚染されているのだ。どうりで、一千年もの長きにわたって、客足が遠のいていたはずだ。地球人のせいだ。彼らを抹殺しなくては! そして実は異星人ではなく地球人だと判明したお茶の水博士を(食料用に)幽閉し、アトムを縛り上げると、巨大な怪物ロボットに変身する!(この変身シーンは、なかなか見ごたえのある、ユニークなもので、アダムとイブの体の内部から、内臓部品がバラバラに吹き出す(従って、ヒューマノイド型の皮膚は、蛇の抜け殻のごとく、脱ぎ捨てられる)と、それが混ざり合い、液状のものでつなぎ合わされ膨れ上がって、なんとも形容しがたい形態のモンスターに変身するのである。)
怪物は、全人類を掃討すべく、シルバー・タワーから飛び立つが、縛めを解いたアトムが追いつき、怪物を破壊する。怪物の今際の言葉は、人間がいる限り、地球はもう駄目だ、というものである。無論、アトムはそうは思わない。
時間軸のスパン(5万年前に建造された宿泊施設、一千年前からの眠り)と、空間軸のスパン(時折、地球を訪れる、宇宙人の存在)が、うまく補完しあって、小品ながら、広がりのある作品世界を作り出している。砂漠の中の不思議な遺跡(存在するはずの無い彫像)というモチーフは、初代ウルトラマンの諸作品中、とりわけロマンティックな名編として知られる「バラージの青い石」(1966年8月28日放映)を、また、地球人にはミスマッチな供応というモチーフは、A・E・ヴァン・ヴォークトの短編「魔法の村」(「終点:大宇宙!」所収)を、想起させる。
(文中、引用は本書より)
Last Updated: Jun 15 1998
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