*2024年02月26日:神保町から即離脱 [;^J^]
*2024年02月27日:鳥文斎栄之展
*2024年02月28日:風邪気味バロメーター
*2024年02月29日:造園見積もり1号
*2024年03月01日:神保町東エリア
*2024年03月02日:出窓について
*2024年03月03日:則安治男氏、逝去
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*2024年02月26日:神保町から即離脱 [;^J^]


 夜間の雨は上がっていた。快晴。

 10:26のバスで発ち、神保町へ。浜松から横浜に移ってきたことだし、そう言えば神保町の古書店を全部は回っていなかったはず、と、古書店マップを片手に、端から順にしらみ潰ししようという腹である。まず、「豚大学 とんかつ学部 神保町校舎」でかつ丼。この店に来るのは初めてであるが、コスパがよくて、美味い。

 腹くちくなり、靖国通りの北側から攻め始めたのだが..3軒目の「ワンダーJG」でうっかり20冊買い込んでしまい、撃沈 [;_ _]。大荷物を抱えて、そうそうに帰宅してしまったという次第である [;_ _]..まったく、餌場が近すぎるのも考えものだ..というか、この場合、私が餌なのか?..[;_ _][;^.^]

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*2024年02月27日:鳥文斎栄之展


 快晴。7:41のバスで出発。9:50頃、千葉駅着。千葉市美術館への道のり(徒歩20分程度)は、前回の訪問時からかなり間が空いているとはいえ、非常にわかりやすく迷う余地がないはずだったのだが..うっかり駅からの出口を間違えたために、迷ってしまった [;^.^]。どのくらいややこしい迷い方をしたかというと、交通整理?の人をつかまえて美術館への道筋を尋ねてみたところ、どのように説明したものか頭を抱えていたほどなのである。[;^.^]

 ま、なんとかかんとか、10:20、美術館着。「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」(〜3月3日(日)まで)である。

 「プロローグ 将軍の絵具方から浮世絵師」「第1章 華々しいデビュー 隅田川の絵師誕生」でご紹介したい作品は、いずれも図録からのスキャンが困難なので画像検索を試みたのだが、上品な淡彩が美しい「関ヶ原合戦図絵巻」は絞り込めないし [;_ _]凸、「品川の楼上」も、画像検索でほとんどヒットしていないし [;_ _]凸。「吉野丸船遊び」画像検索結果)、「川一丸船遊び」画像検索結果)は、まぁなんとか。[;^J^]

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 左図、「第2章 歌麿に拮抗 ―もう一人の青楼画家」からの「青楼万歳俄 七月盆おどり」は、構図が面白い。中図、「第3章 色彩の雅 ―紅嫌い」からの「六歌仙「文屋康秀」」は、色彩が素晴らしい、右図、「第4章 栄之ならではの世界」からの「風流略六芸 画」も、素敵である。



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 「第5章 門人たちの活躍」から。左から、鳥高斎栄昌の「郭中美人競 大文字屋内本津枝」(猫が可愛い [^.^])、鳥園斎栄深の「鷹匠」(猫の次は鷹、というわけではないが [;^J^])、弄春斎栄江の「見立普賢菩薩図」(さらに象、というかぶせではないが。[;^.^])



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 「第6章 美の極み ―肉筆浮世絵」からは、ふたたび鳥文斎栄之の作品。左図、「朝顔美人図」は、構図が完璧。中図、「貴人春画巻 第1図、第2図」、は、全12図の最初の2図なので、まだ本●どころか前●の段階ですらない [/_;]。カーテンで仕切った18禁エリアを作って全図公開、というわけにはいかなかったのだろうか..[/_;][;^.^]

 「吉原十二時画帖」は、表向きのハレの場として吉原を描くのではなく、日常的な普段の生活の場としての吉原を描いたもので、当時人気の画題だったらしい。せっかくなので、図録から解題を引用しておく。

「卯刻」:地面に置かれた提灯に「大門」とあるように、早朝の吉原大門近くで酪酎して騒ぐ遊客を、遊女たちが追い出そうというところか。「辰刻」:引手茶屋に立ち寄り、刀と風呂敷包みを受け取る侍。縁先には洗面具が置かれている。暖簾に「おふみや」の文字が見え、大門に近い引手茶屋である近江屋が想定されていることがわかる。「仲の町」「布施」「森田や」の文字が記された笠の三人は、仲の町の通で奉仕することでお布施を得ている者たちか。「大坂屋本胡麻揚」と掲げた行商人の姿もある。「巳刻」:暖簾の文字から、江戸町一丁目松葉屋の前で禿(かむろ)が座って髪を結ってもらっているところで、別の禿がほうづきを持ってきて見せている。空には時鳥(ほととぎす)、江戸っ子の好物で、高値で売り買いされた初鰹売りが通りに入ってきたところである。「午刻」:まだ営業の始まらぬ昼の頃、遊女は寛いだ姿で、花を生ける男と向かい合っている。遊女たちが馴染み客に書いた手紙を、禿にことづける姿もある。禿は浴衣を肩にかけているので、風呂上がりなのであろう。「未刻」:男が餅をついている。青簾の様子からすると、引手茶屋の前で、ついた餅を箱に入れて、贔屓の妓楼や遊女のお祝いに配ったり、「積物(つみもの)」として、通り沿いに飾られたものであろう。「申刻」:張見世で客を待つ遊女たちを描く。三味線を爪弾いたり、本を手にしたり、格子に寄ってきた占い師に占ってもらう遊女もいる。「酉刻」:仲ノ町の通りに植えた見頃の桜樹に沿って、提灯を持った男衆と新造が歩いている。丸に海の紋は、海老屋を示すか。すれ違い様に禿に声をかける男衆は、三つ柏及び違い鷹羽紋の箱提灯を3つも運んでいる。「戌刻」:座敷に呼ばれていく芸者二人。禿と仲のよさそうな遊客が、見世内の遊女の方を振り返りながら、暖簾を上げて待つ男衆の方に向かっている。その後方には三味線箱を二つ担いだ男が振り返っている。「亥刻」:男女の芸者たちが集まって、酒肴を楽しんでいる。三味線箱が二つ置いてあり、手前では、女将が提灯を持った男に声をかけており、傍らの愛玩犬がそれを見ている。「子刻」:すでに真夜中てある。「さのや」の提灯看板を下げ鈴を鳴らしながら食べ物を売る男や、座頭、拍子木を打つ男、静まった張り見世を覗く頬被(ほおかぶ)りの男が描かれている。「丑刻」:宴の後、既に寝落ちしてしまった遊女の横で、馴染客に手紙を書く姿がある。残った料理の海老を運ぶ猫の姿がユーモラスである。「寅刻」:全ての営業が終わった後、籬(まがき)の掃除をする男衆の姿がある。建物前には2匹の犬がいて、1匹はまだ眠っている。


 スキャンできなかったが、「三福神吉原通い図巻」画像検索結果)もご紹介しておく。

 12:20に退出して、12:40に駅前の「だん家 DANKE」というビアホール。日替りランチ(カツカレー)を食べて、13:30に退出。14:45、鶯谷の古書ドリス。今日は写真集を1冊だけ。15:55に退出して、帰宅。

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*2024年02月28日:風邪気味バロメーター


 快晴。数日前から咳気味なので、9:20に白根診療所。軽度の風邪との診断。付近で買い物を色々してから、帰宅。

 実は4日ほど前から、右側の鼻が鼻血傾向なのである。だらだら流れるのではなく、鼻をかむと血が滲む程度。実はこれは私の半生にわたる「風邪ひきかけのバロメーター」なのである。理由はわからない。鼻をかみすぎると粘膜が傷ついて出血する、というのならわかりやすいのだが、そうではなく、頻繁に鼻をかんでいるわけでもないのに、ある日、ティッシュが赤く汚れだす。それから風邪の諸症状が現れ出すのである。まぁ、便利っちゃー便利なのだが。[;^J^]

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*2024年02月29日:造園見積もり1号


 雲が多いが晴天。暖かい..と思ったら、9:30には曇天。

 造園業者Aからメールで見積もりが届いた。想定(覚悟)していたよりは、だいぶ廉い。あと、造園業者Bと造園業者Cからの見積もり待ちである。

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*2024年03月01日:神保町東エリア


 夜間の雨は上がっていた。曇天。しばらくしたら陽がさしてきた。

 10:26のバスで発つ。鶴ヶ峰駅から10:46発の新宿行き。11:50、御茶ノ水着。店名を失念したが駅からすぐの茗渓通りの店で、鰤三昧御膳。

 古書店マップを片手に、今日は東側エリアの店をしらみつぶしに回る。初めましての書店も、いくつかある。収穫は20冊ほど。

 17:59に神保町駅を発ち、18:57に鶴ヶ峰に着く直行便があるのだ。便利。(今日のところは乗客対応で鶴ヶ峰着が10分ほど遅れたが。)

 鶴ヶ峰に着いたら小雨。駅前の「杉玉」に初めて入ってみた。料理や酒がサーブされるタイミングが少し遅いような気がするが、今日だけのことかも知れないので、評価は先送り。20:30に出て、20:40のバスで、20:55、帰宅。

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*2024年03月02日:出窓について


 明るい曇天。

 以前も書いたかも知れないが、新居を建てるに当たって、本当は「出窓」を設置したかったのである。出窓といってもいろいろなタイプがあるが、ここでは3方ガラスの「台形出窓」(画像検索結果)を指す。

 ミサワホームが、首を縦に振らないのである [;^J^]凸。断熱性能および防犯上の弱点になるので、今ではパーツとして用意していない、というのである。ミサワ以外のパーツを取り付けることもできるにはできるが..と、渋るしぶる [;^J^]凸。近所を少し散歩してみても台形出窓を備えた家屋はいくらでもあるのだが、たしかにいずれもここ10数年以内に建てられた家ではない。ほとんどの場合、台形出窓には雨戸もシャッターも付いておらず(まれにはあるが)、断熱性能上の(そして防犯上も)弱点になるということは理解はできる。建築業者のブログやユーチューブをいくつか当たってみても、やはり今では出窓はアウトオブデートだとのことだが..それは重々承知の上で、やはり「装飾として」お洒落なエリアが欲しいのだとゴネたところ..

 ミサワホームは、私の腹案の「台形出窓」を(電動シャッター付きの)「ハーフ出窓(前面だけがガラス)」に変更したうえで、室内の道路側の「掃き出し窓」を「ヌック」(小さめで居心地のよい空間、画像検索結果)にしましょう、という「取引」を持ちかけてきた [;^J^]。「お洒落な装飾空間が欲しいというのなら、この辺で手を打たんかい」というわけである [;^.^]。私もここらが引き時か、と、その案に乗った(採用した)のだが..これが大正解![^.^]。極めて快適な室内空間であり、これはそもそも「ヌック」という言葉すら知らなかった私にはまったく思いつけなかった設計である。ハウスメーカーに設計/デザインを(高い金を払って)依頼するメリットはここにあるのか、と、痛感した次第である。

 いまや「古い設備」、と、ミサワホームにも他の建築関係者にもディスられている「台形出窓」だが、しかし私はやはり今でも、これが好きだ。あるユーチューブでは(断熱、防犯上の)弱点だけでなく、結局、使いこなせないでしょ、物置になるだけでしょ、とも叩かれているが [;^.^]、やかましい![;^.^]凸。たとえ物置になってしまったとしても、室内の収納をいくらかでも楽にしているではないか。

 近所を散歩していると、「外から見られることを想定している台形出窓」が、一定数、存在していることに気がつく。一種のショーウィンドウだ。フィギュア、ぬいぐるみ、観葉植物、盆栽、木彫、その他のオブジェや置物などを「展示」しており、それらは散歩者の目を楽しませてくれる。街に潤いを与えてくれている。素晴らしいではないか。

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 私がヌックエリアにカーテンも下ろさずにこのような「絵」を立てかけているのも、ある程度はそういう効果を意識しているのである。いわば大きな「出窓」なのである。

 ちなみに、カーテンをオープンにしていると、PCのディスプレイにも使っている大型テレビの画面も、道から見える。仕事に使っているわけではないので、平気で晒しているが、ある種の映像が映る場合は、もちろんカーテンやシャッターを閉めているので、ご心配なく。子どもも通るしね。[^.^]



 ちなみにこの「ヌック」の用途は、前記の「展示」以外に、主として三つ。1.多数の書籍や書類を読んだり広げたりするときのワークエリア(作業机)、2.ここに腰掛けて本を読む、3.フトンを干す、である [^.^]。なんならここで寝てもいいのだ。シングルベッドなみの広さがあるし。

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*2024年03月03日:則安治男氏、逝去


 快晴。暖かい。

 ふと思い立って、キューブにホースで水をぶっかけて、汚れを流し飛ばした。別にブラシや雑巾で拭いたわけでもなく、単に水をかけただけなのだが..(ここはドン引くところなのでちゃんとリアクションしていただきたいのだが)これが、免許を取って車を購入して以来約39年目にして初めての洗車であった!..[;^.^][;^.^][;^.^]


 則安治男氏が、2月27日に逝去されていたとのこと。享年92。

 初期ローランドのもっとも重要なキーパーソンのひとりであった。学生時代、当時秋葉原にあったローランド・シンセサイザー・スタジオに通い詰めていたのだが、そこで何度かお会いしていた。私にとって、ローランドという会社のイメージは、則安氏によって形作られたといっても過言ではない。彼がいなければ、倉田はローランドに入っていなかったかも知れない。

 合掌..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 7 2024
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