2022年01月17日:水島新司、逝去 2022年01月18日:幻想美術選「水の精(銀の魚)」グスタフ・クリムト 2022年01月19日:「きのこ漫画名作選」 2022年01月20日:メアドが変わる [/_;] 2022年01月21日:「ポリフォニック・イリュージョン」 2022年01月22日:軽微な咳が、 2022年01月23日:「町かどの穴」「ファニーフィンガーズ」目次へ戻る 先週へ 次週へ
水島新司が、1月10日に肺炎で亡くなっていたとのこと。享年82。
最初に読んだ作品がなんであったか、もはや記憶も曖昧である。「ドカベン」の柔道部時代を読んでいないことは確かだと思うが、「男どアホウ甲子園」と記憶が混交気味でもある [;^.^]。「あぶさん」、そして「野球狂の詩」..「大甲子園」の頃からは離れてしまったかなぁ。
妙な例えだと思われるだろうが、ブルックナー的なマンネリズムを確かに感じるのではあるが、しかしそこに本質的な魅力があるのだろう。
お疲れさまでした。合掌..
目次へ戻る「幻想美術選」、第280回。Gustav Klimt(1862〜1918、Wikipedia)については、説明不要だろう。また、私がこの画家といまいち相性が悪いことや、ぼやきながらクリムト展を訪れていたことを憶えている読者も、もしかするといるかもしれない。[;^J^]
要は、画風の問題なのだが..とはいえ、「パラス・アテナ」(画像検索結果)や「ユディトI」(画像検索結果)などは大いに気に入っているのだから、まぁ、人の好みというのは、一筋縄では行かないものであるわけなのだが [;^J^]、今回、ご紹介するのは、この作品。
「..だから倉田は..」という幻聴はガン無視して先に進ませていただくが [;^J^]、水の中を漂っている2体の水の精の、異様に長い黒髪が胴体と一体化しているとも見えるのだが、よく見るとショールのようでもある。「銀の魚」と言われても、銀色ではない [;^J^]。黒い胴体(ショール?黒髪?)にまとわりついている青白い泡?のことであろうか?
クリムトの他の作品にもしばしば見られることだが、ジャポニスムの影響は明らかで、蒔絵を想わせる平面的な背景のマティエールに特にそれが顕著である。
特定の物語を背負っていない、ある意味「抽象的」な「女妖」を描くこのタブローの本質は、その輝くばかりの寒色系の装飾性にあるように思われる。
目次へ戻る「きのこ漫画名作選」(飯沢耕太郎編、Pヴァイン)が届き、早速読了。吾妻ひでおの「きのこの部屋」がこのアンソロジーに収録されていることに先日気がつき、慌てて発注したという次第。うーむ、アンテナに引っかかっていなかったなぁ..「吾妻ひでお 著作リスト」の「アンソロジー等に収録された作品」に取り急ぎ 追記した が、アンソロジー系は、まだ見落としがあるも知れない。
本書の編集はいささかクセが強いが [^.^]、収録作品のラインナップはなかなかのもの(前記リンク先を参照)。特筆すべきは、白川まり奈の「侵略円盤キノコンガ」(Wikipedia)を、全編収録していることだろう。私の手元にあるのは「QJマンガ選書」版だが、一読の価値はある「怪作」である。
この限定3000部のアンソロジーには、2016/3/30 に出版された「オリジナル版」と、2016/6/10 に出た「訂正版」がある。今回入手したのは「訂正版」。オリジナル版は乱丁(ページのダブり印刷等)のために回収されたのであり、わざわざそういうものを買いたいという方以外は、古書市場でうっかり購入しないよう、ご注意のほどを。
目次へ戻るオミクロンパンデミックを受けて、来週25日から、また原則テレワークとなる。やれやれだが、仕方がないねぇ..現在の自宅環境はテレワークに向いておらず、頭が痛いところである..[;_ _]
おっと、それどころではないぞ。これは大事(おおごと)[;_ _]。メアドを引っ越さなくてはならないのだ..[;_ _]
どういうことかというと、「kurata@rinc.or.jp」の「rinc」は、無償版 G Suite によるホスティングなのであるが、「無償版「G Suite」、7月1日に完全終了 有償「Google Workspace」への切り替え推奨」という、寝耳に水のニュース。管理担当者が費用と運用の手間を検討して、rinc の解散が決まったという次第である。
新たなメアドの確保と引っ越しはともかく、そこら中のシステムやサービスへの登録の変更が、ひと騒動 [;_ _]。単に「住所/電話番号/メアド」といった具合に「連絡先」として登録されているだけのケースは、どってことはないのだが、「アカウント系」が面倒である。まぁ、そんなに急がなくてもまだ猶予はあるのだが、前倒しで進めよう..(まだ当分は、kurata@rinc.or.jp で届きます。)
目次へ戻る快晴。有休取得済み。金土日と上京する予定だったのだが、さすがに中止し [_ _]、浜松市内の近場をうろうろ。郵便局。メイワン谷島屋。高丘のアマノ書店。プラスエヌでつけ麺。
しばらく前に読了していたのを書き忘れてた。「ポリフォニック・イリュージョン 飛浩隆初期作品集」(河出文庫)。半分ぐらいは既読作。
「ポリフォニック・イリュージョン」−イメージが美しい。「異本:猿の手」−ひとひねり以上の感興は湧かないなぁ [_ _]。「地球の裔」−硬質な叙情。「いとしのジェリイ」−軽い作品のようだが、この作者の基本的な「情景」を想起させるところがある。「夢みる檻」−夢を必死に維持し続けるというモチーフに、深く共感する [;^J^]。「星窓」−これもまた作者の作風のエキスか。ほか、ショートショート5編も、いずれも洒落ている。
目次へ戻るまだちょいちょい出る。咳き込むほどではないし、喉が痛くなることもない。ただ、喉を触ったり押さえたりすると、「ケホケホケホケホ」となりがちで [;_ _]。これが一番発生しやすいシチュエーションが、いわゆる「顎マスク」をしたときである。つまり「顎マスクチェッカー」として機能しているわけでそれはよいことなのだがそんなことはどうでもいいっ [;^.^]凸
朝いちで今週も大坂内科医院へ。薬を処方してもらったのだが、前々回と前回はそれぞれ1週間分だったところ、今回は2週間分。これは、「邪魔だからもう来んな」、という意味だろうか..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
目次へ戻るラファティのアンソロジーを、2冊読了。従来から、ハヤカワ文庫の短編集などを何冊も読んでいるのだが、今回初読の作品も多く、楽しめた。
「町かどの穴 ラファティ・ベスト・コレクション」(R.A.Lafferty、伊藤典夫、浅倉久志、他訳、ハヤカワ文庫)。
「町かどの穴」−この作品とは、昔から相性が悪い [;^J^]。ガシャガシャしており、あまり乗れないのである [;_ _]。「どろぼう熊の惑星」−こちらは逆に昔から大好きな、素晴らしい傑作。事件の顛末を忘れないうちに書きとめようとする最後のくだりは、消えゆく夢を(必死に)記録しようとする虚しい努力 [;^.^] を想起させてやまない。「山上の蛙」−神話的構造..なのだろうな [;^J^]。「秘密の鰐について」−秘密結社ものだが、これならチェスタートンの方が面白いと思う。「クロコダイルとアリゲーターよ、クレム」−ナンセンスなロジックの遊戯。「世界の蝶番はうめく」−わりと容赦ない残虐描写が、カラリとな [;^.^]。「今年の新人」−あやしげな料理を食べた凡人たちが、凡庸なまま天才化する。「いなかった男」−「集団催眠術」と「集団の力」の二通りで、人間を「消す」。「テキサス州ソドムとゴモラ」−逆リップ・ヴァン・ウィンクルといったところ。「夢」−「胡蝶の夢」パターンから「悪い方」が現実として選ばれ定着するというオチ。悪くない。「苺ケ丘」−アダムス・ファミリーのような怪しい一家を少年が皆殺しにするが、実は「怪しくなかった」のかもしれない。「カブリート」−洒落た小話。心地よいリズムに身を任せていればいい。
「その町の名は?」−記憶(記録)抹消装置により、ある町を完全に抹殺した..ということ自体を忘れるというパターン。「われらかくシャルルマーニュを悩ませり」−これも懐かしい傑作。基本的なアイデアは「その町の名は?」に似ている。過去改変によって現在を変えることに成功した、ということ自体が(もはや)わからない。ロジックの粗をつつけばきりがないが [;^J^]。「他人の目」−「彼が見ている“赤”は私が見ているところの“赤”ではないのではないか?」という、誰しもが憶えがあるであろう普遍的かつ解けない悩みを、それなりにすっきりと取り扱う。「その曲しか吹けない」−何が面白いのか理解しそこなった。何かを読み落としたらしい [;_ _]。「完全無欠な貴橄欖石」−この世ならぬ怪物や猛獣たちが棲む世界(次元)がこの現実に重なり合って出現するが、それらは妄想に過ぎないと信じる(愚かな)パリピたちが襲われ、ひとりは殺されてしまうのだが、それでもなお彼ら(のリーダー)は、怪物たちは妄想に過ぎず、殺された(姿を消した)仲間は悪ふざけをして姿を隠しているだけだと信じ続ける。なかなかひどい目にあっているのだが、なにしろパリピなので同情の念はいっさいわかず、読後感は爽快である [^.^][;^.^]。「《偉大な日》明ける」−世界が笑いを忘れ、ジョーク/反語に真面目に反応(信仰)してしまい、結果として消滅する。何もかも脱ぎ捨てる人々というモチーフは、吾妻ひでおの「スクラップ学園」にもあったな。「つぎの岩につづく」−饒舌は楽しいのだが、やはり昔から私にはいまいち合わない作品である..[;_ _]
「ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション」(R.A.Lafferty、伊藤典夫、浅倉久志、他訳、ハヤカワ文庫)。
「ファニーフィンガーズ」−主人公・オーリャドが、とにかく魅力的。「日の当たるジニー」−止まっているとグロテスクだが(休みなく)動き回っているとチャーミング、という設定の妙。「素顔のユリーマ」−うすのろが必要に迫られて画期的な発明をどんどんしていくという面白さ。「何台の馬車が?」−キャンプ生活を続ける仲良し父子。子供にしか見えていない馬車の群れは、本当の幻覚なのか、あるいは空想なのか、さだかではない。「恐るべき子供たち」−軽やかなミステリ。ネタバレになるので詳述しないが、大人(警官)たちは詐術に騙されるが9歳の(おませな)少女は見抜くという楽しさ。「超絶の虎」−超能力(魔法に近い)を得て、無邪気に邪悪にそれを奮う子供たち。「七日間の恐怖」−同前。「せまい谷」−幅800mの土地が溝のように狭く“知覚”される。「とどろき平」−神話的モチーフ。「レインバード」−いまいち要領の悪い天才的かつ勤勉な発明家兼実業家が、世界と人類の未来を独力で大変革するほどの功績をなしとげたにもかかわらず、生涯の終わりに近づいて、実はやりたいこと(無駄なことをしていなければできていたはずのこと)の10分の1もできなかったと嘆き、やり直すべくタイムマシンで遡行して、若かりし日の自分を教導する。これを3回くり返すのだが、3回目に失敗して十分に教導できなかったので、結局彼はマイナー発明家として後世に名を(少しだけ)残すにとどまった。実にわかりやすい傑作。「うちの町内」−まぁ、妙な連中が超技術でなんかしてるっぽい、と、のんびり読んでればよい。[^.^]
「田園の女王」−ローカル線(チンチン電車みたいなもんか?)ではなく、傲慢不遜で有害なプロダクトであるところの自動車(モータリゼーション)が駆逐された未来。駆逐されたといっても滅びたのではなく、いわば「野良化/暴走族化」し、「狩り(私刑)」の対象となっているというサタイアが、ラファティならでは。「牧歌的」未来の「暗黒面」である。「公明にして正大」−わりとストレートな寓話/御伽噺。「夏への扉」的三角関係だが、悪役の男はまんまと破滅し、こずるい美女の自惚れは空振りし、主人公は気のいいおデブちゃんと幸福に結ばれる。「昔には帰れない」−地球上に「実在」する浮かぶ「月(球体)」。少年時代にそこを訪れたときの輝くばかりの追憶は、おとなになってから再訪して目の当たりにした「薄汚い場所」という現実に裏切られる。テーマは普遍的なのだが、この超自然的な舞台が「おとなになっても」実在しているところが、肝。「浜辺にて」−うすのろ末弟モノ。「一期一宴」−ガルガンチュア的哄笑か。「みにくい海」−おとぎ話のフォーマット。「スロー・チューズデー・ナイト」−超高速社会という一発ネタ [;^J^]。「九百人のお祖母さん」−もちろん既読だが、ほぼ最高傑作クラス。宇宙の真相の追求と、ほとんど暴力的なまでに不条理な笑いと。「寿限無、寿限無」−これも既読だが、最高傑作クラスとはよう言わん [;^.^]。一発ギャグ 一発ネタだからね [;^J^]。楽しいけどね [;^.^]。「無限の猿定理」と「盲亀の浮木」の組み合わせ。天使がとうとう泣き出してしまうくだりは、印象深く憶えておりました [;^J^]。可哀想だよ..[/_;][/_;][/_;][;^.^]
Last Updated: Jan 27 2022
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