*2021年09月20日:「オールド」/無駄に焼ける [;^J^]
*2021年09月21日:小望月の写真
*2021年09月22日:幻想美術選「地獄へ堕ちる人々」ピーテル・パウル・ルーベンス
*2021年09月23日:Kさんの訃報
*2021年09月24日:実はSF
*2021年09月25日:さらに無駄に焼ける [;^.^]
*2021年09月26日:幸せ二題
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*2021年09月20日:「オールド」/無駄に焼ける [;^J^]


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 早朝、フェイスブックへの私の投稿に、来たぞ来たぞこの手のコメント。[^.^](これはスクショのjpgなので、安全です。[^J^])それにしても、このクオリティ。ひっかかる馬鹿(失礼)に対する同情心は、正確にゼロである。[^.^]



 好天である。午前中はサンストリート浜北で映画鑑賞の予定であるが、ここのところ(緊急事態宣言が解除されるまでは)原則としてテレワーク、たまの出社日には雨、という運の悪さで、自転車通勤から縁遠くなってしまっていたこともあり [_ _]、運動不足も深刻なので、自転車で向かうことにした。

 7:30に出発し、8:13着。距離は12.3Km..なんと、勤務先への距離(及び所要時間)と、まったく同じではないか! [;^.^] これには驚いた。

 「オールド」である..まぁ、中の上 [;^J^]。前半(というか終盤直前まで)は「中の下」だったのだが、一応、ちゃんとした「オチ」は付けられているのを鑑みて、オマケして「中の上」ということで。[^.^](以下、多少踏み込んで書いているが、この程度ならネタバレではない(予告編から推測できる範囲である)と判断する。)

 とあるビーチに閉じこめられた複数の家族が、急加速で歳を取っていく..という、古いSFファンなら懐かしい設定。しかし歳を取っていく理由が「細胞の老化」では、いかにも無茶である。子どもたちは一気に青年に「急成長」してしまっているのである。そしてこの設定で男児と女児がいれば、当然そういうことにもなってしまうわけであり..[;^J^] これは「老化」では説明がつかない。つまり、「SF的な嘘」の水準に達していないので、まぁ「幻想映画」ということになるのかな。

 このように、理屈付けには失敗しているのだが、実はそんなことはどうでもよくって、私が予告編で期待していたのは、「どんどん歳を取っていく/急成長していく/一生が一日で終わるほど時間の流れが加速している」という恐怖の「ビジュアライズ」である。これがどうにもこうにも..[;_ _]「大人は子どもに比べて変化がわかりにくい」..そりゃそうだろうが、それにしても、登場人物ごとに「歳の取り方」のカーブが、バラバラすぎる。なんか、雑である。「ちっとも、怖くない」のだ。これは、致命的。終盤に至って、主役クラスの夫婦が、目が霞んできたり(それにしても、これは「老眼」の視界とは違うと思うのだが)、片方の耳だけが聞こえなくなったり、あるいはかつて離婚寸前にまで至った諍いの記憶を失っていたり(これが一番うまいかな)、という「老い」の「症状」を、うまく物語に絡めているのだが、ちょっと遅かったかな..

 ..と、終盤にさしかかる頃には、ほぼ見捨てていたのだが [;^J^]、ラスト、「そもそもこのビーチの存在理由は何か」「この現象がなんの役に立つのか」..と、視点を切り替えたのは、うまい。このあとの決着の付け方も、まずまず。

 もう、公開は終わっていると思う。ネットだかCS/BS/WOWOWだかで、暇つぶしに観ることを止めはしない。[^.^]

 ..ついでに、読者が映画館で観ることはないだろうから、以下、まったくの蛇足なのであるが..この映画のパンフレットは、買わないことをお薦めする。情報量がまったくない。出演者と関係者のインタビューがひととおり載っているのだが、どいつもこいつも「人生の価値」がどーたらこーたらという戯言(たわごと)ばっか [;^.^]。そういうのは誰かひとりが言えばいいことであって、ほかのやつらはほかの情報を提供しろ! [;^.^]凸 しかも、この物語の「黒幕側」の情報は、呆れるほどに、まったく無いのだ。このパンレットだけを読んでも、これがどういう映画であるのか、想像できないと思う。

 昼食は、久しぶりにらーめん武蔵で、にんにく醤油ラーメン。意外にあっさり。

 湯風景しおりに寄り、野天風呂(の脇のベンチ)で2時間ほど日光浴読書して、まったくなんの意味もなく体を黒くする [;^J^]。しかも現在のところ、体の「前面」が黒くなっているだけなので、大変面白い状況になってしまっているのだが、まぁ別に誰に見せるわけでもないしな。[;^J^]

 佐伯かよの、肺ガンで8月29日に逝去していたとのこと。享年69。早すぎる。合掌..

 月が明るかったので、久々に写真を撮ってみた。明日が満月(&中秋の名月)である。本来は、ちゃんと三脚を立てて撮影するべきなのだが、面倒なので、手持ちで。(← まず、この腐った性根を叩き直すところからだな。[;_ _][;^.^])

 数日前から、台所のシンクの蛇口がちゃんと締まらずにポトンポトンと漏れていたのだが、事態が悪化している。もう、ツツツツツーーー、と、流れ続けている。締めすぎてもパッキンが劣化するだけであるし、試しにちょっときつめに締めてみてもなんの効果もない(ので、すぐに「きつすぎ」の締め付けは解除した)..こちらで打てる手はなさそうだ。明日、朝いちで大家さんに連絡して、業者を呼んでもらわなくては..(幸か不幸か、ほぼ連日テレワークなので、仮に平日に来てもらうことになったとしても、対応が楽である。)

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*2021年09月21日:小望月の写真


 朝、好天ではあるのだが、雲が多い。今後増えていくらしいし、今夜の中秋の名月&満月は、無理かな..

 なんということだ。シンクの蛇口が、ピタッと止まるようになっている [;^J^]。それも、無理にきつめに締めるのではなく、軽く回して、抵抗が感じられたところでそっと止めると、一滴も落ちない。つまり、蛇口としての理想的な状態なのである..いつの間に治ったんだ? [;^.^] ごれでは、業者を呼べないなぁ..ま、様子見だ。[;^J^]

 テレワーク。右脚の状態は、ここのところ快調。確かにときどき違和感はあるし、無理に(たとえば開脚方向に)負荷をかけると(左脚よりは)痛みを感じるのだが、普通に歩く分には(毎朝の15分散歩でモニターしている限りにおいては)問題は感じられない。長時間歩く実験は、できていない。

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 夜には曇天。雲の隙間から見える気配もないので、昨日撮っておいた、十四日目の「小望月(こもちづき)」の写真を、アップしておく。

 500mm、ISO100、f/16、SS1/60。これを手持ちという暴挙のわりには、まずまずである。



 なぜ「暴挙」なのかを、カメラに詳しくない方のために、簡単に説明する。まず、500mmというのは、焦点距離。雑に言うと、できるだけ拡大して大きく撮影したかったので、500mmという「長〜い(ついでに重〜い)」レンズを使ったのである。ISO100というのは、感度。感度を高く(数字を大きく)すればするほど明るく写るが、画質が悪くなる。400ぐらいにして試し撮りしてみたのだが、満足できなかったので、100にした。画質は良くなるが、引き換えに暗く写ることになる。f/16というのは、絞り。詳述は省くが、数字を大きくすればするほど「くっきりと」写る。(大きくし過ぎると逆効果になるが。)16というのは、かなり大きい方である。そして、大きくすればするほど、暗く写ることになる。

 ここまで、「暗く写る」要因が、ふたつも重なっている。小さめのISO値と、大きめのf値である。では、どうすれば(ここに掲載しているような)明るい写真になるか。「シャッター速度を遅くすればいい」のである。長時間、シャッターを開けておくことによって、光がたくさん入るのである。SS1/60(シャッタースピード、60分の1秒)とした。これはわりと長めの時間である。

 つまり、シャッタースピードを長く(遅く)すれば、大概の問題は片づいてしまうのだが(雑だな [;^J^])、ここでひとつ大問題がある。「手ブレ」である。1/1000秒ぐらいだと手ブレする暇もないのだが、光がほとんど入らないので、真っ暗になる。逆に、数秒間もシャッターを開けておけば、明るすぎるほどたっぷりと光が入るが、数秒間もカメラを動かさずに手持ちで固定しておくことなんか、できないでしょ。そこで、三脚の出番となるわけである。

 ひとつの目安として、焦点距離の逆数のシャッター速度ならば、手ブレしないと言われている。今回は、500mmという(かなり長い)焦点距離のレンズを使ったので、1/500秒(あるいはこれ以上小さい数値の)シャッター速度ならば手ブレしないわけであるが、あろうことか、1/60秒。(だってこれ以上シャッター速度を速くしたら、暗すぎるんですもの。[;^.^])目安の10倍である。当然、三脚を立てて固定すべきであったのに、手持ちで..[;^.^][;^.^][;^.^] 面倒がっちゃいかんよ、面倒がっちゃ。

 何枚も撮影したうちの1枚である。「もっとも手ブレの影響が少ない」ものを選んだのだ。三脚に固定していれば、こういうセレクションの手間が省けるんだよな。[;_ _][;^J^] 反省。

 GO:MIXER PRO-X が、届いた [^J^]。早く試用しなくては..

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*2021年09月22日:幻想美術選「地獄へ堕ちる人々」ピーテル・パウル・ルーベンス


 「幻想美術選」、第266回。今回は、けっこうなダメ出しをしております [;^J^]。しかもあろうことか、この大画家に..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

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「地獄へ堕ちる人々」(ピーテル・パウル・ルーベンス、1621年)

 どっひゃー! である。これは凄い! この人数がいっせいに地獄に堕ちるということは、最後の審判なのだろうが、とにかく、これほどの迫力の「集団地獄堕ち図」は、ほとんど記憶にないほどである。その「迫力」の秘密は、この「角度」にある。典型的な地獄堕ち図として、ここではミケランジェロのシスティナ礼拝堂の「最後の審判図」の 画像検索結果 へのリンクを貼っておくに留めるが、違いは一目瞭然だろう。一般に、「地獄堕ちは、垂直降下」なのである。それに対してルーベンスは、崖を斜めになだれ落ちるがごとき構図によって、「落下の恐怖」を、より生々しく描きだすことに成功したのだ! 裸体群像のダイナミックな描写たるや、比類がない! このスピード感を見よ! 奈落の底に果てしなく落ちていく罪人たちの群像の..

 ..ちょっと待て。

 ..本当に、奈落の底への落下なのだろうか..?

 よくみると、下の方で、着地してしまっているようにも見える。もしもここが終着点(地獄)だとすると、空間の広がりはこの画面の枠内におさまっていることになり、スケール感は、かなり目減りしてしまうと言わざるを得ないだろう。少なくとも、「奈落の底への崩落」とは、とても言えない..

 この疑問へのヒント(答え)となる、重要な作品がある。1615〜20年頃に(すなわち、この「地獄へ堕ちる人々」より前に)描かれた、「最終審判(小)」である。

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 ほとんど同じ構図なのだが..あぁぁ、これはいかん! [;_ _] 完全に「着地」してしまっている! [;_ _] 着地したあと、地獄の鬼たちに苛められている裸女たちの豊満な肉体のエロティックな感興たるや、さすがはルーベンスだと 生つば飲み込む 息を呑む迫力であるが、とにかくここは「崖の下」。そしてまずいことに、「崖の上」には、聖人たちに囲まれた神がおわします..つまり崖の上は「天国」なのであり、してみると、天国から地獄までの「距離」は、15メートルから20メートルと言ったところか..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^][;^.^][;^.^]



 冗談めかして書いていると思われるだろうが、私は本気(マジ)だ。この、斜め落下の構図の迫力たるや凄まじいが、全体の空間的スケールの設計は、完全に失敗していると思うのである。

 そして、今回ご紹介している「地獄へ堕ちる人々」であるが、言うまでもなく、どう見ても「最終審判(小)」の別バージョン。つまり、「着地している」のである。そういう構想で描かれているのである..

 しかし、画家がどういうつもりで描こうが、観るものには観るものの自由がある。幸いにして、ここでは「地面」がはっきりとは描かれていない。「底が抜けている」ように、見えないことはないのだ..かくして私は、この「地獄へ堕ちる人々」を観るときはいつも、遠くに見える「山」は無視して(見えないことにして)、この斜め落下群像は、まだまだ下まで落ちている、と、自分に言い聞かせながら観ているのであった..[_ _][;^.^][;^.^][;^.^]

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*2021年09月23日:Kさんの訃報


 祝日だが、私の勤務先は稼働日である。(年末年始や夏に連休を作るなどの理由で祝日を移動することがあるのだ。)そこで、有休を取得した。[^.^](ややこしいな。[;^J^])皆が(会社で、あるいはテレワークで)仕事をしているあいだに、湯風景しおりである [^.^]。これで朝っぱらからビールでも飲めば「朝寝朝酒朝湯が大好きで..」となるのだが(いまどきの人は知らんかな [;^J^])、緊急事態宣言のあいだは酒類は提供されない [;_ _]。コロナ、憎し! [;_ _]凸 まぁともかく、かなり焼けて剥けた [^.^]。なんの役にも立たない(どころか不健康な悪徳である)のだがな! [;^.^]

 食事処でひと休みしていたら、Tさんから連絡。Kさんの訃報である。詳細は(もちろん)ここには書かないが、独り暮らしが裏目に出たのかなぁ..享年63。なんと、同い年であったか..人ごとどころではない。

 私も、これまでも、いまも、そして死ぬまで、独り暮らしなのである。何かあったときに、自力で判断して自力で救急車を呼べる自信はない。iPhone に「全国版救急受信アプリ Q助」をインストールしてあるが、これは、目の前で倒れていたり苦しんでいたり、あるいは異状を訴えたりしている人の症状を選択していって、救急車を呼ぶべきか否かを判断するアプリであって、自分が倒れたときには、間違いなく、役に立たない..七転八倒していたりあるいは意識を失っていたりしたら、アプリの操作なんかできないでしょ。

 室内の熱源が一定時間動かなければ119番発信する装置を設置するぐらいか..(あるよね? そういうの。)

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*2021年09月24日:実はSF


 たとえば、某テレビ番組。いま、彼氏とふたりで温泉に来ているのに、「今日は、温泉旅行に連れていってくれて、ありがとう」..

 たとえば、倉田真由美の「だめんず・うぉ〜か〜」のとあるエピソード。現在、取材でホストクラブに来ているのに、「もう二度と、ホストクラブに行くことなんか、ないと思っていたよ」..

 こんな例は、いくらでもある。おかしいとは思わないのだろうか?

 この言葉を発した彼女らは、観念的に、複数の場所に存在しているとしか解釈ができない。(来ている彼女と、行く彼女。)それは、「瞬間移動」ですら、ない。なぜなら「瞬間」は、概念として「時間差」を含むからだ。(たとえそれが「ゼロ」であろうとも。)

 彼女らは、出発地点と到着地点の両方に、同時に存在する。それはもはや、量子力学的な状態とすら言えよう。そういう概念世界に住んでいる彼女らの「世界認識」は、おそらく私(我々)とは、まったく異なっているのだろう。

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*2021年09月25日:さらに無駄に焼ける [;^.^]


 明るい曇天。すぐに快晴。富田整形外科 → 高丘のアマノ書店 → 湯風景しおりで日光浴読書。

 裏側(背中側)も焼いて(まだ焼き足りなくはあるが)これでなんとか辻褄があった。(なんのために? [;^.^])

 昼食は、浜田山でつけ麺。

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*2021年09月26日:幸せ二題


 曇天。じきに雨。ローソンでチケット引き取り。展覧会のチケットである。9月いっぱいで緊急事態は解除されると踏んで、10月上旬に二泊三日の展覧会行脚(京都、名古屋、東京)を組んでいるのだ。考えるまでもなく、これが私の日常だったのだ。当たり前にできていたことが当たり前にできることが、本当に嬉しく、幸せである。

 もうひとつの幸せは、脚の状態についてである。(以下、脚に疾患を抱えていて、それが当面治る見込みがない人にとっては、読むのが辛い内容かもしれないので、その場合は、どうか読み飛ばしてください。[_ _])

 ほぼ全快に近い。もちろん、まだまだ油断はできない。なぜなら、鎮痛剤をまだ飲んでいるからである。しかしこのまま真面目に筋トレとストレッチを続ければ、かなり近い将来、薬の服用の必要もなくなるのではないかと期待できる。

 なんの痛みもなく歩けるのが嬉しい。今は、とにかく歩きたい。できれば一日中歩いていたいぐらいの心持ち(ウキウキ感)なのであるが、平日は仕事があるし、休日は休日で自宅でやらなければならないことも多いので、そうもいかないのが、もどかしくて仕方がない。

 当たり前にできていたことが当たり前にできることが、本当に嬉しく、幸せなのである。

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 フェイスブックへの私の投稿に、またまた来たぞ、この類のコメント。[^.^](これはスクショのjpgなので、安全です。[^J^])それにしても、このクオリティの日本語で騙せると思っている犯罪者グループ(まぁ実際には、単に日本語の評価能力が無いだけだろうが)、そしてクオリティを気にすることなく、なにかいいことがありそうだとクリックしてしまう被害者グループの双方の馬鹿さ加減が、なんとも見ていて微笑ましく思えてしまうのが、正直なところ [^J^]。この心持ちもまた、「幸せ」と言えるのかしら。[^.^]



 (..それにしても、月曜日にも来てたんだよな。今週号のフレームになってしまったではないか、こんなのが。[;^.^]凸)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 30 2021
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