*2021年04月26日:久々に出勤
*2021年04月27日:幻想美術選「The Crystal Man」ヴァージル・フィンレイ
*2021年04月28日:よくあることだが [;^.^]凸
*2021年04月29日:庵野秀明の特番×2
*2021年04月30日:レンズを作り直す
*2021年05月01日:軽く迷走 [^.^]
*2021年05月02日:「月世界への旅」
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*2021年04月26日:久々に出勤


 ..といっても、先週いっぱいテレワークだったというだけで。前後の土日と有休と合わせて、中10日。世間には、連続して何週間も何ヶ月も(あるいは無期で)服役 テレワークしている方々も多いのだから、およそ比較にならない水準である..

 ..ま、要するに、苦手でしてね、テレワークが [;_ _][;^J^]。日本的コンサバと言われればそのとおりだが、私は、出社して(場所を切り換えて)仕事をする方が、捗るのだ。それはひとつには、自宅内のフリースペースが本当に限られており、坐る場所が事実上一箇所しかない、ということも原因だろう。気持ちの切り換えが難しいのだ。専用の仕事部屋は無理でも、せめて仕事コーナーでも作れれば、全然違うかもしれないのだが。

 また、「出社する方がいい」というのは、通勤が楽だという立場だから言えることでもあろう。(片道、自動車で30分、自転車でも45分。)「通勤地獄」な人々にとっては、あるいはテレワークは福音、出社こそ「服役」だったのかもしれませんしね。(← 「福音」と「服役」で頭韻、さらに、「福音」と「頭韻」で脚韻も踏んでおります(← やかましいっ [;^.^]))

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*2021年04月27日:幻想美術選「The Crystal Man」ヴァージル・フィンレイ


 「幻想美術選」、第245回。この画家は、「第46回:イシュタルの船」以来、およそ4年ぶり、199回ぶり2回目の登場となる。(もう1回待てば、きりが良かったのに..[;^.^])ご紹介したい作品がたくさんあるのにこんなに間を空けてしまったのは、スケジューリングの失敗である。[;_ _][;^J^]

Picture

「The Crystal Man」(ヴァージル・フィンレイ、1966年)

 Virgil Finlay(1914〜1971、Wikipedia)の蠱惑的な世界については、問答無用。知らない人は、画像検索結果 を必ずクリックすること。今回ご紹介する作品は、J・G・バラード(1930〜2009、Wikipedia)の「The Crystal Man」という小説の挿画らしいのだが、私は未読である..というより、そもそもこの小説の正体がわからない。バラードで「Crystal」と来れば、もちろん「結晶世界」(Wikipedia(英文))なのであるが、これは「The Crystal World」である。ほかには、タイトルに「Crystal」を含む長編はない。「J・G・バラード短編全集」(全5巻、東京創元社)にも、原題が「The Crystal Man」である短篇は収録されていない。邦訳の段階で省略された可能性もなくはないので、原著「The Complete Short Sories of J.G.Ballard」の収録作品を(Wikipedia ではあるが)調べたが、やはり収録されてはいない(Wikipedia)。

 軽く深追いしてみたところ、「The Crystal World」の挿画が画集に収録されるに際して、(複数のライターによる複数の画集で)「The Crystal Man」と誤記されている、という情報があった。ソースはひとつであるし、そんなことあるかいな(眉唾だな)と思ったのだが..「J・G・バラード短編全集」にも収録されている「光り輝く男」(The Illuminated Man)という、「結晶世界」の原型となった短篇があるのだ。このタイトルに引っ張られて、「The Crystal World」→「The Crystal Man」と、やらかしてしまったという可能性は、低くないような気がしてきた。

 このように手間暇をかけて調べたのも、この「挿画」が、あまりにも素晴らしすぎるからである。まさに言語を絶する..もしもこれが「結晶世界」であるのならば、この結晶化しつつある男は、主人公のサンダーズ博士なのであろうか。この女のイメージは、彼の愛人、ルイーズなのであろうか..

 ..いや、そのような詮索は、無用だろう。これは小説の1シーンというよりはイメージボードのようなものであり、さらにいえば、「結晶世界」から離れて自立した作品として、結晶化しつつある世界と宇宙を、まさに凍りつくような線とドットで、2次元世界に永遠に定着させているのだから..

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*2021年04月28日:よくあることだが [;^.^]凸


 早朝、会社にて、わたし用の業務用PCのIME(かな漢字変換)が、挙動不審。スペースを2回叩いて、第2候補まで表示された時点で、もうそれ以上、候補が出なくなる。リストも出ない。どう操作しても、これ以外の漢字を選択できない。事実上、文章を書けない。こういう事情なので報告書を書けないという言い訳の文章(メッセージ)を書くこともできない [;_ _]。言い訳すら書けないという言い訳を書くことも(反復はここまでとします。[_ _][;^.^])..ま、いざとなりゃ iPhone で書くこともできるのだが。

 修復方法を iPhone でぐぐりつつ(この始末なのでPCでぐぐるのが面倒なのである [;_ _])、いろいろトライしても治らない。いささか焦ったが、最後の手段で再起動したら、あっさり解消 [;_ _]凸。あのな [;_ _]凸。しまいにゃ最初の手段にするぞ。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]凸

 とにかく、こんなもんに付き合ってる暇はない。深追いせずに仕事を続行。

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*2021年04月29日:庵野秀明の特番×2


 朝から大雨。昼前にはいったん上がるも、結局夕方まで降ったりやんだり。

 昼食は、佐鳴台のはやたろう。そのあと自宅に直帰せず、雨の中を軽くドライブ。ホワイトストリートを南下して旧雄踏街道を西へ。志都呂イオンの交差点で浜松環状線に入って北上。そのまま浜松市内を時計回りに回って65号、152号、柳通と一周して、帰宅する。

 言うまでもなく、まったくなんの意味もない [;^J^]。時間とガソリンの無駄遣いであるが、まぁ、この状況に起因するストレスの発散には(いくらかは)なっているのだろうから、まるまる無意味ということもないか。

 庵野秀明の特番の録画を2本、見る。

*プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル(2021/03/22)
*BS1スペシャル さようなら全てのエヴァンゲリオン〜庵野秀明の1214日〜(2021/04/29)

 「仕事の流儀」は3月に録画したまま、視ていなかった。「シン・エヴァンゲリオン」のネタバレがあるとは思わなかったものの、まぁ、先にそちらを観ておくべきだろうと判断したからである。で、映画も観たのでそろそろ視ようかな、と思っていたところ、「仕事の流儀」の「拡大版」の「BS1スペシャル」が、放映されたのである。ということは、「BS1スペシャル」だけ視ればいいのかとも思ったが、せっかく録画したのにもったいないので [;_ _][;^.^]、両方視たのであった。

 ..正解 [;^J^]。同じ素材なのに編集が違うために、まったく..とまでは言わないにしても、非常に異なる印象を受ける。それぞれに大変、見応えがある「ドキュメンタリー」だと思う。(庵野秀明自身は、BS1スペシャルで、ドキュメンタリーは存在しない、ドキュメンタリーという名のフィクションだ、と言っているが。)時間がないのでどちらか一方だけ、ということなら、BS1スペシャルバージョンだけを視ることをお薦めする。

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*2021年04月30日:レンズを作り直す


 いくらなんでも、このメガネ、おかしすぎる [;_ _]。とにかく、左眼と右眼の焦点距離が明らかに違うのだ。非常に疲れる。非常に疲れる。非常に疲れるのである..[;_ _][;_ _][;_ _]凸 ここ数ヶ月のことだ。それまでは、ここまでのことはなかったのだ。眼の状態が変わってきた(度が進んできた?)のかな。

 というわけで、テレワーク後、車で「メガネのアイ 浜松店」へ。海谷眼科で白内障の手術をして以来、メガネの作成・メンテをしてもらっている眼鏡屋である。改めて測定してもらい、レンズを作り直す。受け取りはGW後となる。これで解決(あるいは軽減)できればいいのだが。

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*2021年05月01日:軽く迷走 [^.^]


 昨日Aさんから届いた、T氏関連書籍に掲載するリストのゲラをチェックして、返信する..情報公開されたことでもあるし、面倒なので実名報道に切り換えよう [;^J^]、「総特集 高橋葉介 大増補新版 ―『夢幻紳士』40周年記念― (文藝別冊)」(2021/6/11 発売)のことである。私が執筆しているのは、

*徹底研究「夢幻魔実也と“女たち" 」
*徹底研究「夢幻魔実也と“怪物たち" 」
*キャラクター事典44
*全305作品リスト

 今回の大増補版に新規に書き下ろしたのは、「夢幻魔実也と“怪物たち" 」。「キャラクター事典44」「全305作品リスト」は、追記・改訂した。ちなみに、何度も図書館に足を運んで調べているのは、(まだ情報公開されていない)別の企画の案件である。

 雨になるらしいので、11:00頃にドライブに出る。(雨の中のドライブが好きなのである。面倒なので理由の説明は省く。[;^J^])11:30、浜菜坊。ここのしらすは美味い。12:30に出て、いつもとは逆に、浜名湖を時計回りに一周して帰宅しようとしたのだが、新居関所を過ぎてから、しばらく(例によって、あえて知らない道を適当に選んで)走っていたら、また新居関所 [;^J^]。いつのまにか逆時計回りに走っていたのである [;^.^]。「太陽が見えない天候下で方向を見失う」のは、エラリー・クイーンの某代表作の有名な大トリックの前提条件なのであることよ、と、転んでもただでは起きずに自分勝手に盛り上がりつつ [;^.^]、さらに適当に迷走してから、帰宅。

 残念ながら、雨は時々降るだけであった。

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*2021年05月02日:「月世界への旅」


 月世界への旅」(Marjorie Hope Nicolson、1948、高山宏訳、国書刊行会、世界幻想文学大系)、読了。17世紀から19世紀いっぱいにかけての月旅行文学、宇宙旅行文学を網羅的に論じ尽くした名著であり、まことに、まことに面白い。終章では20世紀の作品も多少取りあげてはいるのだが、これはおまけに近い。また、1948年の刊行であるので、いわゆる現代SF以前である。パルプ雑誌や漫画への言及は、ある。

 以下、引用しつつ、ざっと紹介する。

 「今までわれわれが眺めてきた古い物語にわたしが確認するようなものとはどうやら全然異なったものであるらしい文学ジャンルが、一体何故出現したのか、その真の理由が理解したければ、どうしても文学から科学へと目を転じる必要があるのだ」(51頁)。

 「私見によれば、新しい文学ジャンルの真の原因は、17世紀初めの「ニュー・アストロノミー(新天文学)」にこそあったのである」(52頁)。「英国で書かれた真に「超自然的な」宇宙旅行の最後のものが、このミルトンのセイタン(悪魔)の旅なのである」(106頁)。「シラノの航星譚は、宇宙旅行に対してなされた17世紀最高のパロディなのである。ソレルが古い空想譚の世界に遡ったのに対して、シラノは科学という新しい地盤にしっかりと足をすえていた」(252頁)。

 ニコルソンが宇宙旅行文学史上特筆大書しているのが、実は「ガリヴァー旅行記」なのである。「『ガリヴァ旅行記』全編の中で、「ラピュータ渡航記」ほど取材源に完璧に依拠している部分は他にないのである」(293頁)。「「空飛ぶ島」の「教訓」が何であるにせよ、月世界旅行と飛行機械の伝統に占めるその抜きんでた位置には疑いがない。(中略)スウィフトの空飛ぶ車は(中略)文学と疑似科学双方の歴史の中でも、他に類をみぬものである。(中略)地球の磁性の原理によってみごとに動く最初にして最後の飛行機械(後略)」(300頁)。

 著者が基本的には19世紀で筆を止めた理由が、以下である。「ところで、モンゴルフィエ、ルナルディ、シャルル、プランシャールその他による気球は一つの始まりを象徴するとともに、試行錯誤と推測、たまさかの妙案などが彩る長い時代の終りを意味しているのである。それらは、或る特殊な文学形式の終焉を意味している。なるほど宇宙旅行譚は続いていくことだろうが、気球の発明後、私の見るところ、もっと貧困で、新奇さにも欠けた何かに変容していくのである。科学が空想を制覇してしまったのだ」(307頁)。「私のみるところ、ヴォルテールの『ミクロメガス』は、すべての宇宙旅行を終らせるための宇宙旅行なのであった」(337頁)。そして、「不思議の国のアリス」でしめくくるのである(353頁)。「われわれの近代的科学の時代になっても、宇宙旅行譚はなお盛んは盛んであるが、これら初期のロマンスの精髄であった何かが消滅してしまった。その「何か」とは、私流に言うなら、「魅了(enchantment)」体験なのに他ならない」(361頁)。

 著者は終章で、ヴェルヌ、ウェルズ、及び現代的発明の進歩のおかげでテクノロジカルになっていった宇宙旅行譚は「パルプ雑誌と漫画を舞台に大いに繁栄してきている」し、著者の学生たちの渉猟のお陰でそれらについていけてはいるのだが、それらの語法や視点は理解が及ばない、心の底からはなじめない、おそらく私は古い物語とともに長生きしすぎてしまったのだろう、これらの新しい物語たちを分析・研究する特権は、学生たちの世代に喜んで譲ろう、と述べている。研究者としてまことに誠実な表明であり、感動的である。

 繰り返すが、彼女による「現代宇宙旅行譚」の旅は、1948年の刊行という時代的制約故に「パルプ雑誌」どまりであり、それ以降の現代SFの精髄群には届いていないのであるが、しかし想像力の「質」という意味では、彼女が本書を執筆した時代と、あまり変わっていない(あるいは、彼女の好みではない方向に、ますます進んでいる)と言えるかも知れない。

 最後に、387頁から引用しておく。「今まで私が論じてきたようなタイプの想像力が私の時代にはもう完全に喪われてしまったのだと思って絶望し切っていた折りも折り、1冊の小説が現われて私の絶望をあっさり払拭してくれたのである。それはまさに現代の惑星間旅行譚で、その作者は過去のどの巨匠と比べても遜色のない人物である。私はC・S・ルイスの『沈黙の惑星より(Out of the Silent Planet)』(1938)を再読三読した。(中略)私のみるところ、すべての宇宙旅行譚中、最も美しく、或る点では最も感動的な傑作ではなかろうか、と思う」

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 6 2020
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