*2020年01月13日:掛川花鳥園/テラリウム
*2020年01月14日:加藤理沙が正しい [^.^]
*2020年01月15日:幻想美術選「真夜中、紋章の時間」トワイヤン
*2020年01月16日:自転車通勤再開への布石
*2020年01月17日:自転車通勤再開は先送り
*2020年01月18日:雪の箱根/ポーラ美術館
*2020年01月19日:横浜で会食
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*2020年01月13日:掛川花鳥園/テラリウム


 7:50に出て、8:30過ぎに掛川花鳥園に着く。開園は9:00なので、しばらくカーステレオと読書で時間調整をする。

 今日も「Velvet 56」でトライするが..鳥はなかなか難しい。マニュアルフォーカスだから動いている鳥にピントを合わせづらい、という次元の問題とは別に、単純に「絵」になりにくいのだ。どうも、「鳥」という素材と「ソフトフォーカス」は、相性が悪いように思われる。

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 このコガネメキシコインコは、まだマシな方である。ピントは合わせながら(前述のように、これがなかなか難しいのだが)、ソフトフォーカスの光でくるむ、というパターンは、使えそうだ。

 白孔雀の白を背景の光に溶かし込むというのも、アリだろう。ただ、ここでは白孔雀のいる部屋の背景が、いまひとつ散文的で、フォトジェニックでないのである。[;^J^]

 諦めて、鳥については、まともな 普通の [;^.^] ズームレンズ。ヘビクイワシの新人(2019年6月生まれ、11月に掛川花鳥園にやってきたばかりで、名前はまだない)は、いまだケージの中で待機中。鳥類最高の美形、と呼ばれるのも伊達ではない。不細工な男に抱かれるぐらいならヘビクイワシの方が..という女子もいるのではないか(← をぃ。[;^.^])



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 ..でもって、Velvet56 では、結局こうなる [;^J^]。このぐるぐるソフトフォーカスは、花によく似あうのである。[;^J^]



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 ただし、こればかりやっていると、いろいろな意味で「ダメ」になってしまう(いけないクスリみたいなものである [;_ _][;^.^])ので、要注意だ。右端の写真では、しっかり、マネの真似(まね)をして失敗してるし(すみません言ってみたかっただけなんです..[;_ _][;^.^])



 お土産に、テラリウムをひとつ買って帰る。さまざまな種類の苔を透明な球体の中に配置して叢(くさむら)や木々や花に見立てる、箱庭的な趣向のもの。

 そもそも私は、生き物を飼っていない。世話に手が回らないからである。熱帯魚の水槽もないし、アパートにベランダがないので鉢植えを置いてもいない。こんな生活を30年以上も続けているから、魂がカラッカラに乾いてしまったのかどうかは知らないが [;^J^]、なにがしかの「潤い」が欲しいとは思っていたのである。

 苔のテラリウムとは、なんとも手頃ではないか。月に一度、霧吹きで水分を補給すればいいだけだし、直射日光には、むしろ当てるなとのこと。もちろん、いつかは枯れるのだが、1年以上は楽しませてくれるだろうし、マクロ撮影の練習素材になってくれるかも知れない。

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*2020年01月14日:加藤理沙が正しい [^.^]


 「元夫に、3ヶ月間で1億以上を使わせた。そしたら向こうの経営が傾いちゃって。そんなもんで傾く男いらないでしょ」..いい感じに炎上している香ばしい燃料であるが [^.^]、私はこの場合、加藤理沙の判断が正しいと思うぞ。[^.^]

 自分の会社の「経営が傾いた」時点で、アウトである。最悪、犯罪(横領)に手を染めている可能性があるし、仮に法的には問題なかったとしても、経営者失格。こんな男に 寄生する 人生を預けるべきではない。

 まぁ、そもそも論として、彼女と結婚したいと考えるような男と結婚した時点でダメではないかと思えるのだが、彼女の人となりを知っているわけではないので、ここは掘り下げないでおきましょう。

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*2020年01月15日:幻想美術選「真夜中、紋章の時間」トワイヤン


 「幻想美術選」、第179回。私が愛してやまないこの画家の、この作品をご紹介できる日が来て良かった!

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「真夜中、紋章の時間」(トワイヤン、1961年)

 Toyen(1902〜1980、Wikipedia)は、東欧出身のシュルレアリストである。彼女の作品としては、「眠る女」や「ラコストの城にて」がわりとよく知られているのではないかと思うが(その他の作品については 画像検索結果 を参照のこと)、なかでも、私がもっとも溺愛しているのが、この、「真夜中、紋章の時間」である! 半世紀近く前、確か高校の図書室の雑誌コーナーにて、美術雑誌の中でこの作品を見たときの衝撃は、いまも記憶に鮮やかである!

 なによりもまず、そのタイトルがクールである!(何か(文学的な)出典がありそうだが、詳らかにしない。)そして、この、フォルムの配置ときたら!

 ここは魔界の舞台だろうか..下手(しもて)には、白く消えゆきつつ(あるいは出現しつつ)無音で咆吼している「獅子」..上手(かみて)には、蹲(うずくま)る「獅子」..奥の方には謎めいた、どこか類人猿の血が混じっているような、黒い顔の白い「獣」..どこともわからぬ、神秘的な舞台(あるいは部屋)に集う「魔獣」たち..そしてこの不吉な、暗く沈んだ赤い「もの」は、いったい、なんだ..この「舞台」からの「出口」なのか、あるいはなにか得体の知れない(漂う)生物のようにも見えるが..

 まさに、魔術の夜だ!

 まさに、魔術の時間だ!

 これこそが、「魔術的絵画」なのだ!

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*2020年01月16日:自転車通勤再開への布石


 上司と別件で面談した折に、自転車通勤を再開したい旨申し入れて、許可をいただいた。(実のところ、許可は不要なのだが、かつて、当時の上司に「(自転車通勤は)遠慮してもらえまいか」と言われた経緯があるので、いちおう、筋を通したのである。)

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*2020年01月17日:自転車通勤再開は先送り


 というわけで、今日から再開する予定だったのだが、天気予報によると、午後から雨である [;^J^]。問題なく、先送りとする。今さらアスリートを目指すわけではないし、根性を鍛えるつもりもさらさらない [;^.^]。ただ単に、体調を整えたい(いろいろ発生している不備を直したい/悪い数字を元に戻したい)だけなのであるから。

 午後からは、予報どおりに雨。

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*2020年01月18日:雪の箱根/ポーラ美術館


 今朝6:00には、微妙な空模様だが雨が上がっていた。バスで浜松駅へ。少しポツポツ..すき家で朝食。

 7:32のこだまで、8:45、小田原。やはりポツポツ。8:55発の桃源台行きの箱根登山バスに乗り、仙境楼前で乗り換えてポーラ美術館前のバス停に向かうのだが..

 完全に甘く見ていたのだが、小田原駅付近ではポツポツ程度の雨だったのだが、箱根の山を登り始めると、霙(みぞれ)になった。「なるほど、山の中は気温が低いからな」などと、まだ認識が甘すぎる [;^J^]。ほどなく本格的な雪となり、道の周囲の林は、白一色の雪景色 [;^.^]。ほとんど東山魁夷の世界である。[;^.^]

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 9:50に ポーラ美術館 前のバス停に着いたときには、このありさま [;^J^]。嬉しくなって10分ほど撮影してから、美術館内へ。右写真は、エントランスからガラス越しに屋外のキツネのオブジェたち。



 「シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」」(〜4月5日(日)まで)である。

 (世界でも日本にしか存在しない)「シュール」なる概念/言葉は、本来の「超現実主義」から(無関係とまでは言わないが)大きく逸脱した概念である、ということを明示している展覧会であり、まさに我が意を得たりである。図録から、何か所か引用しよう。

 「概して日本では、シュルレアリスムの成立にかかわる反・理性、反・文明、反戦、反ファシズムの思想が浸透しませんでした。原因は明治以来の社会そのものでしょう。とくに第一次世界大戦という大惨禍が、文明と理性への反省や価値転換の契機になったこと。日本も参戦しましたが被害は少なく、戦勝国となってアジア圏の旧ドイツ植民地を獲得し、かえって経済的にゆたかになったからです」(12頁)。

 「明治時代から急速に近代化を進め、第一次世界大戦では戦勝国の一員となった日本では、反抗すべき近代性がまだ成熟しておらず、本来的なシュルレアリスムはほとんど定着しませんでした。また、1930年代に瀧口や福沢など多くの批評家や画家たちがシュルレアリスムの思想を「俳諧」や「禅」という日本文化や東洋思想と関連づけています。当時の検閲を逃れる目的があったにせよ、日本にまだ残る前近代的な思考こそがシュルレアリスムの反近代性と共鳴すると考えたのでしょう。晩年の北脇の探求にみるように、日本における「超現実主義」とは、フランスにおけるシュルレアリスムに日本的な要素を付加して展開した独自の潮流といえます」(116頁)。

 「シュルレアリスムの国際化は日本にもおよびました。昭和初期に「超現実主義」という訳語が主流になる一方で、英語式の「シュール・リアリズム」などのカタカナ表記もおこなわれ、日本にしかない「シュール」という略語らしきものまで登場します。原語の発音に近い「シュルレアリスム」が正式表記として定着しだすのは、じつは最近になってからのことです。(中略)「シュール」は略語のようですが、超現実主義の「超」だけをとっていて、いまでは「現実ばなれ」のような意味で使われています。この場合、「超」には「超脱」よりも「極度」のニュアンスがあることも、シュルレアリスムがじつは現実を直視する運動であったことも、忘れられてしまいがちです。実際に日本では、現実から夢や幻想に逃避する一種の芸術至上主義のことを「シュール」と呼ぶ傾向もあったのです」(11頁)。

 「運動のひろがりのなかでブルトンが追い求めた反理性、反近代性という目的は希薄になり、絵画表現の奇抜さばかりが注目され、シュルレアリスムは現実を離れた「幻想的絵画」だと見なされる現象も生じました。この誤解と歪曲の結果として生まれたのが「超現実主義」として1930年代の日本で流行した絵画様式であり、本来の目的である「現実」を言葉の外に追いやってしまった「シュール」という感覚です。これらの変化はなぜ生じたのか、また本来のシュルレアリスムとはどのように異なるのでしょうか」(14頁)。

 ..だから「日本の「シュール」」はダメだ、と言っているのではなく、そこにはどういう意味があったのか、今後の展望はどうなのかを探る、展覧会なのである。

 ついでにひとこと。「幻想美術選」には多くのシュルレアリスト、「シュルレアリスム絵画」が含まれているが、これは、「シュルレアリスム美術は幻想美術の一分野である」という意図では「なく」、「幻想美術という概念/視点は、シュルレアリスムの絵画表現/美術表現をも、その対象とし得る」、という立場(思想)なのである。

 以下、いくつかピックアップしてご紹介するが、この展覧会で展示されている作品が、全て国内の美術館から集められているという点も、指摘しておこう。(これには、明るい面/誇らしい面と、暗い面/困った面の両方があるのだが、さすがに今日は、これ以上掘り下げている紙幅はない。)

 「Chapter 1 シュルレアリスムの誕生 ― 1920年代、復興と閉塞から」

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 ここは定番。ジョルジョ・デ・キリコのほか、マックス・エルンストの(左から)「博物誌」「百頭女」「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」「慈善週間または七大元素」からの抜粋など。



 「Chapter 2 超現実に振れる ― エルンストとダリ、物質とイメージをめぐる絵画」

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 まず、サルバドール・ダリ。「幽霊と幻影」(左)は、彼の諸作品中でも、私が特に愛好するパターン。「パッラーディオのタリア柱廊」(中央)は、観たことのない人が多いかな? この蠢くようなざわざわ感。「ビキニの3つのスフィンクス」(右)の寓意は、言うまでもあるまい。



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 ルネ・マグリットの「生命線」(左)と「前兆」(中央)は、彼の作品の中でも、もっともよく知られたタイプだろう。この章には、岡本太郎も含まれている。(「赤い兎」(右))



 「Chapter 3 「シュール」なるもの ― 1930年代、日本における超現実主義」

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 この展覧会で問題としている、「日本の“シュール”」たち。いずれも「絵画表現」としては、なかなかいいのである。左から、古賀春江の「サーカスの景」、三好好太郎の「雲の上を飛ぶ蝶」、杉全直の「跛行」



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 左から、靉光の「鳥」、北脇昇の「独活」。同じく北脇昇の「春に合掌す」を観ると、確かにこの感覚は、フランスの(欧米の)「シュルレアリスム」には無いことに、改めて気づかされる。



 「Chapter 4 「シュール」その後 ― 吉原治良・瑛九・岡上淑子など」。束芋の「dolefullhouse」(ビデオ作品)については、YouTube に、三分の一ほどの抜粋がアップされている。また、この章では、漫画作品として「ネジ式」(つげ義春)。また、日本の特撮映画界(「身近なものを組み合わせ、あるいは変形させて、まったく異なるスケールのものと組み合わせる方法は、コラージュの異種混合の実験が導く新たなイメージの創出に通じています」)を代表して、成田亨のスケッチ(ウルトラマンの初稿、ブルトン、ダダ)も展示されている。

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 館内のレストランで昼食。「森の遊歩道」に撮影に行こうとしたら、閉鎖されていた。[/_;](右写真の歩道の先、除雪具をもったおじさんがいるあたりを左に曲がると、遊歩道への入口があるのであるが、がっつり施錠。[/_;])こんなことなら、10:00に美術館に着いた時点で、展覧会は後回しにして先に遊歩道の散策/撮影に向かうべきだった、と、臍を噛まないでもなかったが、まぁ、10時の時点で、閉鎖されていたのであろう [;^J^]。なにしろ、ご覧のとおり、車道と歩道の区別がつかない積雪。林の中の遊歩道の「道」など見えるわけがなく、踏み外して斜面から滑落 → プチ遭難する馬鹿どもの続発を未然に封ずる、美術館のファインプレーなのであろう。[;^.^]



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 というわけで、これらは遊歩道の外側の駐車場近辺から林を狙った写真である。



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  最初のうちは普通のズームレンズで撮っていたのだが、すぐに Velvet56 にチェンジ。ご覧のとおり、絞ると普通に撮れるのだが、開放気味にすると、あ〜ら大変! 普通に降っている雪が、たちまち渦巻く猛吹雪に![^.^][^.^][^.^]



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 館内に戻って、エントランスからキツネたちを、改めて撮る。



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 ミュージアムショップの窓から。照明が多少写り込んでいる。また、ご覧のとおり、絞りを操作すると、ホワイトバランスが著しく変わる。なかなかのクセモノである、この Velvet 56 は。[^.^]



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 そろそろ引き上げ時である。バス停にて、さらに撮影。



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 まったく、麻薬のようなレンズである..[;_ _][;^.^]



 13:53、ポーラ美術館前のバス停からバスで発ち、14:08、強羅駅着。14:20発の、箱根湯本直行の代行バスで、下界に戻った。

 17:00、横浜・鶴ヶ峰の家。少し休んでから、徒歩10分もかからない竜泉寺の湯に着いたのが、18:00頃だったかな。ひと風呂あびたあと、食堂で飲みながら、「チャンネルはそのまま!」(佐々木倫子)を読み耽る。

 22:25に出て、10分後に帰宅。結局、終日寒い(下界は)雨の1日であった。

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*2020年01月19日:横浜で会食


 快晴。風は寒いが、陽光が暖かい。

 鶴ヶ峰の家の前のバス停から、10:31のバス。鶴ヶ峰駅から相鉄線で横浜へ。(いつの間にやら、新宿に直行できるようになっている。そのうち機会があれば、利用してみよう。)りそな銀行で金を下ろしてから、スカイビルへ。29Fのミクニヨコハマ。12:00から、親族の会食である。

 フランス料理である。大体、こういうコース料理というのは量が足りなめなものなのだが、今回は珍しく、量が多いと思った [;^.^]。大変、結構である。

 14:00頃にお開き。新横浜を14:25に発つこだまで、16:20、浜松。17:05、帰宅。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 23 2020
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