*2018年09月17日:幻想美術選「街の本 動坂」谷中安規
*2018年09月18日:中野サンプラザ取り壊し決定
*2018年09月19日:タイトル不明の恐怖映画
*2018年09月20日:無駄な徒労感 [;^J^]
*2018年09月21日:結局なまる [;_ _]
*2018年09月22日:ポーラ美術館/岡田美術館
*2018年09月23日:墓のメンテ/国立西洋美術館/高円寺
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*2018年09月17日:幻想美術選「街の本 動坂」谷中安規


 「幻想美術選」の第132回。知る人ぞ知る、あまりにも個性的な日本人画家を、ご紹介しよう。

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「街の本 動坂」(谷中安規、1933年)

 谷中安規(1897〜1946)については、Wikipediaの情報も乏しい。まずは、画像検索結果を見ていただこう。

 彼は本当の奇人であり、若い頃から定住せずに放浪を繰り返し、奇行のエピソードにも事欠かない。しかしながら、創作に関しては誠実であり、その才能は本物であった。日夏耿之介、内田百閨A佐藤春夫、恩地孝四郎、棟方志功ら、谷中の理解者・支持者たちの顔ぶれたるや、錚々たるものである。また、奇行を繰り返しながらも愛されるキャラクターの持ち主だったらしく、心暖まる交流エピソードも少なくない。

 最初期のエロ・グロ的な作風から、次第に映画のモチーフも取り入れるなど、都会的なセンスをまとうようになり、しかしそれは土着的な感覚をも合わせ持つものであり、やがてこの世から次第に遊離して、ある意味天国的な世界を垣間見せるようになる。

 この「街の本」シリーズは、「都会的センス」の時代の作品であるが..どうであろうか。この、夜の魅力! 闇の魔力! さほど広い道幅でもなさそうなこの下り坂は、しかしいかにもスッキリとしており、日本家屋が並んでいるとはいえ、簡潔に描写された街灯の並びと、何よりも一番手前の左側にコンクリート造り?の洋風建築があるところから、明らかにハイカラな印象を受ける。言うまでもなくポイントは右手前のショーウィンドウで、その明るい「光」と、鷲か鷹の剥製の「黒」が、互いを強調しあい、この「夜の街角」に、強烈な誘因力を放っている。

 そしてなんといっても異様なのが、巨大すぎる「月」と、その前に浮かび上がる「寺塔」である。夢の中でしか存在しえない情景..その闇と光..しかしこの「月」は、「洞窟の出口」にも見える瞬間があり、そのとき、この街を覆う闇の(空間の)意味が、逆転する..この蠱惑的な「幻想の街」は、いったい、どこに存在するのであろうか..

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*2018年09月18日:中野サンプラザ取り壊し決定


 中野サンプラザの取り壊しが決定したそうである。理由はもちろん、老朽化。まぁ..中野ブロードウェイが残ればいいや。[;^J^](あれも、あと何年もつのか(お目こぼしいただけるのか)非常に疑問ではありますが。[;^.^])

 今週末、土日月の三連休の予定表を作る。展覧会行脚以外に、墓のメンテの立ち会いも決定したので、微調整する。23日(日)の夜、都内で時間が空くことが確定したので、友人たちに飲みの勧誘を発信する。

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*2018年09月19日:タイトル不明の恐怖映画


 約7年前の日記を、ほぼそのまま再利用する。今夜のネタがなかったからではなく [;^J^](それもあるが [;_ _][;^.^])、これが「ウォンテッド」記事だからである。(以下、コピペ。)

 1960年代後半か、あるいは70年代前半に、テレビで放映されたのを観たのではないかと思うのだが..狭義の恐怖映画ではないと思うが、非常に恐ろしい印象を受けた映画があった。タイトルは憶えていない。

 以下、断片的な記憶の集積なので、実際の映画のストーリーとは進行順序が異なっている可能性は大いにあるが、部分部分の情景の記憶は、かなり正確なはずである。

 物語の「枠」は、ある大邸宅の大広間である。この屋敷の女主人(老女)は足腰が弱く、2階から椅子に坐ったまま、1階の大広間の中央に(エレベーターで)降りてくるのである。客のひとり(あるいは関係者)が、彼女に、彼女の息子を襲った運命を語る..

 以下、彼の回想シーンとなるのだが、老女の息子(以下、「主人公」と呼ぶ)は、なんらかの経緯で、ガールフレンドと共に、ある国のビーチで遊んでいる。このビーチには金網があり、金持ち(あるいは中産階級以上)のエリアと、貧民のエリアが、分断されている。主人公がガールフレンドに着せた(ワンピースタイプの)水着は、水に濡れると透ける素材であり、それに気が付いた彼女はひどく恥ずかしがるのだが、主人公は嫌がる彼女の手を取り、そのままビーチを引き回す。彼は、嫌がるガールフレンドの裸を見せびらかして回るような、悪趣味な人間なのだ。そして、金網の向こう側では、貧民の子ども達が金網に貼り付いて、彼女のシースルー姿を、ニヤニヤしながら見物している..

 (ここで記憶が、少し飛ぶ。)主人公とガールフレンドは、貧民の子ども達に追われて、迷路のような路地を必死になって逃げている。しかしやがて彼は捕まり、子どもたちにもみくちゃにされ押し潰され、僅かに腕1本が上に向かって差し上げられていたが、それも見えなくなる。彼はよってたかってなぶり殺しにされ、恐らくは(飢えた)子どもたちに喰われてしまったことが、暗示される..

 ..客の話は、ここまでである。息子を襲った恐ろしい運命をきかされた母(老女)は信じまいとするが、しかし静かに発狂し、エレベーターで上階に姿を消す..(あるいはこのラストシーンでは、大広間に、息子の(恐ろしいありさまであろう)死体を収めた棺桶が持ち込まれていたかも知れない。その場合、それは恐らくは開けられなかったはずだ。)

 ..という、映画。まさに悪夢のような作品世界であり、もう一度観たいかと問われると、正直、引いてしまうところもあるのだが [;_ _][;^J^]、しかしタイトルは、知りたいと思う。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。[_ _]

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*2018年09月20日:無駄な徒労感 [;^J^]


 寝過ごした! 5:20! 5:00に起きて、5:30から早朝サイクリング(10Km)をする予定だったのに! ..と、思いきや、3:30だった [;_ _]。安心して二度寝。

 こうなると熟睡できないのだが、とにかく二度寝。4:30。起きない。5:00。時間だ。でもなんだかな..早朝サイクリングは明日からでいいかな〜..とかなんとかしているうちに、5:30。起きてみれば、結局、雨。ちゃんと早起きしても、同じ結果ではあったのだ..

 終日、雨。

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*2018年09月21日:結局なまる [;_ _]


 連日、朝は、雨。せっかく早朝サイクリングを再開しようかと意気込んでいたのに(そのわりには昨日朝の体たらくはなんだと仰られるかとは思いますが [;_ _])、出鼻をくじかれまくり..

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*2018年09月22日:ポーラ美術館/岡田美術館


 5:50に発ち、浜松駅まで徒歩。歩き始めには雨は上がっていたのだが、途中から降りはじめた..とはいえ、空は明るい。駅に着く頃には、上がった。

 6:44のこだまで東上。小田原着が、7:50。少し早いので駅構内で朝食。8:35のバスに乗り、霧けぶる山道..というか、雲の中を走り、9:25に、ポーラ美術館に着いた。

 ここに来るのは初めて。以前から気になる美術館ではあったのだ。印象派のコレクションがメインなので、なかなか来る機会が無かったのだが [;^J^]、ロケーションが気になっていた。箱根には、個性的な美術館が多いのだが..

 やはり、驚いた。森の中に存在するにもかかわらず、「地下美術館」なのである! 大阪の国立国際美術館のように、町中にあるのならともかく、この豊かな自然の中で..まさにそれが理由なのであって、周囲の環境と調和させるためらしい。地上には1フロアというか高さ8メートルのスタイリッシュなガラスの建造物があり、すぐにエスカレーターで地下に潜っていく..山中の森の中で..これはもう、秘密基(略)

 ..さて [;^J^]。「ルドン ひらかれた夢ー幻想の世紀末から現代へ」(前期:〜9月26日(水)まで、後期:9月28日(金)〜12月2日(日)まで)である。ルドンの作品だけではなく、彼の先達、あるいは同時代者であるデューラー、ブレスダン、レンブラント、コロー、ゴヤ、ドラクロワ、ドレ、モロー、モネ、北斎らの作品、現代美術からは、イケムラレイコ、柄澤齊、鴻池朋子、ルドン的なモチーフを描いたマンガ家として、岩明均、押見修造らの原画、と、幅が広く、しかも筋が通った展示が楽しい。[^J^]

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 「第1章 夢の中で−「夢」の源泉」では、ジャン=バティスト=カミーユ・コローの「森の中の少女」(左)。「第2章 水と生命−始原的なかたち」では、オディロン・ルドンの「ヴィーナスの誕生」(右)など。



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 「第3章 翼と気球−近代性と神話」では、オディロン・ルドンの「ペガサスにのるミューズ」、同じく「『エドガー・ポーに』より「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」」など。



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 「第4章 ひらかれた夢−花と眼」では、オディロン・ルドンの「『起源』より「おそらく花の中に最初の視覚が試みられた」」、同じく「日本風の花瓶」など。



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 「第5章 21世紀にひらく夢−受け継がれるルドン」では、柄澤齊の「死と変容 第II集 洪水」(左から、洪水A、洪水B、洪水C)など。



 11:10に展示室を出て、館内のレストラン(「レストラン アレイ」)へ。「ルドンの食卓」という、企画展メニューのランチを注文。言うまでもないことだが、もちろん、コンセプト先行である。[;^J^]

 この美術館、アクセスは微妙に不便だし、印象派メインなのが難点 [;^.^] なのだが、環境はいいな。森の中の散策コースもあるようだし、撮影可能な(常設)展示作品も多い。後期に来られるようなら(1〜2時間、スケジュールに余裕を持たせた上で)カメラ持参だ。

 12:15に出て、美術館前のバス停で15分ほど待ち、バス30分ほどで、小涌園バス停。岡田美術館の目の前である。13:00入館。「初公開 田中一村の絵画 ―奄美を愛した孤高の画家―」(〜9月24日(月・祝)まで)である。(つまり、あなたがこれを読む頃には、終わっている。[_ _])

 この企画展(4F)以外の作品では、(いずれも3Fの展示、)私が大好きな、伊藤若冲の「月に叭々鳥」画像検索結果)と、同じく「孔雀・鳳凰図」画像検索結果)。加山又造の「華と猫」画像検索結果)、速水御舟の「木蓮(春園麗華)」画像検索結果)らと合わせて、この美術館のレギュラー級の逸品たちである。

 そして、田中一村の「白花と赤翡翠」画像検索結果)と、同じく「アダンの海辺」画像検索結果)! 特に(やはり)後者は凄い! およそ日本画とも思えぬ「異形の」題材に、まず打たれ、そして、その描写! 波と砂浜! 雲とアダン! これは、観に来てよかった..

 14:50に出て、15:02のバスで小田原駅に着いたのが、15:45。小田急経由で、17:40に横浜・鶴ヶ峰の実家。晩飯というか晩酌というか [;^J^] は、わたりどり。18:00から2時間。

 国友やすゆきが、9月20日に逝去していたとのこと。享年65歳。若いなぁ..合掌..

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*2018年09月23日:墓のメンテ/国立西洋美術館/高円寺


 快晴。午前中、妹たちが来て、いろいろ打ち合わせ。事務処理はかなり終息に近づいてきたかな。この「建家」をどうするかという、一番頭の痛い問題は、私が決めなければならない..10:25に3人で発って、横浜霊園へ。墓の掃除。13:00過ぎから石材業者による墓のメンテ..と言っても、メジ打ち(石の隙間から水が入らないようにするコンクリ詰め)の準備作業の立ち会いのみ。本番作業はあとで行うとのことで、5分少々で終わり。

 金沢八景駅に戻り、京浜急行。妹たちは横浜で降り、私はそのまま上野へ。15:00に、国立西洋美術館。「ミケランジェロと理想の身体」(〜9月24日(月・休)まで)である。(やはり、あなたがこれを読む頃には、終わっている。[_ _])

 テレビ番組で事前情報は仕入れているので、ある程度、見所はわかっていた。ミケランジェロ・ブオナローティの「ダヴィデ=アポロ」画像検索結果)と、同じく「若き洗礼者ヨハネ」画像検索結果)は、いずれも圧巻。会場の雰囲気を観察していると、後者の方が人気があるような。まったくの想像だが、ある種の婦女子にはたまらんのではないかと思われる [;^J^]。それにしても、この切り貼り感がまた、なんともヒューマノイド的というか、ブラック・ジャック型というか..(顔の継ぎ目の角度が、惜しいんだよよなぁ..[;^.^])なお、上記の本展覧会の公式サイトには、「ミケランジェロと理想の身体 × 「ブラック・ジャック」描き下ろしマンガ「ブラック・ジャック〜ヨハネ像、東京へ来る」」が掲載されており、これが実に秀逸な出来なので、是非ともご一読を!

 ヴィンチェンツォ・デ・ロッシの「ラオコーン」画像検索結果)は、数多ある「ラオコーン」のコピーのひとつ。それぞれ微妙に違うようだが、これも、十分な迫力で迫ってきた。端正な姿勢と表情の彫刻しか知らなかった人々がこれを発掘したときの驚きたるや、いかばかりであったろうか..

 17:30に出て、18:15、久々に高円寺。18:30に改札前で、Yさん、Y君、Kさんと落ち合い、高円寺の飲み屋・飯屋をハシゴ。人口比で飲み屋が異常に多い、カラフルでバラエティ豊かな街である。18:45から20:40まで、CAFE BALI CAMPUR。21:00から22:15まで、喜九。22:25から23:05まで、紅蓮燭堂。四方山話をいろいろ。私が振ったネタをふたつ、備忘のために書いておく。

 8月初旬の九州旅行で宗像大社をお参りしたが、辺津宮の一番奥にある「高宮祭場」。ここには何もない。林の中、空き地が木々に囲まれているだけである。その、「木」が依代なのである。そこに宗像三女神が降臨するのだ。ここは..写真を撮らなかった。禁止されているわけではないのだが、撮る気になれなかったのだ。それは..正直にいうと、「おそれ多い」という感覚ではなく、「気味が悪い」という感覚である。まったく罰当たりな話だが..なんの変哲もなさそうな、そこの樹木が「依代」であるという立て札の説明文には、恐るべきリアリティがあった。そしてそれは(繰り返しになるが)「おそれ多い」「ありがたい」というよりは「気味が悪い」という感覚を、呼び覚ましたのである。

 罰当たりついでに、どんどん言って(書いて)しまうと、「降臨するわけがない」。神は、いないのだ。だから、写真を撮ろうがどうしようが、「祟られるわけもない」のである。私にとっては、そうなのだ。にも関わらず..私は、まったく理不尽なことに、「気味が悪い..」と、思った。そしてその感覚は、私は貴重だと思う。(自分のことでなければ、「尊い」と言いたいところだ。)その感覚は、「無神論」と矛盾しない。「神も祟りも存在しない!」という理性の断言と、「でもこの場所は、気味が悪い..」という非合理な感覚は、私の心の中で両立している。私にとって前者(理性(の判断))は貴重だが、後者も、それに劣らず貴重なもの..「よいもの」なのである。

 だから、写真を撮らなかったのだ。写真は、この「非合理な感覚」を、記録できないからである。せっかくの「気味悪さ」が、消えてしまう。白茶けてしまうから..

 そして、「よいもの」つながりで..岡田美術館でもそうだったのだが、宋の(白磁の)壺を見るたびに、「これは良いものだ..」、と呟くのは、もうやめたい。[;^.^][;^.^][;^.^]

 終電に間に合い、1:20、横浜・鶴ヶ峰の実家に戻れた。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 27 2018
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