2012年04月09日:「戦後SF事件史」 2012年04月10日:這いニャル漫画 2012年04月11日:土砂降り [;^.^] 2012年04月12日:mpeg再生ソフトを探す 2012年04月13日:「廃墟の美学」 2012年04月14日:久々の献血/Media Player Classic 2012年04月15日:這いニャル9巻目次へ戻る 先週へ 次週へ
「戦後SF事件史 日本的想像力の70年」(長山靖生、河出書房新社、河出ブックス)読了。SF小説に限らず、また、その外縁としての映画・漫画・アニメにも留まらず、幻想文学、アングラ演劇、現代美術などに幅広く目配りされており、実にスリリングで面白い。
ポストイットだらけになってしまい、引用していたらきりがない。ここではサンプルとして、「ロリコン」への言及を2個所だけ、引いておこう。
目次へ戻る「日本のオタク文化の大きな柱となるロリコンとは、元々はSF・幻想ファンの、こうした「アリス」への論理的興味から起きたのではないかと私は考えている。日本における「SF的ロリコン」の具体例については、折々に述べてゆくことになると思うが、その実態は、むしろアリス・コンプレックスと呼ぶべきものだった。実際、『アリス』へのオマージュ作品は数多いが、『ロリータ』をモチーフとしたSF・幻想文学はほとんどないのではないか。繰り返すが、アリス幻想の根幹にあるのは性的関心よりも、むしろ非性的関心であり、単なる少女愛好ではなく、非日常的なセンスへの指向も同時に必須要素として含んでいた。少女性は侵犯の対象ではなく、柔軟性の象徴であり、侵犯不能(脱日常)の象徴だった」(40頁)
「高橋の紹介によるルイス・キャロルの少女幻想は、70年代後半のロリコン・ブームのなかで大きな意味を持っていた。当時のロリコンと呼ばれたものの実態――特にSF・ファンタジーファンのそれは、必ずしも性的なロリータコンプレックスではなく、ナンセンスな想像力と結びついたアリス・コンプレックスであり、少女を媒介としたセンス・オブ・ワンダーへの関心という要素が濃厚だった」(221頁)
帰途、書店で「這いよれ! ニャル子さん 1」(原作:逢空万太、キャラクター原案:狐印、漫画:岡崎圭、ヤングジャンプコミックス)を見つけてしまい、仕方がないので購入した。[;^J^]
原作に対して、これといって付け加えたものは無いのだが、これはこれで、楽しめる。でもまぁ、(病んだファンで無い限り)両方読む必要は無いと思うな。[;^J^]
目次へ戻る朝から雨もようとはいえ、自宅を発つ頃には、まだまだ小雨だったのだが、昼前には、じゃんじゃかじゃんじゃか土砂降りになってしまった。
昼休みになって、ようやく気がついた。私は Gmail を私用に使っており、その背景として「草原」とうテーマを選んでいるのだが、なんと、雨が降っているではないか。この「草原」に [;^.^]。地域として「静岡県」を登録しているのだが、どうやらこれ(地域)と連動しているらしい..とはいえ、こういう仕様になったのは、ここ数日来のことだと思うぞ。(確かに、昨日は Gmail の背景が妙な曇り空で、変だな、鬱陶しいなと思っていたのだが..)
帰宅時にも、まだまだ非常な大雨。自動車通勤なのだが、道路が見えにくくて恐い。
晩飯の支度中、野菜を刻んでいるときに、どうやら「心ここにあらず」の状態になっていたらしく、左手親指の先端を爪ごとぐっさりとやってしまった..[;_ _] たいした痛みはないのだが、そこそこの出血である。部位がまずくて、バンドエイドで傷口を押さえきれない。仕方がなく、ガーゼでふわっと、おおきくくるんだところ、なんともタイプし難くなってしまい、気力が萎えた..[;_ _]
明朝が廃墟通信の更新日なのだが、こういう次第なので、一日スキップすることにした。[;_ _]
目次へ戻るあれれ、今日は(浜松は)晴れてるのに、Gmail の背景(「草原」)は、曇り空だぞ..もしかして「静岡県」としては、今は曇りなのかな? まぁ、いいや。[;^J^]
手元に、mpeg ファイル(テレビ番組の録画)が、かなり大量にある。従来、これを Windows Media Player で再生していたのだが、このソフトには、重大な欠点がある。CMカットなどの「編集」をしてある場合、その「編集点」で「こける」のである。少し先にスキップしてしまったり、止まってしまったり。また、止まる場合、再生ポインタが先頭にリセットしてしまうケースが多い。なんにせよ、タイムコードが不連続になっているポイントを、素直に突破できないのだ。もしかすると、mpeg ファイルのフォーマットとしては、タイムコードが不連続というのは、イレギュラーなのかも知れないが。
いずれにせよ、あまりに不便なので、フリーの mpeg 再生ソフトを見繕ってみたら..Windows Media Player と同じ振る舞いをするものが、いくつもあるのである。やはりこういうものなのだろうか?(それとも、単に同じエンジンを使っているだけ?)
目次へ戻る「廃墟の美学」(谷川渥、集英社新書)、読了。同じ著者の「廃墟大全」(中公文庫版 の方が入手しやすいかな?)、及び「死都」(画集)と、トリロジーというわけではないが、合わせて読むと便利である。(ついでに、「モンス・デジデリオ画集」も。)例によって、何ヶ所か抜き書きしておこう。
目次へ戻る西欧において「廃墟」のテーマは、まず「動態」(状態としての廃墟ではなく、状態としての廃墟を結果として出来させることにもなるだろう出来事、つまり、破局、破滅、災害、惨禍、崩壊、没落)として浮上し、それがやがて「静態」へと移行した。(14頁)
「巨大な建築=都市の「死」を体現するバベルの塔は、まぎれもないネクロポリスであるといっていい」(20頁)
「付帯的とはいえ、しかし廃墟は決定的な役割を演じる。なぜなら、廃墟の表象は、それを眺める者の意識を古代へと、過去へと、あの古代的理想郷としてのアルカディアへと差し向けるからである。それを、廃墟の換起力といってもいいし、指向性といってもいい。モンス・デジデリオの作品が、いかなる意味においても過去への指向性をもたなかったのと、それは対照的である。そしてモンス・デジデリオの絵画が、動態としての廃墟画の典型であるならば、クロード・ロランの絵画は静態としての廃墟画の典型である。クロード・ロランの作品は、過去の、理想的古代のアウラを身にまとおうとする」(64頁)
「二つの「想像図」(「グランド・ギャラリーの改造案」「廃墟化したグランド・ギャラリーの想像図」)を通して、ロベールは廃墟画のジャンルに時間性の新しい次元を付け加えた」(117頁)
「(ソーンのコレクションについて)問題はなによりも効果ということであれば、建築的断片が本物である必要はない。ちょうどピクチャレスク庭園のなかに設置される古代建築の廃墟が、それらしく似せた見せかけの廃墟、まがいの廃墟、シャム・ルーイン、モック・ルーインで十分であったように、リンカーンズ・イン・フィールズに蝟集した断片群も、レプリカでよかったのである。もちろん本物に越したことはあるまい。実際、可能ならば本物もコレクトされた。しかしソーンは、本物であることにこだわっていない。本物も偽物も、光と影、古代と現代、記憶と夢想の綾なす空間のなかで、ただ効果として一体化したのだ」(138頁)
「(ハドソン・リヴァー派について)歴史のないアメリカで廃墟を意匠とすることにはやはり無理があり、《タオルミナから望むエトナ山》(1844年)のように、題材をヨーロッパに求めるか、さもなくば《タイタンのゴブレット》(1833年)を極端な一例とするように、はじめから風景画を幻想絵画として構想するしかなかったように思える。いやそもそも風景画なるもの自体が、ヨーロッパのピクチャレスク絵画がそうであったように、さまざまなイメージの重ね合わせ、組み合わせからなる幻想絵画なのだというべきかもしれない」(146頁)
「(第三帝国の「廃墟の法則」について)「廃墟価値の理論」あるいは「廃墟の法則」は、してみればやはり「うつろひ」の美学とは無縁である。それは、誇大な権力意識と持続への志に支えられ、みずからの行為の所産を古代ローマ帝国のそれに重ね合わせることによってむしろ永遠化しようというしたたかな自信の表われというべきである」(158頁)
しとしと雨が残っている。今日いちにち、こういう天気らしい。10時に出て、ひさびさに献血ルーム「みゅうず」へ。成分献血は少々混んでいたが、それでも11時半頃から始めて、12時過ぎに終了。杏林堂で指先用ガーゼを買って、13時過ぎに帰宅。
先日来、mpeg 再生ソフトを探していたのだが、どうやら、「Media Player Classic - Home Cinema」が、使えそうである。少なくとも、タイムコードが不連続なポイントでよろけることはない。これより良い選択肢もあるのであろうが、当面は、これで用が足りる。やれやれ。
このチェックの過程で、数年前の録画データをいろいろ再生したのだが、驚いたのは、2008年2月13日の「愛のエプロン」である。この回のゲスト出演者のひとりが大島麻衣で、彼女の応援団として、宮澤佐江、板野友美、河西智美も出演しているのだが、これを録画した頃には、私はAKB48を知ってはいたものの、とりわけファンというわけでも無かったので(特に応援団の3人については)ほとんどスルーしていたのだが、今、観返すと..
大島麻衣は、今とさほど印象が変わらない。宮澤佐江と河西智美も、面影があるのだが、問題は、板野友美..
..なんと、ヤンキーではないのである。[;^.^][;^.^][;^.^] ..いやほんとに、最初はまったく、誰であるのか、同定できなかったのだ。例の八重歯で、ようやく、板野友美と認識できたのだ。死体を歯型で識別するとは、このことかと、合点した次第である..(こらこら。[;^.^])
目次へ戻る「這いよれ!ニャル子さん 9」(逢空万太、GA文庫)を購入して、一読。なんともまぁ、マンネリの美学としかいいようが無いが [;^J^]、面白ければ、まぁいいや。[;^.^]
あとがきを読んで、違和感。「這いよれ!スーパーニャル子ちゃんタイム1」(星野蒼一朗、フレックスコミックス)について触れられているのだが、先日購入したばかりの「這いよれ! ニャル子さん 1」(原作:逢空万太、キャラクター原案:狐印、漫画:岡崎圭、ヤングジャンプコミックス)に対しての言及が無いのである。(これに、あとがきも寄せているというのに。)なにか、大人の事情でもあるのだろうか..[;^J^]
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Apr 19 2012
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