2011年12月19日:金正日、死去 2011年12月20日:すれ違うとき 2011年12月21日:また、パンク [;^.^] 2011年12月22日:録画メディアの棚卸し2011 2011年12月23日:「べにひき」調査 [;^.^]/メトのラインゴールド 2011年12月24日:メトのヘングレ 2011年12月25日:「源氏物語 千年の謎」目次へ戻る 先週へ 次週へ
朝、寒い。快晴なので、もちろん自転車出勤であるが..
..間違いなく、この冬一番の冷え込みである。耳が痛いと感じたのは、初めて [;_ _]。会社に着いた時点で、「暑い!」と口走らなかったのも、初めて。[;^.^]
金正日、死去(17日に)。享年69歳。死因は心筋梗塞と伝えられているが、もしもそれが事実であるのならば、(日本の漫画家などとは異なり)健康管理が厳重になされていてしかるべき国家元首としては、微妙に早死にである。なんにせよ、余計な(無駄な)騒動のトリガーにならないことを期待する。
目次へ戻る数年前に(とある調査の結果として)聞いた話である。今となっては、ソース不明だが..人ごみの中(すなわち互いに左右に余裕をもって避けにくい状況)で男女がすれ違うとき、どういう体勢(姿勢)ですれ違うか、という調査であった。
それぞれ、相手の右側をすりぬけるとする。このとき、男性は、右肩を前に出す(すなわち、胸を女性に向ける)人が多数派であり、女性は逆に、左肩を前に出す(すなわち、背中を男性に向ける)人が多数派である、とのことだった。(言われてみれば、確かにそうかな、と思う。)
この調査では、「男性は女性に対して基本的に受け入れ態勢にあり、女性は男性に対して基本的に拒絶態勢にある(すなわち、男のほうがスケベである)」、との考察がなされており、そこまで言われると、大きなお世話だ、という気もするが [;^J^]、それはともかく、胸が男性に接触しないように、男性側の肩を前に出す、という女性の基本姿勢は、理解できる。理解できるが..
..それは、タックルだ。[;^.^]凸
目次へ戻る手塚治虫の初出誌調査は、細〜く、長〜く、続けている [;^J^]。大量の時間リソースを投入して一気にやれば1年ぐらいで片付いたかも知れない案件に、10年以上かかっていることも珍しくないが、まぁ、仕事じゃありませんのでね。要するに、自分が作成した 作品リスト の中に、未確定(不確定)情報が残っていることが気に障るから穴埋めしているだけのことなのである。その意味では急ぐ理由は全く無いのだが、その一方で、時間が経てば経つほど、資料は散逸していってしまうのも事実であるから、老後の楽しみにとっておく..というスタンスでは、ちと暢気すぎるわけだ。
さて、長年(やむを得ず)放置していた案件のひとつが、「赤旗日曜版」である。手塚治虫は、これにいくつもの作品を連載しているのだが、特に1960年代前半頃の連載作品を、いまだに初出紙(の縮刷版)で閲覧できていない。(初出紙(の縮刷版)のコピーを読めている例は、ある。)
国会図書館に納本されている、この時代の「赤旗日曜版」の縮刷版の手塚治虫の連載漫画は、大規模な切り抜き被害に遭っているのである [;-_-]凸。また、1960年代初頭には、そもそも「赤旗日曜版の縮刷版」自体が、無かったような記憶があるのだが、これはもしかすると記憶違いかも知れない。
とにかくそれやこれやで放置していた作品のひとつが、
羽と星くず::81:赤旗日曜版:61/03/12 - 62/01/28:319
..である。掲載日を個別に記載せずに範囲指定で済ませているということは、つまり、個別に現物を当たることが出来ていないということである。
調査を再開することにした。この時期の「赤旗日曜版」が、目のとどく範囲の図書館に収蔵されていないことはわかっているので、角度を変えて、「赤旗」の「日曜版」に掲載されている可能性を、つぶしておくことにした。(ややこしいのだが、「赤旗」と「赤旗日曜版」は、まったく別の新聞なのである。)そこで、この時期の「赤旗」を収蔵している図書館を検索して(これはいくらでもある)、そのうちのひとつの、大阪府立中央図書館に、「1961年3月の「赤旗」の「日曜版」に掲載されている「羽と星くず」」を、(昼休みに)複写請求してみた。(別に国会図書館でもいいのだが、次に出向けるのは1ヶ月以上先になりますのでね。)掲載されている可能性は、極めて低いのだが..
帰宅時、会社の駐輪場から自転車を漕ぎ出して、すぐに、なにやら後輪がゴロゴロすることに気が付いて調べてみたら..
..パンクしてた。[/_;][/_;][/_;]
パンク修繕キット(未開封新品)は自転車に備え付けてあるのだが、携帯用空気入れが無い [;^.^]。以前から薄々気が付いてはいたのだが [;_ _]、絵に描いたような/教科書的な/手本にしたいような片手落ちである。[;^.^][;^.^][;^.^]
..ま、帰路(257号を浜松市街方向へ南下)の途上に、もちろん自転車屋があるはずで、それがどこだったは思い出せないのだが、そう遠くはなかったはず。そこで修理してもらえばよい..と、自転車を押しながら徒歩で帰途につく。(空気が抜けたタイヤを転がすのは感心しないが、まぁ乗っているわけではないし、さほど大事には至らないだろう..)
ちなみに、平地で自転車を押しながら歩いている分には、問題なく、パンクか何かの故障に見えるだろうが、祝田の1キロメートルの上り坂を自転車を押しながら歩いていると、これはもうどうみても、「この長い上り坂を漕ぎあがりきれない、こんじょなし」以外の、何ものでもないのである。[;^.^]
「違うんだー! このおれをそんな目で見るなー! いつもこの坂を3分半で漕ぎあがっているんだ、今日は例外なんだー!」
..と、内心叫びつつも、しかしこれほど無益で無駄な叫びもあるまいよ..[;_ _][;^J^] この坂を漕ぎあがれずに押し歩いている高校生や大人はむしろ多数派で、毎晩、彼らを横目で見ながら(フフンッ こんじょなしめ、と)内心嘲りながら漕ぎ上っていただけに、これはもう、天罰覿面としかいいようが無い..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
気が付いたことをひとつ。この坂は、自転車で漕ぎあがる方が、楽だ [;^J^]。自転車ならば3分半で上りきれるのだが、徒歩だと12〜3分、かかってしまう。上り坂を12〜3分歩く方が、疲れる [;^J^]。閑話休題。
自転車屋を見つけられないうちに、三方原のアマノ書店に着いてしまったので、ここで10分ほど寄り道。先月買い忘れていた「怪奇版画男」(唐沢なをき)の文庫版などを買う。
ここで、iPhone の履歴に大阪府立中央図書館からの着信が残っていることに気づく。(何故、着信時のバイブレーションに気が付かなかったんだろう?)もちろん、本日の複写請求の件についてである。電話してみたところ、やはり「赤旗」の「日曜版」には「羽と星くず」は掲載されてない、とのこと。OK。これで、未確定状態をひとつ潰せた。
自転車を押して再出発。浜松環状線との交差点の少し手前の「モンテカルロ三方原店」(カー用品店)の、さらに100メートルほど手前の「かもとう輪店」に着いたのが、18:25分頃。やれやれ。4キロも歩いちまったぜ。[;^J^]
修理完了が18:50(修理代1200円)。タイヤ自体の劣化が(多少)見られるとのことで、慎重に再チェックされていたが、それも込みで、道具が完備している状態でプロが25分かかったわけだ。私が(うろ覚えの手順で)修理を試みていたら、軽く1時間以上かかっただろうなぁ [;^J^]。なんにせよ、次回からは自分で対応できるスキルを身につけておかないと。店を出たら、ほどなくシャッターが、閉店ガラガラ〜、である [;^J^]。もう少し到着が遅れたら、自宅まで(12キロ半)押して歩くハメになっていたかもしれないなぁ。[;^.^]
19:25、帰宅。
目次へ戻るさてもさても、やっかいなのが「赤旗日曜版」である。ついにたまりかねて、日本共産党にメールしてしまった [;^J^]。これは(自分で決めた)「禁じ手」だったのであるが..いや、日本共産党が禁じ手だというのではなく [;^.^]、出版社に直接問い合わせるのが。数十年も昔のバックナンバーに関する問い合わせなど、どこの出版社であっても迷惑であるに決まっているし、多くの場合、出版社自体にもなんら情報は残っていないと推測されるからである。
しかし、これはもう潮時だろう。(それに、日本共産党は出版社ではなく、態勢も考え方も(文化も)異なるだろうし。)1961年から1963年にかけての赤旗日曜版のバックナンバー(縮刷版)の閲覧が可能かどうか、問い合わせてみた。さて、返事は来るだろうか..
ついでに、大阪への手塚治虫調査行の予定を立ててみた。昔から気になっている未見の対談に、
更家理事長対談 戦後、マンガをたくましく育てたように大阪人でなければできないことがたくさんある。(手塚治虫、更家悠介):OSAKA JAYCEES Vol.1:86/?
..というのがある。これが、いまだに現物を確認できていないのである。
閲覧しようにも、私が入手した(上記の)初出データが不備なのである。この雑誌の「Vol.1」は、1986年では、ない。また、国会図書館などには、このあたりの号は所蔵されていない。この雑誌のバックナンバーを所蔵している図書館はいくつかあるが、多くは歯抜け状態であるし、そもそもピンポイントで指定することも難しい。
「大阪市立大学 学術情報総合センター」には、この雑誌のバックナンバーが(ネットで検索した結果を見る限りでは)創刊号から数年分、揃っているように見える。ここで絨毯爆撃すれば、発掘できるかも知れない。しかし、この1件のためだけに大阪まで往復するというのも、ちょっと交通費が勿体無い..(平日に有休を取得する必要もあるし..)
..と、逡巡していて思い出した。数ヶ月に一度は、関西フィルの定期公演を聴きに上阪しているではないか! そのついでにちょいと足を延ばせば良いのである。調べてみたら、2月3日の定期演奏会 が、いい感じである。
2012年2月3日(金)
19:00開演(18:00開場)
18:40〜 指揮:藤岡幸夫によるプレトーク開催!
ザ・シンフォニーホール
指揮:藤岡 幸夫(関西フィル首席指揮者)
独奏:小山 実稚恵(ピアノ)
◆ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15
◆吉松 隆:朱鷺によせる哀歌
〜藤岡幸夫&関西フィル、シベリウス交響曲全曲ツィクルス第1夜!〜
◆シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 作品105
なんと、3曲とも、マイ・フェイバリット・ピースである!(こんなことは、珍しい。普通、3曲もあれば、少なくとも1曲は、たいして興味もない、どーでもいい曲が混じる。[;^.^])
よし、決めた。2月3日に有休を取得して、朝いちで上阪。大阪市立大学学術情報総合センターで「OSAKA JAYCEES」誌を調査して、午後、時間が許す限り大阪散策(観光)、夜は関西フィル定期。多分、浜松への最終新幹線には微妙に間に合わないだろうから、大阪に泊まり、翌土曜日に(大阪で遊んでから)浜松に帰る..というプランで、いきましょう。大阪市立大学学術情報総合センターで閲覧調査するには公共図書館の紹介状が必要なので、明日、浜松市立中央図書館で依頼することにしよう。
自宅のデスクトップPCのDVDドライブの調子が悪い(と疑われる)ので、アマゾンで適当に検索して発注していたのだが、今夜届いたDVDドライブを見たら、SATAだった [;_ _]。必要なのは、IDEのドライブだったのである [;_ _]。いや全く最近は、ふつ〜SATAで、気をつけないとSATAを買ってしまうから、仕様を確認する際、インターフェースには注意しろよインターフェースには注意しろよインターフェースには注意しろよ..と、呟き続けながらポチッたのだが、恐らくそのため、かえって注意力散漫となってしまい、魅入られたようにSATAのドライブを買ってしまったのだと推測される。[;_ _](あるいは、「SATAを買うなよ! SATAを買うなよ! SATAを買うなよ!」..の、出川@熱湯風呂状態? [;^.^][;^.^][;^.^])
..気を取り直して [;_ _][;^J^]、年末恒例、録画済み光学メディアの棚卸しを行った。2004年12月にハードディスクレコーダー(RD−X5)を購入して以来、ほぼ年に一度のサンプリングレートで、録画済みDVD−RAM/DVD−Rの枚数をカウントしてきたのである。今年からは、これらに加えて、BD−R/BD−REが加わり、1枚あたりの録画時間のばらつきが非常に大きくなってしまったが、そんなことをいちいち勘案していたら集計などできないので、単純に、枚数のみカウントした。(以下、両面DVD−RAMは2枚と数える。)
棚卸し月 総枚数 未視聴枚数 未視聴率 月平均増加枚数 2006/01 520枚 ? − 40枚/月2006/12 919枚 ? − 36枚/月2007/12 1206枚 455枚 38% 24枚/月2008/12 1459枚 522枚 35% 21枚/月2009/12 1570枚 533枚 34% 9枚/月2010/12 1682枚 574枚 34% 9枚/月2011/12 1818枚 583枚 32% 11枚/月
以上のうち、BD−R/BD−REは112枚で、そのうち16枚が未視聴である。今年新規に購入したブランクメディアは、ほとんどがBD−R/BD−REであることがわかる。逆に、録画済みDVD−RAMは、むしろ減っている。どういうことかというと、従来DVD−RAMに録画していた映画を新たにBDに(ハイビジョンで)録画しなおした場合、そのDVD−RAMはお古として再利用してもらうべく、妹たちに下げ渡しているからである。
これまで毎年、ブランクメディアの購入枚数は着実に減っていたのに、今年になって逆に増えたのは、もちろん、ハイビジョン効果である。「録画して保存して繰り返し再生する喜び」が、標準画質とハイビジョン画質では、はっきりと異なるのである。(比較にならないとまでは言わないが。)要するに、「録画して保存して繰り返し再生する」というルーチンワークに、多少なりとも倦んでいたのが、リフレッシュされてしまったのである [;^J^]。やはり、内容も大事だが、画質はもっと大事。「人は見た目が9割」とも言うしね。[^.^](← それは違うよ。[;^.^])
目次へ戻る快晴。朝いちで浜松市立中央図書館の参考図書室へ。大阪市立大学学術情報総合センターへの紹介状申請である。あいにく今日は先方が休館日なので、閲覧希望資料の所蔵確認のうえOKが出るのは、後日となる。年を越すかも知れないが、希望日は来年2月3日なので、特に急ぐ理由は無い。
ついでに、「べにひき」調査をする。「THE MANZAI 2011」での、千鳥のネタの中で使われていた言葉(「オカマ」の蔑称)なのだが、自宅に備え付けられている国語辞典群、及びネットで調べた限りでは、「べにひき」という言葉が見つからなかったからである。
「日本国語大辞典 第二版」に、載っていない。この段階で調査を終えても構わないようなものだが、ついでなので、メジャーどころの「広辞苑 第六版」「広辞林 第六版」「大辞林 第三版」「大辞泉」、古い辞書の代表として、「言泉」(大公書店、昭和3年)、ついでに、「角川 古語大辭典」「江戸時代語辞典」(角川学芸出版)「隠語大辞典」(皓星社)も調べて、これらのいずれにも記載されていないことを確認した。自宅で調査した「大辭典」(平凡社、昭和10年)にも載っていなかったことと合わせて、「べにひき(紅引き)」は、千鳥の造語である、と、結論づけた。
いったん帰宅して、10時にクリーニング出しして、すぐに帰宅。10:50にナカノサイクルセンターに出向き、携帯用空気入れと交換用チューブとタイヤレバーを買って、11:30に帰宅。練習は、後日。[;^.^]
一昨日購入した「怪奇版画男」(唐沢なをき)の文庫版を、一読。正直、単行本を持っていれば別に不要じゃね?と思っていたのだが、新作彫り下ろしが掲載されていて、やはり必携であった。一代の傑作である。(ちなみに私は帯を棄てる(棄てたい)タイプなのだが、たまにそれをできない(しにくい)本があって鬱陶しくて仕方がない [;^J^] のだが、本書もその例である。なにしろ、帯も手彫りだからな。[;^.^])
BDレコーダーのHDDに滞留している録画の始末に取りかかる。年末年始の大量録画ラッシュを控えて、極力、スペースを空けておく必要があるからである。今日は、10月8日に録画した「ラインの黄金」(ヴァーグナー)(2010/10/09 メトロポリタン歌劇場ライブ、指揮:レヴァイン、演出:ルパージュ)を片付けた。
これは..見応え、ありますよ。参考のため、「"METライブビューイング" "ラインの黄金"」で検索したブログを、3つほどリンクしておこう。→「meiner Meinung nach」「Osugablog」「LINDEN日記」
なんといっても特徴的なのは、短冊のように並べられた20数枚の板である。(上記ブログの中に、舞台写真も含まれているので、参照して欲しい。)これらが軸を中心に回転することによって、様々な様相を見せるのだが、驚くのは、ニーベルハイムに降りていくシーン。ここでは、板の角度が少しずつ変えられ、幅の広い階段を「上から俯瞰した」状態となる。そしてそこを、ローゲとヴォータンが「降りていく」のである! つまり、観客に頭頂を見せる形で垂直に壁に立って、壁の上を歩くのだ。(もちろん、ワイヤーで支持されているのだが。)
もう一個所、ラストのヴァルハラ入場のシーンでも、同様に壁に垂直に立って、橋を渡っていく..従来、こういう「俯瞰ショット」を見せる場合は、巨大な鏡が使われてきたのだが、まさかナマでやるとはね。[;^.^]
第2場で、契約を守れ、と、ヴォータンを「諭す」ファゾルトが、ほとんど高貴で気高くすら、ある。(いやまったく実際のところ、この神々(主としてヴォータン)は逆に、サイテーなんですけどね。[;^J^])第3場で、アルベリヒが大蛇に化けるシーンでは、ローゲとヴォータンの背後から、巨大な頭部が迫るのだが、思わず、「志村! うしろ、うしろ!」、と、声をかけたくなりました [;^.^]。アルベリヒが次に化ける蛙は、ギザかわゆす。[^.^]
目次へ戻る9:30から14:00まで、湯風景しおり(散髪付き)。
14:45に帰宅して、昨日同様、録画消化。「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク)(2008/01/01 メトロポリタン歌劇場ライブ、指揮:ユロフスキ、演出:リチャード・ジョーンズ)である。昨日同様、「"METライブビューイング" "ヘンゼルとグレーテル"」で検索したブログを、いくつかリンクしておこう。→「Impression」「オジ・ファン・トゥッテ♪」
この、2008年のメトのヘングレでは、(森の中で迷った兄妹を優しく眠らせる)「眠りの精」が、まるでホームレスのような格好をしている、という噂は目にしており(多分、「レコード芸術」誌の記事で読んでいたのだが)、「子どもに見せるオペラで、そんなオトナのひとりよがりな演出が許されるか!」、と、憤っていたのだが、実見してみたところ、これが意外に違和感が無かった [;^J^]。要するに、「ホームレス(というか「乞食」)は、妖精に見える」のである! ここから、いくらでも話を広げられるのであるが、そんなことをしてると日記を書き終えられないので、今夜のところはここで置いておくとして。[;^J^]
それよりも遥かに気になったのは、大団円の演出である。魔女を窯で焼き殺すと、魔女に殺され喰われた子どもたちが生き返る。そして兄妹は、彼らを探しに来た父母と感激の再会を果たし、最後の感謝の合唱となるのだが、ここで、窯から魔女の焼死体(等身大リアルバージョン)を引きずり出して、「中央のテーブルの上に置く」のである [;^.^]。これだけでもそうとうなグロであるが、それを囲んで歌っている子どもたちが、全員、ナイフとフォークを持っているのである [;^.^][;^.^]。ここで非常にイヤな予感はしたのだが、最後の最後に、「グレーテルが脚をもぎ、ヘンゼルは腕をもいで囓りつき、幕」..[;_ _][;_ _][;_ _]
なにしろ音楽が素晴らしいので、うっかり感動してしまったのだが [;^J^]、拍手喝采していていいのかよ、そこの肉食人種の観客ども![;^.^][;^.^][;^.^] ..まぁ、子どもたちが「喰われてきた」ことへの、目には目を的な報復、程度の意味合いなのかも知れないが、それにしてももしかして、「魔女喰らい」は「人肉喰らい」に抵触しない(スコープ外である)のかなぁ?
目次へ戻るふと思い立って、早朝にネットでチケットを購入し、8:15に自動車で出て、サンストリート浜北で、8:50からの回で、「源氏物語 千年の謎」を観た。
これは..非常に素晴らしい! 幻想映画の傑作だと思う。なんといっても、六条御息所(及び、その生霊)を演じる田中麗奈が、物凄い。必見である。多分、ブルーレイが出れば買うだろう。
昼食は、久しぶりに「青空きっど」でつけ麺。13:15に帰宅。あとは、掃除もせずに、だらだらと。
当初の予定では、午後には別の映画を観るか録画消化するか何か1冊読むか、するつもりだったのだが、それらを全てキャンセルして、「源氏物語 千年の謎」の反芻・咀嚼・消化に充てたのである。
要するに、「源氏物語 千年の謎」の印象を上書きしたくなかったのである。私の場合、こういうことは、映画に限らず、極めて印象的な小説を読み上げたあとなどにも発生しがちである。要するに、年々、脳内テンポラリバッファの容量が小さくなり(というか柔軟性が乏しくなり)、大型のインプットを複数、維持しきれなくなってきているのである。オーバーフローするか、あるいは、後着優先で上書きされてしまうのであるが、それを回避するためには、ある程度の時間、間を置く必要があるのであった。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Dec 29 2011
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