*2011年04月11日:桃屋のラー油、需給緩む?
*2011年04月12日:レンブラント展とフェルメール展の図録より
*2011年04月13日:「東宝特撮女優大全集」
*2011年04月14日:γGTP、正常値目前
*2011年04月15日:四季のコンサート/「漫画研究」誌落札
*2011年04月16日:カイ・ニールセン
*2011年04月17日:庄内湖周遊サイクリング
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*2011年04月11日:桃屋のラー油、需給緩む?


 福島で震度6の余震..6というのは、「余震」の範疇から外れているとしか思えない..

 桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」を、自宅直近の遠鉄ストアでゲット!\[^O^]/ 昨年、Oさんから譲っていただいて以来、私の生涯で2個目の「桃ラー」である!\[^O^]/

 ..いや、既に、そんな大層なものでは無さそうだ [;^.^]。19時過ぎに店に入ったのだが、「おひとり様1個限り」という山に、まだ100個ぐらい残っていたのである [;^J^]。当然、朝から積まれていたはずで、最初は何個積まれていたのかはわからないが、どうやらようやく、需給が緩んできたようである。結構なことだ。たとえ流行が終わろうとも、味には変わりはないのだから。

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*2011年04月12日:レンブラント展とフェルメール展の図録より


 ネタ枯れ気味なので、先日観てきた「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」と、「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」の図録から、抜き書きなどしておこう。

 「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」

 70頁あたりから、レンブラントが和紙を使用した理由が考察されている。和紙が生み出す深い黒の発色と再現性と、和紙自体がもつ中間色の魅力。独特の絹のような光沢と風合い。また、インクによく反応し、プレスするのに大きな力がいらないのも重要なポイントで、これによって、原版の摩耗を最小限に抑えられるのである。だから、レンブラントにとって和紙は、「試し刷り」用でもあり、「豪華限定版」用でもあった。

 「レンブラントは作品の完成、未完成に無頓着で、誰もいつ完成するかわからなかった」..まるで、いつまでたっても作品に手を入れ続ける、コレクターや研究者にとって迷惑なことこの上ない手塚治虫のごとくである。[;^.^]

 「レンブラントにとって重要なのは、完成に向かうまさにその過程にこそあったのであり、完成された作品は彼にとってさほど重要なものではなかったのかもしれない。(だから、最終ステート(最終バージョン)は、完成された普及版として(和紙よりもグレードが低い)西洋紙に刷られたりする。)」(282頁)

 「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」

 ヤン・ブリューゲル(父)の「花束の絵」は、目に見える世界の忠実な再現ではなく、人工的に構築されたあり得ない組み合わせである。「ブリューゲルの構成した花束は初期バロックの世界観を象徴的あるいは寓意的に絵による暗号として表したものであり、見事にアレンジされた花々は神の創造物の美しさとともにその儚さと救いへの望みとを表すものであった」(204頁)

 「蝶はさなぎになることから解放された魂の象徴とされるが、これに対してトンボは盗賊の昆虫として悪魔の象徴とされることがある」(206頁)

 「現代の鑑賞者にとっては、特別な理由なしに庭園に積み上げられているように見える果物や野菜、そして中国の磁器のような豪華なモチーフは、17世紀中期に形成された特別な静物画の典型、「ソットボスコ」と呼ばれる「森の地面の絵」に含まれる。このタイプの作品において支配的だった、非常に高価な輸入品を無造作に庭園や森林の脇に置くという、財産の浪費をこれ見よがしに陳列する姿勢は、財産を得たオランダの上級志向の商人の嗜好に通じるものである」(216頁)

 (備忘:ルプソワール=引き立て役)

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*2011年04月13日:「東宝特撮女優大全集」


 をを、遠鉄ストアに、一昨日の桃ラーの山が、まだ残ってた [;^J^]。補充されたようには見えない。相変わらず「おひとり様1個限り」である。こうなったらもう、制限を外してしまう方が良さそうに思えるのだが、途中から販売方法を簡単には変えられない事情があるのかも知れない。

 東宝特撮女優大全集」(洋泉社MOOK、別冊映画秘宝)読了。

 もちろん、好みは人さまざまだろうが..改めて思い知らされたのが、八千草薫の、例外的な、ほとんど驚愕的な美しさである! 彼女が日本の特撮映画史に足跡(そくせき)を残してくれたことは、このジャンルにとって、なんという幸運だったことだろう! 「ガス人間第一号」は、彼女の気高い、輝くばかりの美しさを得てこそ、伝説となったのだから..(もちろん、脚本や演出も極めて優れた映画であるが。)

 そして八千草薫とは全く別ジャンルの、これまたほとんど凶暴なまでの [;^.^] 美しさを誇る、水野久美 [^.^]。ほか、香川京子、藤山陽子、沢井桂子、小林夕岐子ら、まことに眼福な1冊である。お薦め。[^J^]

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*2011年04月14日:γGTP、正常値目前


 おや、先週土曜日の献血の検査結果が、もう届いたぞ。うむうむ、γGTPが、前回(1月)の献血時の77から、さらに下がって70である [^.^]。まぁ、1割減というのは、もしかすると誤差範囲あるいは日常的な変動範囲なのかも知れないが、とにかくめでたい。なにしろ、酒量を全然、減らしていないのである [;^.^]。節酒しなくても健康体に戻れる(少なくともその方向のベクトルに乗れる)とは、夢のようではないか。私を甘やかしては、いかん。[;^.^]

 先週(4月7日)から塗り薬の塗布を再開したところ、1週間で、額の大人ニキビが、ほぼ終息した。塗布をやめれば(前例に従えば)1週間で再発するので、「終息」とは言えないのだが、とにかく、因果関係がはっきりした。また、面倒なので言及していなかったが、I医院では塗り薬と同時に飲み薬(当初は各種抗生物質、のちには各種漢方薬)も処方されていたのだが、今回、飲み薬は再開していない。うすうすそんな気はしていたのだが、飲み薬はあまり関係ないように思えるなぁ..

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*2011年04月15日:四季のコンサート/「漫画研究」誌落札


 夕方より雨になるという予報なので、やむを得ず、車で出勤する。

 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、原発のレベル7を受けて(多くの)海外演奏家の来日がキャンセルになったため、プログラムを全面的に組み直すとの一報が入る。(今日の昼の時点では、公式サイトにはまだ発表されていない。)残念だが..やむを得ない。チケットを7枚も買ったのだが、払い戻しはしてもらえるとして、ぴあに支払った手数料は帰ってこないのが癪に障る..[;_ _]

 終業後、はまホールに車で直行。多分(会社から車で向かっても)間に合うだろうと思っていたし、事実間に合ったが、本当は、会社から自転車で直行するほうが安心できた。渋滞しようがしまいが関係無いからである。(実のところ、週末なりの渋滞にはまり、ちょっとヒヤヒヤしたのである。[;^J^])

 「四季のコンサート」である。今夜は、小林美江(ヴァイオリン)、長谷川陽子(チェロ)、仲道祐子(ピアノ)のジョイントコンサート。演目は、

抒情小曲集より「春に寄す」(グリーグ)
愛の小径(プーランク)
天使のミロンガ(ピアソラ)
ハンガリー舞曲 第1番(ブラームス)
ロマンス 変ロ長調(フォーレ)
夜想曲とタランテラ(シマノフスキ)
スケルツォ 第2番(ショパン)
ピアノ三重奏曲 ホ長調 K542(モーツァルト)
ピアノ三重奏曲 第3番 ハ短調(ブラームス)

 ..であった。基本的にはオーケストラ曲が好きな私だが、やはり時には、室内楽で耳を(心地よく)洗い流したくなる。

 終演後、ホールのホワイエにて、iPhone で(まんだらけのオークションに出品されていた)「漫画研究 No.3」を落札した。1955年に発行された雑誌であり、手塚治虫が出席している座談会の記事が掲載されているからである。落札額は、ここには書かない。結構張り込んでしまったからであり、これをこの時期のこの雑誌の相場だと思われてはたまらないからである。

 それにしても、まんだらけのオークションでは、落札額に加えて、手数料として落札額の10%をまんだらけに徴収されるのだが、これはまったく納得できない。1000円で落札しようが10万円で落札しようが100万円で落札しようが、まんだらけが負担する管理費用に変わりはないはずである。にも関わらず、落札額1000円なら100円、10万円ならば1万円、100万円ならば10万円の手数料を取るのである。もしかして、落札額に応じた保険でもかけているのだろうか? ならば、理解できなくもないのだが..

 SF大会のプログレスレポートの1号と2号が届いたので、ざっと目を通しておく。

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*2011年04月16日:カイ・ニールセン


 暖かいが、曇天。録画消化など。午後からは、薄曇りながら陽が射してきた。

 幻想の挿絵画家 カイ・ニールセン」(海野弘、マール社)を一読。ニールセンの(作風の変遷を含めて)全貌を把握できる、便利な画集である。(この挿絵画家をご存知無い方も多かろうから、グーグル画像検索の結果をリンクしておく。→ こちら

 オフセット印刷の開発により、水彩画などの微妙なぼかし、にじみなども印刷で出せるようになり、豊かな色彩の豪華限定版が可能になったが、その技術革新が挿絵時代の終わりを招いたとも考えられる。表現や色彩が限定されているからこその、シンプルな線の、象徴的で想像力をかきたてる魅力が失われてしまう。写真に近づくことで写真にのみ込まれてしまった。その最後の時代を飾っているのが、ラッカム、デュラック、ニールセンら、ハーフトーンの表現を特徴とする三人である。(149頁)

 ニールセンの描く空、太陽や月や星の幻想的なシーンは、ラッカムやデュラックにはなかった神秘の世界をのぞかせてくれる。そのような宇宙的空間、空の表現は、北欧の天空と光に満たされたニールセンの始源的な記憶に由来するのだろうが、それだけではなく、彼の演劇的体験に触発されたものではないだろうか。(155頁)

 彼らを包んでいるのは北欧の白夜のような不思議な光である。それは宇宙からの光であるとともに、ゴードン・クレイグが『ハムレット』の舞台で創造した空間の光でもある。すなわち、電気という近代の発明による照明なのだ。電気照明は舞台でまず開発されて、光源を見せず、光も白い壁に反射させるという間接照明の技術がもたらされた。一九二〇年代には電気の間接照明による白いインテリアが流行った。『太陽の東、月の西』の「寡婦の息子」の挿絵は白いインテリアを予告していたのだ。(155頁)

 カイ・ニールセンは世紀末の幻想的な夢から一九二〇年代のモダン都市の軽やかな明るさへの過渡期に生きた作家である。世紀末の夜は明けかかっている。彼は古きよき時代には遅すぎ、次の新しい時代には早すぎた。(156頁)

 「ファンタジア」の「禿山の一夜」のシーンの美術を担当した。(157頁)

 彼と同時代の日本の、加藤まさをの童謡「月の砂漠」や竹久夢二の挿絵など、大正のロマン・少女趣味、宝塚歌劇とニールセンの世界はひびき合っている。(158頁)

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*2011年04月17日:庄内湖周遊サイクリング


 薄曇りだが好天。サイクリング日和である。朝いちで出たかったのだが、クリーニングの受け取りなどで出足が遅れ、10:40出発。

 庄内湖とは、浜名湖の東側の枝湾(水域)である。浜名湖を右上を向く犬の右横顔に見立てると、下顎に相当する..て、わかりにくいかな [;^J^]。マップを参照してください。

 佐鳴台から新雄踏街道を西に向かい、庄内湖に着いたところが、雄踏総合公園。ここで道なりに北上し、あとはひたすら湖岸沿いを走る。湖の北端付近に営業中のヘルスがあったが、もちろんスルー [;^J^]。決して廃墟とは言わないが、鄙びた風情があり過ぎる [;^J^]。わざわざ地雷を踏む必要は無い [;^.^]。湖岸を反時計回りに回り込んで、見渡す限り車も人もいない堤防沿いの砂利道を南下する。途中から319号に合流したが、やはり交通量はごく少ない。これといった見所があるわけでもない平凡な田舎道だが、気持ちが良い。

 12:20頃、浜名湖大橋を渡る。風が少し強く、私も少し涙目..[/_;][/_;][/_;][;^.^] ..いやはや、さほどの風でもないのに、結構、恐かった。この橋は(本気の強風の日には)自転車で渡るのには向いていない。[;^J^]

 12:40、弁天島の浜菜坊に着いた。ちょうど昼時にこの店に着くだろう、という目論見が、見事に的中。[^.^]

Picture Picture Picture

 左から順に、ほたるいかの沖漬けと生しらす、あさりのガーリックバター蒸し、舞阪あかす海老唐揚(「あかす」だっけ? 手帖に書いたメモが難読過ぎて読めない。[;_ _])1時間少々、ゆっくり過ごす。



 14時に出て、弁天島の駅前から東海道(国道1号)を東進、旧東海道に入ってしばらく走って、257号に合流(これも東海道なのだ、ややこしいな [;^J^])、浜松駅前をかすめて、15時過ぎに帰宅。トータル51キロ。

 次は連休明けに、浜名湖周遊サイクリングだな。[^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 21 2011
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