2010年06月07日:テレカについて 2010年06月08日:「のだめ最終楽章後編」 2010年06月09日:贋作の売り方 2010年06月10日:iPhone 4、どうしたものか.. 2010年06月11日:関西フィル定期/大阪泊 2010年06月12日:新世界そぞろ歩き 2010年06月13日:はやぶさ、帰還!目次へ戻る 先週へ 次週へ
財布の中に、中途半端に使いかけのテレカ(50度数)が3枚ほど、余っている。
邪魔である。[;_ _]
順に使いきらずに半端物を3枚も作ってしまったことについては、そのときどきの事情があるのだが、それはともかく、今となってはほとんど全く使い道がない。
これが未使用かつ美麗なテレカなら、チケット屋やオークションで処分できるだろうが、使用済みかつ摺れていて非常に状態が悪い(表面の図柄が損傷している)ので、全く値打ちはないだろう。(敢えて使用済みのテレカを蒐集している人たちがいることは知っているが、これほど汚れていては相手にしてもらえないだろう。)
まぁ、上京したときなど、街中の公衆電話でせっせと使えばいいのだが、(当たり前だが)iPhone の方が、遥かに便利なのでね..あぁ、そうか。携帯電話が使用禁止の(または空気的に使用が憚られる)病院の待合室などで、使えばいいのか。(用があれば。[;^J^])
目次へ戻るかねてより予告されていた iPhone 4 のスペックが発表された。今日は忙しいので、検討は後回し。
終業後に、ららぽーと磐田のトーホーシネマで「のだめカンタービレ 最終楽章後編」の20:30からの回を観るべく、会社から直行する。先日、初めてららぽーと磐田に車を走らせたときは、マップを読み間違えた(経路の途中に、進入禁止のポイントがあるのに気が付かなかった [;^J^])ため、ちょっとドタバタしたのだが、今回は正しい道順が把握できているので、スムーズに到着した。また、前回は、帰路、完全に道を見失って、深夜の田舎で瞑想迷走するハメになったので、今日は到着そうそう、インフォメーションのお姉さんに磐田バイパスへの道順を訊いておいた。これで安心である。[^.^]
時間があるので、まずは夕食。2Fの「満洲屋が一番」で、でラーメンと餃子。以前、浜松駅前の「べんがら横丁」内の「満洲屋が一番」でラーメンと餃子を食べたとき、「ラーメンはさほど口に合わないが、餃子は素晴らしい!」、という印象を受けたので、その確認がてらだったのだが、結果、やはりラーメンはさほど口に合わないが [;^J^]、餃子は、いい。ただし、「素晴らしい!」、とまでは、思わなかった。私の味覚や嗜好が変わったのではなく、明らかに「べんがら横丁店」とは味が違う(と思う)。基本的なレシピは同一であると思われるが、そこは「料理」なので、どうしてもブレが発生するのであろう。こちらの方が美味いという人もいるのだろう。
さて、のだめ。「前編」とどちらが面白いかという議論はあるだろうが、(前編は千秋の物語、後編はのだめの物語、)大変良い映画ではないかしら。オーケストラの演奏シーンが多いので、大画面で観る価値は非常に高い。また、例によって、音楽の選び方がうまい。特に感銘深かったのが、のだめがシュトレーマンの、「千秋のことなんか忘れて、私と一緒にいきましょう」..という誘惑に堕ちる落ちる [;^J^] 宇宙的なシーン [;^.^] につけられた、「ファウスト交響曲」(リスト)のエンディングである。ここにこの曲をもってきたとは、なんというセンスの良さであろうか。(比較的マイナーな作品なので、クラシックファンでも、曲名がわからなかった人は、大勢いるだろう。)この音楽世界の大仰さが、映像の漫画的な大仰さと、素晴らしく見事にマッチしているのである。
帰路は、インフォメーションのお姉さんに教えていただいた道順に従って、迷わず磐田バイパスに出ることができた。よし、これで往復とも(正確には、会社からららぽーと磐田へと、ららぽーと磐田から自宅への)道を憶えたぞ。[^J^](帰路の走行距離は19キロ、所要時間は35分。)
目次へ戻る終業後、靴を新調するために、久しぶりに「ロックタウン浜松葵」へ。ここは、会社帰りに寄るには大回りになるという印象(先入観)があったのだが、実は走行距離の増分は僅か1割(1キロ半)程度しかないということが判明した。これからときどき、寄ることにしようかな。
「まんだらけZENBU」の最新号(47号)の「手塚治虫B6単行本/赤本〜ゾッキ本コレクション」に、実に嫌な文章を見つけてしまった。[;_ _][;_ _][;_ _]凸
予備知識その1:
このページで出品されている11冊(「月世界の謎」「ゆかいな大統領」など)は、いずれも作者名が「手塚治虫」となっているが、出版社は全て「富士見出版社」である。「富士見出版社」が発行した「手塚治虫」の単行本は、オフィシャルな作品リストには掲載されていないものばかりであり、従って、「掘り出し物/新発見」に見えるのだが、実は全て「贋作」である。手塚治虫自身、「手塚治虫作品総目録」(虫ニュース編集部、手塚治虫作品総目録刊行会、1961)で、「無許可で私の旧作をかきなおして出したもので、当出版社のものはごらんにならないようにしてください」、と述べており、これは少し詳しいファンならば知っている、周知の事実なのである。(もちろん、まんだらけも知っているはずである。)
予備知識その2:
「ゾッキ本」とは、出版社の事情で、古書市場に捨て値で流出する新品本のことである。Wikipedea から引用すると、
ゾッキ本とは、古本・古書市場にて極めて安い価格で売られる新品本を指す。赤本、特価本、新古本、バーゲンブックとも。
元々は「すっかり」を表す俗語に由来する。出版社や流通での在庫がだぶついているなどの理由で、見切り品として捨て値で売られる本のこと。また、出版社が倒産して在庫が流出した場合にもこの言葉が使われる。
ゾッキ本は再販制度を前提とした流通に乗せることが出来ない棚ずれ品として古書市場に流れる。この商品を再販制度に即した新品と分け隔てるために天または地に色マジックやゾッキ印、または丸にBの字が打たれたB印で印がつけられることが多い(後略)
..つまり、「ゾッキ本」は、少々汚れてはいるものの、あくまでも「真物(しんぶつ)(=本物)」なのである。
さて、以上の予備知識を確認していただいた上で、このコーナーの「説明文」を読んでみよう。(署名がないので、文責は「まんだらけ」ということになる。)ここに、まんだらけという会社の体質(本質)を、明確に読み取ることができるだろう。
ゾッキ本とは、出版社が主に金融対策のために、正規の販売ルート以外の方法で、特別に安い価格で処分する本の俗称(「出版業界用語集」)。
様々な意見はあるでしょうが、古書古物の世界では、贋物(にせもの)パチものは当たり前の世界です。それどころか今やルイヴィトンなどのブランド物の新品のコピーが世界中に出回る時代になっています。お宝に関しては、太古の昔よりそれが稀少であればあるだけ贋作が出回った歴史があります。逆に申し上げるのなら、コピーされないようなお宝はお宝ではないといっても過言ではないでしょう。それが絵画であろうがおもちゃであろうが、骨董であろうが、コレクターはこの贋作との共存を余儀なくさせられているのが宿命なのかもしれません。どれだけ経験を積んで、お金を使って、学んでいっても卒業ですという区切りのない世界がコレクションワールド。すべては自らの責任で自らの経験と鑑識眼に頼るしかない世界。だからこそチャレンジのし甲斐がある世界でもあるのです。
こうしたまがいものに手をつけだすマニアは、ある意味この世界の深みに足を踏み込んでしまった猛者なのでしょうか。そこから本当のマニアの世界への醍醐味が始まるのかもしれません。
..そして、出品されている11冊について、「月世界の謎」には「「月世界紳士」ゾッキ本」、「ゆかいな大統領」には「「タイガー博士の珍旅行」ゾッキ本」、というキャプションを付けているのだが、これは全て「嘘」である。富士見出版社の「月世界の謎」は、手塚治虫の「月世界紳士」に似せて描いた「贋作」であり、富士見出版社の「ゆかいな大統領」は、手塚治虫の「タイガー博士の珍旅行」に似せて描いた「贋作」である。そして、「予備知識その2」で述べたように、「ゾッキ本」は「贋作」では「ない」のである。
極めて不誠実な態度である。
引用した説明文では、「ゾッキ本」の説明を、途中から「贋作」の話題にすりかえ、(ゾッキ本という言葉を知らなかった読者に対して)なんとなく「ゾッキ本=贋作」的なイメージを与え、そして「ゾッキ本」に対しては「正規の販売ルート以外の方法で、特別に安い価格で処分する本」というそれ自体は正しい説明を付しているので、「ゾッキ本」という(偽りの)キャプションが付けられた「月世界の謎」等に、「もしかすると手塚治虫の(未知の)真物かも知れない」、という雰囲気を醸成し、絵画だ、骨董だ、宿命だと、大層な言葉を連ねて、「自己責任で手を出してみたら?」、と、煽っているのである。「ゾッキ本」という言葉の定義を捻じ曲げてまで。
極めて不誠実な(卑しい)態度である。
「本物か贋物かを見分けるのは、コレクターの自己責任」であるのは、ある意味事実だが、それを、贋作と承知の上で出品している業者が言う資格は、ない! 贋作と知っているのだから、「贋作」と明記すべきである。「コピーされないようなお宝はお宝ではないといっても過言ではないでしょう。それが絵画であろうがおもちゃであろうが、骨董であろうが、コレクターはこの贋作との共存を余儀なくさせられているのが宿命なのかもしれません」、とまで言うのならば、むしろ「贋作」として堂々と売るべきではないか。
「贋作」に対しても、「ゾッキ本」に対しても、失礼きわまりない態度ではないか。
「まんだらけZENBU」には有意義な情報が掲載(連載)されているので、今後も購入し続けるし、まんだらけで探求本が見つかれば、もちろん買うなり入札するなりする。つまり、「有用性」がある限り、これからもまんだらけと付き合っていくことに、変わりはないのだが..
目次へ戻るいちいちスペックをコピペするまでもないだろう。(ネット全体として、冗長である。[;^.^])問題は、これに機種変更するかしないかだが..冷静に考えて、買い換えない理由は、ない。それはもちろん、言うまでもないのだが..問題は、現在使用している iPhone 3GS を購入したのが、去年の8月31日で、まだ1年、経っていないということなのである。私は、いつもニコニコ現金払い/満額もってけこのドロボー!、と、一括払いで購入したので、契約期間がどーのこーのとか違約金がどーのこーのとかいうややこしい話は存在しないはずであり、それは問題ないのだが..要するに、「もったいない」のである。
金の問題ではない。
この iPhone 3GS を、もっと使い倒してやりたいのである。不憫なのである..[/_;][/_;][/_;]
これに加えて、微妙にややこしい問題も存在する。つまり私はかねてより、「iPhone のバックアップ機」が欲しかったのである。この9ヶ月間、幸いにも(まれに気を失うことはあるものの [;^.^])故障もせずに使えているが、ハードウェアである限り、いつかは壊れる。そのとき、修理期間中に iPhone が無いと、かなり困ったことになってしまうのである。もはや [;^J^]。そんなときに備えてバックアップ機を整備しておくのは、技術屋的センスの持ち主ならば当たり前のこと。一例をあげると、私の自宅ではハードディスクレコーダー RD-X5 のバックアップ機として RD-XS36 が常時スタンバイしており、いつ RD-X5 が故障しても、録画スケジュールが乱れることはないのである。(近年は、RD-X5 が安定稼動しているので、RD-XS36 は2年以上出動していないのだが。)
多分、同じ iPhone 3GS をバックアップ機として入手しておけば、いざ壊れても、SIMカードをバックアップ機に挿し替え、ほぼ毎日母艦PCにとっているバックアップイメージをバックアップ機にリストアすることによって、クローンとして使えるのだろうと思いつつも、中古市場では廉価な iPhone 3GS(3G でもよいのだが)はなかなか見つからず、これまで、バックアップ機を手配できていなかった、という経緯がある。
そんなときに、iPhone 4 の登場である。これに機種変更して、従来の iPhone 3GS をバックアップ機に回す、という選択は、ありうる。稼働率は激減する(iPhone 4 が故障しない限り、二度と使われることはない)のだが、それはそれで有意義な第二の人生であるし..と、考えを固めていたら、なんと、iPhone 4 のSIMカードは、iPhone 3GS に挿さらないとのこと。アダプタをかませば挿さるかも知れないが、正常に認識されるかどうかは、全くの未知数である。つまり、バックアップ機として使えるかどうか、現時点では、全く不明なのである。
下取りに出すという手もある。おそらくこれが一番妥当なのだろうが..もしかして、リユースではなくリサイクルされてしまったら、不憫である。まだまだ使えるのに..それとも、オークションに出す? いずれにせよ、この場合、バックアップ機問題は、白紙に戻るわけだ。
..というわけで、当分、様子見である。[;_ _][;^J^]
目次へ戻る今日は午後半休。速やかに帰宅して、13:00に自宅を発つ。昼食は有楽街のつけ丸で、濃厚つけ麺。13:57浜松発のこだまで新大阪へ。関西フィルの定期公演である。
関西フィルハーモニー管弦楽団
ザ・シンフォニーホール
指揮・大友直人
ヴァイオリン:岩谷祐之(関西フィル・コンサートマスター)
◆芥川 也寸志:交響管弦楽のための音楽
◆伊福部 昭:ヴァイオリン協奏曲第2番
◆バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116
大阪でどこかで遊んでいくには(微妙に)時間が足りないので、ザ・シンフォニー・ホールに直行するが、招待券とチケットの交換開始時刻である17:45よりもだいぶ前の16:30過ぎに着いてしまい、さすがにいささか早すぎるので、隣の「珈琲は黒い魔女」なる喫茶店で、レイコ(郷に入っては郷に従えの大阪弁 [^.^])で時間調整する。BGMがレトロな歌謡曲とポップスで、なかなか心地よい。[^.^]
17:15頃から窓口の列に並び、チケットに交換してもらうが(席の指定は出来ないのだが)、なんと、1Fの「G13」である!\[^O^]/ 席に座って開演を待つあいだ、斜め後ろの席から、「前を向いたまま話してもらおうか..」、と、声をかけられるのを、心待ちにしていたことであるよ。[^.^](そういう洒落っ気のある奴は、いないものだろうか。[;^.^])
演奏は、非常に良かったと思う。特に予習もしていなかったので、「芥川の交響管弦楽のための音楽って、どんな曲だっけ?」状態だったのだが、開始そうそう2秒フラットで思い出した [;^J^]。いや、ほんと。
終演後、徒歩30分で、JR北新地駅の東改札へ。Cさん、Sさん、Mさんと待ち合わせて、大阪駅前第三ビルの地下の「レストラン OKINAWA」へ。遅れて、Nさん、Aさんも参加。計6人で、楽しく飲み食い。ここに来るのは3年半ぶりだが、酒も料理も、とにかく美味い!
23時過ぎに散会し、再び徒歩30分で、予約しておいた「堂島川温泉 天神の湯 ドーミーイン梅田東」に着き、素敵な大浴場で疲れを癒す。明日は、新世界あたりを観光(お散歩)するつもりである。
ちなみに本日、JR北新地駅への歩きとドーミーイン梅田東への歩きで絶大な威力を発揮したのが、iPhone の「鉄地図2010」である。これは鉄道地図であるが、その最大の特徴は「正縮尺で地図の上に表示し、GPSとも連動している」ことである。今日もそうだったのだが、街中の待ち合わせや(ホテル等の施設の)アクセスガイドは「鉄道の駅」を目標にすることが多いので、通常のマップよりも、鉄道駅と鉄道路線を地図の上で強調表示する「鉄地図2010」の方が、見やすく使いやすいのである。(駅名から検索できることは、言うまでもない。)また、特に街中では、iPhone のGPSによる現在地ポインタ表示が(高層建築に邪魔されて)ほとんどランダムに飛んでしまうことがあり [;^.^]凸、マップを頼りに歩いているとき、しばしば悩まされるのであるが、「鉄地図2010」では、なぜか困り方の程度が軽い。何故かと考えるに..目標とする駅への路線も表示されており、そして(地下鉄の)路線は、大きな道の下を走っていることもあり、これらが「道順のガイド」として(心強く)機能するので、現在地ポインタがときどきどこかへ飛んでしまっても、あまり途方にくれずに済むのである。
目次へ戻る(今日のタイトルは、クラシックの2大名曲の合成である..なんてことはどうでもよろしい。[;^J^])
6時前に目が覚めた。とにかく、朝風呂である [^J^]。露天温泉風呂とはいっても、街のど真ん中なので、天井が開いていて、そこに目隠しの葦簀(よしず)が置かれている程度のものであり、当然、景色などは見えないのだが、それでも快適。今日は快晴である。
9:00にチェックアウトして、地下鉄で天王寺動物園駅へ着いたのが9:30過ぎ。ここから天王寺動物園まで徒歩5分ほどなのだが..めったやたらと串カツ屋が並んでいるのに驚く。そしてまたそれらの多くに、いかにも大阪的な?キンキラ金の不気味で巨大な像が飾られているのにも驚く。力士でもなさそうである。これはいったい、なんなんだろう?
動物園に来るのは、実に久しぶりである。広すぎず、狭すぎず、街中の動物園としては、手頃なサイズではないかしら。
爬虫類館アイファーを手始めに、結構な陽射しのもと、ぐるりと巡回する。メスライオンが、檻の中で外をじっと見つめていたが、どうみても、ジャングル大帝のレオの母である。サバンナから連れてきてこんな狭いところに幽閉している「人間」に、感傷的になる資格はないが..[_ _] アムール虎も、実に美しい。オランウータンは..この写真では十分に伝わらないかも知れないが、その瞳の表情のニュアンスが実に深く、見つめ合っていると、こちらが負けてしまう..[;_ _]
12:20に出る。ジャンジャン横丁の昭和な雰囲気(ガイドブック(タビリエ)に拠る)を堪能してから、串カツ屋「八重勝」で昼食にしようと、まずは、ジャンジャン横丁の場所を道行く人に訊いて確認した。動物園の入り口から、串カツ屋が多い道筋を少し戻り、ちょっと横に入った先にジャンジャン横丁があるのだが..それにしても、ここはいったい、なんなんだ [;^J^]。ジャンジャン横丁に着く前も、ジャンジャン横丁に入ってからも、串カツ屋の多いこと、多いこと! 東側の人間にわかりやすく喩えると、神保町の古本屋状態である。[;^.^]
八重勝は、ジャンジャン横丁の中ほどにあった。ガイドブックに載っているだけあって有名店らしく、ちょうど昼食時刻だということもあって長蛇の列ができていたが、20分は並ばなかった。ふむ。なかなか美味いな。[^J^]
ジャンジャン横丁を動物園側の入り口に戻り、「ニュースター」という店で、ちょ〜久しぶりにスマートボールで遊ぶ。500円、秒殺であったが、まぁいい [;^J^]。別に景品目当てだったわけではない。[;_ _][;^.^]
まだ時刻も早いので、天王寺動物園の「向こう側」にある、天王寺公園へ。植物温室は、いささか寂れ、うらぶれた風情であったが [_ _]、慶沢園(庭園)や茶臼山は、公園中心部にある大阪市立美術館ともども、なかなか面白かった。
最後はもちろん、通天閣である [^.^]。エレベーターは30分待ちで、十分想定の範囲内。それより驚いたのは、「ビリケン」の群れである。串カツ屋街のあちこちにあったのは、ビリケン像だったのだ。通天閣の守り神だとは知らなかった。しかし..う〜ん、可愛くない。可愛くないと思うぞ、私は..[;^.^]
中央の写真は、通天閣の最上階からの写真で、手前に見えているのが天王寺動物園。右側の写真が、ひとつ下の階に祀られているビリケン像。(現在、グラサンかけた「ザ・ウォーカー」仕様である。[;^J^])ビリケンの足の裏に触るとご利益があるらしく、右下にいい感じにブレた女性の手が伸びている、ちょい不気味な写真となっております。[^.^]
あとは、帰るだけである。16:30にJR新今宮駅。17:07新大阪発ののぞみに乗り、名古屋でこだまに乗り換え、19:50に浜松の自宅に帰宅。
目次へ戻るはやぶさが、還ってきた。現時点では、小惑星の砂を採取できているかどうかは不明だが、プロジェクトの本質的な部分は、達成されている。大成功といってよかろう。おめでとう。
とにかく、テレビが実況中継しないので [;_ _]凸、ネットに頼らざるを得ない。私は、和歌山大学のチームによる UStream 中継を見ていたが、しばらくのあいだ音声が途切れ途切れで、これはダメかと思ったものの、その後なんとか安定し、大気圏突入シーンは(音声と映像、それぞれタイムラグがあったものの)リアルタイムに見ることができた。感謝したい。
それにしても、なんという「日本人泣かせ」[/_;] のプロジェクトであろうか。他国の国民性はいざ知らず、日本人は、困難な任務を果たして満身創痍になって帰ってくる..という物語に、とことん、弱いのだ。日本全国で(少なく見積もっても)数百万人が想起しているであろう「ヤマト」や「トップをねらえ!」に、ここで言及するまでもあるまい。[;^J^]
さらに本質的なことであるが、はやぶさは、本当には「地球帰還」できないのである。大気圏で燃え尽きてしまうのだ。これもまた、日本人を泣かせるツボである。
そして..
しかし、はやぶさの最後の重要任務は、小惑星の試料を納めた可能性がある内蔵カプセルを機体の前面から地球に向けて放出する作業。それに必要な姿勢を保つため、底面のカメラは地球が見えない方向に向けている。
相次ぐ故障を乗り越えて帰ってきたはやぶさに、その「目」で、もう一度地球を見せたい――。はやぶさ計画を率いる宇宙航空研究開発機構の川口淳一郎教授らが撮影を思い立った。カプセル放出から大気圏突入までの約3時間、残るエンジンなどの力を振り絞ってカメラを地球に向ける。
(2010年6月13日03時02分 読売新聞)
..これは、はやぶさに「人格」を認めている日本人にしかできない発想である。この「ラストシーン」を完璧に絵解きしたのが、http://drawr.net/show.php?id=1478887 である。これを見て泣かない日本人は、人間性を疑われても仕方がない。そしてはやぶさが最後に撮った地球が、これである。送信が途中で切れて流れてしまっている、いわばできそこないのショットであり、だからこそ、皮膚が粟立つほどのリアリティと感動をもたらすのである。
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