2010年02月01日:「アバター」に思うこと 2010年02月02日:蚊帳の外 [;^.^] 2010年02月03日:ろくでもない話 2010年02月04日:眼鏡を壊す [;_ _] 2010年02月05日:眼鏡を直す [;^J^] 2010年02月06日:「業」と書いて「カルマ」と読む 2010年02月07日:鉄腕アトム復刻大全集について目次へ戻る 先週へ 次週へ
晩飯は、久しぶりに高丘東のワンタン軒でニンタマラーメン。美味い。帰宅したら、島本和彦の公式同人誌が、13冊まとめて届いていた。計1万3千円強に見合う買い物なのかどうか、極めて疑問ではあるのだが、それを承知で購入したのは私自身である。[;_ _][;^J^]
「アバター」について、思うことを少々。ネット上で評判を読み漁るほど暇ではないが、普段購入している雑誌や行き付けのブログなどにインプレが載っている場合は、大体目を通している。その(ごくごく狭い)範囲に限ってでのことではあるが..ほとんど全ての評者は、私と同じ評価をしているようである。すなわち、「美術的には素晴らしいが、ストーリーは、語るに値しない。」
そもそも、SFである必然性のない「物語」である。東南アジアか南米のジャングルを舞台にしたほうがよほど解りやすかったと思うが..しかし地球上の「未開地帯」の「未開種族」をあのような姿で描くことは、もはや不可能なのだろう。
結局、革新的な映像をヒットさせるためには、凡庸な物語が必要なのだ。なぜなら、映像と物語の両者が革新的であると(あるいは「普通でなければ」)、観客の注意と評価が、その両方に分散してしまうからである。な〜んも考える必要がない、アホみたいなストーリーであればこそ、観客は映像に没入することができるのであり、だからこそ、「スター・ウォーズ」も「ジュラシックパーク」も、大ヒットしたのである。「アバター」も大ヒットするのであろう。(皮肉を言っているように聞こえると思うが、けっして否定的な評価をしているのではない。)
以下、蛇足。
「革新的な映像」に「普通でない物語」を付け合わせてしまった大失敗例が、「2001年宇宙の旅」である。今でこそ神格化された作品であるが、1968年の公開当時は、客が全く入らなかったのだ。
目次へ戻るなんちゅうか、ほんちゅうか。
朝いちでマイミク諸氏数十人のMixi日記(昨日から今朝にかけて書かれたもの)を読むと、話題は雪一色の、真っ白けである。へぇぇぇぇ〜.. 浜松は、昨日は雨。雨雲が朝方まで覆ってくれたおかげで、今朝もポカポカと暖かですけどな [;^.^]。まったく、ほんとに同じ国(のニュース)かと、冬が来るたびに疑問に思うことである。[;^.^]
目次へ戻る私は自宅(に常置しているリブ100)ではカナ打ちだが、会社ではローマ字打ちである。別に、プライベート仕様と仕事仕様というわけではない。図書館、ホテルのロビー、漫画喫茶などの端末を扱うときは、それがカナモードになっていればカナ打ちをするし、ローマ字モードになっていればローマ字打ちをする。要は、モードを切り替えるのが面倒なのであり、さらに正直に言えば、モードの切り替え方をいまだに憶えていないからであるが [;_ _]、閑話休題。[;^.^]
..というわけで、会社ではローマ字打ちをしているものだから、報告書を書いていて、「とくになし」とタイプしたつもりだったところ、指が滑って、「ろくになし」となってしまっていたという、ただ、それだけの話である。[;^J^]
ちなみに、今夜の日記は、常用しているリブ100とは異なるPCで書いているのだが、タイトルを書くときに念のため、iPhone にインストールしている「大辞林」で「ろくでもない」の意味を確認した。(リブ100で書いていれば、これに常駐している「大辞泉」を使っていただろう。)最近は、自宅以外では(鞄に常駐している)電子辞書を使うこともほとんどなくなってしまい、辞書としては常に iPhone の「大辞林」や「WISDOM」を使っている。胸ポケットに常駐しているので、アクセスが早いからである。長文ならばいざしらず、単語程度なら、入力に要する総経過時間もフルキーの場合と数秒と変わらないことだし。
ついでにちなみに。以前、廃墟通信で、「カーソルキーのあるエディタが、iPhone にも欲しい」と書いたが、実は最初(はな)から「カーソル」は自在に動かせることに、最近になってようやく気がついた [;^J^]。テキストを長押しすると虫眼鏡が表示されるが、そのままスライドすれば、虫眼鏡の中心に表示されている「カーソル」を動かすことができるのである。従来、テキストの長押しは「選択範囲」を決めるためにのみ行っていたので、虫眼鏡が表示されると(選択範囲を決めるために)すぐに指を離していたため、気がつかなかったのであった。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
さらにちなみに。この程度の語彙(「ろくでもない」)の意味をいちいち辞書で確認しているようでは、記憶力(というより、記憶を呼び起こす力)が衰退していくばかりであるということは、もちろん、よっく承知しているが..いまさら、この便利さを手放すわけにもいかないのである..[_ _][;^J^]
..まぁ、ろくでもない話ではある。
目次へ戻る午後、会社から外出して、グランドホテル浜松で開催されている「はままつメッセ2010」を視察する。業務の一環であるので、どこの会社のブースが目当てだったのかは書かないが、「地域内外の企業・大学・研究機関が、新たに開発された技術や製品などを一堂に展示した商談交流会」であり、なかなか面白い。200近くのブースが(迷路的な会場内に [;^J^])ひしめいていたが、これは毎年、視察するに値するな。
深夜、コタツで居眠りしてしまい、いかん、いかんと目をこすりながら体を起こしたら、体を支えている左手の下に、眼鏡があった [;_ _]..幸い、レンズは割れなかったものの、左眼のフレームの下半分を構成している(ナイロンの?)糸が切れてレンズが外れてしまい、もはや固定は不可能。もちろん、修理が必要だ。
まいったな..と、予備の眼鏡を探したら、これがなんと、無いのである [;_ _]。ひとつ、あるにはあったが、左のレンズが入っていない。10年以上?昔に左のレンズを割ってしまったおりに眼鏡をまるごと作り直したのだが、その際に捨てずに取っておいたらしいが..なんの役にも立たんな、これ。[;_ _](危機管理体制として、これはかなりまずい状態である。予備の眼鏡を早急に作らないと..)しゃーない、それならコンタクトレンズだ..と、これまた1年以上も装着していないソフトコンタクトレンズを探す。見つかったとしても、こんな整備不良のレンズを目に入れていいわけがないが、まぁ、メガネ屋に着くまでの30分程度だから..
..と、洗面台の隅から発掘したソフトコンタクトレンズは、容器から保存液が蒸発しきっていたため、容器内でカラカラに乾いて、薄青く変形した残骸となり果てていたのであった..ごめんね、ごめんね..[/_;][/_;][/_;][/_;][/_;]
..さて、困った。どうやって、勤務先の向かいにある、行き付けのメガネ屋に辿り着こうか..左のレンズが無いので、右目1.2、左目(推定)0.01(以下)、と、限りなく片目に近い。危険で運転できない。自宅を1時間ほど早く出て、バス出勤かなぁ..
..フレーム(の上半分)は生きているので、レンズをセロテープで貼り付けてぶら下げればなんとかなりそうだ [;^J^]。見た目は非常に悪いが、明日の午前中、この姿でメガネ屋に乗り付けることにしよう。
目次へ戻る午前半休を取得し、午前10時の開店時刻に合わせて、勤務先の向かいにあるメガネ屋に乗り付け、メガネを修理してもらう。やれやれ。
修理後、隣のホームセンターに立ち寄ってみたら、電子レンジ用のスパゲッティ茹で器が売られていた。別に珍しくもない、しばしば見かけるタイプのものであるし、便利そうなのでちと心が動いたのだが..しばらく考えた末に、見送った。
普段、このタイプの商品にあまり注意を払って見ていないので、この値段が相場相応なのかわからないということがひとつ。それと、うまく茹でられるのかどうか、一抹の不安を感じたことがひとつ。だって、鍋で茹でるときは、麺どうしがくっつかないように、ほぐしながら茹でるでしょ? これは、容器に揃えて入れて、水を入れて、レンジでチンするだけなのである。うまくバラケてくれるのだろうか?
最後にもうひとつ。確かに、鍋で茹でるよりは手軽に違いないが、じゃぁ鍋で茹でるのが我慢ならないほど面倒かというと、実はそうでもない [;^J^]。つまり、「解くべき課題」のレベルが低く、「解くに値しない」に、かなり近いのである..
..まぁ、いずれ気が向いたら、買うかも知れんけど。(調理に要する総エネルギー量(すなわち光熱費)は、低く抑えられる様な気がするし。)
晩飯は久々に回転寿司のスシロー。値段相応の味でしかないと思うが、つまり値段とのバランスは取れているのだから、文句は全くない。
目次へ戻る終日、ヒッキー。
先週からくよくよと思い悩んでいたのだが、結局、「伊藤若冲 動植綵絵 全三十幅」(小学館、52,500円)を(半ベソかきながら)発注してしまった..だって、仕方がないじゃないか..[/_;][/_;][/_;][;^.^]
うーむ、しかし、これは痛い。これは痛いぞ..なにしろ、今春は車検があるのだ。まいったなぁ..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^](ちなみに、参照用にアマゾンへのリンクを張ったが、アマゾンにではなく、DM発送元の小学館に同封の注文書で発注した。カモとしての実績を積むためである。[;^.^])
目次へ戻る快晴だが、昨日同様、終日、ヒッキー。
購入以来(例によって)ずっと積んでいた「鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集」のユニット1とユニット2を通読した。
この大全集は、「少年」誌に18年にわたって連載された「鉄腕アトム」の(いわば)「正編」を、全6ユニットにまとめて3ヶ月ごとに刊行するというプロジェクトであり(現在、ユニット2まで刊行済みで、3月にユニット3が出る)、当時の版型やカラー頁の再現は当然として、別冊付録に掲載された分は別冊付録の体裁で再現するという、画期的な内容なのである。
何度か書いていることであるが、私は「原典至上主義」を採らない。
「オリジナル版」に対する私のスタンスは、(手塚作品に限ったことではないが)「最終版が、もっとも尊い」というものである。手塚作品については夏目房之介や唐沢俊一のように、オリジナル版(のみ)を称揚し、のちの描き換え版を評価しないという識者が実に多いが、私はその立場を採らない。たとえ初期の流麗な描線を失おうが、すっきりと整理されたついでに味のあるコマや展開を失おうが、作者がもっとも多くの時間と思考を(心血を)注ぎ込んだのは、改訂を重ねた末の最終版であり、それに最も価値があると考えるべきである。従って手塚作品の場合は、全集の第300巻までは作者の存命中に出版されたのだから、それが、作者自身が承認した、もっとも権威がある(価値がある)版とみなすべきであろう。(死後に刊行された残り100巻は、多少事情が異なるが。)
従って、全集版を持っているのであれば、大枚はたいて「オリジナル版」を購入する必要はない、というのが私の基本的なスタンスなのであるが..ただ、「鉄腕アトム」の場合は、単行本収録時の描き換えがあまりに大規模であるということと、やはり作品が作品なので、「最終版」のほかに「オリジナル版」も手元に揃える価値は、大いにあると思う。(そこは、ケースバイケースである。)
例えば、オリジナル版(雑誌掲載版)は、エピソードに明確な切れ目がなくつながって行くことがしばしばあるが、そのつなぎの部分は、エピソード毎に切り分けて整理される単行本では、容赦なくカット(リライト)されてしまう。(全集などの)単行本だけで読んでいると、序盤に謎の展開というか、無理めの唐突な設定からスタートするエピソードがしばしばあるのだが、これも、前のエピソードから連続している話を無理矢理切っているからである。これらの箇所の本来の姿は、読んでみたくもなろうというもの。
全6ユニット。3ヶ月ごとに刊行される各ユニットが、14900円。まぁ、月々5000円の税金18ヶ月ローンだと思えば、まったくなんということもない話である。まったくなんということもない話であることよ。[;^.^]
この大全集には、ネガティブポイントが、ひとつある。それは(例によって)「差別用語」が書き換えられていることである。手塚治虫関係のメーリングリストでこの件が判明して話題になったときは、賛否両論というより、2:8か1:9で「否」の方が(やはり)多数派だったのだが..これは、やっかいな問題なのである。
「現役で読まれるべき漫画単行本」として出版しているのなら、書き換えるべきであろう。
「資料」として出版しているのなら、書き換えるべきではない。
高価な限定出版であることから、「資料性」を重んじて購入する人が多数派であることは確実だし、私自身がそうなのであるが..しかし、出版側の、書き換える事情(理由)も、よくわかるのだ..
この問題の解決方法は、恐らくひとつしか存在しない。それは、「校注報告」を別途出版することである。書き換えるのは是として、どこを書き換えたのかを別冊として出版し、記録に残せば、それで良いのである。(「大全集」+「校注報告」で、「資料」として完備になる。)書籍として出版しにくければ、Webサイトでも良い。また、手塚プロとして発表しにくい内容だというのなら、ボランティアが同人誌として出版するなり、Webサイトに掲載するなりしてもよいのだ。(「鉄腕アトム」が掲載されている「少年」の本誌と別冊を全部貸していただければ、手弁当で「完璧な」校注報告を作りますぜ [;^J^]。オファー、お待ちしております。[_ _][;^.^])
ユニット2に収録されている「ミイラ伯爵の巻(改題:コウモリ伯爵の巻)」に、面白い箇所を見つけた。ブズズ星人が円盤内に姿を現したときのセリフなのだが、
「キスフコイャチ」
「ルベラ!!」
「ゼビ」
「イシュビドッ」
「ストンサドルカリカンアルーポ」
「ク…トルバ」
「ズーオリルベ」
..これは、初見である。もちろん(「軽音楽」を含む)作曲家の名前の反対読みであり、手塚治虫がよくやるお遊びであるが、私が小学生時分に読んだ「カッパコミクス」版の時点で、既に、意味のある [;^J^] セリフに書き換えられていたし、いちいち調査しないが、その後の全ての単行本が、こちら(意味のあるセリフ)を採用していると思われる。
初出誌でこれを読んだ、1958年当時の小学生(たったいま気がついたが、このエピソードの連載が始まったのは1958年9月であり、同年9月4日生まれの私と同い年ではないか [;^.^])に、通じたであろうか。クラスにひとりか二人しかいない(この時点で既に完全なマイノリティである)クラシックファンの小学生はもちろんこれに気がついて、友だちをつかまえ、息を弾ませて得意満面で「解説」したことであろう..
「ね、ね、これ、わかる? これ、クラシックの作曲家の名前なんだよ! ほら、チャイコフスキー、ラベル、ビゼー、ドビュッシー。ポールアンカリカルドサントスはわからないけど..それと、バルトークとベルリオーズ! みんな、音楽室に肖像画がかけられてるの、知ってた? バルトークとベルリオーズはなかったかな。それと、知ってる? 知ってる? 手塚治虫は、ジャングル大帝の最終回を描くとき、チャイコフスキーの「悲愴」を聴きながら描いたんだよ! それとね、それとね! ..」
「.....」
..かくして、彼の疎外状況は、いっそう暗く、深まり行くのであった..[-人-][-人-][-人-](手塚治虫も、罪なことをしたものである。[;^.^][;^.^][;^.^])
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