2009年03月09日:「廃墟建築士」 2009年03月10日:詐欺師について 2009年03月11日:「人類は衰退しました」 2009年03月12日:やはりマトモではない [;^J^] 2009年03月13日:好きだ! 2009年03月14日:ダブルパンチ [/_;] 2009年03月15日:焼け残り目次へ戻る 先週へ 次週へ
たまには(熟成した積読ばかりではなく)新刊も読むのである。「廃墟建築士」(三崎亜記、集英社)を読了。4編からなる短編集であり、いずれも「奇想系」に分類されることになるかと思うが..奇妙に懐かしい作風である。してみると、かつての(1960〜70年代の)日本SFは、実は奇想SFが主流であったということか。
ある地方都市を舞台に、建物の七階での犯罪発生率が高いという理由から、全ての建造物から「七階だけを」削除しようとする行政側と、七階の住人たちの闘いを描く「七階闘争」は、粗筋から予想されるほどには超現実的なストーリーではなく、いつかどこかで読んだ物語、という既視感を強く覚える。「廃墟建築士」では、「廃墟の建設」が文化的・国家的ステータスとなった架空の近未来を舞台に、「促成廃墟」「偽装廃墟」が横行する日本と、悠久の時をかけて(「時」を「長さ」に写像する)長城のような廃墟がゆっくりと建設されてゆく欧州が対比される..と紹介すると、あまりにストレートな価値観の逆転&ナマな風刺と思われるかも知れないが、意外にそうでもない、しっとりとした、いい話である。夜の図書館で書物が群を為して飛翔する「図書館」も、悪くない。「蔵守」は、何故それを守るのか、蔵守自身にももはや解っていない「蔵」の物語。哲学的ファンタジーかと思いきや、意外にストレートなSFであった。
目次へ戻る「ロンドンハーツ」は、実はほとんど見ていないのである。見るのは、女性タレントの「格付け」の回のみ。(← 大変わかりやすい視聴者ですね。[;^J^])男性芸人同士の「格付け」なんぞに、1ミリも興味はないし、とりわけ私は、ドッキリ企画というのが、大っ嫌い!!なのであるが..それはさておき。
今夜の女性タレントたちの「格付け」では、杉田かおるのトークから面白いネタが拾えた。彼女には「詐欺師」のお知り合いが(複数?)いるらしいのだが [;^J^]、その体験に裏打ちされた、詐欺師からの身の守り方とか逃げ方とか [;^.^][;^.^][;^.^]。特に興味深かったのが、「20年、30年かけてじっくりと騙す」詐欺師がいるということで、そこまで慎重にゆっくりと時間をかけられたら、見抜けるものではない、とか。そりゃそうだよなぁ..半生をかけるのだから、詐欺師も大変だ。(同情してはイカンけど。[;^J^])もちろん、複数の案件を並行処理する詐欺師もいるのだろうが、顧客 [;^J^] を一度にひとりしか抱えない詐欺師の場合、一生涯に2〜3人しか騙せないってことか..(それでは、結婚するのと変わらんではないか。[;^J^])
だから(熟成した積読ばかりではなく)新刊だって、読むのである。「人類は衰退しました」(田中ロミオ、小学館ガガガ文庫、既刊4巻)..まぁ、第4巻以外は新刊とは言い難いのだが [;^J^]、とにかく一気読み。
私はラノベの世界には疎いのであるが、仮に、この水準の作品がボコボコ書かれていて、それらがそれなりに売れているのであれば、日本の未来は明るいと思う。表紙と口絵を一瞥し、数ページパラ見した時点では、単なるキャラ萌えの(しょ〜もない)作品かと思っていたのだが、各エピソードがSFとして、意外にしっかりとした骨格を持っている。
内容については、ウィキペディアを斜め読みしていただくとして..特に第1巻では、この妖精さんたちが、ポール・アンダースンのホーカ・シリーズ(「地球人のお荷物」(ハヤカワ文庫)など)を強く想起させる。SFの古き良き伝統芸であるし、それにとどまるものでもない。妖精さんたちのトーク(おしゃべり)が、もう絶妙。[;^.^]
目次へ戻るバラエティ番組の装置(大道具)って、要するに単なる背景だから、普段はほとんど意識に昇らないのだが、よ〜く見てみると、尋常ではないギンギラギンギンさ加減であることよなぁ [;^J^]。イロモネアにしても、レッドカーペットにしても、マトモな神経で耐えられる空間とは思えない。バラエティ番組慣れしていない俳優や女優が(初めて)バラエティ番組に出演したときに、装置などの「色彩(の派手さ)」に言及することが良くあるが、確かにその通りなのであった。
目次へ戻る小説でも映画でも漫画でも、なんでもいい。ある人がそれを「好きだ!」と主張し、別の人が「そんなものはくだらない、駄作だ!」と主張するとする。これは、議論になる場合もならない場合もあるが、普通は噛み合わない。そして噛み合わないまま、普通は前者が(好きな側が)勝つ..というか、後者が手を引く。(「しょーもな!」「付き合いきれんわ!」「見る目がないね!」などなどの捨て台詞とともに。)
これは、ある意味、当然のことである。なぜなら、「好きだ!」は、多くの場合、理屈ではなく感情なのであり、「駄作だ!」は、多くの場合、感情ではなく理屈であるからだ。誤解を恐れず大胆に割り切って喩えると、「好きだ!」は「宗教」なのであり、「駄作だ!」は「科学」なのである。「好きだ!」と叫ぶ人を「それは駄作なのだよ」と(多くの場合)説得できないのは、神の不在を科学的に証明して見せても、信者たちには通用しない(そもそもその意味を理解してもらえない)ことと、ほぼ同義である。
念のため申し上げておくが、ことの良し悪しを論じているのではない。どちらが正しいという問題ではないのだ。同じ人が、ある事柄については宗教的な態度を取りながら、別の事柄については科学的な態度を取ったりするのは、ごく普通のことである。
実は私が、「好きだ!」の「力」を認識したのは、澁澤龍彦をめぐってである。正確に言うと、澁澤龍彦の追悼特番(非常に画質の悪い録画をVHSからDVD−Rに焼き直したものを、今でも保存している)の中で、池田満寿夫が、「(ある作品の評価をめぐって議論になったときに)澁澤龍彦は、「(誰がなんと言おうとも)俺は、それが好きだ!」、と断言した。それは決定的な決めゼリフであった。何よりも自分の好みを拠り所としていたところが、澁澤龍彦の偉さであった」..というようなことを述べていた。それにすっかり感心した私は、「なるほど、自分の好みを(それのみを)拠り所として「好きだ!」と断言すれば、誰にも論破されることはないのだな」、と、かな〜り曲解したわけではあったりしたのであったとさ。[;_ _][;^.^][;^.^][;^.^]
プチトラブルで、久しぶりに1時間ほど残業。帰宅時には、雨が降り始めていた。
目次へ戻る真夜中、風雨の轟音で目が覚める。無理やり二度寝、三度寝を繰り返しているうちに朝になってしまったが、弱まったとはいえ、まだ雨が残っている。
久々の「快晴でない」休日なのだが、休日には湯風景しおりで日光浴、というリズムを体が覚えてしまっているので、これが出来ないとなると何をどうすればいいのかわからず、しばし茫然とする。(← 必ずしもフィクションではないのだから、呆れる。[;^.^])
..ようやく、ミッションを思いついた [;^J^]。髪が伸びすぎている。散髪だ。いつもの(廉くて早くて下手な [^.^])床屋へ..「白髪が増えておりますが、染髪しますか?」..そのようなことを言われたのは、人生において初めてである [/_;][/_;][/_;]。もちろん、拒否する。染めてたまるか。[;^.^]
眼鏡の度数が合わなくなっているのも思い出したので、行きつけのメガワールド(といっても、数年に一度しか利用しないが)に行って、レンズを作り直す..遠近両用レンズなど、人生において始めてである。[/_;][/_;][/_;]
昼食は、久々に西インター前のジョリーパスタへ。この店に着いた頃には雨はほぼ止んでいたが、風は逆に強くなった。タラバガニとサヤエンドウのクリームソース。確かに美味しいが、(というか、この食材の組み合わせで美味く作れないような店には二度と来ないが、)いささか塩辛いと思うぞ..
一旦帰宅してから、改めて、西郵便局へ。りそなに回って現金を確保し、いつものチケット屋で新幹線の回数券を4枚購入する。(浜松 ⇔ 新大阪 ×2、浜松 ⇔ 京都 ×2)
目次へ戻る今日は雲ひとつなし! もちらん、朝から15時まで、湯風景しおりで日光浴である。陽射しは強くて暖かいが、風も強いので、裸で読書は諦める。
腰の両サイドに日焼けしていないエリアが少しずつ残っているのだが、いろいろと姿勢を工夫しても、ここをなかなか周囲と同じ色に変色させられないのである。もちろん、そんなことをする必要は金輪際無いのだが、せっかくなので、全身をできるだけ同じ色にしておきたいという、我ながら意味不明なオブセッションに憑かれているのであった。[;^J^]
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Mar 18 2009
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