*2009年03月02日:「忘却の船に流れは光」
*2009年03月03日:デモソフトについて
*2009年03月04日:「わたしの人形は良い人形」
*2009年03月05日:「地を這う魚」
*2009年03月06日:「幻想探偵」
*2009年03月07日:探検ロマン世界遺産
*2009年03月08日:「完全復刻版 新寶島 豪華限定版」
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*2009年03月02日:「忘却の船に流れは光」


 早川書房の「ハヤカワSFシリーズJコレクション」をまた、たくさん積んでしまっているんだよなぁ..[;_ _] この叢書、出るそばから片端から購入しているものの、読んでいるのは半分くらい? これらを(他の膨大な積読を差し置いて)優先的に片付けるわけには行かないものの、わりと順調に文庫化されつつあるので [;_ _][;^.^]、いくらかでも山を低くしておかねば..

 ..というわけで、「忘却の船に流れは光」(田中啓文)を読了。(既に、ハヤカワ文庫JAに堕ちて落ちてしまっておりますが。[/_;])ネタバラシはもちろんしないが、なにしろ英語版サブタイトル?が「The City and the Stars」で、プロローグの展開(舞台設定)がこの始末 [;^J^] なので、普通の [^.^] SFファンにとっては、この時点で「世代宇宙船もの(もっとはっきり言えば「宇宙の孤児」(ハインライン)のバリエーション)」であることは自明であり、従って、ここまではネタバラシではない..で、これが本当に「世代宇宙船もの」なのかどうかは、また、話は別だ。[^J^](← 踏み込んでいるようだが、実はここまで書いても、まだネタバラシではない。)

 欲を言えばキリが無い。たとえば、主人公は「僧侶階級」の一員なのだが、「薔薇の名前」クラスを要求するわけではないにしても、僧院を中心とする世界観の厚みが今ひとつだったり..しかしそれを書き込むとページ数が倍になってしまうわけで、それは作品にとって、むしろマイナスだろう。(当たり前のことを書くが、長編小説は長けりゃ偉いというわけではないのだ。)大傑作とは思わないが、それなりの佳作ではある。ちなみに、拷問シーンをはじめとするグロテスク系の描写は、それほど酷く [;^J^] はなく、むしろマイルドである(..と思えてしまう私の感性が問題か?[;^.^])

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*2009年03月03日:デモソフトについて


 (我ながらデジャブな話題だと思って検索してみたら、10年前に書いていたのだった [;^.^]。なんの問題もないと判断して、再び取り上げる。)最近の人は知らないだろうなぁ..昔のPC(パーソナル・コンピューター)には、「デモソフト」が付属していたのである。

 一体、PCの何を「デモ」するのか、理解できないであろう。昔のPCは、機種ごとに「機能」が違ったのである。グラフィック画面の解像度。同時表示可能色数。(切り替えて表示できる)グラフィック画面の数。「スプライト」と呼ばれるグラフィック部品を重ねて表示できる機種もあった。音が出る機種、出ない機種。音が出る場合、同時に何音発音できるか。グラフィックにしても、高解像度で多くの色数を表示できるが描画速度は(情報量に比例して)遅いものと、解像度も表示色数も少ないが描画速度は速いものがあった。ほかにも、接続できる周辺機器の品揃えは、各社各様であった。

 だから、各機種の得意技を駆使した「店頭デモ」の必要があったのである。スピード命の機種は、目も覚めるような高速ゲーム画面を見せたし、スピードはいまいちだが解像度と表示色数はトップクラスの機種は、色鮮やかな「絵」のスライドショーで、お客を魅了した。NECのPC−6001(通称「パピコン」)は機能的には非常に制約されていた低価格機種だったが、低解像度グラフィックスと音楽をセンス良く組み合わせたデモソフトの楽しさたるやほとんど比類が無く、このデモソフトが欲しいがためにこの機種を購入した人は、少なくなかったはずである。

 最近の情勢は知らないが、10年以上前のある時点で、全ての(というと言いすぎだが)PCは個性を失ったのである。他機種と差別化するデモソフトを提供できない。他機種と同じことしか出来ない。売り文句は、速いか廉いか軽いかデザインがいいか。(こんにちでは、ワンセグ受信とかセキュリティ機能とかで、それなりに個性を出しているのでしょうか?)しかしそれは、進化の必然だったのだろう。つまり、「趣味の製品」から「コモディティー(日用品)」になったということだ。日用品には、デモソフトなど不要だ。むしろ、機種ごとに「出来ること」「出来ないこと」の違いがあるほうが、困る。どのメーカーのどの機種を買ってきても、同じことが同じようにできるべきなのである。こんにちのPCは、その地点に到達してしまった。

 さて、「デモソフト」が今なお付属している製品ジャンルがある。「シンセサイザー」をはじめとする「電子楽器」である。こんにちのシンセサイザーには、デモソフトならぬデモソングが搭載されているのが普通なのである。初めてデモソングが搭載されたのがどの機種だかはわからないが(調べるのが面倒なのです、すみません [;_ _][;^J^])、恐らく、1980年代後半の「マルチチンバー音源」だろう。「マルチチンバー」というのは、電子楽器を知らない人には未だに驚かれる機能で、1台の電子楽器が同時に複数の音色を奏することを言う。(例えば、ドラムとベースとギターとピアノとサックスなど。)これによって、楽曲のアンサンブル演奏が可能になり、つまり、「デモソング」として成立するようになったのだ。やがて「PCM音源」の時代になり、音はどんどんリアルになって、ぶっちゃけ、CDを聴いているのとたいして変わらない事態と相成ったのである。

 PCM音源のシンセサイザーが、どの機種でも似たような音を出せるようになりつつあるのは、紛れも無い事実である。まさにコモディティー化だ。しかしそれでも今なお、どのシンセサイザーにもデモソングは搭載されている。その機種が得意としている音、その機種にしか出せない音が、あるからである。また、どうしても似たような音に収斂しがちなPCM音源以外の活路を開こうとしているメーカーもある。

 いつの日か、シンセサイザーから「デモソング」が消える日が来るとすれば、その日こそ、シンセサイザーが真の「日用品」に「昇格」した日である。それが「楽器」にとって望ましいことであるかどうかは、また、別の話だ。

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*2009年03月04日:「わたしの人形は良い人形」


 山岸凉子のあまりにも名高いホラーマンガ、「わたしの人形は良い人形」を、久しぶりに文春文庫で再読した。(まさか未読じゃないだろうね、そこのあなた。[^.^])ストーリーの細部の紹介は省略する。とある呪われた市松人形が、母娘二代に祟る物語..と、要約してみると、なんとも和風で陰鬱な因果ものであるかのごとくであるが..実態は、全く異なる。これは、実に派手な漫画なのである。[;^J^]

 まず、「呪い」の現れ方であるが、日本の伝統的な幽霊や妖怪らしく「ない」のである。深夜、バルコニーをパタパタパタパタと走る足音や、不可解な場所にひとつだけ残された足跡などは、いかにもそれらしいが..それに先立つ、主人公のひとりである初子の両親が呪いに「取り殺される」直前、窓を外からガリガリギリギリと引っ掻いていたのは、「鳥類のものとも爬虫類のものともつかない“手”」なのである!(このシーン、「三つ目がとおる」(手塚治虫)の「イースター島編」の第1章、病院の窓一面にコロポックルのごとき小鬼が張り付いて、窓を破るべくガラスを叩きまくるシーンを明らかに想起させると思うが、如何?)そしてその直後、家屋ごと「巨大な穴を残して」消滅してしまう..

 驚くべきは、後半の展開である。なんと、ゴーストハンターというか、オカルト能力を持つ怜悧な優等生と、自身はオカルト能力を持たないが彼のことを正しく理解している体育会系の男、という二人組が現れ、呪いに翻弄される主人公を助けて戦う、活劇漫画に変貌するのである! 初めて読んだとき、この展開には目を瞠らされたものだ。伝統的な怪談漫画の境界を軽やかに飛び越えた傑作であるという認識は、今回も変わることはなかった。(これ以前にも、類似の作例はあるのでしょうが。)

 派手といえば、本書に併録されている「千引きの岩」も、そうである。ある高校の体育館を舞台とする怪異談であるが、これもまた前半は、どちらかと言えば地味にストーリーが進行するのであるが、クライマックスに至ってついに現れた、体育館の床全面を埋め尽くす怨霊たちとは..(これは、伏せておきます。)初めて読んだとき、このシーンには本当に驚いた。古事記とコレを結び付けますか!

 「わたしの人形は良い人形」と「千引きの岩」、どちらも必読と断言しておこう。(本書には、「汐の声」という、これまた実に恐ろしい短編も収録されているのだが..私はこれを、読み返したくない..[/_;][/_;][/_;])

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*2009年03月05日:「地を這う魚」


 街中へ車で出かける。駅南の新川南駐車場に停めるつもりだったのだが、152号線で車線変更のタイミングを間違え [;^J^]、アプローチしにくくなってしまったので、ヤマハの隣のコンプマートの上の階の駐車場に止める。まずは、駅ビル(のようなものである)メイワンの6Fの谷島屋書店へ..なんと、6F以上は改装中で閉まっていやがんの [;^.^]凸。谷島屋は8Fに移転して、明日開店とのこと。床面積はかなり増えるらしい。それは楽しみなことであるが、今日のところは、用を足せなかったわけだ。

 鍛冶町通りに戻り、いつものチケット屋で新幹線の回数券(浜松 ⇔ 東京)を2枚購入。コンプマートの駐車場に帰ってきたら..あらあらさっきは気づかなかったよ。入り口に貼紙。完全閉店だってさ [;^J^]。レジで聞いたところ、3/29までらしい。う〜む、浜松駅の直近にビックカメラが進出してきた時点で、危ないのではないかと危惧していたのだが、やはりアレにとどめを差されたか..[-人-][-人-][-人-] まぁ消費者としましては、ビックカメラはあるわけだし、私の場合は、志都呂のイオンのエイデンの方がむしろ便利なわけで、特段、困りはしないのだが..しかし、閉店したあと、テナントが埋まらないとイヤだなぁ。街中の一等地の、地上2F、地下1Fにシャッターが下りっぱなしになってしまうようでは..ここから徒歩5分のジョーシンの跡地には、もう何年も前に閉店して以来、テナントが入る気配が全く無いしなぁ..

 結局、富塚町のツタヤで「地を這う魚 ひでおの青春日記」(吾妻ひでお、角川書店)を確保。これは..傑作だよ! 凄いよ! みんな、買おうよ!デビュー前後の時期を舞台にした自伝的内容なのだが、何よりもまず見事な青春漫画であることと、そしてとにかく、その絵の魅力! 地を這い、壁や天井を埋め尽くし、空中を浮遊する無数の異形の群れは、人によっては余白恐怖症かと疑うだろうが、別に読者がそこまで気を回す必要もなく、単なる意匠として気楽に読めば(眺めれば)良いのだが、とにかくこれらが素晴らしく魅力的なのである!

 ..ぎょぎょぎょっ、何かの弾みで、アンプから音が出なくなった [;^.^]。HDDレコーダー(RD−X5)にはヘッドフォン端子が無いので、これの接続先のアンプから音が出ないとなると、音声はどこからも出力されない。RD−X5はDVDプレーヤーもCDプレーヤーも兼ねているし、テレビの音声出力もRD−X5経由でアンプに入っているので、要するに、いっさいのソースから、音が出なくなってしまったのである [;^J^]。参ったな。何しろこの多機能アンプ、機能が多すぎて全く把握できていないし、設定を直そうにも、設定の意味自体がわからないところもゴニョゴニョゴニョゴニョ..[;_ _][;^.^]

 格闘すること30分。もんのすごっく解りにくい取扱説明書に逆ギレしながらも、なんとか音が出るようになった。やれやれ [;_ _]。どうやらリモコンのどれかのボタンに触れてしまい、設定が外れてしまったようである。(以下、備忘:「1.OPT1端子にRD−X5のデジタル出力を接続」「2.システム設定で、入力ソースを CD=OPT1」「3.同じく、入力モードをAUTO」「4.FUNCTIONでCD/AUTOを選ぶ」)

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*2009年03月06日:「幻想探偵」


 山を成している積読ばかりを読んでいるわけにはいかず、時には新刊も割り込んでくる。「幻想探偵 異形コレクション XLII」(井上雅彦編、光文社文庫)を読了。

 特選が、ジャック・ザ・リッパーが登場する「霊廟探偵」(入江敦彦)、十王ものの「輪廻りゆくもの」(芦辺拓)。佳作が、「九のつく歳」(西澤保彦)、「ひとつ目さうし」(朝松健)、「出口」(菊池秀行)。評価に迷うのが「羊の王」(竹本健治)で、なにやら異様なムードのショート・ショートなのだが、肩すかしのはったりに騙されているような気もするし、傑作と言い切ってしまってよいものかどうか、非常にためらわれる作品 [;^J^]。ほか、「フギン&ムニン」(黒史郎)、「死を以て貴しと為す 死相学探偵」(三津田信三)、「証拠写真による呪いの掛け方と魔法の破り方」(多岐亡羊)、「ガラスの中から」(久美沙織)、「琥珀の瞳」(太田忠司)、「レッテラ・ブラックの肖像」(井上雅彦)、「憧れの街、夢の都」(篠田真由美)、「幻画の女」(平山夢明)、「サイボーグ・アイ」(柄刀一)などが面白かった。

 ところで、「XLII」。あなた、読めましたか? ..実は私、恥ずかしながら、読めなかったのである [;_ _].. 読めないあなたには、私同様、ウィキペディアでも参照していただくこととして..でも、気にしなくてもいいんです。かのアイザック・アジモフも、「時間と宇宙について」(ハヤカワ文庫)所収の「忘れちまえ!」というエッセイで、力説されておりますから..(と、記憶しているんだけど。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])

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*2009年03月07日:探検ロマン世界遺産


 予報通り、朝から快晴。湯風景しおりで14:30まで甲羅干し読書。昼食(というか昼食と夕食のあいだの時刻の、これはなんというんだ「ブランチ」の午後バージョンは [;^J^])として、お好み焼き本舗で「かきデラックスモダン」。

 おやおや、「脳内エステ IQサプリ」は次回で最終回ですか。5年もやっていたのか。残念だが仕方がない.. おっと!「探検ロマン世界遺産」も、次回で最終回ですと! さびし〜。[/_;][/_;][/_;]

 私はこの番組を第1回(2005年3月31日)から録画しており、以来、67枚のDVD−Rに132回分の録画を保存している。(再生不能になってしまったDVD−Rが1枚(2回分)存在するが。[_ _])..4年で132回? ちょっと少ないな。3週に1回は抜けている計算か。まぁ確かに、特番などに割り込まれ勝ちの時間帯ではあるし、多分、抜けはないと思うんだけど..

 それはともかく。

 私は、世界遺産系の番組は、基本的にこれのみを追っていた。(スポット的には、年に数回(3〜4本?)BSハイビジョンなどで2時間クラスの特番を観て(保存して)来たが。)それは、「手元に世界遺産の映像情報のアーカイブを作るに当たって、一番効率が良い」からである。これは例えば、ある作家の作品を網羅的に読もうとするのなら、全集を(全集だけを)読むのが一番効率がいいことと同じである。つまり、無駄が無いのだ。いくら世界遺産が好きだからといって、さまざまな「世界遺産系の番組」をつまみ食いしていると、マチュピチュやらタージ・マハールやらアンコールワットやらカッパドキアやら万里の長城やらアルハンブラ宮殿やらガラパゴス諸島やらモン・サン・ミシェルやらが、目いっぱい、だぶってしまうのである。要するに、どれかひとつの(望ましくは「長寿」)番組に絞るのがいい。そして絞るのであれば、「探検ロマン世界遺産」が、一番品質が良かった..品質というと語弊があるな、「無駄が少ない」のである。スタジオでのいらんトークとかクイズとかが無いし、ついでにCMも無いぶん、45分(厳密には42分29秒)目いっぱい、現地現物を見せてくれるので。

 ちょっと調べてみたら..ふむふむ、4月以降は曜日と時間を移して「世界遺産への招待状」として再出発することになったとな..再出発ね [;^J^]。つまりここまでの履歴は全てリセットされて、再び、マチュピチュやらタージ・マハールやらアンコールワットやらカッパドキアやら万里の長城やらアルハンブラ宮殿やらガラパゴス諸島やらモン・サン・ミシェルやらが(重ねて)取り上げられるわけだ [;^J^]。元気が出ないねぇ..[;^.^][;^.^][;^.^]

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*2009年03月08日:「完全復刻版 新寶島 豪華限定版」


 朝は曇天だったが、昼前から晴れ始めたので、湯風景しおりへ。11:30から14:30まで、陽光を浴びながら裸で読書。わたくし、ここ最近、もはやほとんど湯に浸かっておりません。[;^.^]

 メイワン8Fの新装開店の谷島屋を視察する。フロアを全部使っているので、一応まともな規模である。コミックスの品揃えはまずまずだが、(これは改装前からそうだったのだが)妙に探しにくくてイライラする。また、幻想系/SF系の単行本と、画集類は、全くダメ。これらは改装前より劣化していると思う。このあたりのジャンルは、連尺町の本店の方がマトモなので、使い分ける必要がある。なんにせよ、駅の直近にこの規模のサイズの書店ができたことは、素直に喜ぶべきであろう。

 久しぶりにべんがら横丁へ。やはりと言うべきか、撤退した店舗が3〜4軒ある。入れ替わりに入る店舗が明示されているのが、1軒。残りのテナントも、なんとか埋めて欲しいなぁ..初めて入る「徳一」で徳島風とんこつラーメンを試してみたが、残念ながら私の口には、いまいち合わなかった。[_ _]

 「完全復刻版 新寶島 豪華限定版」(小学館クリエイティブ)が届いたので、早速、紐解く。

 パンピー(死語)なあなたのために、解説しよう! 1947年に育英出版から刊行された手塚治虫の「新宝島」は、当時、40万部とも伝えられる大ヒット作となり、映画的手法と起伏に富んだストーリーは若い漫画家志望者たちに強烈な印象を与え、鼓舞し、実質的に戦後漫画史の起点となった、現代漫画史上最重要作品と言っても言いすぎではないほどの作品なのである。

 それほどの作品が、これまで62年間も復刻されなかったのは、なぜか。それは、手塚治虫自身が、「これは私の作品ではない(私が本来描きたかった姿とは異なっている)」という理由で、復刻を拒み続けてきたからである。この作品は手塚治虫のオリジナルではなく、大先輩である酒井七馬との「共作」(原作・構成:酒井七馬、作画:手塚治虫)だったのであるが、少なくとも手塚治虫の視点から見る限り、酒井七馬に勝手にページをカットされるは作画に手を入れられるは奥付に自分の名前も入れてもらえないはで、極めて不本意なものだったらしいのである。(この件に関しての酒井七馬側からの発言はなく、こんにちの我々がアクセスできるのは手塚治虫の(ある意味、一方的な)証言だけであり、事の成り行きの正確な次第は、推測するほかは無いのであるが..)

 講談社の手塚治虫漫画全集の第281巻に収録されている「新宝島」は、だから、手塚治虫が、酒井七馬の手が入る前の姿を思い出しながら新たに描き起こしたリメイクバージョンなのであり、当時の大勢の少年たち、藤子不二雄や石森章太郎や永島慎二や横尾忠則や小松左京らを驚愕させ、熱狂させたバージョンではないのだ。それが、つくづく、残念なことではあった。

 だからこそ、今回の「完全復刻版」には、計り知れない値打ちがあるのである。こんにちの読者が読んで面白いかどうかは全く別の話であるから、万人に薦めることはしないが、「漫画史」に対していくばくかの興味を持っている人であれば、研究資料として、必ず購入しなくてはならないであろう。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 11 2009
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