*2008年12月01日:飛ばされる男
*2008年12月02日:ラトルの「幻想」
*2008年12月03日:ベイリーの想い出
*2008年12月04日:「家畜人ヤプー」
*2008年12月05日:知力減退
*2008年12月06日:バカリズム:勇者の冒険
*2008年12月07日:日光浴について
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*2008年12月01日:飛ばされる男


 集合写真のキャプションで、「飛ばされる」人がいる。例えば、「澁澤龍彦、種村季弘、ひとりおいて、松山俊太郎」、といった具合である。

 作家の集合写真に編集者が混じっている場合、大概、その人が飛ばされる。実際問題、多くの場合、読者は編集者の名前になど興味はないし、仮に、澁澤や種村の名前と同格の扱いで(単なる一編集者である)A氏の名前が記されていたりすると、(自分が知らない)大物なのだろうか、と、無駄に調べてしまう読者がいるかも知れないので、この場合は飛ばすのが妥当である。

 ..とはいえ、当事者の立場にたってみれば、飛ばされるのは嬉しくないよなぁ。寂しいよなぁ [;^J^]。私も、有名人を含む集合写真に混じって写っていることは時々あるような気がするので、実はどこぞの書籍のなかで、知らないうちに飛ばされてたりするのかも知れないなぁ..[;_ _][;^.^]

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*2008年12月02日:ラトルの「幻想」


 とにかく朝が早いのである。それも並大抵の早さではなく、2時には目が覚めてしまうのである。それから二度寝、三度寝を繰り返し、なんとか6時に到達したらフトンから出るのである。

 今朝は5時半前に根負けして [;^J^] フトンから出てしまい、時間が余ってしまったので、先日、秋葉で購入してきたCD「ベルリオーズ:幻想交響曲」(ラトル指揮、ベルリンフィル、EMI TOCE-56125)を開封した。「レコード芸術」誌の新譜レビューで宇野功芳が酷評していたので、それなら面白いに決まっているから購入したという次第。[^.^]

 大当たり [^J^]。なるほど。こういうアプローチもあったか。アーティキュレーションがどうのこうのというような技術的なことはおいておいて、ここでは印象だけを述べると..朦朧体? ..というよりむしろ、「死霊」(埴谷雄高)の“霧”? [;^J^] 音色が夢幻的に柔らかく、影絵のように演じられるドラマがおぼろげに聞こえてくる。無論、くっきりとするべきところはくっきりとしているのだが、例えば金管の響きは、けっしてとげとげしくなることは無い。木管のソロの巧さが際立っている。「こんなのは幻想交響曲じゃない!」とは宇野氏の弁だが、こういう幻想交響曲があってもいいじゃないか。世界最高水準のオーケストラだから出来る(サマになる)ことでもある。

 ..とまぁ、朝っぱらからこのようなものを1時間も聴いてから、仕事に出るというわけだ。[;^J^]

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*2008年12月03日:ベイリーの想い出


 今月号(先月25日発売)のSFマガジンの、大森望のコラムを読んで初めて知った。バリントン・ベイリーが死んでいたのか..(Wikipedia によると、10月14日逝去とのこと。)

 なんといっても83年に読んだ「カエアンの聖衣」(1976)が衝撃的だった! 怪獣達の静かなる決闘! 比類無き蝿の惑星! そして終盤の、夢の様な星々への旅! 次に読んだのが短編集「シティ5からの脱出」(1978)。「宇宙の探求」「知識の蜜蜂」「シティ5からの脱出」「洞察鏡奇譚」「王様の家来がみんなよっても」などなど、実にパワフルな作品群であり、SF中のSFだと思う。「禅銃」(1983)はカエアンに比べると薄味だと思うが、85年の読書記録を読むと、「読んでいる間は文句なく幸福な傑作。「カエアン」よりも「虎よ、虎よ!」に近い気がするが、「虎よ、虎よ!」に満ちているのが「凄味」だとすると、本書に満ちているのは「情けなさ」」なんて書いてある。[;^J^]

 その後、「時間衝突」(1973)、「スター・ウィルス」(1970)、「永劫回帰」(1983)を読んだが、「時間衝突」以外は内容を覚えていない。積読リストに入っているのが、「ロボットの魂」と「光のロボット」。年内には読めそうもないなぁ..

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*2008年12月04日:「家畜人ヤプー」


 mixiニュースより。(URLを引用しようと思ったら、掲載期間が終了してしまっていた..)

 戦後を代表する奇書「家畜人ヤプー」の作者とされる天野哲夫(あまの・てつお)氏が11月30日死去した。
 82歳。告別式は近親者で済ませた。
 雑誌連載を経て1970年、沼正三(ぬましょうぞう)の筆名で刊行された「ヤプー」は、2000年後の白人帝国で、日本人が家畜となって白人に奉仕するという小説。作家の三島由紀夫が「マゾヒズムの快楽の極致だね」と絶賛、ベストセラーになった。
 作者の正体をめぐり、元判事説など諸説あったが、後に天野氏が「ヤプー」を書いたのは自分と告白していた。

(読売新聞 - 12月03日 23:40)

 読んだのは随分昔になるが、徹底した日本(邪蛮)マゾヒズムよりもむしろ、著者の非常な博識に裏打ちされた、語学の遊戯と、日本神話の読み替え(再話)遊戯の面白さが圧倒的な作品であり、それ故、石ノ森章太郎らが漫画化しているものの、あまり期待もできないので、未読のままなのであった。

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*2008年12月05日:知力減退


 時刻表を読むのが、昔から苦手だった。とにかく、複数のページを辿っていく間に、脳内バッファがオーバーフローしてしまうのである。こういう人は少なくないはずだ(と信じたい。[;_ _][;^.^])

 「旅行好きの出不精」という訳の分からない性格になったのも、結局は、電車の便を探るのが面倒だということに尽きるのかも知れない。分厚い時刻表の中から苦労して探し当てた最適解が、実は(その季節あるいは曜日には運行されていない)特別列車に依存していた(細かい文字の注記を読み落としていた)ことなど、何度あったかわからない。

 もちろん、果てしなき時の流れの果てに、劇的に状況が変わった。私が愛用しているのは「乗換案内 ジョルダン」だが、用途によっては、ほかにももっと使いやすいサイトもあるのであろう。本当に良き時代になったものであるが..しかしこれによって、私の(時刻表文盲とまでは言わないにしても)時刻表の読みの「下手さ加減」は、取り返しの付かないレベルにまで致命的に悪化してしまったに違いない [_ _][_ _][_ _][;^.^]。いずれ、「時刻表トリック」のミステリも進化して、「乗換案内サイト検索トリック」になるのであろう。(既にそういう作品は書かれているのかも知れないが。)

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*2008年12月06日:バカリズム:勇者の冒険


 雲ひとつ無い快晴である。午前中から午後にかけて湯風景しおり。野天風呂やサウナで体内に熱量を蓄え、ベンチに寝てさらに陽光で暖めると同時に、涼風/寒風で冷ます。極楽である。

 夜も更けてから、「バカリズム ライブ 勇者の冒険」の録画を見る。レッドカーペットで「発見」し、「科学の進歩」でかなり感心して以来、このピン芸人を贔屓にしているのである。といっても、DVDを買うつもりはないし、ライブを見に行こうとまでは思わない。当分のあいだは、手元の録画を時折見返すだけで満足である..つまり、何度も繰り返して見るに値する素晴らしい演技(ネタ)が、このたった2本(計3時間)の録画の中に、いくつもあるのである。

 「科学の進歩」の中で特に唸ったのは、「にゅーす」「誰がために」で、「贈るほどでもない言葉」「DFの高飛びFWの餌食」「WARUYONO!」もなかなかのもの。今回の「勇者の冒険」では、「根本のおもしろさ」が驚愕するほど面白く、「岸壁DEクライマックス」「ポウ」がそれに次ぐ。

 「根本のおもしろさ」は、話し下手な男が、自分の友人の根本(ねもと)がいかに面白い人間であるか(面白い言動をしたか)を、別の知人に説明しようとして、しかし何度トライしても面白さを伝えられず、(その話を聞いている(聞かされている)知人は恐らく、「うんうん、面白いねぇ」、と、同情混じりにお付き合いの笑顔を浮かべているのであろう、)どんどん焦って落ち込んでいく、というネタ。この面白さは本質的には、「あるある!」の面白さである。バカリズムが演じている話し下手の男と、それを聞かされている知人。どちらの立場も、恐らく多くの観客は身に憶えがあるのではないか。何よりもまず、「自分の友人がどれほど面白いかを別の知人に教える」という目的自体が、根本的に間違っている [;^J^]。これは、「他人の夢の話のつまらなさ」と同じである。よほどの話術がなければその面白さを伝えられるものではなく、しかも、自分では彼の面白さを「よ〜く知っている」ものだから、それを説明できない(説明した相手が面白がってくれない)ことに絶望するのである。そしてバカリズムは、この男の「話し下手」さ加減を、サディスティックなまでに強調する。例えば、話がいよいよ面白くなる直前に、「いい? ここから面白くなるからね? ここ、笑うところだからね?」、と、あらかじめ説明したりする。これは絶対にやってはいけないことであり(面白さがあらかじめ7割以上目減りする)、しかも、世の中の無数の話し下手は、必ずやってしまうことでもある。アイタタタッタッタ! である。

 「ポウ」は、マイケル・ジャクソンネタ。「岸壁DEクライマックス」は、(私は2時間ドラマを見ないので推測だが)恐らく、船越英一郎ネタ [;^J^]。犯人に動機を尋ねたら、その話が長くて退屈で、しかもバカリズムは船越英一郎のみ演じていて犯人は演じていないので、前半は、ずっと、うん..うん..と、頷きつつ、時々まぶたが落ちるだけ、という、ほぼ無言劇というか省エネ演技 [;^J^]。後半になって、なんとか犯人の話を打ち切ろうとするも、彼の長話(ながばなし)をどうしても終わらせることができない、という、これも「あるある!」パターンだよなぁ。1を聞いたら(1だけ知りたかったのに)10も20も答えてくれる、博識でありがたい先輩社員に迷惑させられている恵まれているのは、私だけでは無いですよね? [;^.^][;^.^][;^.^]

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*2008年12月07日:日光浴について


 雲ひとつ無い快晴である。午前中から午後にかけて湯風景しおり。冬至目前の優しい陽射しであるから、日焼けなどしないが、ベンチに横になってほどよく汗ばみ、そしてそれが風に吹かれて速やかに乾いていくのは、実に気持ちが良い。

 風呂と風呂のあいまに食堂の畳にごろ寝して、昨日購入した「今さら聞けない科学の常識」(朝日新聞科学グループ、ブルーバックス)を、拾い読みする。もちろん、知らずに(あるいは曖昧な理解のまま)放置してきたことが、いっぱい書かれている。[;_ _][;^J^]

 タイムリーなので「日焼け」の項を読んでみる。ふむふむ、昔と違って、今は栄養事情が良いので、陽光に当たってビタミンDを増やす必要はない、食が細いお年寄りでも、顔と腕を出して15分ほども日に当たれば十分だとのこと。だとすると、素っ裸になって数十分間(時にはトータル1時間以上)の日光浴なんて、過ぎたるは及ばざるがごとしもいいところだよなぁ [;^J^]。まぁ、気持ちがいいのは事実なので、皮膚癌にならない程度には続けますが、やはり真夏になったら、控えるべきだろうねぇ..

 それにしても、陽光の値打ちは、ビタミンDの増量でしたか。うっかり、光合成の促進かと思い込んでました..[_ _][_ _][_ _](← 嘘です。無理やりボケて見ただけです。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 13 2008
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