*2008年10月06日:エンドタイトルについて
*2008年10月07日:緒方拳、逝去
*2008年10月08日:「米澤嘉博に花束を」
*2008年10月09日:四季のコンサート
*2008年10月10日:「ロマン組曲」
*2008年10月11日:ありませんことかしら
*2008年10月12日:「東海道五十三次」
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*2008年10月06日:エンドタイトルについて


 この話題、以前にも書いたかなぁ..まぁ、いいや。[;^.^]

 最近はDVDを買う機会も(突発的なボックスセットを除けば)めっきり少なくなって、もっぱらBS/CSで録画しており、かつ、その多くは古い映画なのであるが..洋画/邦画の別を問わず、昔の映画には、実に得難い美点がある。それは、エンドタイトルが極めて短い(もしくは、無い)ことである。

 近年の映画では、特に大作であれば、5分以上のエンドタイトルも珍しくはない。しかし多くの「映画ファン」は、それを喜んでいるのであろうか。確かに、有意な情報ではある。スタッフの名前を末端に至るまで延々と表示する(映画の中に刻み込む)のは、「誠実」な行為でもあろう。でもね..でもね..「私は別に、CGアニメーターひとりひとりの名前にまで、興味はないんですが!」..[;_ _][;_ _][;_ _] こういう想い(本音)って、黒い? 邪悪? [;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 「じゃぁ、エンドタイトルの途中で、さっさと席を立てばいいじゃんか」..はい、もちろん、それはこんにちでは卑しむべき行為とされており、映画側でも「立つな! 最後まで見ろ!」と言わんばかりに、エンドタイトルの最後にオマケ(どころか、下手するとどんでん返し)の映像を入れたりしますのでな。[;^.^]凸

 「THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に」では、中間にエンドタイトル的なものがあり、なんじゃらほいと思って見てたら、ラスト、「気持ち悪い..」のあと、いきなり場内が明るくなっておしまいになり、ちょっと驚いたものである。まぁ、こういうケレンが効果的なのも、普通の映画には(だらだらとした [;^.^])エンドタイトルがついている、という前提があるからではあるしねぇ。

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*2008年10月07日:緒方拳、逝去


 熱心なファンだったわけではないが、しかし、映画であれテレビドラマであれ、常に素晴らしい存在感を放っている役者だった。「座をさらう」とかそういうのではなく、なんというか..彼がそこにいるだけで、視聴者(観客)として安心できるのである。本当に得難い役者だった。

 印象に残っている限りの代表作を挙げても、せんかたない。ここでは、私のティーンエイジャー時代の全ての追憶のなかで、意外に大きな部分を占めていた「必殺シリーズ」と、彼のテレビドラマ出演作のうち、私が最後に見た「セーラー服と機関銃」のみ、挙げておく。合掌。

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*2008年10月08日:「米澤嘉博に花束を」


 同人誌である。(発行:虎馬書房)先日、「うつうつひでお日記 その後」(吾妻ひでお、角川書店)を読んでいたところ、2007年7月の日記に、「米澤さんの追悼本」に追悼漫画を描いた、という記述があるのに気がついたからだ。この日記は、吾妻ひでおの公式ホームページに月いち連載されているのを、ずっと追っかけて読んで(データを保存して)いるのに、なぜかこの記述を見落としていたのだった。

 「米澤さんの追悼本」が何であるのか、吾妻ひでお関係のMLで質問して、「米澤嘉博に花束を」であることを確認し、早速発注したのが先週の月曜日だったかな。ようやく今夜、届いたのだ。「米やんは何でも知っている」という描き下ろし作品が掲載されているのを確認し、「吾妻ひでお 著作リスト」に記載した。

 上記作品目当てで購入した本であるが、資料的価値はある。米澤嘉博の人となり、あるいは業績に興味のあるかたには、お薦めする。アマゾンなどでは取り扱っていないようだが、「米澤嘉博に花束を」で検索すれば、取り扱い店はいくつか見つかるはずだ。

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*2008年10月09日:四季のコンサート


 午後半休を取り、浜松市教育文化会館で「四季のコンサート」。18:45開場。久保田巧&パウル・グルダのデュオリサイタルである。ウィーン縛りで、モーツァルトの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ K.377」、ゴルトマルクの「組曲 Op.11」、ブラームスの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ“雨の歌”」、クライスラーの「ウィーン奇想曲」「美しきロスマリン」「愛の喜び」「シンコペーション」。

 う〜ん..いまいちかなぁ。技術的にどうこうという問題ではなく、「ウィーンを幻視できない」のである。自宅で、それなりのCDやらDVDやら、あるいは画集などから得られる体験が、得られないのである。私はクラシックファンであり、生(なま)のコンサートを聴くのは好きだが、しかしコンサートを聴くことそれ自体が目的なのではなく、そういう「体験」を得るための手段としてコンサートを聴きにいくのであって、そういう「体験」が得られないのなら、別にわざわざコンサートを聴く必要は無いのである..なんか、ものすごくハードルが高いことを言っているという自覚はありますが。[;_ _][;^J^]

 湯風景しおりに寄って、0:10帰宅。

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*2008年10月10日:「ロマン組曲」


 現代マンガ図書館から、開館30周年記念パーティーの案内が届いた。東京で、来月1日。会費1万円。出席予定である。

 イ・プーのCD「ロマン組曲」(CBS、WAS-1014 (WQCP-218))が届いた。先日、久しぶりにイ・プーを聴きたくなったのだが、アマゾン等では品切れ状態だったので、ヤフオクで落札したのであった。

 久しぶりもいいところで、もしかすると30年ぶり? それ以上? 高校生時代、駆け出しのプログレファンだった私が、イエスやピンクフロイドやELP以外のプログレバンドを新規開拓しようと、レコード店で物色していて見つけたのが、「ロマン組曲」であった。当時の私のことだから、当然、シンセサイザーがバリバリに活躍する音楽を期待しており、確か帯にもそんな惹句が書かれていたのだが、実際にはそんな音楽では“全く”ない、多少シンフォニックがかったポップスであり、その点に限って言えば、落胆したのであるが..それはそれとして、はまった。徹底的にはまった。とにかく、実に美しい音楽だったから..

 “時の美化作用”を危惧していたのだが、杞憂であった。やはり、いい。この音楽は、いい..

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*2008年10月11日:ありませんことかしら


 ちょっとおハイソな奥様風という趣向で、文末に「ありませんことかしら」と付けるのが、好きである [^.^]。今、検索してみたら、廃墟通信などでは実はほとんど使っていない言い回しなのであるが..

 ..いったい、どこでこういう言葉を憶えたのか、我ながら疑問であったのだが、先日、ひっさしぶりに「究極超人あ〜る」(ゆうきまさみ)をパラ見していたら、「ありませんことかしら」が出てきたのである。(誰のセリフだったか、今の時点では早くも忘れているが [;_ _])そうか、あ〜るだったのか..意外に 深傷を負っている 深く擦り込まれているものなのだなぁ..[;^.^][;^.^][;^.^]

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*2008年10月12日:「東海道五十三次」


 朝いちから昼過ぎまで、湯風景しおりでゴロゴロする。なんか、クセがついてしまったが..[;^.^]、唯一不満なのは、本や雑誌を浴場(特に野天風呂)に持ち込めないことなのである [;^J^]。当然っちゃー当然だが、自宅で入浴する際には、濡れたりふやけたりしても構わない(読み捨ての)雑誌を読んでたりするのでねぇ。

 帰宅してからは、先週届いた「保永堂初摺集成 広重 東海道五十三次」(小学館)を、出来るだけ時間をかけて、ゆっくりと眺める。三連休だというのに、プチ旅行すらする甲斐性がないのであるが [;_ _]、旅行の代替体験としては、悪くない。この画集は印刷が素晴らしく、印刷の粒子がほぼ全く視認できない。6万円近くかかったが、それだけの値打ちはある。(BGMが、クラウス・シュルツの「タイムウィンド」だったのは、まずかったかも知れないが。[;^J^])

 旅と音楽といえば、印象的なのは、「貧困旅行記」(つげ義春)である。彼はビバルディの「四季」のカセットをウォークマンで聴きながら、ひとり徒歩旅行をするのであるが、これはなかなかイケてると思う。

 ひとり旅で、ついでに思い出した。デイパックを背負って見知らぬ町を旅していたら、不審人物として自警団につかまってしまった、という、いしいひさいちの四コマ漫画..リアル過ぎて、笑えない。[;_ _][;_ _][;_ _]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 17 2008
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