2007年10月01日:「匂い」と「臭い」 2007年10月02日:うとましいあとがき 2007年10月03日:素敵な部屋 2007年10月04日:歯の定期健診 2007年10月05日:連休の予定 2007年10月06日:「夢使い」「虚無戦記」 2007年10月07日:「呪われた村」目次へ戻る 先週へ 次週へ
(以前も書いたような気がするけど、まぁいいや。[;^J^])
日本語の語彙(というか漢字)への不満のひとつとして、「におい」の漢字表現が(基本的には)「匂い」と「臭い」しかないことが挙げられる。これは非常に不都合である。なぜなら、「匂い」には「良いにおい」というニュアンスがあり、「臭い」には「悪いにおい」というニュアンスがあるからである。つまり、なんたることか勧善懲悪善悪二元論の世界なのであり、「良い」「悪い」の意味づけを離れて「におい」を漢字表記することができないのである。たとえば、「ベンゼンの「におい」は時と場合によって良くも悪くも感じられる」と書きたいときに、「ベンゼンの匂い」とも「ベンゼンの臭い」とも書くことができない。(既にさりげにこのパラグラフで実施済みであるように)平仮名表記をするほかないのである。ま、そのための平仮名なのであろうぞと言われれば、返す言葉もありませんけどね。[;^J^]
もう一例。「日本映画の黄金時代」を良しとし、トーホーシネマに代表されるシネコンが幅を利かせている現状に対して批判的であるオールド映画ファンは、1950〜60年代の映画館の「固い椅子」や「便所の臭い」をも懐かしむのであるが、それらが多くの(それほどコアでない)映画ファンの足を映画館から遠のかせてTV(居間)に追いやってきた一因となったことに気が付いていないか、気が付かないフリをしている。誰が便所の臭いを嗅ぎながら「ローマの休日」を観たいものか。トーホーシネマを特徴付けるのは、あの甘ったるいバターコーンだかチョコレートだかの匂いで、もちろん人によっては鼻持ちならないものではあろうが、それにしても、とある映画の追憶に「便所の臭い」がまつわりつくよりは「チョコレートの匂い」がまとわりつく方が、まだマシではなかろうか?..
..という文章。ある意味、アンフェアでしょ? 一見、中立を装ってはいるけど、私の主観(偏見)が入っているでしょ? 人によっては、「便所の匂い」「チョコレートの臭い」と書くべきだと思うかもしれないでしょ?
目次へ戻る非常に多数の例があるので、特にタイトルを挙げることはしない。ある種のマンガ単行本で「うとましい」もの。それは、小さい(読みにくい)手書き文字でこちゃこちゃこちゃこちゃと書き込まれた「作者あとがき」である。本当に、うんざりしてしまう。
楽屋落ちテーストをからめた親密感の表現のつもりなのであろうか。もちろん、これを喜ぶ読者も大勢いるのであろうが、本当に読者のことを考えているのならば、文章の無駄を減らして(推敲して)量を減らし、字を大きくしたり文字間隔を広くするなどして、読みやすくするべきではないだろうか。(もっと綺麗な字で書けとか、写植を貼れとか言うつもりはないから。)
これまでの経験から言うと、「読みにくさ」と「内容のくだらなさ(読む必要の無さ)」には強い正の相関があり、その意味では、「読み飛ばしても構わないかどうかの指標」として機能している(役に立っている)のではあるが。[;^J^]
目次へ戻るこれも何度か似たようなことを書いているはずであるが、ネタ不足なので、全くやむを得ないことである。
「百鬼夜行抄(TV版)」の録画(全9話)を観終えた。まぁまぁの佳作かな。DVD−BOXには3話追加されているとのことだが..廉い買い物ではないし、見送るかな..この作品で、少し素敵なのは、エンディングで映される律(主人公)の部屋の光景である。決して書物に埋もれているわけではなく、そこそこ古びた本や調度品がほどよく(やや多めに)配置されており、なんとも良い塩梅である。こういう部屋で暮らすのが、割と理想に近いかな。(誤解されているような気がするが、私は、昼なお暗い書庫や蔵の中で生活したいと思っているわけではないのです。[;^J^])
もう一例。「屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督版)」の明智小五郎(嶋田久作)の部屋。下宿屋の一室なのだから、何千冊もの蔵書があるわけはないが、それでもかなり多数の和書・洋書に確固たる存在感があり、あちこちの部屋で淫靡な性的遊戯が繰り広げられている、胡散臭いインテリどもが巣食う下宿屋の中に、こういう一室を構えて朽ち果てていくのも、理想の余生か..などと、ちとヤバい人生観に囚われてしまいそうになる逸品。[;^.^]
がっかりな例。「海底二万哩(ディズニー映画、実写版、1954)」 の「図書室」。原作では、ノーチラス号の中には、万巻の書物を収めた「図書館(図書室)」があるのである。私が中学生の頃に読んだ角川文庫版には(挿画家の名前は記されていなかったような気がするが)19世紀のイラストが掲載されており、そこには「天井の高い」図書室が描かれていたと記憶する。私はこれに、とことん痺れた。深海の図書館! 深海の博物館! 私のパーソナリティの一部は、確実に、このビジョンによって形成されているのだが..ああ、それなのに、それなのに。ディズニーの実写版のノーチラス号ったら、「天井が低い」のである。当たり前だ、潜水艦なんだから [;^J^]。これが「実写版」のつや消しなところで、「小説」や「イラスト」ならではの「嘘」が通用しないのである。そして、「現実的なサイズ」の「図書館」ときたら..どうみても、「(マンガ喫茶ではない、普通の)喫茶店の、雑誌&マンガコーナー」以上のスケール感は、ないのであった。[/_;][/_;][/_;][/_;][/_;][;^.^]
目次へ戻る帰宅時、今春(2月から5月にかけて)ホワイトニングをしてもらったK歯科医院に、定期健診のために寄る。インターバル3ヶ月で受診する予定だったのだが、ぐずぐずしているうちに4ヶ月以上開いてしまった。[;^J^]
歯茎の状態のチェックと、歯の清掃。歯茎の状態は大変良く、歯周病の心配は(今のところは)ないとのこと。5月にホワイトニングの施療を終えた後は、ホームホワイトニング(ジェルを塗った歯型を咥える)をサボっている..というか、正直に書くと一度もやっていない [;_ _][;^J^] ため、歯にはいくらか黄ばみが戻っているのだが、芸能人ならぬ身としては全然許容範囲だと思っているし、担当のHさんも同じ意見であった。
歯の清掃をしてもらっている40分ほどのあいだに、10回ほど「もっと大きく口を開けてください」と言われた。つまり、10回ほど眠ってしまったのである。[;^.^]
診察が終わってから「スーパーまるか」に寄り、安ワインを買う。また、たまには自炊をサボろうと、なんとなく美味しそうに見えたお総菜(白身魚のフライと鶏の唐揚げ)を買ってみたが..結果として、全然美味しくなかった [;_ _]。揚げ物は作ったことがないし、今後もあまり手がける気になれないジャンルであるだけに、上手に(売り物の)お惣菜を使いこなしたいところであるのだが。
目次へ戻る勤務先(細江町)から、1.志都呂のイオンの西にある「本の王国」、2.ブックオフ高林店、の順に寄って、富塚町の自宅に帰宅する。ジモティーにしかわからないだろうが、かなり大胆な三角周りである。[;^J^]
連休の予定を練る。連休といっても、明日からの3連休のことではない。11月頭の「連休」のことである。カレンダー上は文化の日(11/3)が土曜日なので、単なる土日休みに過ぎないのだが、11/2(金)に有休取得の根回し済みなので、3連休なのである。
11/1〜11/4まで、静岡の大道芸ワールドカップ。さすがに11/1(木)から連続で有休を取るのは憚られるので、木曜日は諦める。それと、いささか間の悪いことに、11/3の17時から横浜の中華街で高校の同窓会(250人くらい集まるらしい)があり、これの方が大道芸より優先順位が高い。さて、この3日間、どのように動くことにするか。
問題は、土曜日の午前中から午後にかけてである。大道芸を観る、という選択がひとつ。静岡駅から元町・中華街駅まで90分ほどで行けるので、これはかなり有力な選択肢である。第2案として、どうせ上京するのだから、この日は大道芸を諦めて都内で別件を片付けるべきだという考え方もある。ただ残念ながらこの日は国会図書館は閉館しているし、現代マンガ図書館は正午開館なので3時間少々しか閲覧できない。これではいかにも中途半端である。何か他に展覧会でもやっていればそちらの方が有意義かなぁ..と、ここでようやく「楽器フェア」のことを思い出した。[;^J^](← あなたの勤務先は、電子楽器メーカーではないのですか? [;_ _][;^.^])しかも会場はパシフィコ横浜であり、中華街に極めて近い。決まりだ。11/2は大道芸。11/3は朝から楽器フェアにかけつけて16時ぐらいまでじっくり視察。それから同窓会。3次会か4次会がカラオケになるはずで、多分、横浜で(宿泊費なしの [^.^])夜明かしをすることになるだろうから、11/4はそのまま静岡に直行して大道芸の最終日。もしも11/4が大雨で大道芸がまともに観られそうもなければ都内にとどまり、午前中は適当な展覧会でも見繕って、12時から19時まで現代マンガ図書館に籠もってから浜松へ..よしよし、これで決まりだ。(← 多少の突っ込みは、許可します。[;^J^])
目次へ戻る常春の国、マリネラ..もとい、「連休=上京=図書館でマンガ」なので [;^J^]、6:33に発つ。7:17のひかりで、国会図書館。「夢使い」(植芝理一)、「虚無戦記」(石川賢)など20冊。
実は、図書館で閲覧を開始して、すぐに(読むのをやめて)返却するタイプの作品がある。「これ以上読む必要は無し」なのではなく、「図書館で読むのはもったいない、購入して手元に置いて、末永く愛でるべきだ」と判断した場合である。最近の例では、「タッジー・マッジー」(山口美由紀)や「観用少女」(川原由美子)がそうである。(← 軽微な墓穴。[;^.^])「夢使い」を読み始めて、一瞬迷ったが..結局、「購入(蔵書)にはおよばず」と判断して、全6巻、閲覧した。
この作者の作品としては、遥かな昔に「ディスコミュニケーション」を読んだことがあるのだが、正直なところ、内容をあまり覚えていなかった。こういう作風だったっけ? かなり驚いた。M・W・スワーンベリを想起せずにはいられないのだが..(結局購入して、自宅(廃墟城)に備え付ける可能性も、まだいくらかは有り。)
「虚無戦記」にもまた(予備知識なしに読んだため)かなり驚かされた。これ、コラージュじゃん! [;^.^] すぐにわかったのは「5000光年の虎」だが、その他のパートにもやたらと既視感が。つぎはぎ細工なだけに、各パートのつながりが微妙に(あるいは、かなり)悪いのだが、この「ガクガク感」もまた、コラージュ作品の「味」ではある。石川賢の作品群の中では「魔獣戦線」が特に好きなのだが、そういえばこれにもいくつかバージョンがあるよなぁ。最初の単行本の版しか読んでいないが、こういう「中断」作品が補筆された場合、概してロクな結果にならんからなぁ..(少なくとも彼の師匠の永井豪の場合は。[;^.^])
横浜の実家へ。
目次へ戻る実家前のバス停から9:01のバス。神保町を軽く流してから、現代マンガ図書館へ。1960〜70年代のSFマンガを中心に、長編21冊と短編集の拾い読み9冊。実質25冊分ってところかな。
「呪われた村」(水木しげる)は、ジョン・ウィンダムの同名小説の翻案の可能性も想定しつつ読み始めたのだが、(やはり)「盗まれた街」(フィニー)の方であった。素直な翻案であり、日本の風土にうまく移し変えている。
水木しげるの作品には、海外ホラーやSFの翻案がかなり多数ある。私が読んでいるのは、そのほんの一部に過ぎないのだが、その中での最高傑作は、「地底の足音」(「ダンウィッチの怪」(ラヴクラフト)の翻案)である。原作よりも先にこちらを読んでしまったからかも知れないが [;^J^]、原作よりも面白いと思う。ブラックウッドの「柳」を下敷きにしている「草」のビジュアル・インパクトも、かなりのもの。これらはいずれも“日本の秘境”を舞台にして、目覚しい効果をあげているのだが..もはや、「時代のアドバンテージ」としか言い様がないねぇ..
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