*2005年07月18日:「宇宙 未知への大紀行」
*2005年07月19日:「ウルトラマンマックス」
*2005年07月20日:愛・地球博遠征前夜
*2005年07月21日:愛・地球博1回目
*2005年07月22日:愛・地球博2回目
*2005年07月23日:「死霊の盆踊り」
*2005年07月24日:流れる星々
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*2005年07月18日:「宇宙 未知への大紀行」


 今月に入ってCSのヒストリーチャンネルで放映していた、「宇宙 未知への大紀行」という9回シリーズ。2001年にNHKで放映された番組の再放映である。全9回のサブタイトルは、「ふりそそぐ彗星が生命を育む」「地球外生命を探せ」「火星へのはるかな旅」「惑星改造 〜もうひとつの地球が生まれる〜」「150億年の遺産 〜生命に刻まれた星の生と死〜」「もうひとつの地球を探せ」「ブラックホール 〜銀河を揺るがす謎の天体〜」「宇宙に終わりはあるのか」「宇宙は生命に満ちているか」。

 内容はなかなか良い。毎回のイントロでは、「2001年宇宙の旅」の地球軌道上のシーンでフロイド博士が乗っているシャトルを迎え入れる、あの有名な形状の宇宙ステーション(サークルが二重構造(二階建て)になっている)のデザインをもろにパクった宇宙ステーションが出てくるのだが、別に気にならない。(ふたつめのサークルがまだ「建造中」である、というところまで同一なので、パクリであることは100%、間違いない。)こういう「別格」というか「雲の上(星雲の上)」の大先達にたいする「オマージュ」として、素直に受け入れられる..

 ..と、最終回(第9回)を観終えるまでは、思っていた。[;^J^]

 いや全く、驚いた。[;^.^]

 最終回の最終シーンでは、人類がオニール型コロニーに搭乗して、数万年かけて宇宙に拡がって行く..という壮大なヴィジョンが呈示されるのだが..その1万人規模のコロニーの内部の想像図が映されたあと、例の「宇宙ステーション」が映るのである! それがゆっくりと回転しつつ、星空の中を移動してゆくのである! 誤解の余地は無い。これが「1万人規模のオニール型コロニー」の「外観」のつもりらしいのである! 私はもう、本当にびっくりしてしまった。[;_ _][;^.^]

 スペースコロニーの知識がどうこうというより..スケールが全く異なるではないか! 見て判らなかったのだろうか? あの宇宙ステーションの中に、1万人が暮らせる広大な空間が入ると思ったのだろうか? 「あれは直径高々数百メートル程度の宇宙ステーションに見えますけど、実は直径数キロ(数十キロ)メートル以上あるんですよ、ちっちっちっ」、とおっしゃる? なるほど。論理的には、そのように言い張ることも可能だ [;^J^]。しかしね、しかしね..「2001年の宇宙ステーションと瓜二つの“建造中の形状”のまま、深宇宙へと飛翔していってしまうんだよぅ..!」..[;^.^][;^.^][;^.^][;^.^][;^.^] ..こうなると、この番組の制作サイドが、そもそもあの「建造中の形状」を「建造中」と理解していたのかどうかも疑問だ。単に「部分的に骨組みが見えていてカッコイイデザイン」、と認識していたに違いない。[;^J^]

 とにかく、この番組(のこのパート)には、SFファンは(決定権を持つ形では)関与していなかったことが、明らかになったのであった。

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*2005年07月19日:「ウルトラマンマックス」


 「ウルトラマンネクサス」の後番組、「ウルトラマンマックス」の放映が始まっている。ネクサスとはうって変わって、単純明朗な世界観である。つまり..ネクサスは人気が無かったということなんだろうなぁ [;^J^]..確かに子ども向けには、難解な世界観だったかも。私はわりと好きだったんだが..しかしやはりコンセプトに引っ張られ過ぎていて、相対的にビースト(怪獣)たちの魅力(個性)が薄かったことは否めない。

 ウルトラマンマックスは、原点回帰を狙ったと思しい。個人的には、あんなところに基地があるのはいかがかと思うが [;^J^]..アンドロイドの娘がなかなか可愛いので、まぁ許そう [^J^]。ただ、“彼女”がコンピュータに何か問い合わせたりする時、すごいスピードでタイピングするのであるが..えーと..[;^J^] アンドロイドがコンピュータから情報を引き出すにあたっては、もう少し速いボーレートでコマンドを送る技術もいろいろございますが..[;_ _][;^.^] まぁ、見せ方ですからね。[;^J^]

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*2005年07月20日:愛・地球博遠征前夜


 さて、明日・明後日と、愛・地球博に行くのであるが..もちろん、事前調査を全くしていない [;^J^]。数ヶ月前にガイドブックというか「東京ウォーカー」か何かの特集号みたいな奴を買ったんだが、読んでいないし、既に情報が古すぎるはずである。トヨタグループ館とか日立館とかの評判は、噂ではきいているんだが。

 RD−X5のハードディスクの中に、開会直前の特番が4〜5本、計10時間以上入っていた。(録画していたことすら忘れていた。[;^J^])今から全部見ている暇はとても無いので、適当にスキップしながら、みどころをメモする。まぁこれらの情報も古いのだけれどね。

 そういえば、パビリオンに入館するに際して列に並ばずにすむ、インターネットでの「予約システム」ってあったんじゃなかったっけ?、と、愛・地球博の公式ページを調べてみた..なるほど。少なくとも、明日・明後日という急場には、全く間に合わないことがわかった [;^J^]。そもそも、(インターネットにアクセス出来ない人に不公平にならないように)チケットの総数の2割ぐらいしか予約システムには割りあてられていないし、1ヶ月前から予約できるのだが、人気パビリオンの予約は1ヶ月前の時点でほぼ埋まってしまうらしい..ま、取りあえず明日・明後日は、行くだけ行って様子をみてみましょう。(先日の日曜日は日立館の行列が7時間待ち、という記事を目撃しているのだが..)

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*2005年07月21日:愛・地球博1回目


 7:52に浜松駅前から、愛・地球博会場行き直行バス出発。9:25に、会場の東ゲートの駐車場に到着。2時間と聞いていたのだが、1時間半である。結構、結構。但し、空港並みのチェックをしているゲートを突破して会場内に入れたのは、さらに20分後である。

 今日はトヨタグループ館狙いである。かなり行列すると聞いているので、ここで半日程度は時間を使ってしまうはず。18時には会場を発つ必要があるので、あとはもう行列系のパビリオンには入れない。

 10時頃に整理券の行列の(ほぼ)先頭につく。整理券の発券は14:00である。つまり、4時間並ぶことになる。(何故かトヨタグループ館では、予約システムを運用していないのだ。)

 想定の範囲内である。

 雑誌と文庫本をしこたま仕込んできているので、時間潰しには問題ない。しかも幸いなことに、行列の場所は風通しの良い日影である。昼食時には、近場のカレーライスをテイクアウトする。

 14時に整理券をゲット。16時からの回である。1時間半少々しかないのだから、近場の並ばずに入れるパビリオンを回るしかない。ということで、グローバル・コモン1(アジア)へ。サウジアラビア館、イエメン館、カタール館、イラン館、スリランカ館を回って、なごむ。(..この日記を書いている時点では記憶が薄れかかっているので、「公式ガイドブック」を参照しているのだが..これ、この用途には全く役に立たん! [;^.^]凸 企業パビリオンのページはまだマシなのだが、グローバル・コモン(つまり外国パビリオン)のページは、どの国のページも、内容はほとんど同じである。[;^J^]凸)

 16時からトヨタグループ館。なるほど、このショーは良くできている。とにかく見ていて楽しいのだ。4時間も並ぶ値打ちがあるかどうかは、評価がわかれるところだろうが..楽器を演奏するロボットたちであるが、これは実物を見るまでは、真価はわからんね。やはり実際に目の前で楽音が奏されていると、説得力がある。なお、「トロンボーン奏者」は、バルブトロンボーンを吹いていた。スライドトロンボーンを奏するには、制御の精度が(まだ)不足しているのだろうか。

 企業パビリオンの「夢見る山」が、わりと早く入れそうなので、整理券に並ぶ。入場時間まで少しあるので、引き続きグローバル・コモン1(アジア)の、インド館、ネパール館、中央アジア共同館で時間調整をする。インド館の民俗音楽(民俗舞踊)は、なかなか良かった。また、中央アジア共同館にはカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンが出展しているのだが、鄙びた雰囲気でゆっくりできる。これは、このパビリオン自体の魅力というよりは、これらの国々の自然と文物の魅力である。これが「万博」の楽しみなのだ。

 「夢見る山」のテーマシアター「めざめの方舟」の総合演出は、押井守。もう、場所柄もわきまえず [;^.^] 押井ブシ全開である [;^.^]。「はいはい、それは「天たま」」「それは「イノセンス」」..てなもんである [;^J^]。好事家にとっては、トヨタグループ館よりも面白かろう。

 18:20頃に会場を発つバスで、20:00頃に浜松駅前着。こだわりやまに寄ってから帰宅。

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*2005年07月22日:愛・地球博2回目


 今日は、浜松駅前を7:38に出る直行便。(昨日書き忘れていたが、この直行バスは往路も復路も、出発時刻には30分ぐらいの幅があり、その中で何便か出るのである。)会場の駐車場には9:34着。ゲート突破が9:50。

 まずは三菱未来館の14時からの回に予約を入れた。(ここは予約システムが運用されている。)引き続き、長久手日本館へ。ここも予約システムが運用されているが、本日分の予約は既に終わっていたので、列に並ぶ。2時間待ちとのことだったが、10:20に並び始めて、11:20には入れた。

 をを、ここはなかなか素晴らしい! 「日本館」の名に恥じない内容である! 特に「地球の部屋」! 360度スクリーン(周囲だけでなく、上も下も、つまり球面の内側全部のスクリーン)の映像なのだが、これは確かに「酔う」感覚がある。上映時間がやや短いかとも思ったが、あまり長いと、それこそ「乗り物酔い」で目を回して倒れる人が出るかも知れない。お薦め。また、これに比べると圧倒的に地味な展示ではあるが、日本人の暮らしがこの60年でどのように変わってきたかの150秒間の展示(動く歩道から鑑賞)というのが、うまくポイントを押さえていて非常に洒落ている。ちょっと気の利いた博物館ならどこにでもありそうな展示なのだが..実にセンスが良い。ひとつだけ気に入らなかったのは、1980年代のコーナーに展示されていた「PC−9801VM2」で..「How many files (0-15) ?」状態であった [;^J^]。つまり、電源を入れているだけ。(リターンキーくらい押してやれよぅ。[;^.^])せめて、ディスクベーシックを立ち上げて、デモプログラムを無限ループさせておくべきではなかったか。愛情が足りんよ、愛情が!

 日本館の向かいの食堂がたくさん入っている建物で、昼食。午後の予定は全く立てていない。[;^J^]

 取りあえず、マンモスラボに向かう。おお、意外に列が短い。マンモスラボは、「グローバル・ハウス」の展示の一部(というか、順路の最後)なのであるが、マンモスだけ観たいという人のために、いわば「横入り」できるようになっているのである。グローバル・ハウス自体はまた他日を期すことにして、今日のところは、マンモスだけ観ておくことにする..

 ..まぁ、こんなものかな。期待以上でも以下でもなく、ピッタリとはまっているという感じ。人によっては、案外小さなものだな、と感じるかも知れないね。動く歩道からの鑑賞であるから、もっとさっさと運ばれてしまうのかと思っていたが、そこそこゆっくりと眺めることができた。

 会場の南側エリアで時間を潰す。スペイン館は、まずまず。エジプト館は、レプリカの山 [;^J^]。パピルスにヒエログリフで自分の名前を書いてもらえる、というサービス(無料ではないから「サービス」ではないな、500円)をやっていたので、面白そうだから適当なパピルスを選んで列に並んだら..待てども待てども先に進まない。まぁ、丁寧に描いてくれているんだろうから、仕方ないな..と並んでいたら..私のひとり前の客のところで、担当者が交替。新担当者は、それはそれはぞんざいな手早い筆致で、効率よくちゃっちゃかちゃっちゃっちゃーー、と、片付け始めてくれやがったのであった。[;^J^]凸

 アフリカ共同館、南アフリカ館。インドネシア館、南太平洋共同館。南太平洋共同館が、わりと気に入ったかな。ほんとに単なる観光紹介以上のものではないのだが、国別の紹介パネルに、わりと時間をかけて見入ってしまったよ。行ってみたいなぁ..

 タイ館、カンボジア館、ベトナム館、マレーシア館まで回ったところで、予約の時刻になった。三菱未来館へ..

 ..な、な、なっとくいかーーーんっ!! [;^O^]凸

 なんなんだよ、なんなんだよ、これでも「三菱未来館」かよ! 看板に偽りありじゃねーか! ..この心情、1970年の万博を知らない人には、やや理解しがたいかも知れないのだが..「万博」というステージにおいては、「三菱未来館」というのは「ブランド」なのである。誤解召されるなよ。「“三菱”ブランド」ではない。「“三菱未来館”ブランド」なのである。

 なんなんだよ、これは。35年前の栄光のかけらも残っていない、ただの大スクリーン映画ではないか。火山の爆発だかの大音響シーンでは、座席がビリビリ震動したが、これはそれこそ30年以上前の技術(アイデア)だ。寒くなったぞ、マジで、私は。(← 倒置法。)(← 七七五)

 映画の内容というか、コンセプトもなぁ..「もしも月がなかったら」..面白そうでしょ? でも、それがね..要するに、「地球の自転が今より遙かに速い世界」「潮汐の無い単調な世界」「従って生物があまり進化しない(知的生命体は現れないかも知れない)世界」、ということなのだが..その世界はいわば「恐竜時代」として表現され、不毛の岩石砂漠地帯で繰り広げられる弱肉強食の場面が描かれ、それが、「月が無ければこんな恐ろしい世界に」→「だから、今の奇跡的なバランスのもとで成立している環境を大切に」、と来るのだが..論理が飛躍していると思わん?

 大体、この「月がない世界」のどこが恐ろしい世界なんだよ。そういうのを、「人間中心主義的偏見」というのだ。立派な世界ではないか。多様性はやや乏しいのかも知れないが、肉食動物たちが堂々と喰らいあって生きている。「月が無ければ人類は存在しなかった」「現在の地球ほど多種多様な生命は存在しなかった」というのは、おそらく正しいが..しかも最終場面では、地球を背景に宇宙空間で「イルカ」の群れが戯れやがるし..お前はラッセンかっつーの! [;^.^]凸

 まぁ、これが「三菱未来館」で無ければ、笑って許したんだけどねぇ。映画自体は(イルカの件を不問とすれば [;^J^])面白いし、大画面の迫力は言うまでもないし..

 シンガポール館、ニュージーランド館、ラオス館、フィリピン館、オーストラリア館と回ってから、18:18発のバスで20:00過ぎに浜松着。自宅へ直帰。

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*2005年07月23日:「死霊の盆踊り」


 ジョーシンで、「死霊の盆踊り」のDVDを購入。「史上最低映画」として名高い作品であるが、これまで見る機会が無かったのだ。評判をきくにつけても、わざわざ金を使うのもね..と、積極的になれずにいたのだが..初DVD化ということで、ついうっかりと。[;^J^]

 帰宅して、(ほかにやらなければならないことが多々あるのだが、全部棚上げにして)即鑑賞..なるほど..これはヒドい。確かにこれは、ヒド過ぎる。[;^.^]

 今さら私が言葉を書き連ねるまでもないのだが..とにかく、演出というより「カメラワーク」が、「無い」のである。「無い」という言い方は変だが、「凡庸」というより「無い」という方がふさわしい。全編の根幹をなしているのは、10数人の死んだネーチャンたちの「裸踊り」なのだが、(脱いでいく過程が全く無いので、「ストリップ」とは言えない、)そのせっかくの [;^J^]「裸踊り」を、中途半端な位置と距離にカメラを固定したまま、全くなんの工夫もなくワンカットで撮ってしまったりするのである。なんなの、これ? 観客の劣情を刺激しようという意欲はないのか? [;^.^]凸

 定価4700円には到底値しない代物だが、しかし(悲しいかな)私の廃墟城の「資料室」には、確かに備え付けておく必要があるソフトなのであった。トホホ..[;^.^]

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*2005年07月24日:流れる星々


 長久手日本館の「地球の部屋」で、改めて確認したこと。最終シーン(にいたる、宇宙空間でのシーケンス)では、「星が流れる」のである。やっぱりねー。

 これはもう、(作り手が意識しているかどうかはともかくとして)「宇宙旅行風景」の「お約束」なのだが..実は「宇宙旅行」をしても、「星は流れない」のである。現在、われわれが(それなりに現実的に)想定している「宇宙旅行」では。なぜなら、星々はあまりにも遠いからである。

 ちょっと計算してみよう。

 太陽系に一番近い恒星、アルファケンタウリは、4.3光年の彼方にある。おおざっぱ、50兆キロメートルである。それに対して、太陽系内を旅行することを考えてみる。木星の太陽からの平均距離が7.8億キロメートルなので、おおざっぱ、10億キロメートルのスケールで動くと考えよう。

 さて、電車なり自動車なりで移動するとき、目の前の電信柱や近景はびゅんびゅん「流れて行く」のだが、遙か彼方の山脈などは、ちっとも(なかなか)移動しない、というのは、今さら言うまでもない経験則であろう。では、50兆キロメートル先の目標に対して、10億キロメートル動くというのは、どういうことか。それは、50キロメートル先の山嶺に対して、1メートル動くに等しい..全く、びくとも動かないでしょ? そんな遙かな山々は、1メートルばかし視点を変えても。

 太陽系にもっとも近い恒星ですら、この始末である。その他の星々は、この星よりも桁外れに遠くにあるのである。つまり..太陽系内程度の宇宙旅行では、「星々は、びくとも動かない」。

 初めて「2001年宇宙の旅」を観たときのことを、想い出す。あの映画の中では、「星々が流れる」。それだけではなく、「星々が瞬く」..宇宙空間では、星は瞬かないのである。それは、光を乱す大気が存在しないからである。つまり、この偉大な(科学的描写も(かなり)正確だとみなされている)映画においては、非常に大きな「誤り」が(少なくとも)ふたつもあるのである。少年時代の私は、拍子抜けしたというより、ほとんど驚いた。A・C・クラークが噛んでいるのに、何故こんな?

 もちろん、聡明な少年であった私は、すぐに理由を理解した。星の瞬きはともかくとしても、地球から木星へ移動するとき、背景の星が全く動かないと、「ロケットが進んでいるように見えない」からである。科学的に正確な描写をしてしまうと、映画の語法として成立しないのだ。こういうのは「必要」であり、ある意味「美しい」とも言える「ウソ」である..

 ..この話、まだまだいくらでも広げられるのであるが、今週はここまでにしておこう。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 4 2005
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