2005年07月04日:魔法使いチャッピーの初出データ 2005年07月05日:一円玉との戦い 2005年07月06日:テレビマガジン、2冊落札 2005年07月07日:エアコン、新調! \[^O^]/ 2005年07月08日:「逆境ナイン」「ザ・リング2」 2005年07月09日:ほとんどホラー 2005年07月10日:絵の力目次へ戻る 先週へ 次週へ
久々に、ヤフオクで出物を見つけた。1972年のテレビマガジン誌である。
吾妻ひでおは1970年代前半の同誌に、いくつか作品を発表しており、そのほとんど全ては(10年位前に)国会図書館でチェック済みなのであるが..国会図書館では1972年分だけ、ごっそりと欠落しているのであった。他のめぼしい図書館にも無し。無ければ買えばいいのだが、この時期のテレビマガジン誌は流通性が悪く、(この前後の時代のバックナンバーは、わりとしばしば見かけるのだが、)かつ、たまに出ても目の玉が飛び出る価格である。
というわけで、「魔法使いチャッピー」の「チャッピーのてんこう」「チャッピーの夏休み」「チャッピーのデート」「ジュンのガールフレンド」の4エピソードについては、1972年の6月号、8月号、9月号、10月号の、それぞれどれかに掲載されているはずなのだが、この4冊を読めないために、リスト上では初出誌を「1972/06,1972/08 - 1972/10 ※10」という「範囲指定」で記載した上に、「※10 このエピソードの掲載号は、この期間内であることしか判明していない。」、という、屈辱的 [;^J^] な注釈を付けざるを得なかったのである。これまで10年以上も、この状況に甘んじてきたのだ。
今回、とある人が、この年の8月号と9月号を出品した。チャンスである。仮に落札できないまでも、「出品者への質問」で、8月号と9月号に掲載されているエピソードを知ることができる。(たまに、質問に答えない出品者もいるが。)さらに、この人は出品のコメント中で、6月号に掲載された「魔法使いチャッピー」にも触れていて、それが「チャッピーのてんこう」であることは明らかなので、あと2エピソードの初出号が決まれば、最後のひとつも自動的に決まる。ちなみに、私の「吾妻ひでお著作リスト」中、「※10 このエピソードの掲載号は、この期間内であることしか判明していない。」という注釈が付されているのは、この4件だけなのである。このリストの完成度が、ついにようやく、最終ステージ(の一歩手前)まで上がろうとしている。チャンスである。
目次へ戻る人によって感じ方は色々あるとは思うが、私は、自分の財布(小銭入れ)の中に、一円玉がジャラジャラしているのが嫌いである。百円玉や十円玉など、他の、より使いでのあるコインを取り出す時に、邪魔になるからだ。
しかし例えば、今日はこんなザマであった。
コンビニのレジ。一円玉が4枚あった。「こいつらが一掃されるか、少なくとも数が減る確率は、40%だな」、と考える。決して小さな確率ではない。しかし結果は、「1257円です」..かくして、一円玉は7枚に増えた。(ちなみに私は、こういう場合、一円玉2枚を十円玉と組み合わせて五円玉に変換することは、しない。それは「せこい禁じ手である」、として、ルール化されているのである。)
さて、7枚。次はスーパー。これを減らせる確率は70%もあるので、それはそれで心楽しいことではあったのだが..「2539円です」。
..まぁいい。これで確率は80%にさらに跳ね上がったわけだ [;^J^]凸。ホームセンターへ。「1710円」です..
..(オチはありません。[;_ _])
目次へ戻る一昨日ヤフオクで発見したテレビマガジン誌を、2冊とも落札した。合計n万円である。想定落札価格よりも遙かに廉かった。ラッキーである。
実のところ、8月号に掲載されているのは「チャッピーのデート」であり、9月号に掲載されているのは「チャッピーの夏休み」である、と、既に判っていた。「出品者への質問」に、即日、回答をいただいていたからである。さらに言えば、一般論として私が欲しいのは、ビンテージ雑誌そのものではなく、「情報(データ)」なのである。情報を得るために、大枚はたいて買い集めているのである。となると、既に「情報」を得てしまった以上、この「現物」を(高い金を払って)入手する必要は無いということになるが..
..事態は、それほど単純でもない。まず、「情報」の正確さだ。今回の出品者の回答は十分に信頼が置けるものであり、そこに疑義を差し挟む余地はない。余地はないが..しかしやはり現物を直接、自分の眼と手で確認するのとでは、意味が違う。もうひとつ。「私が欲しいのは(本当は)情報だけである」、と、上述した。ということは..「出品者への質問」で「必要な情報」だけを得て、あとは入札もせずに見送る、というのは..「金(対価)を払わずに、必要な情報だけをゲットした」、ということになる。これは、私の倫理基準に抵触する..
..というわけで、落札したという次第。やや、潔癖すぎるきらいはあるのだが..
永島慎二、逝去。
目次へ戻る(くどいようだが、木金休み、土日出勤なのである。)9:20頃、電気屋さん来訪。先週購入したエアコンの取り付け(及び旧エアコンの撤去)作業である。1時間もせずに完了。おお、ちゃんと冷える! 快適な冷風がそよそよと! リモコンもあるし! やったね、これで今年の夏は乗り切れるぞ!
クリーニング出ししてから、日中はエアコンを堪能しつつ録画消化。夕方から、夏オフ用の楽譜購入と映画鑑賞のために出掛けようとしたら、まさにその頃合いを見計らって、突然の雷雨 [;^J^]。バス停まで歩くことは不可能である。20分後にはほぼ降り止んだが、完全にタイミングを逸した。今から出ても何もかも中途半端である。明日だ、明日!
そのまま深夜まで、エアコンを堪能しつつヒッキー。就寝直前に、眠たい目でCSだかBSだかのニュースを眺めていたら、ロンドンの地下鉄とバスで爆発..現時点では、死者2名..
目次へ戻るロンドンの同時多発テロ。もちろん、死者は2名どころではない。これは「第一報」の宿命であり、本質的に不可避なことなのだが..いまだに記憶に鮮明なのが、「9.11」の時の(当時定期購読していた)朝日新聞の第一報が、「死者6名」だったことである。
今日は天気は大丈夫。夕方から起動。りそなで金を下ろしてから、まずヤマハで楽譜を購入。ザザシティのトーホーシネマで「逆境ナイン」。
これは..かなり、良いですよ! 私は島本和彦の原作漫画の大ファンであるだけに、まさかこれが実写映画化可能だとは、夢にも思っていなかったのであるが..もちろん、原作は全6巻もあるので、ストーリーはあちこち刈り込まれているのであるが、それがなかなか巧妙なので、スケールダウンを(それほど)感じさせない。
役者陣も、概して良い。驚いたのは、月田明子役の堀北真希で..サンデーGX連載中の「新吼えろペン」の最初の3回が、この映画のメイキング編だったのだが、そこではこの新進女優が「掘杉田 牧」として登場しているのであるが..クリソツ [;^.^]。(先日、CSで放映されていたメイキング番組「逆境の夏! 日本の夏!! 逆境ナイン 公開記念スペシャル」も、なかなか見応えのある内容であった。)
久々にこだわりやまで1時間半ほど時間調整してから、改めてトーホーシネマへ。22時から「ザ・リング2」。うっかりしていたが、今日がこの劇場での公開最終日。あやうく見逃すところであった。
なかなか、いいんじゃないかな..という感想に留まる。良い映画だとは思いますよ。そもそも、原作小説から最初に映画化された時点で、いったん「希釈」されている。それがハリウッドでリメイクされた時点で、さらに別の文化で「希釈」されている。それの「2」なのだから、さらに遙かに「希釈」されて..いそうなものだが、されていない。中田監督なのだから、当然か。引き戻したか。なんにせよ、原作小説とは(良い意味で)もはやほとんど関係の無い作品である。
目次へ戻る土日は出勤。帰宅時には、大雨となった。「宇宙戦争」を観に行きたかったのだが、パス。
ネタが無いので、4年ほど前に「増刊みこすり半劇場 別館」に短期連載されていた、松田洋子の北朝鮮レポート漫画(タイトル失念)の中の、最も印象的なエピソードを紹介しよう。
一行は、夜更けになってから、山の中のホテルに案内された。別に風光明媚でもなんでもない、ただの「山の中」のホテルである。しかも夜である。何も見えない。最上階のレストランに行った。それでも一応(こんなロケーションではあるものの)展望レストランらしいのだが、カーテンは閉まっていた..
..しかし、その展望レストランは、ゆっくりと回転していたというのである!
これは、ほとんど恐い。一体、なんのために回転させるのか。夜、何も見えない風景..はともかくとしても、カーテンを閉めて外の景色から遮断しておいて、にも関わらず、回転させる。「展望レストランが回転することの意味」というものが、根本的に理解できていないのではないか。いたずらに北朝鮮を異質視したくはないが、こういう事例に触れてしまうと..
目次へ戻る私の所属する部署では、一日に2回、朝礼と終礼のあとに備品チェックを行っている。合計2000点近くを、十数人ないし40人前後でチェックするのだから、相当効率よくチェックする必要がある。そのために何よりも重要なのは、正確で見やすい備品地図である。
60枚以上に及ぶ備品地図を誰かひとりが描いているわけではなく、複数人で手分けして描いている。描き方は、人さまざまである。手描きもいれば、CADソフトを使う人もいる。デジカメ写真を貼り付ける人もいる。
文句無しに、もっとも見づらいのが「デジカメ写真」である。例えば倉庫の一角の写真をとり、それをA4用紙に出力し、そこに備品名称を書き込んで行く..(当たり前だが)絵よりも格段にリアルな図面なので、絵よりも遙かに現物と照合しやすいはずだが..ダメなのだ。実に現物と合わせづらい。
まず、「リアルさ」の「罠」である。デジカメ写真を撮ったときから、ほんの少しでも物品が移動してしまうと、たちまち判らなくなるのだ。(置き方の角度が変わっただけでも、ダメ。)さらにいうと、人間は、「写真のようには外界を認識していない」のである。早い話が、写真には、机の下に隠れたものは写らない。ところが、人間には、机の下に隠れたものが見えるのである。「そこにあることを知っているから」なんていうオチではなく、モノを探すときには、固定した視点からではなく、上下左右前後に体を(視点を)動かしながら眺めるからである。よって、机や椅子や棚やその他のありとあらゆる障害物に隠れている備品群が、全部「見える」のである。「写真」では、これを表現できない。「絵」ならできる。また、これもよくあることだが、広角レンズ(あるいは魚眼レンズ)でも使わなければ一枚の写真には収まらないような広い範囲も、「絵」なら楽々と一枚に収めることができる。またその場合、「写真」だと個々の備品が小さくなりすぎるが、「絵」ならば(人間の認識に合わせて)都合の良い大きさに描くことができる。
ということで、私は、断固として「手描き絵」派なのである。さらに言うと、定規も使わない。グネグネ線のフリーハンドである。(下書き線を薄く定規で引いた上で、それをフリーハンドの鉛筆で「なぞる」ことすら、する。)これが一番、現物と照合しやすい、と思っている。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Jul 14 2005
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