*2003年12月15日:アサヒグラフ/夜のドライブ
*2003年12月16日:OS9とは
*2003年12月17日:再検査結果
*2003年12月18日:事故の風景
*2003年12月19日:業病について
*2003年12月20日:大懇親会
*2003年12月21日:アクトで第九
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2003年12月15日:アサヒグラフ/夜のドライブ


 会社がひけてから、いつもの友人と、今夜はまず、葵町の「生活創庫」へ。この店も、私は初めてであるが、超有名なリサイクル・ショップらしい。リサイクルといっても、どうみても「ゴミ」でしかあり得ない(「ゴミ」にしか成り得ない)物件 [;^J^] も極めて多数あるが..「ゴミ」を集める美学もあるのだ。私も、せめて納戸の一部屋もあれば、壊れていて動作しそうもないソリーナとか、鎧兜とか、ジュークボックスの残骸とかを、買って帰りたいものである。(むろん、まともに使えそうな古道具も、たくさんある。[;^J^])

 友人が、何の気無しに「こんなのあったけど..」、と見つけてきた「アサヒグラフ」誌の表紙を見て、驚愕! 表紙が、ドラクロワの「サルダナパルの最後の夜」..! これは..かつて、「ドラクロワについて」という一文で「確か、小学校6年生に進級する春休みに見た記憶があるのだが..」と書いたことがある、「ドラクロワ展」の特集記事が掲載されている号ではないか!(1969年5月15日増刊号..正しくは、小学校5年生のゴールデンウィークであったか。)かけね無しに、この私の人生を決定づけたいくつかの要素のひとつなのだ。この雑誌が、私を「ドラクロワ」と「ハムレット」と「ファウスト」の世界へ導き、従って、ベルリオーズと「幻想交響曲」の世界への扉を開いたのだ..

 それにしても、こんなところで再会するとは思わなかった。この雑誌、大正12年の創刊以降、通巻4000号以上もあるのに..そのうちのたった1冊だけが、それも、よりにもよってこの号だけが、このリサイクルショップの売場にあり、それを友人が(私の前記の想い(30年以上も昔のいきさつ)など全く知らずに)発見したのである。なんという偶然! ..まぁ、1800円にしては痛みが酷かったので、購入はせずに見送ったが..「1969年5月15日増刊号」という情報はゲットしたので、そのうち、ネット古書店ででも検索&購入することにしよう。

 「ミスターぶんぐ」へ。ここでは、たれぱんだの卓上カレンダーを購入。高丘の毎日食堂で夕食を食べてから、「なんでもプラザ」(やはりリサイクルショップ)へ。ここも楽しい店である。この店の存在も、遙か以前から知っていたのだが..要するに私には、「リサイクルショップ」というのは、冷蔵庫だの電気掃除機だのの「実用品」だけが並んでいる、という思い込みがあった(のでパスしていた)のである。ここ数日間に連れ回ってもらった、どのリサイクルショップも、「なんの役にもたたないガラクタ」が山積みされている、楽しい空間であった。(むろん、まともに使えそうな古道具も、たくさんある..と、再度、フォローしておこう。[;^J^])

 このあと、夜のドライブへ。まず、浜松西インターの西側の新興住宅地を抜けて、荒巻川ほたる公園へ。暗いよ恐いよ足元が見えないよ..[/_;][;^.^]。続いて(寄り道しつつ)細江町の国民宿舎方面へ走り、高台の上の細江公園へ。ここにも来たことは無かったのだが..大きな鳥籠の中で、鳥が眠っている。羽根が長く、頭部が小さい..私たちの気配に目を覚ましたのか、身じろぎし始めた..孔雀なのだ..こんな闇の中の鳥籠に眠っている孔雀たちは、ひどく稀薄な現実感しかまとっていない..

 さらに、林の中の道を歩いて、展望台へ..それはいいのだが、この道には照明が一切なく、ほとんど完全な暗闇である。ひとりでは絶対に入ろうとは思わない道だ。非常に恐かったが..足元を照らすために、懐中電灯代わりに携帯の液晶画面のバックライトを使っていた我々を、林の外側から見ていた人がいるとすれば、(ときどきは顔も(ほのかに)照らし出されただろうし、)はるかに恐ろしい思いをしたであろう。[;^J^]

 そして、ようようの思いで辿り着いた展望台から見晴るかす夜景は、それはそれは素晴らしいものであった..

*目次へ戻る


*2003年12月16日:OS9とは


 午前半休。銀行、書店、郵便局。(← 他にやるこた、無いのかよ。[;^J^])

 社内で、Win/Macのソフト絡みの仕事をしている連中のあいだでは、「OS9」と言えば、「MacOS 9」を指しているようなのだが..これは、正しい歴史認識と言えるだろうか? 勤務先の連中だけかと思っていたら、Googleで「OS−9」で検索しても、ほとんどが「MacOS 9」のページである。

 「OS−9」は、MacOS じゃないよう..[/_;]

 ..まぁ(「80(はちまる)系」畑を歩いてきた)私自身が、OS−9のユーザーであったことは無いのだけれどもね..

*目次へ戻る


*2003年12月17日:再検査結果


 健康診断の(恒例の [;^J^])再検査を、聖隷予防検診センターで、8時過ぎから。メニューは、脂質と肝機能である。

 要は、運動不足と酒の飲み過ぎである。本日の検査結果は、やはり正常値を逸脱してはいたが、前回の健康診断時よりはマシであり、医者の診断的には、「まぁ勘弁したろ」、という水準であった。はい、どうも..[;_ _]

*目次へ戻る


*2003年12月18日:事故の風景


 出勤途上、7時前。自宅を出てすぐ(800メートルほど)の交差点が、事故現場であった。

 不思議なオブジェである。乗用車が、交差点の真ん中の、交差点から向こう側に伸びる道路の中央分離帯の突端に「背中」をつけ、運転席を下にして、こちらに腹を見せている..つまり察するところ、この交差点に右側から入ってきた車が、こちら側から突入した車にはじき飛ばされたらしい..

 パトカー、救急車に加えて、消防車も待機している。運転席付近に3人ほど貼り付いて覗き込んでいる、ということは、まだ救出されていないのか..火災は発生していないようだが、しかしこの状況では、運転席は、かなりまずいことになっているのではないか..

*目次へ戻る


*2003年12月19日:業病について


 さる事情があって、社長とN常務と面接。ま、話の内容自体は他愛のないものなのだが..(社長とは面識があるのだが)初対面に近いN常務に、かなり“ウケ”てしまった。呆れ半分、苦笑半分、面白がり半分、である。(50%、増量しております。[;^J^])つまり..「こいつは、喋りだしたら止まらん(止められん)!」、ということらしい。[;^J^]

 「私もそのことは良く自覚しておりまして例えば先年参加したコミュニケーションスキルアップ研修においてもあらかじめ手帳に「人の話をきくこと」「きいてから話すこと」と明記していたにも関わらず終わってみれば講師にも他の参加者にも「一方的にしゃべりすぎて威圧感を与える」と指摘されたという経緯がありまして考えてみれば入社早々に寮のO先輩に新入社員一同食事に連れていってもらった時も「君のしゃべり方はまるでMIDIの“システムエクスクルーシブメッセージ”のようだ」と多いにウケたつまり意味のあるひとかたまりを一気に喋ろうとする傾向を指摘されたという記憶がありそれから進歩というか変化していないつまり一連の意味のあるかたまり(つまりパラグラフ)を一気に喋る必要がありそれが終わるまでは「邪魔をするな」というオーラを発しているらしいのですが実はつい先日も」..← わかりやすい再帰の例 [;^.^]。

 鹿谷町のお好み焼き屋「赤ちゃん」へ。年内一杯でしばらく休業するという情報を(今日になって)突然入手したので、てっきり、体でも壊したか、「当分」ならいいが、もしかするとこのまま閉店してしまうのではないか、この店という“場”が無くなると、会社の同僚とオフタイムに会う機会が減ってしまう..と、内心、しんみりしながら、おっとり刀で駆けつけたのであるが..

 ..なぁんだ。この近辺の再開発(道幅拡張)に伴う、一時閉店なのであった。しかも業務再開は2〜3ヶ月後。私自身、赤ちゃんを訪れる間隔が2ヶ月ぐらい開くことはザラである..つまり、普段となんのかわりもないやんけ。心配して損した。[;^J^]

*目次へ戻る


*2003年12月20日:大懇親会


 起きたら、雪 [;^J^]。ま、すぐに溶けたけどさ。

 昼間は、休日出勤。夜、19:45から、先週と同じく「マイン・シュロス」で、今度は別件の大懇親会(92人)。どういう集いかということは、実は私も完全に正確には把握していないのだが [;^J^]、ほとんどが(全国各地からの)学生(及び教官)であり、私自身は、音楽情報研究会の一員として参加した。

 食事は美味いし、ビールは飲み放題。周囲の学生たち(等)と、楽しい会話。終了後、この人数で「公式の二次会」はあり得ないので、適当にばらけて個別にお茶などに向かう。私は、いい加減に切り上げて帰宅しようと思っていたのだが..「ローランドの人がカラオケに連れてってくれるぞー!」「おーっ!」..ということになってしまった [;^J^]。ここで逃げたら、漢(おとこ)ぢゃないでしょ [;^J^]。滅多にそういうことはしないのだが、12人引き連れてツアコンをやる。

 それはいいのだが、年末の土曜日の23時頃に、いきなり13人の団体が入り込める箱があるだろうか。どこも空いていなかったら、こいつら、どこに棄てようか彼らをどこに案内しようか..

 有楽街のシダックスは、案の定、1Fの受付カウンターエリアが、人数を数える気力も失せる混み方。向かいのポポロビルの地下のビッグエコーが、偶然20人部屋が空いていたので、これ幸いと、一同を放り込む。2時間コース。

 がぶ飲みしたビールが効いてきたので、(最後に、集金・会計という大仕事が待っていることだし、)1〜2曲歌ってから、もっぱら寝る。終了は1時過ぎ。解散してから、タクシーで帰宅。(備忘:ウルトラセブンの画像は、シダックスと同じく、対キングジョー戦。使える。)

*目次へ戻る


*2003年12月21日:アクトで第九


 今日も快晴。洗濯、布団干し。

 午後、アクトシティで第九。秋山和慶指揮、東京交響楽団、浜松フロイデ合唱団、他。(先日、偶然、赤ちゃんでチケットをいただいたのである。)すやすやと、良く眠ってしまいました [;^J^]。昨夜の疲れが残っていたようである。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 26 2003 
Copyright (C) 2003 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]