2003年09月29日:「ファイルガナイ」 2003年09月30日:秋刀魚塩焼き萌え〜! 2003年10月01日:「音楽資料室」のクールなDJ 2003年10月02日:「オーケストラ楽器別人間学」 2003年10月03日:酒の味について 2003年10月04日:「座頭市」 2003年10月05日:ベルレク@名古屋目次へ戻る 先週へ 次週へ
..というわけで、代休取得。連休疲れである。[;^J^]
..というわけで、終日ごろごろしていたので、ネタがない。そこで定番の、想い出話である。
私は、大学の学部の最終年度(4年生)を、1982年度と83年度の2回、やっている [;^J^]。そして丁度この頃が、大学における「研究」のインフラ(道具)が、「メインフレーム」や「ミニコン」からパソコン(当時の言葉では「マイコン」)にシフトし始めた時代だったと思う。要は、「マイコンが、玩具の域を脱して、使い物になりはじめた」わけである。(処理能力自体は、「メインフレーム」よりも桁外れに低かったのだが、「バッチ処理」の「メインフレーム」に比べて、自由度が桁外れに高かった。研究の性格によっては、これが決定的であった。)
私が籍を置いていた研究室は、「パターン認識(活字認識)」をやっていた。2年目には、シャープのMZ−80Bを使って、複合類似度法でパターンマッチングをやった。私はこれの効率を上げる(候補を手早く絞り込む)ちょいと洒落た手法を思い付いて、これで首尾良く卒論を仕上げた。
2年目はともかくとして、首尾良く卒論を仕上げそこなった [;^J^] 1年目。研究内容は同じなのだが、道具が違った。この1年目には、まだMZ−80Bが導入されておらず、たしかソードのM23?だっけ、M100ace?だったっけ、とにかく名前に「M」がつく8ビットマイコン。これはもちろん、CP/Mマシンであった。(CP/Mというのは、8ビット時代にもっともポピュラーで、ある意味「世界標準」のOSであった。)
で、そのソードのマシンに搭載されていた「CP/M」は、「日本語CP/M」であった。「日本語」と言っても、マイコン(パソコン)で漢字がある程度自由に使えるようになる2〜3年前のことであって、このMなんとかでは、OSのメッセージが「半角カタカナ」で表示されるだけのことであった。
さて、あなたは、OSが表示する文字列で、もっとも頻度が多いのは、なんだと思われるであろうか? これは使用者によって大いに異なるであろうが..わりと平然とコマンド入力時にタイプミスしていた当時の私(我々)にとっては、そのようなコマンド(ファイル)が存在しないことを知らせるメッセージであった。つまり意味的には、「file not found」である。
で、これが日本語化されて表示されるわけだ。「ファイルガナイ」(正確には、半角カタカナ)..何かするたびに、「ファイルガナイ」。ちょっと打ち間違えては、「ファイルガナイ」..
「ファイルガナイ」「ファイルガナイ」「ファイルガナイ」「ファイルガナイ」..
..一日に100遍くらいは、Mなんとかが「ファイルガナイ」と呟くのを見ていたのではなかろうか [;^J^]。しまいにゃ、気持ちが“虚無”るっつーの [;^J^]。今でも私は、「ソード」と聞くと、反射的に「ファイルガナイ」を想起してしまう始末なのであった。[;^.^]
(もうひとつ、強く印象に残っていることは..このMなんとかというマイコンは、まるで自動車のように、物理的な「キー」を使って電源を入れていた、ということである。なんかカッコイイ、と思っていましたね、当時の私は。[;^J^])
目次へ戻る「まずいものばかり食べていると、舌が荒れる」、と、よく言われますな。ま、確かにそうなのだろうとは思う。「まずい」とは言わないまでも、年がら年中、ジャンクフード、あるいは決してジャンクではないが、吉野屋/マクド/ケンタッキー/コンビニ弁当ばかり食べていると、「本当に美味しい物の味がわからなくなる」。多分、そうなのでしょう。
しかし、これって、わりと救いがない話でもある。好きこのんで、これら「廉価で手軽な」食事ばかりしているとは限らないからである。お金や時間の制約というものが、厳然として世の中にはある。
そこで、開高健。「プロのグルメ」である彼は、実に嬉しいことを書いているのだ。「安ぶどう酒を日頃飲みつけて、二日酔、アタピン、胃痛、酸っぱさ、トゲトゲ、ガサガサ、シブサなど、要するに酒だろうと、香水だろうと、ハタまた文学であろうと、お粗末品すべてにつきまとうイヤらしさをよくよくおぼえておくのが上物を味得するもっともたしかな、狂いのない方法である」(「白いページ」所収の「判定する」(「遂げる」だったかも)というエッセイより)..まぁここではもちろん、“いつの日にか、本当に美味しい物を飲む(食べる)”ということが、前提になってはいるのだが。
彼はまた別のエッセイでは、大衆魚万歳! イワシ、サバ、サンマ、アジ、大歓迎!..とも書いている。(鯉や鯛の美味しさは、もちろん認めた上で。)嬉しいじゃないですか! 私はアジはさほど好まないが、サバはもう! しめてよし、煮てよし焼いてよし! そしてこの季節は、もう、サンマに限るのである! どこの居酒屋に入っても、必ず「塩焼き」がある。毎日毎日、サンマの塩焼きを食べていれば、それだけで幸せなのである。無論、店により日により、出来具合には当たりはずれがある。もぅ箸にも棒にもかからんような、カリカリに焦げた「塩焼き」が出てくることだって、たまにはある [;^J^]..が、それもよし! あちゃ〜、今夜は外れだよ〜、とか、メソメソ [/_;][;^.^] しながら酒で(無理矢理)流し込むのもまた、食生活の楽しみであり、面白みだと思うのである。
目次へ戻る上野の東京文化会館の「音楽資料室」については、5年ほど前に書いている..つまり、古い読者も忘れている頃であるから、旧ネタの再利用をしよう、というわけである。[;^J^]
とはいっても、もう10年近くも訪れていないのではあるまいか。一時期、改装か何かで、どこかに引っ越していたはずだが、もう戻っていると思うが..てゆーか、「音楽資料室」って、まだある? [;^.^]
..ま、気にせず行くか [;^J^]。楽譜や書籍の閲覧も出来るのだが、もちろん、「音楽資料室」の“華”は、レコードの試聴である。何万枚の在庫があるのか知らないが、もはや市場では入手できない貴重な音源が厖大に所蔵されており、そのほとんど全てを聴くことができるのである。かつて(年に10回近く)通っていた頃の私の印象では、決して「網羅的」なコレクションではない。(収蔵されていないレコードが、たくさんある。)その意味では(不完全性という意味では)「国会図書館」程度のものかも知れない。しかし逆に言えば、「国会図書館」程度の使いではある、というわけだ。考えようによっては、たいしたものである。
さて問題は、その「試聴方法」である。この前、最後に訪れた時には、申請するとCDもLPも、そのまま貸してくれた。そして、20席ほど?用意されている試聴室で、CDは普通のCDプレーヤーで、LPは(針を使わない、当時確か200万円くらいした)レーザー式のレコードプレーヤーで再生したのである。(もちろん、ヘッドフォンでである。)つまり、ユーザー(申請者)が、全部自分で操作するわけ。
10年以上前の音楽資料室は、こうではなかった。申請者は(席が空くのを待って)20席ほど?の試聴室に入り、指定された番号の席に座ってヘッドフォンを被ると、自分が指定(リクエスト)した順番に、レコードが順にかかるのである。再生操作をしているのは、「金魚鉢」(放送局的俗称:要するに、コントロールルーム)にいるオペレーターなのである。一般ユーザーは、レコード自体を触らせてもらえないのである。(もちろん、ジャケットとライナーノーツは貸してもらえる。)
理由は自明であろう。傷が付くからである。例え悪意はなくとも、誤操作によって、貴重な資料が台無しになる恐れがあるからである。(相当ラフに取り扱っても大丈夫なCDの時代になり、かつ、往年のLPについては、「針傷」がつく心配のない「レーザー方式のプレーヤー」が登場したことにより、一般ユーザーに操作をまかせる、という「改革」が可能になったのだ。)そこで、スタッフが(スタッフのみが)レコードの再生操作を行った。
ここで注目すべきは、その再生操作者は、「ひとり」だということである。最大20人ほどのユーザーに対して、ひとり。各ユーザーは、最大5曲だったかどうか忘れたが、とにかくそれだけのリクエストを申請する。ライブラリから、そのLPが「金魚鉢」に運び込まれ、該当ユーザーの席のヘッドフォンにつながっているLPプレーヤーの前に積み上げられ、「1枚目のA面のトラック3、2枚目のB面全部、3枚目のB面のトラック5、A面のトラック1」..などといった「工程表」が貼られる。そして、それに従って操作する..最大20台のプレーヤーで、並行して。
よく考えると、驚くべきことである。それぞれのプレーヤーで演奏中のトラックがいつ頃終わるか目安をつけながら、同時並行処理しなければならないのである。クラシックの曲には、比較的長いものが多いとはいえ、容易なことではない。(従って、たまには「誤操作」もあるし、私がそれに遭遇したこともある。(この日記に書いたこともある。)そして私は、それを責める気には、なれない。)
これに比べれば、昨今のちまたの「DJ」たちは、同時に操作するLPプレーヤーは、高々2台なのである。「同期させる」という、全く異なるタイプの難しい作業が要求されるとはいえ..一度に20台のプレーヤーの進行状況を把握し続けることに比べれば..
目次へ戻る先日購入した「オーケストラ楽器別人間学」(茂木大輔、新潮文庫)を、一読する。(どこかで見覚えのある書名だと思ったら、1996年に単行本がでていたようである。)
なるほど。時々ギャグが滑っているが [;^J^]、(特に、「文庫版特別研究」の章は、少々苦しい(ネタ切れ気味)の感もあり、痛々しいが [;^.^]、)全体としては非常に面白い。私は中学から高校にかけてトロンボーンをやっていたのだが、本書で記述されている「トロンボーン奏者の性格」は、かなり良くあてはまっている(ような気がする)。ま、「トロンボーン奏者の性格に的中している」というよりは、「他のどの楽器についての記述も、かなり外れているので、引き算するとトロンボーンしか残らないかな」、という的中の仕方であるが。
驚いたのは、(よくある)「イエスノークイズ」の結果で..やはりトロンボーン奏者になってしまったことであった。[;^.^]
目次へ戻るあらら? もしかして、このジャックダニエルの味、変わっちゃった?
..新品の話ではない。ジャックダニエルを1本空けるのには、それなりに時間がかかるのであるが、そうはいっても、普通は開封してから1週間か、長くとも2週間で空けていたのだが..この夏を越えて、(底のほうに2cmくらい残したまま)1ヶ月以上(2ヶ月ちかく?)放置していたやつを、今夜になって、ようやく片付けたところ..ジャックダニエルって、こんな味だったっけ? もしかして、開封したまま長期間放置していたので、(まさか腐ることはあるまいが)変質したとか?
あるいは、この夏は、チョーヤの梅酒ばかり飲んでいたので、味覚が変わってしまったとか?(「梅酒ばかり飲んでいた」と「梅酒を飲んでばかりいた」とでは、えらい違いなので、読み誤らないこと。[;^J^])
目次へ戻る午前中は、定型業務。クリーニング出し、銀行、郵便局。ヤマハでCD購入。
「ビッグコミックオリジナル」を購入。「PLUTO」(原作:手塚治虫、漫画:浦沢直樹)の第2回。原作においては「モンブラン」は、「取りあえず最初のやられキャラ」的な、かなり軽い扱いなのだが、本作においては、非常に大きい、広がりのあるキャラに昇格している。この調子だと..完結までに、2年以上かかるのではないか [;^J^]。なにしろ月いち連載..なんのことはない、オリジナル・アトムは月刊誌(「少年」)に連載されていたのだから、同じペースだ。ゆったりと楽しみましょうかね。
ヴァージンシネマにて、北野監督の「座頭市」を観る。素晴らしい!
驚くのは、とにかく徹底的に「時代劇」の「定型」を踏んでいることだ。そしてその上で、「定型(伝統)」に、微妙な変形を加えている..例えば、エンディングの「タップダンス」は、「時代劇のエンディングの定型中の定型である盆踊り(あるいは百姓たちの田植え歌)」の、21世紀型なのである。
その一方で、このような「変形」が施されていないパターンも多く..「な、なにもそこまで [;^.^]」、というのも..例えば、座頭市が世話になっている農家を(座頭市の留守中に)襲撃する「銀蔵一家」の刺客たちが、「僧形」だったり..最後に市に襲いかかってくる刺客たちは「忍者」だったり..あんたら、ただのヤクザでしょーが [;^J^]。それとも、コスプレですか? [;^.^] むろん、これらはこれらなりに「余裕」であり「ギャグ」でもある。(監督から見ても、観客から見ても。)これが、ジャンルの成熟と言うものだ。(ついでに言えば、「時代劇」(あるいは「エンタテインメント」)に、「リアリティ」なんぞ、無用である。)
「タップダンス」について、もう一言。むろん、話題を集めているのは、エンディングの“壮大な”タップダンス大会なのであるが..むしろ私が驚いたのは、映画の中盤。雨の中、田圃の中で簑姿で“まるで小妖精のごとく”踊っている、小さな百姓たち..完全に、泉鏡花の世界なのだ..このシーンだけのためにでも、あと2〜3回、映画館にかよってもいいと思っている。(無論、DVDが出れば買う。)
もうひとつ、好印象なのは、パンフレット(プログラム)である。「小冊子」なのだ。値段は変わらないので、「単位体積(面積)あたり、割高〜!」、という非難はありえますが [;^J^]..無意味に大きいパンフレットより、遙かにいい。その意味では、わたくし的に史上最悪なのは、「マトリックス」のパンフレットである。でかいばかりでなく..眼が痛くなるような、「変な」「サイバーな」「ワイアードな」「パンクな」レイアウトと活字で、読みにくいのなんの..ご愁傷様なことに、こういうメディアに寄稿しているライターは、「同類(つまり、バカ)」に見えてしまう。彼らの罪ではないんだがね。ともあれ、この愚かなパンフレットが、わたくし的に「マトリックス」のイメージを損なったこと甚だしく、それが尾を引いて、いまひとつ気が乗らずに「リローデッド」の公開を見逃してしまったのだ。
もう少し、筆を滑らせる。
上記「マトリックス」のように、本編ではなく「オマケ」によって印象をスポイルされてしまった例として、「グイン・サーガ 」(栗本薫、ハヤカワ文庫)がある。つまり、あの「あとがき」だ。
何巻目までかは忘れたが、最初は付き合っていたのだが..ある時点で、あの「あとがき」を読むのが、本当に嫌で嫌で仕方がなくなってしまったのである。それで、グイン・サーガを読むのをやめたのである。「それ、本末転倒じゃん!」、と、おっしゃるか?「小説自体の値打ち(面白さ)で判断しなさいよ!」、と? 恐らく、そのとおり。しかし私のポリシーが、それを許さない。どういうポリシーかと言うと..「購入した書籍は隅から隅まで読まないと納得いかない(要は貧乏性)」、それと、「金を取って売っている以上、あとがきも、その作者の“作品”だ」..グイン・サーガ の「あとがき」は、私に言わせると、到底、そんな水準のものではない..うまい下手の問題ではなく..執筆姿勢というか..(ここ数十巻分は読んでいないので、あるいは最近は、読むに耐えるものを書いているのかも知れないが..もはや興味も関心も無い。)ウェブ日記なら、なに書いてもなにも言う気はないが..(漏れ聞くところによると、彼女のウェブ日記は、しばしば物議を醸しているらしいのだが..わざわざ読みに行くほど暇ではないので、論評不能。)
「座頭市」のパンフに話を戻そう。もうひとつ楽しいのは、「パラパラ漫画」が2編、載っていることである。こればっかりは、大判パンフレットでは不可能な、小冊子ならではの企画なのである。
目次へ戻る午前中、カーマホームセンターまで、単眼鏡を購入に行く。昼食は、久しぶりにCoCo壱番屋でカレー。昼過ぎに下り新幹線に乗って、名古屋へ。
名古屋市民会館大ホールにて、名古屋フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会。ベルリオーズの「レクイエム」である。(沼田竜典指揮、愛知県合唱連盟、他。)単眼鏡は、この演奏会用に買ったのであったが..安物買いの銭失い [;^J^]。ピントが合いにくくて、イライライライラ。[;^.^]
ベルレクのライヴを聴く(観る)のは、4回目。本来は会場の4隅に配置すべきバンダ(別働隊)は、例によって前方の両翼配置で、人数は作曲者の指示のちょうど半分。これは私の知る限り、こんにちこの曲をライヴ演奏する際の、もっとも標準的な仕様である。
厳しく聴けば、アラはある演奏であったが..私は、あら探しを目的としてコンサートを聴きに行っているのではないのである。時々、「いまのところ、いまいちだったかもな」、とか思いつつも、全体としては、大変満足した。「トゥーバ・ミルム」や「ラクリモサ」の「大音響」を抑制気味にして、むしろ「オルガン的に響かせる」というコンセプトについては、私の考えとは異なるのだが..これは指揮者との見解の相違ということで、納得できる。(以下、備忘。ティンパニは13釜、奏者5人。「サンクトゥス」における5対のシンバルは、この5人が持ち替えて奏する。)
終演後、名古屋駅の上の(高島屋内だったかな)三省堂へ。う〜む、浜松の主要な書店を巡っても、どうしても見つからなかった探求書(比較的最近刊行された文庫本など)が10冊、あっさり全部見つかってしまった。やはり名古屋は、浜松よりも1ランクも2ランクも上の、大都会である。(← 「書店の規模」以外の尺度は無いのかよ [;^J^])(← 「大都市」と書くつもりだったのですが、たまたまちょうど今、こだわりやまのBGMが、クリスタル・キングのアレになっちゃいましたのでね [;^J^])
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