2003年05月05日:逆回り/神獣聖戦 2003年05月06日:CD不況に思うこと 2003年05月07日:「宇宙戦争」 2003年05月08日:入院/「アラビアの夜の種族」 2003年05月09日:手術 2003年05月10日:「マンク」 2003年05月11日:今、見ちゃいけない..目次へ戻る 先週へ 次週へ
ゴールデンウィークは今日で終わり。3日の帰省時の順路(秋葉 → 神保町 → 渋谷)の逆順に回る。(即ち、渋谷 → 神保町 → 秋葉。)3日には、この3つの町の全てで、それぞれ忘れていた案件があったからである。全く、何やってんだか。(完全な二度手間である。)
渋谷では、まず、東急ハンズ。入院に備えて、読書用ライトと耳栓を購入。ついでにタワーレコードに寄って、「トロイアの人々」(ベルリオーズ)のDVD(ARTHAUS 100 351)。当分、観る暇はあるまい。駅に向かう途中、最近開店したらしい「レコファン 渋谷店」を見つけたので、覗いていく。フォーカスを1枚(Moving Waves)、ELPを2枚(Brain Salad Surgery と Tarkus)。学生時代にLPを処分して以来、これらとは久々のご対面。
神保町では、三省堂。小松左京マガジンなど、数冊確保。
秋葉では、ラオックス・コンピューター館へ。VAIO PCG−U101をチェックしたかったのだが、姿無し。5/10に発売延期だと。エフ商会で薄型のCDケースなど購入してから、まだ陽も高いうちに浜松に帰る。
小松左京マガジンの第10巻に、「神獣聖戦13《前編》」(山田正紀)が掲載されているが、このタイトルの作品は、既にある。短編集「神獣聖戦 III」の悼尾を飾っているのが、「神獣聖戦13」である。なんで、タイトルをダブらせているんだろう?
「神獣聖戦」シリーズは、当初の構想としては全5冊(短編集×3、長編×2)だったはずで、このうち4冊(短編集「神獣聖戦」3冊と、長編「魔術師」)は、20年近く前に刊行済み。最後の1冊(長編)が、ずーーーーっと、発表されないまま、このシリーズが完結することは諦めていた(というか、忘れていた)のだが..確か最後の長編には、「舞踏会の夜」という仮題が与えられていたような気がするが..いずれにせよ、小松左京マガジンに2回掲載したのちに、残りを書き下ろして出版、という段取りらしいので、本になるまで、待ちましょうかね。
(ちなみに私見では、短編集「神獣聖戦」3冊は、現代SFの最高峰に近い。「魔術師」は、それに比べると、ちょっと落ちるが。)
目次へ戻るCDの売れ行きが悪いという。メーカーに言わせると、インターネットのせいだという。ファイル交換ソフトのせいだという。
バカ言ってんじゃないよ。
昨日、私は3枚も正規盤を買ったではないか。それも、ずっと昔に(LPを)すり切れるほど聴きこんで、細部に至るまで良く憶えている音楽なのだから、単に手元に置いておくだけなら、それこそCD−RでもHDの中のMP3であっても良さそうな状況だったではないか。それなのに、何故、私は(そこそこのお金を出して)わざわざ正規盤を買ったのか?
答え:それ以外、考えられなかったから。
これほどの名作を、私の「廃墟城」の栄えあるCDラックに収めるにあたって、それが(貧相なラベルがプリントあるいは手書きされた)CD−Rであって良いわけが無い。
つまり、そういうことなのだ。本当に価値有るもの、素晴らしいものなら、2000円や3000円、払う用意は誰にだってあると思うのだ。500円の(あるいは30円の)値打ちしかない(そしてそれらに法外な値付けがされている)と思われているから、コピーして(ネットからダウンロードして)すまされてしまうのである。こんにち、CDの売り上げが悪化しているのが事実であるならば、それは単に、Moving Waves や Brain Salad Surgery や Tarkus に匹敵するソフトが減少してしまったというだけの話である。いいもん作らなきゃ、客は金を払わんよ。
目次へ戻る「宇宙戦争」のDVDを観る。有名なパル版である。実は私は、この映画はB級(というか「二流」)だと思っており、個人的な評価はかなり低いのであるが、何しろ廉かったので、先日、ジョーシンで買ってきてしまったという次第。
ずーーーっと昔にTVで観たときに、細部の雑さに呆れてしまったのだ。さすがアメリカ映画というべきか..至近距離で原子爆弾を爆発させるというのに、みんなで「ゴーグル」だけ装着して観ているし..解剖学的にも生理的にも全く未知の火星人(の死体)の“脈”を取って、「死んでる..」..おい、こら! [;^.^]凸
..という程度の映画なんだよなー、と、想い出しつつ、期待せずに眺めていたのだが..それらの欠陥の全てを帳消しにするほどの魅力を(再)発見してしまった。それは、火星人のビークルの美しさである。
ちょっとSF映画に興味がある人ならば誰もが知っている、あの「白鳥型」の「円盤」である。(「円盤」形状ではないので、ここでは「ビークル」と呼ぶことにする。)もちろん、大昔にTVで観ているのだが、その時は、これほどの美しさを感じなかった。(モノクロ画面で観たからだろうか?)
最初に3機が編隊を組んでゆっくりと現れるシーンでは、落涙こそしなかったものの、「ほ、ほおぉぉぉぉ..」..と、深い溜息をついてしまった。問答無用の、戦慄的な、荘厳崇高と言えるほどの美しさである。「パルの宇宙戦争」の本質は、まさに、このビークルにあったのである。
目次へ戻る今日から入院。午前中、郵便局、銀行、クリーニング受け取り、と、野暮用を片付ける。病院まで車で3.5キロほどであるが、自家用車では来ないでくれ、と言われている。(確かに、病院の「外来」の駐車場に2週間も置いておくのは、不用心である。)バスで行こうとすると、バス停まで10分間歩き、いったん駅前ロータリーまで出て、そこで別の路線に乗り換えて、バス停を降りてからまた、3分ほど歩くことになる。晴れていれば元気も出たかも知れないが、雨が強く、しかも大荷物(ほとんど書籍 [;^J^])なので、素直にタクシーを呼ぶ。1370円也。
昼過ぎに6人部屋に入る。幸い窓際だし、私の周囲のベッドは(たまたま今日のところは)空いてるし、窓は中庭(?)向きで外の景色は見えないにせよ、最上階(3F)なので空が見えるし、で、文句は全く無い。ここで2週間、本を読んでいればいいのだ。(本来の目的を見失わないように。[;^J^])
「アラビアの夜の種族」(古川日出男、角川書店)読了。(22時の消灯後、1時位までかかってペンライトで。[;^J^])
(ナポレオン軍を撃退するための)「架空の書」を作る物語、というのが、一応の筋。千夜一夜物語を原型とする枠物語であるので、文体もそれに倣っているのかと思ったら、妙に現代風に(軽く)緩んでいるのだが、恐らくは計算の上だろう。いい具合に筆が滑っており、読む快感という点からは文句は無い。夜の讃歌。夜の夢の讃歌。夜型生活への讃歌 [;^J^]。メタ構造自体は、(くどいほど「夢」への言及が繰り返されるのだが)あまり面白くない..というか、特筆するほどの値打ちが無い。それより、語られる(“譚られる”)物語それ自体が面白い。山田章博を強く想起させる。「Beast of East」と「ロードス島戦記」を合体させたようなものだ。ファラーの敗北と堕落(魔族に身を堕とす)がまた、「凄ノ王(凄ノ王伝説)」(永井豪)の瓜生麗だし。
目次へ戻る早朝から「マンク」(Matthew Gregory Lewis)を読み始めるが、昼過ぎまでには読了できず。
午前中から、下剤やら注射やら、手術の準備。午後、痔の手術。腰に注射して、下半身麻酔..あまり効いてないような気がするんですが..[;_ _] 手術の総所要時間、28分間。
手術後、10時間は頭を起こしてはならないとのこと。(麻酔の副作用で、頭痛がしたりするのだそうだ)..ということで、今日のところは、これ以上の読書は、やめておく。まぁ1日くらいは、本を読まなくてもバチは当たるまい..てゆーか、医者や看護婦のいうことをきかない方が、バチが当たるんだよ! [;^.^]
目次へ戻るうつらうつら。2〜3日は読書したりするなと言われているのだが、音楽は(疲れなければ)聴いても良い、ということなので、持参したCD(全11枚)を、順次再生する。(夜までに、9枚クリア。)
母が、見舞いに来る。
深夜、結局、読みさしだった「マンク」(Matthew Gregory Lewis、井上一夫訳、国書刊行会)を読了する。(22時の消灯後、1時位までかかってペンライトで。[;^J^])
こんにちの過剰な刺激に慣れてしまった読者にとっても、なお読む価値がある、原型的な作品。アンブロシオの直接的(決定的)な犯罪は、エルヴィラ殺しとアントニアの強姦殺人なのだが、これらが「母殺し」「妹の近親相姦殺人」に“格上げ”されたのは、アンブロシオにとっては“事故”みたいなものである。その認識は無かったのだし、認識していれば、これらの罪は犯さなかった可能性が高い。(知っていようがいまいが、最悪の禁忌であり罪なのである..のかね? 神学的には。)そしてまた「近親相姦」と認識していない「近親相姦」には、「罪の香りと恐ろしさ」が決定的に足りないとも思う。それはともかく、この作品の“残虐描写”は、アンブロシオのそれにとどまるものではなく、群衆による尼僧院長の惨殺(八つ裂き)、アンブロシオに対する宗教裁判所の拷問、等々、民衆並びに権力者による暴力描写にも、手抜かりは無い。アンブロシオが岩山から投げ落とされて(一週間かかって)死に行くシーンの、ほとんど解剖学的な描写もまた、結構。“悪女”どころか“妖女”であるマチルダが、実は本当に魔界の者なのであった、という仕掛けは、実にスマートである。
目次へ戻る多分、このネタはまだ紹介していなかったはず。昔、恐らく「少年」誌の囲み記事か何かで読んだのだと思う。(「ぼくら」か「ぼくらマガジン」かも知れないが。)
ソ連のフレンドシップ7号が打ち上げられた頃じゃなかったかなぁ..とにかく、宇宙船の中は身動きできないほど狭い上に、操作すべきスイッチは厖大にある..という前提を踏まえて、「アメリカやソ連では、新方式のスイッチを開発中です。それは、手で触らなくても「見るだけで」入る「夢の」スイッチです。手が届かないところにあるスイッチも、これで操作できるというわけです」..
もちろん、見てはいけないスイッチに次から次へと目が行ってしまって、入るべきではないスイッチが次々に入りまくってしまう、というのが正解だ [^.^]。最後に見てしまうのが「自爆スイッチ」であることは、言うまでもなかろう。[^O^]
CD、残り2枚も聴く。
「重力の虹 I」(Thomas Pynchon)を読み始めるが、案の定、頭が重くなりがちなので、休み休み、居眠りしながら読む。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: May 27 2003
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