*2003年03月31日:鉄腕アトムハッピーバースデーボックス
*2003年04月01日:88−88
*2003年04月02日:四角い車
*2003年04月03日:Fantom−S! \[^O^]/
*2003年04月04日:人間ドック/自動掃除機
*2003年04月05日:「ちびママちゃん」、コンプリート!/「LOTR 二つの塔」
*2003年04月06日:「渋松対談」の衝撃
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*2003年03月31日:鉄腕アトムハッピーバースデーボックス


 「鉄腕アトム ハッピーバースデー ボックス」(光文社)が届いた。しかしなんちゅう大きさだ。本棚には収まらないし、困った困った。「少年」誌の付録の復刻をはじめとする内容豊かなものであり、今日のところは開封だけはしたが、読むのはあとあと。じっくりと味わうべき物。

 他にも、「鉄腕アトム コンプリートブック」(メディアファクトリー)など、アトム関係の新刊はさすがに多く、読む時間の取れない私は嬉しい悲鳴。雑誌等の特集に至っては追いきれないので、ほとんどパス。

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*2003年04月01日:88−88


 出社時だか帰宅時だか忘れたが、前の車のナンバーが、「88−88」。この番号って、世間的にはどうなんだろう。「“末広がり”が4つも重なって、縁起がいい」、とか?


 ..私には、7セグ液晶の暴走にしか見えないがな! [;^.^]


 ..というのは、おいといて。[;^J^]

 あなたは、「88」で何を連想しますか? 私の場合、瞬間的に想起したのは(上記の暴走気味の連想を別にすれば [;^J^])「88鍵(ピアノの鍵盤の数)」、「MM−88(「復活の日」)」、「PC−8801(NEC)」、「エリア88(新谷かおる)」、「四国八十八カ所」、てとこですか。実に健全で、「知情意」のバランスが取れている。[^.^][;^.^]

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*2003年04月02日:四角い車


 昨日に引き続き、自動車ネタ(..てゆーか、昨日のは「自動車ネタ」だったんですか? [;^J^])

 私が「自動車音痴」であることは、何回か書いていると思う。要するに、さほどの興味を持てないので、自動車を見ても、その車種が何であるか判らないことが珍しくない。

 とはいえもちろん、よほど特徴的な形状の車である場合は、話が別である。このことを初めて認識したのは、多分20年くらい昔だと思うのだが、「よろしくメカドック」(次原隆二だったっけ?)という、自動車整備工(?)が主人公である漫画で、その中に、ホンダの「シティ・ターボ」が登場したのである。私は、「なんちゅう、ヘタクソな漫画家だ。デッサンが狂っているではないか、チッ」、と、吐き捨てたのだが..数日後、その、「デッサンが狂っている車」が、現実界の道路を走っているのを目撃してしまったのである [;^J^]。いやぁ、あのときは、本当に驚いた。[;^J^]

 近年、デザインの特異さが印象に残った車と言えば、まず、トヨタの「ヴィッツ」である。なにしろ、「背中が波打っている」[;^J^]。次に、確かフォルクスワーゲンだったと思うのだが、「前後対称」の車。このコンセプトにも、意表を突かれた。

 そして、ニッサンの「キューブ」である。初めて目撃した(というか、認識した)のは、つい数日前であるが、前を走る車が「左右非対称」であることに驚いた [;^J^]。そしてその日は、背面を見ただけだったのだが..今日、ルームミラーの中に、すぐ後ろを着いてくる「キューブ」を、目撃してしまったのである。実のところ、キューブを前から見たことは無かったのだが、「これは絶対、“あの車”を前から見たところに違いない!」、と、確信できるフォルムであった。(そして後日、その確信は正しかったことを確認できたのだが。)「なるほどねぇ〜..」、などとルームミラーをチラチラ見つつ、車を走らせていたら..そのキューブが(左折のために)ウィンカーを光らせた時に、もうひとつ驚いた。あんなところに、ウィンカーがあったのか!

 ..ったく、人騒がせな車であることよ。[;^J^]

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*2003年04月03日:Fantom−S! \[^O^]/


 この日記でも度々書いてきた、2003年第一四半期の私の生活時間の大半を吸い込んでしまった、凶悪極まりない「超強力な新製品」。それの購入手続きを取っていたのだが、本日、届いた!


Rolandの「Fantom−S」である! \[^O^]/

 勤務先の製品の「宣伝」を「日記」に書くのは、少々イヤらしいが、自分が買った製品の「自慢」を「日記」に書くぶんには、なんの問題もない。微笑ましいだけであろう。これから時々、書かせていただくことにする。

 これで、1995年(だったかな)に購入した、同じくRoland製であり、同じく開発に携わった「XP−50」の、居場所が無くなった。基本的に、XP−50に出来ることは全てFantom−Sで出来るし、XP−50に出せる音は全てFantom−Sで出せる。そして、性能・音質・使い勝手は、圧倒的にFantom−Sの方が上なのである。

 もちろん、愛着はあるので、手元に置いておければいいのだが..私の自宅は狭すぎるのだ。これは手放すことにしよう。FCLAのオフで長年(オルガン、ハープ、チェレスタ、シロフォン、グロッケン、ベル、フォルテピアノ、キャノン砲、ウィンドマシン、等々として)活躍してきた歴戦の勇士であるだけに、それなりに傷がついている。ヤフオクに出品するのは(トラブルの元にならないか)不安である。直接現物を見て判断してもらえる、社内、あるいはごく近場の(浜松在住の)知己限定で、forsaleしましょうかね。

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*2003年04月04日:人間ドック/自動掃除機


 年に一度のお楽しみ。今日は楽しい人間ドック..

 ..とあるパラメータだけが飛び抜けて悪化しており、3ヶ月後の再検査指令 [;_ _]。ただ、この1年間の累積的な悪化の結果とは考えにくい(そんなものでは説明できない)数字であり、かつ、前夜の食事の影響を受けやすいパラメータであるということなので、まず間違いなく、一時的な(瞬間的な)数値なのではあろうけれど..それと、これは初の指摘なのだが、眼に多少の異常があるようだ。眼科医で改めてチェックするよう、紹介状を渡される..まぁ、あちこちガタが出てくる歳だわなぁ..

 スマートメディアを購入するために、帰路、OAナガシマに寄ったところ、(昨日届いたFantom−Sのストレージは、スマートメディアなのだ、)「自動掃除機 ルンバ」とかいう掃除ロボットのデモをやっていた。障害物を避けながら自力走行しつつ、ゴミ掃除をしてくれる、という優れ物。お値段も398、と、お手頃。唯一の問題は..「こいつが走り回れるくらい床が片づいているのであれば、人間が掃除したところで、たいして手間もかからず苦にならない」..という、身も蓋もない事実である。[;^J^]

 この手の「自動掃除機」を見て、私がいつも思い出すのは、(ハインラインではなく)スタニスワフ・レムの「エデン」なのである。本書に登場する「掃除オートマット」は、すぐに(ゴミの山に突っ込んだまま)身動きできなくなってしまう、可愛い奴なのである。[^J^]

 例によって、晩には「こだわり山」..週末なだけに20分待ちだったので、(すぐ近くの)ヴィレッジ・ヴァンガードで暇つぶし。「渋松対談」の復刻(ロッキング・オン発行、2冊)を見つけたので、思わず、買ってしまう。

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*2003年04月05日:「ちびママちゃん」、コンプリート!/「LOTR 二つの塔」


 (ヤフオクではなく)Easy Seek のオークションで発見・落札していた、「月刊少年チャンピオン 1977年1月号〜12月号(12冊)」が、本日届いた! 吾妻ひでおの「ちびママちゃん」の初出誌であり、この期間では、7月号と10月号だけが未見だったのだ。(つまり、「おとな買い」という、おとなげない買い方をしたわけである。[;^J^])これらのうち、


ちびママちゃん:先生が親がわり!?:16:月刊少年チャンピオン:1977/07

 ..は、どの単行本にも収録されていない、近年ひさびさの収穫であった。これでようやく、「ちびママちゃん」、コンプリートである!

 祝杯を兼ねて、夜にはヴァージン・シネマで「THE LORD OF THE RINGS 二つの塔」..ようやく、観ることができた..忙しさにかまけてなかなか観れず、もうそろそろ公開が終わってしまうのではないかと、焦っていたのだ..

 ..良いではないか。私は十分、楽しんだ。純粋に映画としての「まとまり」あるいは「見せ場の分布」という視点で見ると、第一作に軍配があがるが..これは、無意味な比較なのだ。元々(原作に忠実な)三部作として構成されているのみならず、映画版三部作はまとめて撮影・製作されているのであって、我々観客には、それらが三年に渡って提供されているわけなのだから..つまり、三部作まとめての評価以外は、やりようが無いのである。

 従って、主人公たちが最初から最後まで3グループに分かれていて、一度も邂逅することが無い、という、「ストーリーの、見かけ上の分裂」も、問題にならない。無意味と知りつつ第一作との比較を敢えてすれば..「美しい(夢のような)シーン」が、非常に少ない。要は、殺伐とした戦闘シーンが多いのであるが、もともとそういうストーリーであるんだし。

 やや「あら探し」に近い批判をしてみると..「ゴラム」に問題がある。CGによる造形だと思うが、その技術の高さは認めつつも、ここまで高い水準に到達したが故に、「実際の生物ではあり得ない、微妙な動作や表情の違和感」が、かえって目に付くのである。演出にも疑問が残る。特に、幕切れ近くの「二重人格的・ゲシュタルト崩壊的・一人芝居」は、明らかに長すぎる。この物語を知っている観客にとっても、初体験の観客にとっても、退屈なのである。

 ヘルム峡谷の激戦は、素晴らしい。そして、多くの人が指摘するであろうように、いかにも「黒澤明的」である。そのことに問題があろうはずがない..のだが、戦闘開始の瞬間に、まさに「黒澤明的」に降り出した「大雨」が、いつの間にか「さしたる必然性もなく」降り止んでいたことが、ひっかかりますな..私は、細かすぎますか?[;^J^]

 あと、ファラミアが気になる..さすがに、原作を読み返さないと細部は思い出せないんだけど..最後に「自らの処刑」と引き替えにホビットたちを開放するような、それほどの自己犠牲をしていたであろうか? 確かに、「いい人」には違いなかったと思うが..(例によって)字幕の誤訳か?

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*2003年04月06日:「渋松対談」の衝撃


 先日、購入した「渋松対談」2冊(「定本渋松対談・復刻版」(渋谷陽一、松村雄策、ロッキング・オン)、「渋松対談Z」(同))を読了したのだが、後者の内容が妙に新しかったのが不安で(気がかりで)書店に出かけて、ひっさしぶりに「ロッキング・オン」誌を立ち読みして、愕然..

 「ま、まだ続いていたんか、この対談!..」


 ..何を驚いているのか、説明しよう。[;^J^]

 私にとって、「渋松対談」というのは、「学生時代の(遠い)想い出」に他ならないのである。学生時代に、NHK−FMの渋谷陽一がDJしていた番組(タイトル忘れた)をせっせとエアチェックしたり、購入したロックのLPのライナーノーツの「渋谷陽一率」が異常に高かったり(例えば「イエス」)していた私は、ロッキング・オンを(定期購読していた友人から借りて [;^J^])それなりに愛読していたのである。そして、卒業して就職した頃から、(何故か)渋谷陽一の番組から離れ、(ちょうど番組の改編期にあたっていたのかも知れない、)ロッキング・オン誌を読むこともなくなっていたのである。もちろん、今でも続いている(売れている)雑誌であることは、知っていたのだが..

 だから、同誌に(不定期)連載されていた「渋松対談」の記憶は、(約20年前の)「学生時代」で切れているのだ。今回購入した2冊のうち「定本渋松対談・復刻版」の方は、70年代後半から80年代前半にかけての対談を集めており、見覚えのある懐かしいものも多い。「渋松対談Z」の方には、90年代の話題が多く、従って、私は全く読んだことのないものばかりなのであるが、もちろん、同誌の存続を知っている(知っていた)私にとって、なんら不自然なものではない。そりゃもちろん、その後も続いていたんでしょ..

 ..しかし、まさか今でも?..と、不安になって、書店に出かけて、愕然、というわけだ。いくら頭で理解していても、これには驚いた。結局、単行本というのは(より新しい内容の「渋松対談Z」であろうとも)「過去のパッケージ」に過ぎないのだが、現役の雑誌の今月号に載っているというのは、もう、ちゃきちゃきの「現在」である。リアリティが違う。(もう1冊の「定本渋松対談・復刻版」は、「過去のパッケージであるところの単行本の、さらに復刻版」、という、いわば「二重に過去の彼方」なのが、この錯覚というかなんというかに拍車をかけたのである。)私はまさに「過去からの復讐者」に遭遇したような「Xの悲劇」的な衝撃を受けたのであった。(また、わけのわからんことを。[;^J^])

 実のところ、20年も経つというのに、全く同じ文体と全く同じノリの(しかし両名とも20年の齢だけは重ねて、今や50代の)この対談は、学生時代から20年も経つというのに、たいして(全く?)成長していない、今もどこか当時の残滓を引きずっている私自身の鏡像にしか見えなかった..それが「衝撃」の「正体」であったのであろう。なんという迷惑な。早くやめてくれないかな、この連載..(← ちょ〜、身勝手 [;^.^])

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 9 2003 
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