2002年05月13日:音楽の授業の追憶、その一 2002年05月14日:音楽の授業の追憶、その二 2002年05月15日:繁盛しなかった店 2002年05月16日:アジマ特異日 2002年05月17日:シャープペンシルをめぐって 2002年05月18日:ジャンプ/チャンピオン、調査 2002年05月19日:K君帰国歓迎会目次へ戻る 先週へ 次週へ
私は、中学生の頃までは優等生であった。体育だけは劣等生であったが、それ以外の教科では、常にトップクラスだったと記憶する。(良くあるタイプである。)それも、“勉強をしない優等生”であった。試験勉強というのをしないのである。試験前日にパラパラと教科書を読み返すだけで無理なく良い点が取れる、という、これまた良くある(ムカツク [;^J^])タイプである。もちろん、こんないい加減な態度で試験に臨んでいるのだから、必ずしも満点は取れない。大体90点前後である。しかし私は(多大な時間を費やして)まじめに勉強して満点を取ることに、さっぱり興味がわかなかったのである。適当に流していても90点は取れるのだから、それで十分。これ以上の勉強は無駄無駄、それより他のことに時間を有効活用すべきでしょ。(← やなやつー。[;^.^])
だから、私よりも遙かに勉強に打ち込んでいる同級生が私よりも良い成績を取っても、それは当然。悔しくもなんとも無かった。どのみち、当時の通信簿は5段階評価(あるいは10段階評価だったかも)だが、(私よりも遙かに勉強時間を費やした)彼も、全然勉強していない私も、同じく5(あるいは10)なのである。無理して満点を取っても、無意味でしょ?(← や・な・や・つー。[;^.^])
特に成績が良かったのが、音楽であった。実技(歌や演奏)については“単なるトップクラス”に留まったが、(オタク的)知識のレベルにおいては、クラス内でも完全に隔絶していた。「モーツァルトの作品名についている“K”の読み方を知っている人は?」、に手を挙げて、ケッヘル番号の来歴を延々と講釈する始末だから、音楽教師は閉口していたのではあるまいか。[;^J^]
..しかし問題は、音楽教師の側にあったのだ。上記の「ケッヘル番号の長講釈」は、「教師に対する制裁」だったのである。
説明しよう!
中学時代の3年間で、音楽の教師ふたりについた。(仮にA教諭、B教諭と呼ぶことにする。)問題は、このふたりの知識水準が非常に低く、特に3年生の時に受け持って下さったB教諭の知識水準は、壊滅的に低かったのである。
とにかく、「イングリッシュホルン」を「英国製ホルン」と説明して下さるのである。(解らない人へ。「イングリッシュホルン」は、「ホルン(金管楽器)」とは全く異なる木管楽器です。)
噂に寄ると、音楽の専門教育を受けた人では無かったという。もちろん、そのこと自体には、全くなんの問題もない。正しい手続きで音楽の教師になったのだから、専門教育を受けなかった分は、自力で勉強して補っていただければ良いのである。B教諭の問題は、自分の知識レベルの低さについての自覚が無く、従って自分を向上させるための勉強もせず、結果、上記のような間違った知識を、何年間も何年間も延々と教え続けてきた、ということにある。
「これは許せない!」というのが、中学生時分の私の正義感であった。これはいまでも、そう思う。
「制裁を加えてやる!」というのが、中学生時分の私の結論であった。これはいまでは、「何もそこまで..」、と、少し引く。[;^J^]
生徒が教師に「制裁」を加えるために取れる手段は、いくつもある。しかし例えば、黒板消しをドアにはさんでも意味が無いのである。「制裁」が「制裁」として機能するためには、この教師の「本業」において「恥」をかかせるのが最上。(← 陰険さにかけては、文句無しにクラスで一番だったかな。[;^.^])
上記の「ケッヘル番号の長講釈」は、しかし「制裁」としては、生温い方であったろう。より厳しい例を紹介すると、「国民学派の代表作を3つ挙げよ」、という試験問題に対する解答。想定された模範解答は、まぁ、「モルダウ」(スメタナ)、「ペールギュント」(グリーグ)、「シェエラザード」(リムスキー=コルサコフ)、あたりであったのだろうと推測するが、私は、B教諭が絶対に知らないはずの曲ばかり解答したのである。確か、「キキモラ」(リャードフ)、「エン・サガ」(シベリウス)、「イスラメイ」(バラキレフ)だったのではないかと記憶する。
これのどこが「制裁」になるのか。教師である以上、これらの(見知らぬ)曲名が「国民学派の代表作」であるか否か調べてから採点しなければならないはずである。「なるほど、余計な手間をかけさせるという“制裁”なのか」、と納得したあなたは、まだ甘い。実はB教諭は「調べずに○をつける」ことが、私には最初から判っていた。なぜなら、「私(倉田わたる)の答案だから」である。授業中も、うっかり当てたら聞きもしないことまで講釈するほど、音楽の(オタク的)知識が豊富な生徒である。「間違った答案を書くわけが無い」。そこでB教諭は(調べるまでもないとして)手を抜く。必ず手を抜く。調べずに○をつける。教師として、絶対にしてはならぬことをする..それを、誘導したのである。(ここまで来ると、「やなやつ」というよりは「恐ろしい奴」だわな..)
B教諭の、私の答案に対する「過信(手抜き)」の例を、もうひとつだけ挙げておこう。ある試験の採点結果。普通は、各回答欄ごとに○か×をつけるのであるが、なんとその時の私の答案は、個別の回答欄に○×がつけられておらず、全部まとめて、答案用紙一杯に大きな ○ が書かれ、その隣りにご丁寧にも、「完璧だ!」というコメントが付せられていたのである。さすがの私も、これには呆れた。私の答案なら、いちいち吟味するまでもないということか。
しかもなんとも美味しいことに、その答案には「間違い」があったのである! まじめに採点していないという、火を見るよりも明らかな証拠である。私は欣喜雀躍してB教諭に答案を突きつけて、満点から95点に減点させたのである。B教諭は、私の目の前で、大きな○も「完璧だ!」も、消さざるを得なかったのである..これが「制裁」である。
..にしても、せっかくの満点を、わざわざ減額することはないだろうって? 最初に言ったでしょ。満点だろうが95点だろうが誤差範囲、通信簿では5(あるいは10)に決まってるって..
(↑(あらゆる意味で、)や・な・や・つー!! [;^.^])
(ちなみに、「勉強せずとも常にトップクラス」などという甘い生活は、高校時代の前半ぐらいまでしか続かなかった。当たり前である。そして、「勉強“しない”クセ」をつけてしまった人間の末路のサンプルとして、今の私が、ある。[;^.^])
目次へ戻る昨夜の続き。
私は、横浜市立T中学校を卒業した。昨夜述べたエピソードは、この中学校においてのことだが、私はここには、一年生の二学期に転校してきたのであった。
そして私が転校してくるまでは、クラスで成績が一番だったのが、Oさんである。(「O嬢」と書くと、妙なニュアンスが発生してしまう [;^J^]。)彼女はどの教科も成績が良かったが、(私と違って、体育でも結構成績が良かったような記憶があるが、)特に音楽の成績が良かった。ピアノを本格的に習っていたし、リコーダーの腕も達者なものであった。
..ま、小生意気な女だったという印象が強いのであるが [;^J^]..わかりやすくひとことで言えば、ハーマイオニーである。[;^J^]
確か、転校してきてから、最初の音楽の授業だったと思う。(この時点では音楽の担当は、昨夜述べたB教諭ではなく、A教諭。)リコーダーの実技試験。(時間節約のためか)男女ひとりづつ順番に呼び出され、皆の前でペアで吹くのである。その一連のペアの最後の一組になったのが、転校生であった私と(何故か)Oさんであった。それを知った周囲の生徒は、「かわいそー..」、と、私に同情してくれた。Oさんに差をつけられ、引き立て役になるのは必定だからである。(彼らはそれまで、私がリコーダーを吹くところを、一度も聞いたことがなかったのだ。)
..そしてOさんとペアで吹いた私は、Oさんよりも遙かに上手かったのである..
..これが映画や小説や漫画なら、このあとなんらかの(緊張感を孕んだ)展開になるところであるが..もちろん、事実は小説よりも凡庸なのである [;^J^]。別になんもなかったよ。[;^J^]
ついでに言えば、昨夜・今夜と紹介している中学生時代の倉田わたるは、意外なことに、全くイジメの対象にならなかったのである。(こんにちほどの社会問題ではなかったにせよ、「イジメ」は当時からあったのであるが..)紹介した範囲で言えば、これほどイヤな奴はいない、と思えるだろうし、事実そうであったが、それを相殺するだけの「人徳」もあったということなのであろう。
(ちなみに風の噂に聞くところによると、のちにOさんはプロのピアニストになり、渡独してドイツ人の音楽家と結婚したとのこと。)
目次へ戻る久しぶりに車を走らせた道沿いの、とある店が閉店していた。昨今、珍しくもない風景である。
綴じたシャッターに「貸店舗」の張り紙が貼られているが、惹句がなんとも..
「繁盛する店 しない店 どこが違う?」
..つぶれた店に、そゆことゆわれてもな。[;^J^]
目次へ戻る帰路、立ち寄った書店で、富士見書房の「ドラゴンHG Vol.4」を購入する。
スクラップ学園:午後の風船:8:ドラゴンHG Vol.4:2002/06/01
..である。「次回発売の「ドラゴンHG」に「スクラップ学園」の新作が掲載される」、という情報は、今月号のSFマガジンでゲットしていたのだが、気がつかなかった人が多いのではないか。「ドラゴンHG」は雑誌ではなくムック。今から入手できるか否かは判らないが、いちおうインフォしておく。(ちなみに、発行元は富士見書房だが、発売元は角川書店である。書店で発注する際、どちらの社名が通用するかは判らない。)
ちなみに今日は、レギュラーの連載、
街を歩く:アヅマ仕事中毒時代:6:お宝ワイドショー:2002/07
あづま童話:河童の相撲:4:増刊みこすり半劇場 別館 Vol.21:2002/06/16
帰宅したら、Nさんから手塚治虫関連資料が届いていた。さほどの量ではないが、週末までは手をつけられない。
目次へ戻る私は(普段使っていない)シャープペンシルの芯を収める時に手間取ることがある。ハタから見ていると、「収める(引っ込める)のであろう」、と思われるタイミングで、逆にノックして押しだし..フト気がついて、改めて指の腹に先端(芯)を当てて、芯を引っ込める、という具合である。
何故、こんな間抜けな振る舞いをしているのかと言うと..普段は、「軽くノックすると出て、深くノックすると引っ込む」シャーペンを使っているからである。
非常に便利なのであるが..ひとたび「便利でない」「昔ながらの」環境(ツール)に引き戻されると、「便利な環境に適応してしまった分だけ、作業効率はマイナスである」という、わかりやすい実例であった。
目次へ戻る例によって7:14のひかりで国会図書館へ。
前回は、「ビッグコミック」誌のバックナンバーを洗って、歴代の「ビッグコミック賞」の選評をピックアップしたが、今回のターゲットは、主として、「少年ジャンプ」誌の「手塚賞」と「少年チャンピオン」誌の「少年チャンピオン新人まんが賞」である。
まず、「手塚賞」からチェック(というか「小当り」)を始める。事前調査によると、この賞は、毎年1号(前後)と26号(前後)に発表されているとのことであるが、それの裏取りから。1971年度から1973年度までの4回が、確かにその周期で載っていることを確認した時点で、「手塚賞」(「少年ジャンプ」)のチェックをペンディングして、「少年チャンピオン」誌に切り替える。
説明しよう!
「国会図書館」は、請求してから出納されるまでが遅いが、無料である。これに対して、「現代マンガ図書館」は、請求してから出納されるまでが早いが、有料である。
よって、「目当ての号が事前に絞り込まれている」場合、「現代マンガ図書館」でピンポイントで閲覧する方が、効率が良いのである。金はかかるが、数十冊であってもたちまち片づく。逆に、「目当ての号が事前に絞り込まれていない」場合、つまり、どの号に載っているのか判っていない場合、「現代マンガ図書館」を使うと金ばかりかかってしまう。(1冊100円なので、週刊誌を1年分なめるだけで、5000円。)この場合は、出納がトロいが無料の「国会図書館」を使う方が良い。
さて、「少年ジャンプ」誌の「手塚賞」結果発表掲載号は、高い確率で予想出来ることが判ったので、「現代マンガ図書館」に回したのであった。逆に、「少年チャンピオン」誌の歴代の「少年チャンピオン新人まんが賞」は、何号に載っているのかさっぱり判らない(最悪の場合、端から順に絨毯爆撃をかけなければならない)ので、これは「現代マンガ図書館」ではなく、「国会図書館」で調べることにしたのであった。
それにしても..「少年チャンピオン新人まんが賞」にはまいった。非常に規則正しく載っている「手塚賞」とは対照的に、非常に不規則なのである。それも、「次回の発表は何年何月何日号」、という予告を「守らない」のである。
その予告された号を見ても、載っていない。数週間(場合によっては2ヶ月近く)遅れて、ようやく「一次選考」が発表され、さらに数週間ずつかけて「二次」「三次」..結局、当初の予告号から4ヶ月分も続けて出納請求することになってしまったりする。年に高々2回の賞であるから、これでは無差別絨毯爆撃となんら変わるところがない。
単に遅れるだけでなく..遅れていてもその旨「告知」しないのである。「選考が遅れております、今しばらくお待ち下さい」のひとことが無いのである。これはいかん。私の手間などどうでもいいが、当時の応募者たちの気持ちを考えると、これは許せん。こんなやつら(編集者)に、〆切を守らない漫画家達を怒る資格があろうか(いや、あるわけが無い)。
それやこれやで、全然捗らなかった。やれやれ。
国会図書館が閉館してから、現代マンガ図書館に回り、予定通り、「手塚賞」の(手塚治虫存命中の、手塚治虫の選評が載っている分の)残り全部(第5回から第36回まで)を、一気に閲覧チェック終了。(但し、1号欠。後日回し。)
(「国会図書館」の利点(遅いが無料)と「現代マンガ図書館」の利点(高いが早い)を併せ持っている(無料で早い)のが、かつての「日比谷図書館」であった。今は「日比谷図書館」(霞ヶ関)の児童図書は、「多摩図書館」(立川)に移転している。立川は微妙に遠く、閉館時刻まで調査していると、そのあとどこの図書館にも古書店(群)にも寄りづらい。(「中野まんだらけ」は比較的近いが。)つまり、「多摩図書館での調査」だけで一日を費やすことになる。新幹線の往復運賃(1万5千円以上)がそれに見合うと思えるまで「多摩図書館での調査案件」を貯めておく必要がある。「少年チャンピオン新人まんが賞」だけでは、まだ、それには足りない。)
横浜の実家へ。
目次へ戻る午前中は読書。昼過ぎに発って、シャル(横浜駅ビル)6Fの焼き鳥と釜飯の店へ。
中学時代以来のつきあいである連中(ブラスバンド部の仲間と当時の顧問の先生)との、まぁ同期会のようなもの。バングラデシュの日本人学校に赴任していたK君が帰国したのを機会に、集まったのである。
秋葉に寄ってから、浜松へ。
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