2001年06月18日:「キギョーサイ」 2001年06月19日:「今日も雨」 2001年06月20日:YAHOO! BB/リブ100の液晶、断末魔!? 2001年06月21日:「異形コレクション 19 夢魔」 2001年06月22日:「光芒の序曲」 2001年06月23日:「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」 2001年06月24日:アリバイ偽造請負業者目次へ戻る 先週へ 次週へ
私は、北九州市で生まれたものの、小学校三年生の夏休みまでしかその地にいなかったので、ごく僅かな断片的な記憶しか残っていないのだが..その小学校で、年に一度、「キギョーサイ」という祝日があったことを、微かに憶えている。何か特別な行事が開催されたかどうかは判然としないのだが、少なくとも授業は無かった(と、思う)。
子どものことだから、学校が休みであれば嬉しいだけなので、「キギョーサイ」という言葉の意味など考えたことも無く、そのうち、北九州を離れてしまったのだが..ずっとのち、恐らくは数十年も経ってから、追憶がてら、あれは一体何だったのであろうか..と考え..その時になってようやく、そうか、「起業祭」だったのか! と、思い至ったのであった。
説明が必要だろう。当時、四大工業地帯(※1)の一角である北九州工業地帯の中心地であった北九州市には、鉄鋼業が集中しており、特に、合併して新日鉄になる前の八幡製鉄(何年前の話だよ ← だから、35年前の話だってば [;^J^])と(鉄鋼業ではないが)三菱化成が、両雄であった。本当に曖昧な記憶だが、小学校の児童の8割位が、八幡製鉄か三菱化成の子弟だったのではあるまいか。完全な企業城下町である。
「キギョーサイ」とは、「八幡製鉄の起業祭」だったのだ。この日は、確かに“公立小学校が”休校になった。八幡製鉄の工場見学も、あったかも知れない。工場見学はともかく、一私企業の創立記念日に公立学校を休みにしていいのかよ、と、思い出しても呆れるが、それほどの勢力があったわけだ。
とはいえ..(ついで追憶を続けるが、)私たちの学年は、3学級であった。ひとつ上かふたつ上の学年は、4学級だったのに。つまり、学童の数が、緩やかに減っていたのである。北九州の鉄鋼業はマクロに見ると、当時から斜陽化が進んでいたはずで、その顕れだったのかも知れない。(当時の小学1年生が、そんなことを考えるわけもないが。)だから、戦前から建っていたような古い校舎には、空き部屋(教室)がたくさんあった。机だけが積み上げられた空き教室、椅子だけが積み上げられた空き教室などが、あったはずだ。迷路のような校内を探検して、迷子になったこともあったと思う。まさに、胸躍る“秘境”であった。
※1 | 「世界大百科事典」で調べてみたところ、かつて「京浜」「阪神」「中京」と共に「四大工業地帯」と呼び習わされていた「北九州」は、戦後、急速に凋落して行ったのこと。(こんにちでは、「四大工業地帯」と呼ばれることはない。)私が北九州市の小学校に通っていたのは1965年から67年にかけてであり、従って、当時は既に「四大工業地帯」のメンバーから脱落しかかっていたにも関わらず、地元では「四大工業地帯」と言い続けていたわけであり、私も小学校では、そう習った。地元のこの気持ち(意地、プライド)は、非常に良くわかる。 |
梅雨どき(あるいは、秋の長雨どき)になると、想い出す作品がある。学生時代に聞いた、眉村卓原作のラジオドラマである。
タイトルは、「今日も雨」。確か、こんな話だった..
雨の季節に、とあるサラリーマンが、地方へ出張を命じられる。そこで仕事をすませて、帰る準備をしていると、上司から電話がかかってきて、その足で別の地方へ出張するよう、命じられる。疲れているし不満ではあるが、仕事だから仕方がない。そして翌日、次の出張先での仕事も終わらせて、帰る支度をしていると、上司から電話がかかってきて..
これが繰り返され、本社にも戻れず家庭にも帰れず、いつしか彼は雨の中、旅から旅へと出張を繰り返す、ただよう浮き草のような“生活”の中にアイデンティティを見いだし、“癒されて”ゆくのだった。そう、この、果てしなく降り続ける雨の中で..最後のセリフは、「あぁ、今日も、雨だなぁ..」
..サラリーマンにとって全くの日常茶飯事である「出張」を、見事に「異界」に変貌させてしまう、眉村卓の腕の冴え! そして何より、これはひとつの「ユートピア」なのである。
「雨の中のユートピア」と言えば、忘れられないのが「天使のたまご」(押井守)である。会社に入ってまだ数年目の、とある朝、妙に早起きしてしまった私は、出社前に早朝から、このLDを見てしまった..
..良い子は、絶対に真似しないこと。勤労意欲どころか、その日一日の生活意欲すら、完璧に失ってしまう。[;^J^] (もちろんその日は、朝から雨が降っていたのである。)
Nさんからの手塚治虫関連資料第9便の整理、ようやく完。
目次へ戻る「Yahoo! BB」、登場。どうも、予約申し込みが殺到している気配である。最初の100万人は工事代無料。
ざっと見ても、特にマイナス要素が見当たらない。いまだに腰重くISDNダイアルアップを使い続けている私も、さすがに動揺する。本気で考えるか。静岡県に来るのは9月の予定。
リブ100の液晶の中央部に、白い横線出現!
いよいよ寿命か? [/_;] 液晶の在庫があるうちに交換するしかないか? [/_;]
メーカーに液晶交換を依頼すると、目の玉が飛び出す反動でむち打ち症になる危険がある。自分でやるしかない。速攻でチチブに電話。在庫は有る由。ガタガタ言わずに、来月7日に液晶交換に行こう。(それまでは、上京する暇が無い。)ついでに、この機会に、専用大容量バッテリーも追加購入しておくか。(つい先頃、東芝は「リブレット」の(久々の)新機種として、とんでもなく巨大なサイズのPCを発売してしまった。つまり、(21×13×3.5cm、という絶妙なサイズの)リブレット100の後継機が出ないことは、もはやほとんど確定的なのだ。私はリブ100を、あと5年間は使い続けなければならない可能性が高いのである。)
目次へ戻る「異形コレクション 19 夢魔」(井上雅彦編、光文社文庫)を読む。
「書物の王国 2 夢」(国書刊行会)を読んだ時も、つくづく感じたことなのだが..このテーマは難しい。単に夢の情景を記述されても、まさに「他人の夢の話」であって、面白くもなんともないのである。イメージの異様さで突き抜けるか、なんらかの(「そういえば私にも憶えがある..」というような)普遍性に至るか、あるいは、新規なロジックを発明(発見)するか..なんらかのブレイクスルーがなければ、そんな作品は“いらない”のである。
そのせいか、このアンソロジーには“特選”といえるほどの作品は収録されていないのだが..佳作が、「夢憑き」(霧島ケイ)、「浮人形」(江坂遊)、「ナイトメア・ワールド」(村田基)、「脳喰い」(小林泰三)。他、「花林塔」(飯野文彦)、「明日、見た夢」(新津きよみ)、「ドクター・レンフィールドの日記」(奥田哲也)、「夢の目蓋」(浦浜圭一郎)、「大鴉」(森真沙子)、「いかにして夢を見るか」(牧野修)、「集団同一夢障害」(小中千昭)、「ゆびに・からめる」(深川拓)、「偽悪天使」(久美沙織)、「夢魔製造業者」(菊池秀行)あたりが、まずまず、読んでも損はしない水準。
参ったのが、「怪物のような顔(フェース)の女と溶けた時計のような頭(おつむ)の男」(平山夢明)である。その執拗な拷問描写には、全く辟易してしまったが、とにかく異様な迫力に満ちている点と、この主人公の執拗で強烈なオブセッション(「数(カウント)」「儀式」「やり残し感」)に徹底的に感情移入出来てしまった点で、(嫌々ながら [;^J^])印象に残ってしまった。畜生、忘れたいなぁ、嫌なもん、読んじまったなぁ..[;_ _][;^.^]
「YAHOO! BB」、予約する。一日で20万人越えたらしい。これほどの膨大な量の申請の立ち上がりに対応できるのかどうか、(パンクしないか、各地への開通スケジュールを守れるのか、スループットは出るのか、)お手並み拝見、といったところである。NTTの出方も、注視しておきたい。
目次へ戻る今月号の「レコード芸術」誌を読んでいて、思わず身を乗り出してしまった。「片山杜秀の この本を読め!」(337頁)というコラムである。
毎月、このコラムでは、面白い本を紹介してくれるので楽しみにしているのだが、今月取りあげられたのは、「光芒の序曲」(半沢周三、葦書房)という本。ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章の“日本人演奏者による”初演を指揮した、榊保三郎氏を取りあげた書物である。
榊保三郎は、本職の指揮者ではなく、九大医学部の精神科初代主任教授であり、明治期にはドイツに留学して、ヨアヒムにヴァイオリンを師事している。精神科医としては、「患者は閉じ込められた病室にいるときより広い屋外で活動したほうが病苦は減る」と主張する開放治療論者だったという..
..そう、「明治期にドイツに留学」「九州帝大精神科教授」「開放治療」とくれば、「ドグラ・マグラ」である! 正木敬之博士である! どちらも禿頭で音楽をやるし、マサキとサカキは名前まで似ている、というオマケ付きなのだ。
夢野久作が榊保三郎をモデルとして借用したことは確実だと思われるのだが、残念ながら本書では、そのことには触れられていないらしい。(これに気が付いたのは、片山氏である。)読んでいる暇があるとは思えないが、発注してもいいかな、と、ちょっと思ってみたり。(ほれほれ、ワンクリック。[;^.^])
..ここまで書いて、このモデルの話、どうもどこかで読んだことがある..と、慌てて書架に直行。10秒フラットで見つかった。「夢野久作 〜快人Q作ランド〜」(夢野久作展実行委員会)である。これに所収の「正木博士の『正体』」(深野治)という文章に、まさにこの件が詳述されていたのであった。記録によると、7年前に読んでいる。トホホ..[;^.^] ま、それはともかく、この冊子、なかなか読み応えありますよ。入手困難でしょうが。
目次へ戻る書店で、「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」(立花隆、文藝春秋)の隣りに積まれていたので、「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」(福田和也、PHP研究所)を買ってしまう。(それにしても、この2冊を並べただけで、私の主たる関心が「速読」ではなく「大量読書」にあることが明らかなので、われながら苦笑してしまう。)
一読して、私の切実なニーズである「小説類の大量読書」には、ほとんど全く役に立たない本であることが判った。しかしこれは買う前から推測できていたので、別に文句は無い。
立花本には、「(小説など)速読出来ない本は読まない」という、コペルニクス的転回の主張があったし、この福田本では、「資料として小説を読む時の読み方」が紹介されている。そして「資料として」読む時は、「まことに残念ではあるが、小説として読む楽しみは捨てなければならない」、と、明快である。これはこれで目的に対する手段として、スッキリしている。(そもそも、「読む」よりは「書く」に比重が置かれた、「書く」方法と「書くために読む」方法が紹介されている本なのであった。)
ただ、この文章、読みやすいんだか読みにくいんだか..ごく短時間でさくさく読み終えられたのだが、それは、密度が薄いからでもある。
とにかく、句点ごとに必ず改行されるので、まいった。並列的というか..文章がブロッキングされていないので、かえって疲れるのである。1パラグラフあたりの情報量が(なにしろ1文しか入っていないので)少なく、一気に数パラグラフ読まないと、論理的なひとまとまりにならない。パラグラフ間の関係に対して、意識的であり続ける必要がある。その意味では、「速読を強要される」文体と言える。
目次へ戻る「アリバイ作り?の環境音を拡充 ツーカー」。わはは! こういうの、好きだぞ! [^O^]
ポインタだけでは味気ないので、引用しておくと、
ツーカーグループ3社は21日、携帯電話通話中の背景に聞こえてくる音として、JR山手線東京駅、新幹線の新大阪・名古屋駅などの駅ホームの環境音を流す「エンタメトーク」サービスを28日から大幅に拡充する。会話中に、選択した駅などの環境音をタイミングを図って流すことができるサービスで、多彩な場面を設定して利用できる。
このサービスは3月から導入されたが「駅」環境音は1種類で、個別駅“音”への要望が強かったという。今回追加されるのは、JR山手線新宿、渋谷駅、京浜急行品川駅、東横線自由が丘駅、西武池袋線池袋駅、JR京浜東北線横浜駅、名鉄栄町、豊橋駅、JR東海道本線浜松、静岡駅、JR大阪、天王寺駅、阪急梅田駅、JR三ノ宮、京都、ユニバーサルシティ駅、阪神甲子園駅など27駅。
また、効果音として、ブランデーを注ぐ音、水中音、拍手、せみ時雨、ジャングルの5コンテンツもリニューアルして追加する。
用途は、自明ですね。当然、この「アリバイ破り」の技術も商品化されることになるわけだ。こうして需要が捏造創造され、景気が回復して行くのである。
Last Updated: Jun 27 2001
Copyright (C) 2001 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]