*2001年03月05日:やはりダブッたか
*2001年03月06日:「SF Japan」春季号
*2001年03月07日:「クトゥルー神話事典」
*2001年03月08日:あるいは宮沢系
*2001年03月09日:読んでみたかったような気も
*2001年03月10日:怠惰な脳細胞
*2001年03月11日:掃除機とは
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*2001年03月05日:やはりダブッたか


 手元に無いことが判明して、慌てて発注していた「奇想天外」誌の復刊1、2号(1976/04,05)が、A書店から届いたが..やはり私は、既に絶対、これは持ってるぞ。表紙にも記事にも憶えがある..しかし、この2冊だけを実家においてきたとか、人に貸した(貸しっぱなしになっている)とかの可能性は、まず無い。図書館で読んだということも、あり得ない。つまり、部屋の中のどこかに紛れ込んでいるために、見つからないのだ。

 う〜ん..今夜、書棚を探せば(というか眺めれば)、あっさり現れそうな気がする [;^J^]。怖くて、書棚に近寄れない..[;^.^]

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*2001年03月06日:「SF Japan」春季号


 「SF Japan」2001春季号に、ざっと目を通す。何本か収録されている座談会から、面白い個所をいくつか抜き書きしておく。

 まず、「日本SF論争史」をめぐる、巽孝之、笠井潔、山田正紀の座談会から。


山田 「…SFファンが、どうしてこれほどまでにヒューマニズムを嫌うのか、もしかしたらものすごく重要なことだと思うんです」
「自己嫌悪じゃないかな」
笠井 「アメリカSFでは、ヒューマニズム嫌悪はかなりあとになって出てくるもので、ガーンズバックやアシモフにはありません。しかし、ヴァン・ヴォクトにはある。…」
(中略)
山田 「SFファンが、ヒューマニズムに嫌悪感を覚える一方で、『アルジャーノンに花束を』に涙を流すのは、ヒューマニズムが嫌いなのではなく、ヒューマニズムを装った商業主義が嫌いだったのではないかと思います。『E.T.』が嫌いだったのは、ヒューマニズムで商売している点で、だから純粋ホラーの『エイリアン』やSFを絵で見せようとした『スター・ウォーズ』には熱狂する」
(83頁)

 もうひとつ。スペース・オペラをめぐる、田中芳樹と荻野目悠樹の対談から。


田中 「だからこのごろのミステリーでは、もう1960年代の話、とか年代を特定してるのが増えてますね。そうでないと、いわばそういう小手先のこと(倉田注:作品の本質には無縁のディテールを指す)で、作品じたいの価値が古くなったんじゃたまらないですからね」
(121頁)

 ..もう数十年も前に、星新一がエッセイに書いていたことであるが..同様に、作品の陳腐化を恐れていた彼は、逆に、超時代的な普遍性を狙って、生活や時代に密着した描写を排除していたのだが..「テレビの“チャンネルを回す”と書いてしまった!」、と、頭を抱えていたと記憶する。(「電話のダイヤル」だったかも知れない。)野田昌宏も、比較的新しい作品である「銀河乞食軍団」シリーズの世界に、携帯電話が出てこないことについて、忸怩たる思いを述べていたし..

 「ディテールの陳腐化の回避」とは少し違うが、「時代を特定すること」のメリットを最大限に発揮したのが、「占星術殺人事件」(島田荘司)であろう。この素晴らしい大トリックは、“現代”を舞台にしてしまうと、全く成立しない。「戦前の怪事件の回想」という形式を取ることによって、初めて成立し得た、大傑作なのである。

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*2001年03月07日:「クトゥルー神話事典」


 先日購入した「クトゥルー神話事典」(東雅夫、学研M文庫)を、ざっと通読する。

 なかなか使える資料であり、読み物としても楽しい。大部過ぎないのも良い。但し、「用語事典」において、人名・書名が実在か架空か、しばしば不分明なのは、(さらに突っ込んで調べたい時に、どこを探せばいいのか、一瞬、迷うという意味で)いささか不便である。

 同様の趣向(事実と虚構の綯い交ぜ)は、「邪神帝国」(朝松健、ハヤカワ文庫)の「魔術的注釈」にも見られるが、この場合は書物全体が虚構だから、これでも構わないのである。「事典」は、もう少し“お堅く”作っていただきたい。まぁ、面白いから許すけど。[;^J^]

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*2001年03月08日:あるいは宮沢系


 私の通勤経路に、「キッチン***」という店がある。(伏せ字なのではなく、店名を思い出せないのだ。)

 一度も入ったことは無いのだが..実に気になる。つまり..何の店だか、良く判らないのである [;^J^]。看板には店名以上の情報が無いし、道から店の中が覗ける構造に、なっていない。

 持ち帰り寿司の店が潰れたあと、改装されたという経緯があるので、お総菜の店かな?とも思うのだが..料理屋かも知れないし、台所用品の店だという可能性も、ゼロでは無いのである。だから、入るに入れないのだ。ドアも小さいし、(何も買わずに)冷やかして出られる雰囲気では無い。お総菜の店なら、何か適当に買って帰ればいいのだが、料理屋だと、食べなくてはならないし..台所用品の店なら、まだ救いがあるが、台所ユニット自体を売っていたら、一体、どうすればいいのだ [;^.^]。(料理店だった場合も、安心は出来ない。注文が多かったりしたら、大変である。町なかだからといって油断してはならないことは、言うまでもない。)

 ここに、商売上の重大な教訓がある。「何を売っているのか」、あるいは、「その商品は、なんなのか」、一発で消費者に判るようにしておかなくては、駄目なのである。実際、この「キッチン***」は、私という見込み客を逃がして(来店機会を作り損なって)おり、おかげで、未だに名前も憶えてもらえない始末ではないか。[;^J^]

 22:50。天狗から出ると、雪。

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*2001年03月09日:読んでみたかったような気も


 先日、「スーパー源氏」で「別冊奇想天外 4 SFの評論大全集」を検索し、O書店に発注(クリック)していたのだが、本日、「発送しました」、というメールが届いた..

 ..それはいいのだが、メール本文を良く読むと、


ご注文の書籍、
-------------
通番     : 882691
古書ID   : B5572
書名     : アリストテレス全集2 トピカ詭弁論駁論
詳細     : 初函
著者     : 
出版社   : 岩波書店
価格     : 3000円
-------------
在庫がございましたので、昨日梱包・郵送いたしました。

 ..ちょっと待て。[;^.^]

 「「SFの評論大全集」と似たようなモノではないか、目糞鼻糞ではないか」などと、自爆(自縛)突っ込みをしたことは白状するが [;^J^]、とにかく、こんなものは、いらん。即座に、「それは違うぞ!」メールを発信したが..しかしよりによって、どうしてこんな“面白い”間違え方をするんだ? [;^J^]

 そう言えば、約4年前、紀伊國屋のBOOK WEBで、「淫獣の幻影」(フィリップ・ホセ・ファーマー)と「収容所惑星」(ストルガツキー)を注文した際、“注文状況確認”をする度に、(システムのバグで、)「全スーパーロボット大戦大百科」(勁文社)とか「ことばのくずかご」(筑摩書房)とか「電視される都市」(大原まり子)とか「地球物語」(同)とか、表示されたことがあったのだが、この時も、どうしてこうも微妙に“斜めに”外してくるのか、理解に苦しんだことではあった。[;^J^]

 帰宅したら、なんのことは無い、O書店から(正しく)「SFの評論大全集」が届いていた。すかさず、「さっきのメール、無し!」メールを発信するハメになったが..ったくもう! [;^O^]凸

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*2001年03月10日:怠惰な脳細胞


 2/20にリタイアしてしまった掃除機の代替機を、ジョーシンまで買いに行く。(つまり、この間、掃除していなかったのである。)白モノ家電を買うなどは、ほとんど、10年に一度の大事件。全く勘が働かずに困惑するが、結局、1万円のブツをゲットした。(これ以上廉い物件は、一定の水準を下回っているように見えたのである。)

 (たまたま今、手元に無いので記憶で書くが、)確か今月号のSFマガジンに載っていたと思う、友成純一のエッセイについて。

 筋金入りの映画マニアの彼であるが、近頃めっきり、映画の観方が“ぬるく”なってしまった、と、嘆いているのである。とにかく、内容を覚えられない。観るそばから忘れてしまう。既に観ていることに気が付かずに、また、観てしまう。それだけならばまだいいが、(再度)観はじめても、既に観ていることを思い出せず、終わり頃になって、ようやく気が付く..

 歳のせい、という、(否定しようのない、絶望的な)仮説を受け入れつつも [;^J^]、しかし同時に彼は、自らの“映画を観る姿勢”を問題にしているのである。つまり、“一期一会”という気迫を失ってしまっている。「面白かったら、あとでビデオ(DVD)を買えばいいや」、などという、ふやけた観方をしている。どうかすると、「DVDを買う価値があるかどうかを確認するだけのために」、観ることすらある。これでは、その映画が、自分の血肉になるわけが無い..

 ..身に憶えのある人も、多いのではないか。

 私の“読書”も、似たようなものである。とにかく、内容が身に付かない(憶えられない)ことが多い。もちろん、歳のせいなのだが、それだけではなく..

 ..「読書記録」を書いていることが、良くないのではあるまいか。その書籍の内容は、データファイルが覚えていてくれる。(それも、私自身の言葉でだ!)頼もしいことである。お陰で、私の灰色の脳細胞は、この件を憶えている必要が無い。思い出したければ、あとでデータファイルを読み返せば良い..

 どうかすると、「読書記録」を書くために、ただそれだけのために、その本を読み続けるケースすらある。つまり、途中で(場合によっては冒頭から)先が読めてしまい、早くも“読後感”が漂いだし..その“読後感”が正しいかどうかを確認するだけのために、読み続ける..これほど不毛な体験も、またとあるまい。(“読後感”どころか、「読書記録」に書く“要約”やら“感想”やらを、頭の中で推敲しつつ読み進めることすらある。)「そんな本は(読むのをやめて)ぶん投げろ!」、というのが、正しい解かも知れないが..私の貧乏性が..ここまで費やした時間を無駄にしたくは無い..最後まで読めば、一撃逆転があるかも知れない..という“邪念”が、それを許さないのである。[;^J^]

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*2001年03月11日:掃除機とは


 浜松市立中央図書館で、手塚治虫関係を、軽くひと調べ。


サヨナラフクちゃん(エッセイ)::1:毎日新聞:71/05/15

 ..である。Nさんからいただいた資料では年月日が不明だったので、ネットで「フクちゃん」(横山隆一)の連載期間(連載終了年月日)を調べてから、図書館で縮刷版をチェック。こんなのは、ちょちょいのちょいである。

 昨日買った掃除機を開梱して、早速、使ってみる..

 ..わ、わわわ! こんなに吸引力強いのか! じゅ、絨毯が持ち上がる!

 絨毯の毛にからみついた髪の毛(遺憾ながら、さほど長くはない)を、一撃で吸い込んでしまう。これまで23年間使ってきた掃除機では、髪の毛を吸い取るのは容易なことではなく、吸い込み口で押して押して(いわば掃き寄せて)まとめて、絨毯から浮いたところで、上から吸い込み口を被せると、ようやく、吸い込んでくれたのであるが..そうか。掃除機って、本来、直接、吸い込むものだったのね [;^.^]。今までの苦労は、なんだったんだ..[/_;][;^O^]

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*解説


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Last Updated: Mar 14 2001 
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