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例によって天狗で飲んでいたら、例によって例のごとしの銀髪系のヤマンバが入ってきた..
..良く見たら、すっごく若々しい、銀髪(地毛)のおばあさんだった [;^.^]。失礼しました [;_ _][;^J^]。
聖レイの「小悪魔遊び」届く。これで合計、23冊。あと4冊である。
目次へ戻る「ザザシティ浜松」内の雑貨屋で、今週末のFCLAお気楽オフで交換するクリスマスプレゼントを見繕う。「プレゼント(あるいはお土産)を買うのが下手なタイプ」(良くいるでしょ)なので、こんなんで大丈夫かどうか、少し心配。(いくらなんでも「努力」「根性」の類ではないが。)
「ザザシティ浜松」とは、西武百貨店が撤退した跡地に、つい最近オープンしたショッピングタウンである。2Fには「トイざらス」、3Fには「ヴァージンシネマズ」が入っているのだが、まだ一度も覗きに行っていない。今日も結局、1Fを通り抜けただけである。
ちなみに、なぜ、「ザザシティ」という愛称が採用されたのかと言うと..「ザザッと人が集まるイメージがある」からだそうな。そんなら、「ドドッ」と人が集まるから「ドドシティ」、「ガガッ」と人が集まるから「ガガシティ」、「ググッ」と人が集まるから..(我ながら情けなくなって来たので、ここまでにしといたるわ [;^J^]。)
目次へ戻る自宅のトイレの芳香剤として使っている「消臭元」という製品だが..これが、極めて“もち”が良いのである。というか、確か数ヶ月前に購入&使用開始したはずだが、今もって、全く、液が減っている気配が無い。
この製品は、蓋の開け閉めの量を調節することによって、芳香剤が(トイレ内部の空間に)漂う量を調整できる。ポイントは、これを“ゼロ”に出来る、ということなのである。
実際、トイレといえども、くみ取り式でもない限り、四六時中、臭気を発しているわけではない。ましてや私は一人暮らしであって、自宅にいない時間の方が長い。つまり、ほとんどの時間帯において、トイレは臭気を発しておらず、その間、この製品の“蓋”は、完全に閉じておける..
トイレを(その用途で)使う場合には、まず、消臭元の蓋を開ける。そして、芳香漂う中、臭気の元を存在せしむるわけだが、これはもちろん速やかに、水とともに去りぬ。そしてトイレから出てから数分後、(トイレに戻って、)トイレの空間に、もはや臭気が残っていない(芳香しかしない)ことを確認してから、消臭元の蓋を閉める..
「一人暮らし&そうでなくとも便秘気味&会社ですませることもある」、な私としては、消臭元を大気に解放するのは、数日に一度で、毎回高々10分間。これでは、減るはずがない。全く有り難いことであるが、この調子では、次に買うのが何年後になるか判らぬ。メーカーとしては、計算違いだったのではないか。(ひとり暮らしの人間など、最初から計算に入っていない、というのが正解かも知れないが [;^J^]。)
ネットで「蜜色お嬢さま」(聖レイ)を発見。即、発注する。
目次へ戻る若い読者の皆さんは、「ディスコ」を知っていますか?
今では、浜松にも「クラブ」がいくつかあるが、その前身が「ディスコ」だった店もある。昔の私は、別に「ディスコがよい」していた訳では無いが、年に数度は同僚たちに誘われて、あるいはひとりで、ディスコに行っていたものだ。
正直なところ、「こんな場所にいても時間の無駄」、と思わないでも無かったが、ま、その絢爛たるムードは、気分転換としては悪くなかったし、運動不足の解消にも、いくらか役立っていたことは確かだ。(私のステップというかリズム感は、極端に細かい刻みで“とび跳ねる”もので、下手すると当時のディスコでも、いささか浮いていた。数年前にクラブを視察してみたところ、もはやそんな(とび跳ねる)時代では無いことを、痛感したのであった。)
その当時は、私の勤務先も、まだ(全社的)社員旅行を開催していた。(今は会社の規模が大きくなりすぎて、こんな牧歌的な行事は無くなってしまったことは、以前にも書いたとおり。)
10年以上前だったと思うのだが、どこかの観光地のホテルを、私の勤務先の社員旅行団体が、ほとんど占拠した時のこと。
夜の宴会のあとは、温泉(大浴場)に入ったり、ロビーやゲームコーナーでうろうろしたり、麻雀部屋やカラオケルームを満杯にしたり、まぁ、ホテルのそこいらじゅうに、私の勤務先の社員が満ちあふれていたわけだが、それらの遊興施設のひとつに、「ディスコ」もあったのである。もちろん、私は(麻雀やカラオケなどには目もくれず)そこで踊り狂っていた..らしい。
..らしい、というのは、記憶が無いからである [;^J^]。どうも泥酔していたようなのである。(泥酔して踊り狂うのは、良い考えではありません。死にます。)..で、なかなか暴れた活躍したようで..翌朝、若年の同僚に聞かされた話によると、「ミラーボールを蹴り割った」..らしいのである [;^.^]。
彼は、「倉田さん、やるなぁ〜〜!!」、と、大喜びだったのだが [;^.^]..そんなことは物理的に不可能だぞ [;^J^]。私には、そんなハイキックは出来ない。ミラーボールを、床に転がしてあったのだろうか?(..という謎に直面した私にとって、ホテルの迷惑とか、誰が弁償したんだ(もちろん、会社だろうが)とかの些事は、全くもって、ただの一瞬も念頭に浮かばなかったのであった。いや全く、ただの一瞬も。)
目次へ戻る結局、有休を取って、浜松市立中央図書館で、国会図書館の「児童図書目録」調査を行った。(朝いちから始めて、昼過ぎには終わったので、午後から出社することも不可能では無かったが、中途半端なことをしても仕方がないので、全日、有休とした。)
1971年度版、75年度版、81年度版、86年度版、87〜91年度版の、計5バージョンを、「国会図書館のウェブページから“手塚治虫”というキーワードで検索したリスト」、及び、「これまで調べてきた調査ファイル」と、3方向の照合を行った。これで明らかになったのは、「(書籍版の)児童図書目録」と「ウェブから検索した結果のリスト」が、互いに包含関係になっていない(つまり、いずれがいずれをも包含していない)ことである。つまり、両者の和集合を取らなければならないのである。相互補完関係にあると言えば言えるが..補“完”しているのならばいいのだが..このていたらくでは、「児童図書目録」と「ウェブ検索」の両方から(というか「CD−ROM端末での検索」も合わせて、3通りの検索方法のいずれからも)洩れている資料があると考えるのが、自然である。
いや全く、国会図書館は、奥が深い..(つーか、じぶんとこの蔵書のデータベースくらい、まともな(網羅的な)もん、作れよ! [;^.^]。)
目次へ戻る例によって7:14のひかりで上京。これだと錦糸町に9時過ぎに着いてしまうので、錦糸町駅前の喫茶店(店名失念、ビルの2Fの、「おいてけ掘」の向かいの店)でモーニングを注文して時間調整して、9:46頃のバスで「木のアトリウム」に向かう、というのが、この会場で10時から始まるオフに参加する時の、定番スケジュールである。(ちなみにこの喫茶店の特徴は、私以外の“全ての”客が、競馬新聞を食い入るように読みふけっていることである。近くにその手の施設があるようだ。)
今回は、「マタイ受難曲」全曲と、「メサイア」抜粋、及び、パーティータイムに「管弦楽組曲」(バッハ)抜粋である。なかなか吹っ切れたプログラムである。普通は、こういう組み合わせは、発想出来ない [;^J^]。
午前中はリハ。持参のシンセは“バッハ向き”のポジティブオルガンのパートを担当するわけだが、(奏者はS氏、)この音にNGが出た。以前、同じ会場(木のアトリウム)で同じ曲(マタイの抜粋)を演った時より、悪い、というのである。
その時の音を正確に再現したわけでは無いのだが、しかし、基本的には同じ系統の音である。ちょっと釈然としなかったのだが、現に「おかしい」と指摘されているのだから、対応しなくてはならない。指揮者らの「音楽家用語」を「シンセサイザー用語」に翻訳して(ここが肝要)、恐らくこういうことなのだろう、と、推測しつつ3案作って、昼休みに指揮者に確認してもらい、もっとも彼のイメージに近かったC案をさらに修正して、本番に臨んだ。
全く同じ音であっても、その日の会場の条件や、他の楽器群の条件などによって、異なって響くことは、良く承知している。それが、今回も起こったわけである。また、「全く同じ音」というわけではなく、前回より「残響」の量が多かったことが、効いているのかも知れない。
今回は、奏者のS氏に音量調整を任せておける状況であったし、また、譜めくり担当も付いたので、演奏中、私がシンセの隣りに貼り付いている必要は、全く無かった。というわけで、合唱席にいたのだが..いただけであった [;^J^]。ほとんどまともに準備してきていない曲で歌えないのは当然であるが、そういう曲でも、音程(というか音高)は判るのである。((初見の)読譜能力は、まぁそこそこはあるのだ。)しかし歌えない。それは、歌詞が乗らないからである。いくらピッチが判っても、歌詞を乗せられなければ、歌にはならないのである。(「ここは、歌詞がどうこうよりも、声の総エネルギー量の方が大事!」、と判断できる個所では、歌詞を無視して「アー」とか「ウー」とか「オー」とかで、人声エネルギーの総量を高めたのだが。)
プレゼント交換で私が提供したのは、バニラの香りの巨大ロウソク(最外郭は竹)である。135時間、保つらしい。心ゆくまで、Yの悲劇に浸っていただきたいものである。
二次会は、いつもの店の近くの店。ときわホテルに泊まるために、ほどほどの時刻 (23時頃)に辞去したのだが、地下鉄東西線東陽町駅からJR日暮里駅に向かうには、どう考えても、大手町で乗り換えるのが一番合理的。しかし私は、これが怖かった。とにかく、「大手町駅構内で迷わなかった記憶が、ほとんど無い」のである。
しかしここでチャレンジしなければ、一歩、前に出られない。また、幸いにも、(本日、シンセオルガンを担当された)S氏が、日暮里まででは無いが、少なくとも大手町を突破するまで同行して下さることになった。
なに、歩いてみれば、なんとかなる。大手町の地下通路は、確かに無闇に長すぎるが、しかし「→ 東京駅」という掲示は、要所要所にあるのだから、ここで乗り換えられない道理が無い。(勿論、泥酔している時は、これらの掲示のことごとくが見えず(というか、見えても意味が判らず)、結果として、とんでもない方向に彷徨い続けるわけなのだが..)
目次へ戻るときわホテル発が7:45過ぎ。7:50に日暮里駅。東京駅の銀の鈴のコインロッカーにシンセその他を放り込んで身軽になってから、都立中央図書館(地下鉄広尾駅)に向かう。8:50着。計算どおり、どんぴしゃりである。計算と違ったのは、開館時刻が9:00ではなく、9:30だったことである [;^J^]。おっかしーなー、なぜ、9:00だと思いこんでいたんだろう?
それはともかく、日比谷図書館と(同じ都立図書館であるので)システムは似たようなものである。手塚治虫の初出誌(雑誌、単行本)のうち、国会図書館にも現代マンガ図書館にも大宅壮一文庫にも日比谷図書館にも無いが、ここにはある(はずの)資料を、どんどん請求する。
ウェブページで蔵書の検索が出来るので、事前の作戦(どこを攻めてどこを諦めるか)をじっくりと立てられるのは、有り難い。無論、ウェブで検索したときには蔵書有りとなっていたが、実際に出納請求をしてみたら、欠号であった、というケースは、いくらもあった。これはこれで仕方が無い。
特に大きな収穫だったのは、1968年以降の「赤旗縮刷版」を読めたことである。無論、これは国会図書館にもある。しかし国会図書館の開架書架に並んでいる「赤旗縮刷版」は、手塚治虫作品の切り抜き被害が、酷いのである。今日、私が見た範囲では、都立中央図書館所収の「赤旗縮刷版」には、切り抜き被害は無かった。
さて、都立中央図書館で(本日分として予定していた)調査計画を終了した時点で、正午をかなり回っていた。本日のこのあとのメニューとして「多摩図書館」「日比谷図書館」「中野まんだらけ」「現代マンガ図書館」「秋葉(CD系)」のうち、少なくとも3品、ともくろんでいたのだが、地理的にもっとも近い日比谷図書館は、本日(日曜日)は、肝心要の「児童資料室」「新聞雑誌室」が閉まっており、これらの他の一般図書で、かつ、日比谷でしか閲覧できないものは、ほとんど片手。どうせもう一度日比谷にこなくてはならないことを考えると、今日は行くだけ無駄。
ここは、多摩図書館しかあるまい。ここでしか調査できない案件は、5項目かそこらなのだが、いつかはここを訪れなければならない。立川駅から徒歩20分、というのは、私が通い詰めている(都内の)どの図書館よりも遠いのだが、今日はチャンスだ。好天で、暖かい。ジャンパーがいらないくらいだ。(実際、銀の鈴のコインロッカーに放り込んだままだったのである。)
立川は、遠いようでも、「青梅特快」を使えば、それほどでもない。立川駅からの20分弱は、確かに長いが..町全体が、どこかノスタルジックな風情があるので、道中、さほど退屈はしなかった。
多摩図書館も、他の都立図書館と同様のシステム。端末から検索した結果を、請求票として、プリントアウトしてカウンタに提出できるのは、国会図書館よりも(非常に)便利な点である。(国会図書館では、検索結果を、請求票に手書きで書き写さなければならない。)「紙」を経由するのが「原始的」である、という批判をするのはたやすいが、しかしこれは結構、妥当な落としどころだと思うのだ。端末を使えない(あるいは使うのが苦手な)利用者は、端末もプリンタも使わずに、請求票に手書きするしか無いのであるから。
立川まで来たのであるから、都心に戻る際に中野に寄るのは、ごく自然なこと。中野まんだらけを軽く舐めて、数冊確保。また、中野ブロードウェイ4Fの「ワタナベ」でも、若干の確保。
もはや現代マンガ図書館に寄る時間は無く、神保町も秋葉も中途半端に時間を食うので、全部キャンセル。19時台のこだまで、素直に浜松に帰る。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Dec 27 2000
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