2000年09月04日:「スターログ」誌調査 2000年09月05日:ファイルを発注 2000年09月06日:「理科室の魔人」 2000年09月07日:オークション考 2000年09月08日:アナログ・オークション 2000年09月09日:スターウォーズ考 2000年09月10日:映画「ホワイトアウト」目次へ戻る 先週へ 次週へ
先日まとめ買いしたスターログ誌の調査のために、ようやくまとまった時間が取れた。(いや別に、このために有給休暇を取得したわけではありませんが。[;^J^])
それにしても、捗らない。目的は、手塚治虫の文章をピックアップすることなのだが、横道にそれるそれる..というか、関係ない記事を読んでいる時間の方が、遙かに長い。国会図書館や大宅壮一文庫で読んでいた時は、それは時間との戦いであるので、心を鬼にして、手塚治虫とは無関係な記事を読み飛ばしていたのだが..もはや時間の制約は無いのである。心ゆくまで弛緩して、横道で遊びまくってしまった。[;^J^]
(今ごろになって気が付いたが、私が購入した「全100号」の「スターログ」誌とは、ツルモトルームが1978年1月から1987年2月にかけて出していた雑誌のことである。比較的最近(数年前?)に、「スターログ」誌が復刊した、という噂を聞いたが、同時に、「かつての「スターログ」誌とは、全く別物」、という噂も聞いたので、興味が失せ、現物を確認してもいない。自分の目で確認すべきではあるのだが..手塚治虫の文章が載っている可能性も無い訳だし..大体、この新生「スターログ」誌は、まだ潰れずに出ているのか?)
目次へ戻る中綴じ雑誌用のファイルを、会社の近くの文房具店で発注する。「スターログ」誌用である。
この雑誌、最初のうちこそ束(つか)があるのだが、ほどなく、丸背の中綴じの雑誌になってしまう。それは別に構わないのだが、それに加えて、そこそこ大きいA4サイズで、しかも薄いのである。つまり、全く腰が無いのだ。書架に(ギチッと詰めて)立てて並べていたのだが..いつの間にか、みんなして、くたっとヘナってしまっていた。
覚えのある方も多いと思うが、こういう状態になった本を、元通り「しゃんと」させるためには、平積みにして、重しをかける他は無い。また、よほどの重傷で無い限り、これで必ず治る。時間をかければ。
..時間をかけている場合では、無いのである。手塚治虫関連の記事には目を通しているが、その他の面白そうな記事は、(昨日は少し時間をかけて読んだとはいうものの、そんなものは焼け石に水で、)ほとんど全て読み飛ばしている。これから当分、おりに触れて、あちこち拾い読みをするのを楽しみにしていたのだ。水平に寝かせて置くのは、本意では無い。(上述のように、薄くて腰がないだけではなく、紙質のせいもあって、手荒い取り扱いには耐えられない雑誌なのであり、水平に積んである山の底の方から抜き出したり、山の積み替えをしたりしているうちに、背表紙が外れてしまいかねないのだ。)
そこで、縦置きにしてもクタらないよう、ファイルを購入した、という次第。文具店でカタログを調べてもらったのだが、実は、中綴じ雑誌用のファイルというのは、ほとんどの文具メーカーのカタログから、姿を消しているのである。とあるメーカーのカタログには残っていたので、大事には至らなかったが、ちょっとヒヤヒヤした。
目次へ戻る講談社の「江戸川乱歩推理文庫」全65巻は、この大家の(ほぼ)全集ということで、今も大きな価値を持つ。(幼年物や翻案物等には、収録されなかった作品もある。)無論、全巻揃えて読んでいるが、各巻の巻末の、斯界の人々による「乱歩と私」というエッセイも、なかなか魅力的なものであった。(つまらんものも、あるにはあったが。)中でも、最も忘れがたく、涙なくしては読み返せない感動的なエッセイを、ここで紹介しておこう。
第40巻「塔上の奇術師/鉄人Q」巻末の、岡嶋二人による「理科室の魔人」と題されたエッセイである。
彼は、本の嫌いな小学生だったという。読書の時間には、図書室で本を選んで読まなくてはならないのだが、もとより読む気などなく、適当に選んだその本の欄外の余白に、パラパラマンガを落書きしていて..もちろん先生にみつかり、きつく叱られる。罰としてその本を家に持ち帰って感想文を書け、と、宿題を出されたが、もちろん、その宿題もやらなかった。翌日、学校で、授業には出なくていい、と、先生に言い渡された彼は、理科室に閉じこめられ、そして..
「宿題ができるまで、ここにいろ」
言い置き、先生は部屋に鍵を掛け、そのまま行ってしまった。
人骨の模型やガラス器具の中に、僕は一人で取り残された。手を掛けても、扉は開かなかった。窓もだめだった。
僕はランドセルを開け、本を机の上に取り出した。その本を、その時はじめてまともに見た。『青銅の魔人』という題名の本だった。『江戸川乱歩』と作者の名前が書かれている。不気味な緑色の顔が表紙に描いてあった。悪魔のような顔だ。後ろを振り返ると、骸骨の標本が立っていた。
よりによって、こんな不気味な本を持ち出した自分を呪った。溜め息を吐き、僕はその本を開いた。
全身を青銅で包んだ怪人が、高価な時計を盗んで回るという不思議な話が書かれていた。真夜中、ギリギリという奇怪な音を響かせながら東京のあちこちに出没する青銅の怪人。追い掛けられると、蒸発したように姿を消してしまう……。
僕はランドセルを押し退け、机の前に座り直した。不気味で怖い話だったが、先が気になって読むのをやめられなくなっていた。
その本の中で、僕は名探偵明智小五郎や小林少年に出会った。読み進むうちに、この本の前には、「怪人二十面相」とか「少年探偵団」といった事件が書かれていることを知った。その題名をノートに書きつけた。次はそれを読んでみようと思ったからだ。
小林少年が古井戸の底に囚われてしまった時、突然後ろで扉が開き、僕は声を上げて振り返った。先生が立っていた。
「どこまで読んだ?」
物語は、僕の知らないうちにほぼ半分まで進んでいた。先生はニコッと笑い、僕の肩に手を置いた。
「給食だ。教室に戻りなさい」
「あのう……」
と僕は恐る恐る先生を見上げた。
「食べたら、またここに来てもいいですか」
「面白いか?」
「……はい」
先生は、笑いながらうなずいた。
これこそ、真の教育であり、真の教師である。彼は、ひとりの本嫌いな少年を、本好きにさせ..そしてその少年は、のちにはついに、江戸川乱歩賞を受賞したのである。
目次へ戻る久しぶりに、ネットで聖レイを検索する。とあるサイトで「セクシャル女学生」と「バ−ジン調教」が“売り切れている”のを発見。チェックの間隔を開けすぎたからだ、と、臍を噛んだが仕方がない。諦めずに検索を続け、別のサイトで「バ−ジン調教」を改めて発見。いささか高かったが、迷っている場合では無いので発注する。
ついでに、ヤフー・オークションでも検索してみたら、なんとまたしても「バ−ジン調教」が出ていた。(だぶる時にはだぶるものだ。)但しこれは最終的には、先ほど私が発注した価格よりも、高くなりそうな気配である。
引き続きヤフオクで、山田章博もチェックする。未入手のものがいくつもあるが、既に別のネット古書店に、これよりも廉く出ているのを発見済みの物件もある。(逆のケースも、もちろんある。)
当たり前のことだが、オークションに手を出す時には、相場感覚を見失わないことだ。ついつい煽られて、世間の相場よりも(遙かに)高く競り落としてしまうことは、珍しくないのである。
目次へ戻るS堂から目録到着。チェックしていて、思わず声をあげた。かれこれ10年ほども探していた雑誌が、ついに出てきたのである!(抽選の競争率が上がってしまっては、たまらんので、書店名も雑誌名も、伏せておく。)
(複数の注文物件のうち、)1冊だけ「オークション入札」が出来る、というシステムである。オークション入札をした場合、他に注文(入札)が無ければ、入札価格ではなく、目録の価格で購入できる。注文が重なった場合は、一番高いオークション価格を提示した人が、その価格で購入できる。
目録価格は、4千円である。かなり迷ったが、オークション価格1万2千5百円で、発注ファックス。結果がわかるのは、早くても10月16日である。
目次へ戻る「スターログ」誌、チェック終了。
当然ではあるが、映画「スターウォーズ」の扱いが、非常に大きい。それだけに、もともとこのシリーズに対する思い入れがない私には、スターウォーズシリーズの、宿命的な大弱点が、ますますくっきりと見えてしまった。
それは、エピソード4からエピソード6に至る3部作固有の弱点、というよりは、(もちろん、これらの作品の固有の問題も、特に「ジェダイ」には多々あるのだが、)シリーズ構成の問題である。
エピソード1が公開された時、また、「エピソード7〜9は制作されない」、と発表された時、頭を抱えた人は多いはずだ。エピソード1〜3が、どれほど華麗で壮大な宇宙絵巻を繰り広げようとも、“行き着く果ては「ジェダイの復讐」”なのである。
4→5→6→1→2→3→7→8→9、というプラン(というか、プランの予想)は、素晴らしかった。しかしこれと、4→5→6→1→2→3、は、本質的に異なるのである。
文学作品なら、問題は無い。しかしスターウォーズは、文学では無いのだ。SFXが命の映画ではないか。何年後(何十年後?)になるかは判らないが、エピソード3が公開された時、それとエピソード4とのギャップは、どれほど開いてしまっているのだろうか?
だからあるいは、4→5→6→1→2→3どまりだとしても、2〜3年間隔で公開できていれば、やはり問題は無かったのである..
さて、エピソード2と3はどういう仕上がりになるのか、ほとんど全く興味が無いので、「楽しみなことである」、と書くと嘘になるのだが..修辞上、そう書かないとカッコがつかない。「どういう仕上がりになるのか、まことに楽しみなことである」。
目次へ戻る映画「ホワイトアウト」を観る。(決して、松嶋菜々子が目当てだったというわけではない。)原作未読。
なかなか、素晴らしいではないか。「ハリウッドと比べると、やはりスケールが..」とかいう論調を、事前にいくつも目にしていたのだが、別にいいじゃん。ハリウッドが唯一正当な基準というわけじゃあるまいし。
さて、スポイラーにならないように、気をつけて..
プロローグは淡泊にすませ、「本編」に入って早々、いきなり、説明抜き・問答無用の暴力(銃撃)が始まる、という、スピーティな展開がいい。テロリストたちの(数名を除いて)無個性な、ロボットのごとき造型も、効果的である。
テロリスト(たち)の仕掛けた“トリック”には、ギョッとさせられた。その“謎”が、十分に展開・深化されているかと言えば、それは違うのだが、これはあくまでも「冒険映画」であって、「本格推理」では無いのだから、これでいい。問題はない。一瞬でも“ヒヤッ”という戦慄を味わわせてくれたことを、評価する。
終盤、ある人物が(それまでの設定とは異なる)行動を取るが、それはそもそも擬装だったのだから、矛盾はしていない..(..スポイラーにならないよう、細心の注意を払いつつ、結果的には、未見の人にはわけの判らない表現をしております。[;^J^])
このエンディングには、賛否両論あるだろうなぁ..私なら、少し手前の、最後の“ホワイトアウト”のシーンで、ぶったぎる。
恐らく、このエンディングは、(未読だが)「原作どおり」なのであろう。小説的には、この方が座りが良いからである。また、(原作小説がどうなのかは知らないが、)この脚本は、「約束を守る/必ず帰ってくる!」、というテーマで貫かれているようであるし..
..しかし、“映画的には”、あのホワイトアウトでぶったぎる方が、クールだと思うんだけどなぁ..
なんにせよ、一見の価値有り。損はしないよ > 観てない人。
(ということで、原作(新潮文庫)を買って帰る。結構分厚いぞ、これ。)
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Sep 13 2000
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