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テレホーダイを契約しており、これの恩恵(深夜は定額で使い放題)には浴しているのだが、日中にも結構、電話回線を使っている。この(日中の)使用料がバカにならないので、いろいろ検討した結果、テレホーダイに加えてタイムプラスも契約することにする。(テレホーダイを解約すると、やはり損になるのである。)
昼休みにgooから「タイムプラス」の申し込みページを検索し、Webから申し込もうとしたが..メールアドレスだのなんだのかんだの、やたらと入力項目やチェック項目が多いのである。別に、これらの個人情報が流れて行くことを気にするわけではないが、私は、現状に加えてタイムプラスの契約をしたいだけなのである。解くべき課題と、それに要する(要求される)労力がバランスしていない。
FAXでも申し込める、とある。その書式をみたら、記入すべき項目は、5つしかない。これなら正当だろう、と、さっそくFAX..
..17時過ぎに、FAXが届いているのに気が付いた。私の居住地(静岡)は、「オンライン申し込み」の対象外。お手数ですが、電話でお申し込み下さい、とのこと。(Webページのどこかに書かれていたに違いない、その注意事項を読み落とした私の注意力は棚に上げて、)軽くプッツン。
電話申し込みは17時まで、とのこと。中程度のプッツン。
目次へ戻る昨日のFAXに記されていた、「タイムプラス」申し込み受付窓口に、昼休みに電話を入れる。
「タイムプラス契約をしたいのですが」「電話番号をお知らせ下さい」「053−***−****」、のあと、確認の質問に3回くらい「はい」と答えて終わり。総経過時間、20秒フラット [;^J^]。もしもあなたが「タイムプラス」しようかと考えているのなら、悪いことは言わないから、申し込みにはウェブもFAXも使わず、電話にしなさい。それが一番早い [;^.^]。(タイムプラスに限らず、その他のサービスでも、事情は似たようなものだろう。)
目次へ戻る1〜2年以上、前になるだろうか。ニフの、私が良く読んでいる会議室で、とあるトンデモ系ビリーバーたちとの議論が繰り広げられたことがある。
一応紹介しておくと、「ニンジンから宇宙へ」とかいう、タイトルから自明だと思うが、自然(食)盲信の書である。私は未読であるし、これからも読むつもりは無いのだが、その中に「(人工調味料と異なり)純粋な自然の塩は、高血圧をも治す。高血圧の治療には、天然の塩を(大量に)摂取すれば良い」と言うようなことが書かれているらしく、まぁ大概のトンデモ理論なら苦笑いして読み飛ばす人々も、「それは、人を殺しかねない(というか、殺す)嘘である!」、と、厳しく指摘したのであった。
以降の展開は、説明するまでもあるまい。ビリーバーとは議論にならない。(人柄だけは良さそうな人たちなのだが、これも、ある種のビリーバーの特徴か。)ま、その(約2〜3名の)ビリーバー以外の全員が、まともな思考力と判断力の持ち主であり、きちんとした論客が何人もいたので、私などの出る幕ではなく、もっぱら、傍観を決め込んでいたのだが..
..“ビリーバーの”言葉が、ひとつだけ、心に残った。
ほぼ論破された彼は、しかし、「ニンジンから宇宙へ」を諦めることは出来ない。それはそうだろう。彼の価値観、自然観、人生観、宇宙観に、甚大な影響を与えた、人生の師とも言うべき書物であり、著者なのである。書かれている内容が間違っていることを認めざるを得ない状況に追い込まれたからと言って、これを捨て去ることは出来ない。その心情(真情)は、理解できる。
そして彼は、(議論の最終段階に至って、)こんなことを言い出したのである。「しかし、力強い文章ではないか。自然への愛情と畏怖に満ちあふれた、美しい文章ではないか」(大意)..
..これこそが、「名文の危うさ」なのである。
彼は既に、「ニンジンから宇宙へ」の内容が間違っていることを、理屈では理解できている。にも関わらず、いまだにこれに“すがることが出来る”のである。例え内容が間違っていても(それが読者にばれていても)、文章の力は、読者に感動を与え、読者を説得できてしまうのである。
私には、「内容空疎な名文」を書く自信がある。
いつの日にか私が血迷い、文章の力によって世を惑わせようと試みる可能性が、無いとは言えないのだ。(人は、弱いものだから..)
私が書くかも知れない、「内容空疎な名文」に、どうかあなたは、心を奪われませんように..
目次へ戻る深夜来の、大雨の音に叩き起こされる。目覚まし時計いらずである。
カリアックにおける、今日と明日の研修の内容だが、仕事の内容に直結しているわけではないので、少しだけ紹介しておこう。
要は、マネージメントゲームである。20名強の参加者は4グループに分かれ、参加者はそれぞれ架空の会社の社長となって、5〜6人(5〜6社)で市場を争う。ゲーム自体の勝ち負けは本質ではなく、会社の経営のフレームワークを体得(実感)するのが目的である。私のように、入社以来開発畑を歩いてきた人間には、全くもって馴染みのない、会計業務(決算など)のシミュレーションを行えるのも、魅力である。
で、ゲームだが..仕入れ・投入・完成・販売・広告展開・研究開発などを通じて、自己資本金を増やしていくのだが..
だ、談合したいっ
談合させてくれっ
談合せんと、みんな、共倒れやがな〜〜っ!! [;^O^]
お、お前が、お前が悪いっ! そんなディスカウントして、オレらを殺す気かっ! お前も原価割れしてるだろうがっ!!
..社会の仕組みが、よっく判った。談合は資本主義の必然である(違うかも [;^.^])。
本日分のゲームが終了したのち、ホールで新聞を読む。石原都知事、「不適切な言葉」であった旨、表明。「言葉の問題」として、本件、完了。
由美かおるの写真が、朝日新聞に。なんだこれは。この美しさは。49歳という、年齢相応の(熟年の)美しさでは、ないのである。
スリーサイズ(B86、W58、H86)が、15歳から変わらないという。なんとか呼吸法の成果だというが、嘘である。人魚の肉を食ったのだ。八百比丘尼である。妖怪である。
目次へ戻る昨日の、全く無我夢中な(無計画な)ゲーム(経営)の結果は、参加者全員の大赤字の決算となって数値化された。本日は、事前に(いくらで買うか、いくらで売るか、いくら投資をするか、等の)計画を立てての経営を行う。
結果、ほぼ全員の数字が、上向いた。黒字を出した会社も、いくつもある。なるほど、必ずしも談合しなくても、結果は出せるのか。(そりゃそうだ [;^.^]。)
私の数字ですか? 2日トータルで、参加者20数名中の、ブービー賞である [;^J^]。「ゲーム自体の勝ち負けは本質ではない」ということと、「さらに下は居る」ということを、ここで確認しておきたい。
目次へ戻る 平日を2日、研修で遊んできた費やしたので、溜まっているはずのメールと社内便を片づけておこう、と、午前中だけ休日出勤する。
をを、ぶんか社から「エイリアン永理」(吾妻ひでお)が届いている。有り難いありがたい。(著者献本である。年に一度くらいは、自慢してもバチは当たるまい。)この本は、非常に内容が良いので、著者と出版社を励ますためにも、みんなで買おう!(私は、結果的には買わないけど。[;^.^])特に、単行本を出版するに際して、7本も描き下ろせたことと、それら描き下ろしエピソードの出来が、水準を越えているのが心強い。
I市の例の某古書店へ。「ヒョウタンツギタイムス」の「Vol.28 〜 32」のセット(美本、1万8千円)と、サンリオSF文庫2冊、その他を買う。
「ヒョウタンツギタイムス」の「Vol.28 〜 32」と言われてピンと来る人は、もちろん立派なオタクである。これは、漫画少年連載版「ジャングル大帝」を、完全復刻したものであり、カラーページは言うまでもなく、単色ページのインクの色まで再現した、凝りに凝った仕事なのである。(むろん、初出情報も完備している。)初出誌にアクセスすることが極めて困難である(国会図書館にも現代マンガ図書館にも、ほぼ蔵書が無い)以上、この「ヒョウタンツギタイムス」には、「初出誌に準ずるもの」としての価値が、十分にある。
国会図書館には「漫画少年」は無いが、「ヒョウタンツギタイムス」の蔵書はあり、この「Vol.28 〜 32」も含めて、数年前に全号閲読済み。しかしやはり、手元に置いておきたいものである。このセットが1万8千円というのは、廉いと思う。(「まんだらけ」「中野書店」「3軒茶屋の2階のマンガ屋」などなら、状態にもよるが、多分、最低でも3万円から。)
目次へ戻る「(全社的)社員旅行」がもたれていたのは、もう随分以前のことになる。記憶が曖昧だが、10年くらい前までではあるまいか。会社の規模が大きくなり、それこそ「(全社的)社員旅行」を開催しようとすれば、数千人が一堂に会することになってしまい、ホテルの確保もままならないのである。だから、「社員旅行」の類は(やるとしても)各部署で個別に行うこととなり、実際、組織の小さな地方の営業所レベルでは、今でも良く行われているようである。
大勢で集まってワイワイ騒ぐことが好きで、かつ、旅行好きなのに出不精、という、始末に負えない性格の私としては、年に一度の社員旅行が結構楽しみであったのだが、こういう事情であっては、仕方が無い。それに、「社員旅行」が無くなったことによって、ある“苦行”からは、解放されたのだ。
問題は、行き帰りのバスの車中なのである。
少なくとも、私が参加した社員旅行では、常に、往路のバスはカラオケ大会(もちろん演歌)、復路のバスは映画上映であった。(当時(10年以上昔)の私は、騒音を遮断するツールとしてのウォークマン等を持っていなかったことを、付記しておく。)そして、その映画は(時間的に常に)二本立てとなり、うち一本は「寅さん」か「健さん」。もう一本は「野菊の墓」だったのである。いやもう全く毎年毎年、何故か一本は必ず「野菊の墓」だったのである。
「たみさんは、野菊のような人だ..」これが、私の「社員旅行」の記憶に、悪夢のように呪いのように、刷り込まれているのだった。
「寅さん」も「健さん」も「野菊の墓」も、私がもっとも苦手とするジャンル(世界)に属することは、言うまでもない。しかしある年、ちょっと妙に記憶に残る映画が、上映されたことがある。
これもまぁ、人情系の日本映画であるし、もう一度観たい、というわけでは無いのだが..ストーリーは全部は覚えていない。「家族」の物語である。舞台は東京。昭和40年代くらい。父と母と息子(学生)。父は(人格はいいのだが)ダメ人間(というか、競争に落伍するタイプ)で、職を失い、結局、屋台を引くことになる。(屋台を引くのも、立派な職業ですが。[_ _])母は、福岡(博多?)の目抜き通りに、店を持てることになる。彼女の夢だったのだ。母親と共に、息子も(恋人と別れて)九州に行くことになり..その前夜、屋台を引く父に、「最後の別れ」を告げるのである。
「良かったじゃないか」みたいなことを言って、明るく笑う父に、感極まった息子は、「もう、会えないんだよ!」、と、泣きつく..
..わからない。
物語のロジックとしては..(借金を返すために?)屋台を引く父は、東京を離れることが出来ない。だから、九州に移り住む家族とは“今生の別れ”になる..のだが..屋台の仕事というのは、一日たりとも休むことが出来ないものなのか? 恐らく貯えの一切を失ったのだろうが..屋台の仕事というのは、(例えば、年に一度の)九州往復旅行の費用も貯めることが出来ないほど、利幅の薄いものなのか? あるいは、債権者たちが(逃亡の恐れがあるので)旅行など許すものか、と、見張っているのだろうか? 仮にそうだとしても、九州で念願の店を持つことが出来た母と、その息子こそ、東京往復旅費くらい都合はつくだろうに。父と母の間になんらかの葛藤があって、父と母が別居してしまった以上、母方に引き取られた息子は、父と会うことは許されない..という(ありふれた)筋立てならともかく、この家族は愛し合っているのである..
この、やや不自然な例はさておくとしても、こんにち、「生き別れ」という状況は、生じにくいのではあるまいか。
相手が、自分に会うことを拒絶していれば、話は別である。また、単にお互いに(あるいはどちらか一方が)相手のことを忘れていて、連絡先がわからなくなり、興信所等を使えば調べはつくだろうが、そんな大金を費やしてまで会いたいわけでは無し [;^.^]、で、結局、二度と会うことも無い、というケースも、極めてありふれているだろうが、これも、ここでいう「生き別れ」とは異なる。
こんにちでは、互いに会いたいのに、居所を知らせ合いたいのに、そしてあるいは居所が分かっているのに、会えない..こんな状況は、ある種の集団に監禁されたか、あるいは、特殊な国家の中から出てくることが出来ないか..そういう状況でしか、あり得ないのではあるまいか。
大辞泉で「生き別れ」を引くと、「肉親などが生きたままで離れ離れになること。生別(せいべつ)。⇔死に別れ。」と出てくるが、以上のように考えてみると、こんにちでは、さらに不吉なニュアンスを帯びた言葉なのではあるまいか。
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