*2000年04月03日:「蜘蛛」
*2000年04月04日:安全第一
*2000年04月05日:森政権発足
*2000年04月06日:“最後の言葉”
*2000年04月07日:仕事の夢にうなされる
*2000年04月08日:地元の古書店めぐり
*2000年04月09日:さらに地元の古書店めぐり
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*2000年04月03日:「蜘蛛」


 聖レイが2冊。EasySeek に登録して発見された「女高生花くらべ」と「愛しのギャル」が届いた。これで9冊。タイトルが把握出来ているのは、あと16冊である。全部で何冊あるのかは、判っていない。包括的な作品リストは、まだ発見できていない。

 これもインターネットで発見して発注していた「少女アリス」誌が、3冊届く。1980年代前半に川本耕一氏が編集していた、伝説的な自販機ロリコン誌であり、この3冊は、吾妻ひでおの傑作短編、「不思議ななんきん豆」「水底」「午後の淫荒」の初出誌なのである。

 「最近は、インターネットではエロ本しか買っとらんのか」とか聞くの禁止。返す言葉がないから。[;^.^]

 牧逸馬の「世界怪奇実話」(現代教養文庫、社会思想社)全4巻読了。最終巻で一番驚いたのは、「ロウモン街の自殺ホテル」である。

 全く同じ状況の「自殺(縊死)」が続く、とあるホテルの一室。ホテルの女主人に、悪評を消すために問題の部屋に泊まることを依頼された警官も、謎を解くために敢えてその部屋に泊まった学生も、全く同様に「自殺」する..

 ..これは、まるで..“あれ”ではないか..

 ..そして、この事件の犯人の正体(名前)に、愕然とした。

 これは、本当に実話なのか? エーヴェルスの「蜘蛛」にインスパイアされたフィクションではないのか? ..いや、もちろん、実話なのだろう。事件は1906年10月に始まり、その記録は、1907・8年のパリ版“Chronique des Taibunaux --- Compte rendu des proces en Correctionelle”に詳しく出ている、とある。「蜘蛛」が何年に発表されたのか、残念ながら今すぐには判らないのだが、エーヴェルスが、この実話にヒントを得たことは、まず間違いない。

 無論、実話に取材したからといって、「蜘蛛」の不滅の輝きは、いささかも陰るものではない。むしろ逆である。

 「蜘蛛」においては、最初の3人の「自殺」は、わずか3ページで片づけられるイントロに過ぎず、4人目の学生による、「自殺」に至る「手記」が本体を成している。そして、彼を含めて4人を殺した「犯人」の正体..「実話」に取材したのが確実だとしても、(それなりにロマンティックでありながらも、やはりどこか)散文的な「実話」から、どうして、かくも奇怪な「幻想」を紡ぎ出せたのか..!?

 暗号は、これだけではない。「蜘蛛」にインスパイアされた、乱歩の、とある傑作短編。この乱歩作品の犯人は、もちろん「蜘蛛」の犯人とは異なるのだが、この「ロウモン街の自殺ホテル」の中には、その乱歩作品の、犯人やトリック、それ自体ではないにしても、その“本質”を、ほとんど直接的に指摘していると言える言葉すら、ある。つまり、この乱歩の傑作は、「蜘蛛」だけではなく、「蜘蛛」の元ネタの紹介記事であるところの、牧逸馬の「ロウモン街の自殺ホテル」からも、影響を受けている、と、“推測される”。(もしもこの“言葉”が、前記“Chronique des Taibunaux --- Compte rendu des proces en Correctionelle”にもあるのならば、「蜘蛛」も、これの影響下にあると言える。)

 “推測”に留まる。なぜならば、「世界怪奇実話」が「中央公論」誌に連載されたのは、昭和4年から8年にかけてであり、この乱歩作品が発表されたのは、昭和6年だからである。乱歩がこの連載を読んでいたのは確実だが、この作品と「ロウモン街の自殺ホテル」の前後関係が(今のところ)不明なのだ。これは、国会図書館で調べるだけの価値がある。

 ちなみに、「蜘蛛」の「解説(感想)」は、私のページの「“怪談入門”読破リスト」の中に置いてあるが、未読の方が、いきなりクリックしてしまう危険を避けるために、ここ(今日の日記)からは直接リンクを張らなかった。(前記解説では、問題の乱歩作品のタイトルも明記しているし。)興味のある向きは、「“怪談入門”読破リスト」から潜って、読んでいただきたい。

 小渕総理、脳梗塞で緊急入院..は、仕方が無いとしても、日本国には、22時間ものあいだ、首相権限の人間がいなかったらしい。

 コメント不能..ではすまないのだが..実際問題、コメントする言葉を探すのが、困難である。誰がなんと言おうとも、日本が「普通の国」では無い、ということが、改めて立証された、とでも述べておくか..右翼の方々がなんと主張しようとも、日本国には「有事」は「定義されていない」、ということもね。22時間ものあいだ、「有事」に「対応出来ない」状況が続いていたんだから。

 (ちなみに..最近の若い者は、「普通の国」とは、「軍隊の無い(気楽で平和な)国」のことだと思っているらしい。国際常識で言うところの「普通の国」とは、「軍隊」と「徴兵制」のある国のことだよ。それを望む望まない目指す目指さないは別として。)

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*2000年04月04日:安全第一


 運転していて、恐い、というほどでもないが、危なっかしいなぁ、と思っているのは、スカートの裾を気にしながら走っている、自転車の女学生たちである。片手運転の上に、裾を押さえているものだから、実に安定感に欠けるのだ。

 登下校中の服装が規制されている、という問題もあるのだろうが..スラックスやジャージーを着用できないのであれば、スカートの裾が暴れるのは、もう潔く“諦めて”、両手でハンドルを握るべきではなかろうか?

 それでは、対向車にとって、余計危険だって? いやいや、“見えそうで見えない”という状況の方が、遙かに注意力を奪われるものなのである。

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*2000年04月05日:森政権発足


 嫌な笑顔の男だ。

 笑顔自体に、罪は無い。別の状況(コンテクスト)の中では、愛嬌のある、好感の持てる笑顔なのかも知れない。しかし..誰がどうなったおかげで、あんたが首相になれたと思っているんだ?

 恐らく、(少なくとも、この限りにおいては)正直な男なのだ。アメリカなら、これでオッケーだろう。しかし、ここは日本。内心はどうあれ、(そんなものは、誰も問題にしない、)重態の前総理を慮って、形だけでも厳粛に作る。それが当然のたしなみではないか。これは、完全にルール違反だ。全く、男を下げたものだ。

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*2000年04月06日:“最後の言葉”


 “議論”は、しばしば、「“最後の言葉”の奪い合い」になる。「新聞と議論しても無駄だ。なぜなら彼らは“最後の言葉”を握っているからだ」、と嘆いたイギリスの政治家がいたと思うが、名前は忘れた。

 議論の当事者のうち、少なくともふたりが“最後の言葉”を狙えば、論理的には、その“議論”はエンドレスとなる。実際、「“最後の言葉”の奪い合い」の様相を呈する頃には、その“議論”は、もはや“議論”とは言えない、末期的なレベルに堕落しているものである。

 “最後の言葉”を奪う(自分の発言で“議論”に決着をつける)ことに執着する“論客”は、極めてしばしば、レベルが低い..とまでは言わないが、まぁ、余裕が無い。「グウの音も出ないまでに、相手を説き伏せないと、不安」なのである。

 こういう“論客”を相手にする時の、面白いゲームを教えよう。

 それは、「“最後の言葉”を、わざと与える」というゲームである。

 どんな論客であっても、“議論”(あるいは“言い合い”)をしている間に、“失言”のひとつやふたつは、必ずや、するものである。「少し外している」「論理的におかしい」「どこか切れ味が悪い」「間違いを含んでいる」、等々。

 相手がそれをやらかしところで、唐突に“議論”を打ち切るのである。つまり、返事をしない。

 すると、その、「少し外している」「論理的におかしい」「どこか切れ味が悪い」「間違いを含んでいる」発言が、彼の“最後の言葉”になってしまうのである。つまり、彼の「論旨」、彼の「本質」(、そしてしばしば、彼の「人格」)は、その程度のものであった、という結論になってしまうわけだ。

 言うまでもなく、「タイミング」の見切り方が、勝負である。これは結構、難しい。(だからこそ、“ゲーム”として成立するのだ。)

 早すぎては、駄目。“議論”がまだ活発である間は、あなたが黙りこくっても、相手はそのこと自体に気が付かずに、しゃべりまくる。

 遅すぎても、駄目。相手がどれほどバカで間抜けな“最後の言葉”を発したとしても、それを誰も読んでくれなくては、意味が無い。(バカで間抜けな“最後の言葉”をさらし物にするのが、目的なのであるから。)“議論”が末期的症状に落ち込みきった時点で、読者はほとんど脱落している。その“少し前”(相手も、あなたに返事をするのが、やや大儀になり始めている頃)を、狙わなくてはならない。

 「少し外している」「論理的におかしい」「どこか切れ味が悪い」「間違いを含んでいる」発言を発した相手が、それを(すぐに発言を重ねて)リカバーしないわけが無いではないか、と、あなたは不審がるかも知れない。これが面白いところで、しばしば“リカバーし損なう”ものなのである。

 ピンポンのように、“議論”(“言い合い”)が続くと、相手の返事が来る前に、自分の発言を重ねようとは“思わなくなる”。失言をしたことが、すぐに判ったとしても、どうせすぐに相手の発言が返ってくるのは自明。そしてその発言が、自分の失言への突っ込みであるのも自明であるから、すぐに自分の失言をリカバーする発言をするよりは、相手の突っ込みに対する反撃を練り始める..

 ..そこで、敢えてあなたは“突っ込まない”。すると、相手は、自分の発言をリカバーするタイミングを、失ってしまう。あなたから突っ込まれることを前提として作戦を練っていたので、突っ込まれていない状況でのリカバーの文面は、考えていなかったのである。そして、今さら、「突っ込まれていない状況でのリカバー」発言をすることは出来ない。タイミングを外した発言の無意味さは、彼も良く知っているからである。しかも、「突っ込まれていない状況でのリカバー」発言の直後に、あなたの「突っ込み」が来る(あなたが、そこまで陰険な手段を取る)可能性も、あるのである。この場合、「突っ込まれていない状況でのリカバー」発言は、完全に浮いてしまう。

 結局、“中途半端に頭がいい”論客ほど、この罠にはまってしまうのである。そして、自分の失言をリカバーすることも出来ずに、議論はここで“ウヤムヤのうちに”終わってしまう。「あなたが彼を論破出来なかった」ことは事実だが、彼の「少し外している」「論理的におかしい」「どこか切れ味が悪い」「間違いを含んでいる」発言で議論が終わった、という事実の方が、決定的なのである。

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*2000年04月07日:仕事の夢にうなされる


 「仕事の内容を(具体的には)書かない」ことをルールとしているので、今日は色々、ぼかして書かなければならない。回りくどい表現が頻出すると思うが、予めお詫びしておく。

 久々に、仕事の夢を見た。正確に言えば、悪夢である。実に2日間連続で、仕事の悪夢にうなされた。

 背景説明をする。

 私の勤務先は電子楽器メーカーであるが、かなり古いハードウェア製品(シンセサイザー・モジュール)のデータのバックアップを取りたい、という質問が、サービス窓口に寄せられ、その製品の現在の(開発部門側の)サポート担当である私の所まで、振られてきた。

 もちろん、そのハードウェア製品自体は、バックアップの手段を持っているのだが、肝心要の専用データストレージが、製造中止なのである。となるとMIDI経由でバックアップするしか無いが、詳細は略すが、この製品のデータのバックアップは、PCやMacのシーケンサー(等の)ソフトウェアで取ることは出来ない。(特殊なプロトコルに依っているのだ。)

 私が13年ほど前に作成した、とあるソフトウェア製品を使えば、バックアップを取れるのだが..と、返答した。すると数日後、そのユーザーから、(とっくの昔に製造中止になっている)そのソフトウェアを入手したが、これでもやはりバックアップが取れない、と、重ねて(サービス窓口経由で)報告されてきたのである。

 そんなことがあるはずがない、誤操作だろう、と、当該ハードウェアとソフトウェアを調達して追試したのが、一昨日。なんと、ユーザーの報告どおり、バックアップが取れなかったのである。

 私は狼狽した。私の勧告に従って、入手困難なソフトウェアを(なんとかして)調達してくれたのに、それが無駄であった..では、すまない。他の手段が無い(私の作成したソフトウェアを使う以外に、バックアップを取る方法は無い)以上、このソフトウェアをなんとしてでも“修正して”、ユーザーに届けなければ..

 しかも、それが絶望的なのである。なにしろ、13年前に作ったのである。現在稼働している開発環境では、当時のコンパイラもアセンブラも動かない。当時の開発環境(旧式の −− とっくの昔に製造中止の −− ワークステーション)は、一応、残すだけは残してあるが、何年間も電源を入れていない。動くとは思えない。そして、ソースコード。確か、5インチフロッピーがマスターだったと記憶しているが、どこにあるか..何かのついでに破棄してしまった可能性を、否定しきれない..

 これが、一昨日の状況。(昨日は、他の用件で忙殺されており、本件を進めることが出来なかった。)そこで、2晩連続の悪夢、となったわけである..

 ..旧式のワークステーションを倉庫から出してきたものの、立ち上がらない..なんとか立ち上がったが、ソースコードはどこに?..この、(ようやく発掘した)8インチフロッピーに納められているソースは、最終版なのか?..コンパイルが通らない..coreを吐く..

 ..という悪夢にうなされるなんて、意外に、仕事熱心じゃん。(私が一番、驚いた。[;^.^])

 で、今日になって、再試をしてみたら、ちゃんとバックアップを取れ、リストアも出来たのである。一昨日は、何か接続ミスか操作ミスをしていたらしい。安堵した。本当に、ほっとした。ユーザー宅では、まだうまく動いていないのかも知れないが、それは何かの間違いである、と、確信を持てた。操作か接続か、あるいはMIDIケーブルか。やれやれ..

 日立デジタル平凡社、解散。寂しいなぁ。百科事典に対する「知的需要」が無くなったのだ、とは思いたくない。もっと便利な手段が増えただけなのだ、と思いたい。

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*2000年04月08日:地元の古書店めぐり


 インターネットでの検索が煮詰まってきたので、「全国古本屋地図」(日本古書通信社)を参考にして、近隣(静岡県下)の古書店中、有望そうなところをいくつかピックアップして、車で回る。

 決して、聖レイのエロ劇画だけが目当てではない、ということは、言うまでも無い。

 Mという店には、「全国古本屋地図」の情報どおり、確かに古いプレミア物もあるのだが、未整理積み上げ状態で使えない。惜しい。「未整理積み上げ」で奥の本にアクセスできない、というのは、古書店では珍しくもない(そして、その他のジャンルの店舗では極めて珍しい)状態だが、この店は半端ではない。ほとんど全て、山の下に埋まっているのであった。

 その他、心当たりの古本屋も数件、回ってみたが、50%以上の確率で潰れている。

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*2000年04月09日:さらに地元の古書店めぐり


 今日は電話帳からピックアップして、主としてI市方面に遠征する。昨日同様、収穫僅少。

 決して、聖レイのエロ劇画だけが目当てではない、ということは、言うまでも無い。

 電話帳の広告では一番有望そうに見えた某古書店のシャッターは、降りていた。今日は定休日(火曜日)ではないし、開店している時間帯のはず。外から電話しても反応無し。さりとて、店じまいをした(潰れた)ようにも見えないのだ。明らかに、現役の古書店のシャッターである。まぁ、この世界、(かつての)石川古本店のように、基本的には閉店していて、オンデマンドで店を開ける、というのもしばしばあるからねぇ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 12 2000 
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