*2000年03月13日:大宅壮一文庫にFAXする/「ふるむまかをめら」
*2000年03月14日:「へたも絵のうち」
*2000年03月15日:聖レイを求めて
*2000年03月16日:「ワースト」
*2000年03月17日:「課長バカ一代」
*2000年03月18日:スキャナーを買う/「45%おとな」
*2000年03月19日:怠惰なロボット
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2000年03月13日:大宅壮一文庫にFAXする/「ふるむまかをめら」


 大宅壮一文庫に、手塚治虫と吾妻ひでおの要調査初出誌のリストをFAXする。(国会図書館と違って、収蔵雑誌リストが(入手しやすい形では)提供されておらず、ある雑誌が収蔵されているか否かは、問い合わせないとわからないのである。)といっても、未読分を全てリストアップしたわけではない。いきなり長大なリストを送るのも迷惑だろうから、「(「大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録」に掲載されているなど)蔵書があるに決まっているもの」「(同人誌など)蔵書があることがほとんど期待できないもの」「国会図書館で読める可能性が高いもの」、及び「新聞類」を、とりあえず除外して、コンパクトにまとめたものである。それでも、約200誌(“200冊”ではない)になった。

 むろん、事前に電話で相談してから、FAXしたのである。数日中に、リストにチェックマークの入ったFAXを返送していただく予定。まぁ、来週になるかな。どの程度、ここで拾えるか、楽しみである。

 「ウロン文学選集 19 ふるむまかをめら」(ベーホ著、阿島俊他訳、知佳舎)が、Yさんから届く。大阪での発見通報を受けて、確保していただいたものである。6千円也。この書名も作者も知らない、という人は、吾妻ひでおの


不条理日記:SF大会篇:8:奇想天外:1979/11:
ダーティしでおの大冒険::8:奇想天外:1980/10:

を読んで、勉強していただきたい。これらの短編が、どの単行本に収録されているか判らない、という人は、「吾妻ひでお 著作リスト」の「発表年代順全作品リスト(簡易フォーマット版)」で検索すると、該作品の収録単行本が列挙されており、それぞれのコンテンツへのリンクも張られている。例えば、「不条理日記 SF大会篇」は、「アズマニア」「定本不条理日記」「不条理日記」「陽はまた昇る」に、「ダーティしでおの大冒険」は、「アズマニア」「海から来た機械」「定本不条理日記」「陽はまた昇る」に収録されているということが、すぐにわかる。なんて便利なリストなんだ!

 (ウェブページ上で(ブラウザのタコなインターフェースを使って)検索するよりも、上記「著作リスト」のトップページに置いてある「ajimalst.gz」か「ajimalst.lzh」をダウンロードして、ローカルに検索する方が、お薦めである。)

 いずれにせよ、この「ふるむまかをめら」(ベーホ)と、未入手の「へろ」(クルムヘトロジャン)は、ボルヘスの「トレーン、ウクバール、オルビス・テルディウス」に匹敵する、いや、ある意味、それを具現化(実体化)させてしまったという点で、ボルヘス作品をも凌ぐ、恐るべき書物なのである。

 「まんだらけZENBU 6」購入。エロ劇画雑誌の小特集が組まれているが、残念ながら、聖レイの名前は見当たらない。

 風邪は、全快とはいえないものの、ほぼ問題ない水準に戻ってきた。咳は残っているが、止まらない、ということはなくなった。

*目次へ戻る


*2000年03月14日:「へたも絵のうち」


 2年以上前、「石ころひとつで三年遊べる」と言った画家の名前が思い出せない、熊谷守一である可能性が高いが確証が無い、と、述べた。

 Y書店で、熊谷守一の「へたも絵のうち」(平凡社ライブラリー)を見つけたので、パラパラとめくってみたら、なんとまぁ。本文最終ページの結語が、


「私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません」

 ..これでしたか。初出は、1971年の日本経済新聞の連載である。当時実家で購読していたはずなので、それを読んで、記憶に残っていた可能性が高い。やれやれ、胸の(無数の)つかえ(のひとつ)がおりた。

 この書名は有名なものであり、もちろん知っていたのだが、未読であったのだ。早速購入して一読。実に味のある文章である。(口述筆記らしいが。)お薦め。

*目次へ戻る


*2000年03月15日:聖レイを求めて


 代休を取り、例によって午前中は、Nで書き物をする。

 ランチを食べてから、駅まで、3/26の「ムーンライトながら」のチケットを買いに行くも、既に売り切れ。まぁ、春休み期間中だからなぁ..(って、今、これを書いていて気が付いたのですが [;^J^]。)しかしどうして私は、こうも「ながら」の切符を買うのが下手なんだろう。1ヶ月とはいわず、3週間前に動けば、まず確実に入手できるだろうに、いつもいつも、2週間を切ってから買いにいき、結果、2回に1回(もしかすると、3回に2回)は、買い逃がしているのである。

 春休み期間中だから、多分、ながらが東京を発ったあとに、臨時電車がでるとは思うけどね..しかしちょっと待て。翌日27日(月)は、国会図書館の開館日だった。今週末の土曜日に、調査に出向くつもりだったが、それをやめて、27日にすることにして、26日は日暮里あたりで泊まるか。東京往復を1回省略すると、1万5千円浮く。宿泊費6千円強を差し引いても、黒字である。よしよし、転んでもただでは起きないぞ。

 問題は..26日はシンセをかついでいくのであって、27日に国会図書館(その他都内各所)で調査・買い物をしている間は、東京駅・銀の鈴待合所のコインロッカーに預けておく必要があるのだが..もう、都内のコインロッカーは、使えるのか? 記憶が正しければ、この正月には、確か秋葉原駅のコインロッカーは閉鎖されていた。

 引き続き、エロマンガ家・聖(ひじり)レイの本を求めて、市内のめぼしい古書店を梯子する。結果、全く見つからず。「BOOK OFF」が典型的にそうなのだが、1980年前後のエロマンガなど、ほとんどどこにも見当たらない。(エロマンガ以外の、少年・少女・青年マンガであれば、このあたりの年代の単行本も、無いことは無いのだが、中古エロマンガは、ほとんど90年代以降のものばかりである。)まぁ、わかっていたことではあるのだが。(もっとも、久々に訪れた「時代舎」で、美術雑誌「みづゑ」のバックナンバーの、探していた年代のものがまとめて手に入ったのは、思わぬ収穫であった。)

 浜松での入手可能性(不可能性)を確認できたので、夕方になって帰宅してから、改めて、各種サーチエンジンで、「聖レイ」の検索を開始した。結果、「The Vintage Place」で「オレンジGal通信」と「とまとギャル白書」が売りにでているのを発見。価格もリーズナブルなので、発注する。また、この過程で、「作品リスト」は見つからないにしても、「タイトル/出版社」情報を、約20冊分、入手できた。これがあれば、「EasySeek」に登録できる。(このために、作品リストを探していたのであった。)

 (誤解の無いよう申し添えておくが、今日は、けっして、エロマンガを探し回るために休暇を取ったのではないぞ。結果的にはそうであったとしても。[;^.^])

*目次へ戻る


*2000年03月16日:「ワースト」


 聖レイを20冊、「EasySeek」に登録する。まだ1冊も現物を見ていない(発注した3冊も、納本されていない)というのに。ご存知の読者も多々いらっしゃるかと思うが、歯止めが利かない暴走体質なのである。

 「ワースト」(小室孝太郎、朝日ソノラマ、全2巻)を購入し、一気に読む。これまで未読であったのだ。SFマンガの古典的名作であるが、往年の読者がこの作品に触れる時、常にある種の「畏敬」の念を持って語っているのが、気になっていた。それは、長いこと絶版で、幻のマンガと化していたことも、無関係ではあるまい。古書価格は高く、なかなか手が出せなかった作品でもある。

 正攻法の、人類破滅テーマ。いくつかの名作SF小説(特に、1950年代の作品)のアマルガムであるとの印象も受けるが、それは本流のSFであることを示してもいる。ラストシーンについては、やはり感心したが、これはここには書かない方がいいであろう。まだ、古びてはいない。一読の価値はある。

 初出誌は、なんと、1970年から71年にかけての「週刊少年ジャンプ」である。しかし驚くことは無い。諸星大二郎の「暗黒神話」も「孔子暗黒伝」も「妖怪ハンター」も、この雑誌に発表されたのである。手塚治虫の「(新)ライオンブックス」シリーズもだ。探せばまだまだ出てくると思うが、SFマンガの(しかも硬派の)歴史的傑作を、(かつては)輩出していた雑誌なのである。

*目次へ戻る


*2000年03月17日:「課長バカ一代」


 「課長バカ一代」(野中英次、ワイドKCミスターマガジン)は、先週、最終巻(第7巻)を買って、読了済み。(無論、連載は既に(雑誌ごと)終わっている。)結局、全巻揃えてしまったのだが..

 ..どうにもこうにも、絵が下手過ぎる。「へたも漫画のうち」と、胸を張れる性質の下手さかどうか、なんとも言えない。

 とにかく、驚くべき下手さなのだ。ご存知の方もいらっしゃるかと思うが、池上遼一の画風の完全な「パクリ」(コピー)なので、ちらっと(0.5秒ほど)見ると、劇画風の、しっかりした絵に見えてしまうのだが、2秒以上見ていると、その「異常な」下手さに、いやでも気づかされる。

 自分の絵になっていない。結局、池上遼一の「模写」(というか「似顔絵」)を描いているだけなのだ。

 判りやすいように、「顔」の描き方について、図式的に単純化して説明してみようか。彼の“ストック”は、非常に少ない。例えて言えば、「正面」「真横」「左斜め前方45度」の方向からしか、描けない。なのに(よせばいいのに)「左斜め前方60度」の方向から描こうとして..「顔」の「パーツ」は「左斜め前方45度」、「顔」の「輪郭」は「左斜め前方60度」、という、実に無気味なことになってしまうのである。

 自分の「キャラ」を、立体的にイメージ出来ていて、かつ、胸像スケッチをしっかりやっていれば、61度だろうが62度だろうが、どんな角度からでも描けるはずである。結局、彼は、(手持ちの乏しい)二次元イメージの切り貼りをしているに過ぎないのだ。

 もうひとつ、「下手」というより「見ていて不思議」なのは、その「空間感覚」である。

 異常に「空間が大きすぎる(あるいは、人物が小さすぎる)」のである。

 例えば、会社の(社長室のみならず)大部屋の天井が、宮殿のごとく高いのは、まぁそういうビルもあるさ、と納得することもできるのだが..仰天するのは、新幹線の車内のシーン。まるでロビーのごとく広大なのだ。この人は、新幹線に乗ったことが無いのであろうか? あるいは、空間把握に関わる知覚が、健常者と異なっているのではないだろうか? ..などと、思わず失礼な連想すらしてしまった。事実は、単に「下手」なだけだと思いますが [;^J^]、しかし、この「下手」っぷりは、異彩を放っている。

 結局、全7巻買ってしまったのは、みょ〜なセンスが面白い(ことがある)からであるが..「センス」というのは当たりはずれが大きいし、(事実、はずれたエピソードは、途轍もなくつまらないし、)「外した」場合、彼はそれをカバーすべき何物をも、持ち合わせていないのである。デビュー直後ならば、こういう状態も珍しくないだろうが、彼はもう何年間も、漫画家をやっているのに、である。ここ数年間が勝負だと思うが..「化ける」とは思えないなぁ。

*目次へ戻る


*2000年03月18日:スキャナーを買う/「45%おとな」


 スキャナーを買う。

 スキャニングによる「画集救出プロジェクト」は、しばらく中断していたが、現有のスキャナー、キヤノンIX−4025は、キヤノンのサービスマンによって、可能な限り最高水準の修理がなされていた。「最高の状態の部品を組み合わせた。これ以上のチューニングは、もう不可能」という、彼の言葉を、私は全面的に信用する。

 そしてそれでもなお、「ノイズ」が見えてしまっているのである。

 私は、恐らく過剰品質を要求している。実際、そのノイズは、キヤノンのサービスセンターでは、部屋を暗くし目を凝らし、と条件を整えなければ見えないし、プリントアウトで確認するのも、容易ではない。私の勤務先のPC(と、イイヤマやナナオのCRT)でスキャン画像を見ても、ほぼ全く見えないのである。私のリブ100のTFT液晶では、くっきりと見えるのに。

 そこに(スキャン画像データに)ノイズが混入しているのは、間違いない。しかしそれが目立つのは、(ある種の)液晶で表示させた場合に限られる。

 だから、考えようによれば、実害が無いと言えないことは無いのだ。リブ100を一生使うわけじゃないし..しかし、「このノイズは、液晶では目立つがCRTでは目立たないタイプなのであろう」、という推測が確かだとすると、薄型大型液晶ディスプレイの画質が急速に向上し、値段も低下しつつある現状は、不安である。ほぼ確実に、将来の私のメイン「表示環境」は、高級液晶ディスプレイとなる。その時になって、現在撮りためた画像の中の、CRTでは見えないノイズが、くっきりと再生されてしまう可能性は、極めて高い。

 結局、“現時点で”見える/見えないに関わらず、ノイズの無い状態でスキャンして保存しておく以外、心の平安を得る方法は無い。

 そこで、(要求水準を充たす)スキャナーの実売価格が3万少々のことなら、修理を繰り返して数ヶ月以上浪費するよりも、どんどん買い直して(使い捨てて)いく方が、遙かにリーズナブルである、と、考えを変えたのであった。(..以上、背景説明、終わり。)

 購入したのは、キヤノンのFB1200Sである。EPSON機は、以前、購入したことがあるのだが、EPSON製のTWAIN32(スキャニングの際のフロントエンドプロセッサのようなもの)の、あまりの使いにくさに驚いて、直ちに手放した、という経緯がある。現在、IX−4025と組み合わせて使っている、キヤノン製のTWAIN(16ビット)の使い勝手には、なんの不満もない。同じキヤノンならば、TWAIN32の使い勝手にも、そう大きな間違いはないであろう。(現在入手可能なスキャナーは、全て、32ビットのTWAINにのみ対応しており、この使いやすい16ビットTWAINは、もはや新機種には使えないのである。)

 買うだけ買ったが、セッティングもインストールも動作確認も、明日回し。まず、現在(10枚ほど)CD−Rに撮りためたまま、中途半端な整理状態で(結果的に)放置していた画像データを、DVD−RAMに整理しなおすことが、急務である。これがまた、とんでもなく時間がかかるのであった。

 発注していた「45%おとな」(聖レイ)が、届いた。ふむふむ、なかなか結構。

 思っていたよりも、遙かに1970年代的な、暑苦しくて肉感的なエロ劇画の絵だし、このジャンルの(ほぼ全ての?)マンガ家(劇画家)がそうであるように、決してうまくはないのだが..女性キャラが“妙に”可愛いのである。いや、可愛いというか、その..どこか少女漫画的というか..少なくとも、昨今の「白っぽい」アニメ絵感覚の対極ではあるが..

 ..つまりは、私好みなのです。

 だからと言って、“芸術的”だの“深い”だのという戯言(言い訳)は、弄しない。聖レイのエロ劇画は、あくまでも“実用”本位の(“実用性”以外、何も考えていない)エロ劇画なのである。

 時々、妙な(奇怪な)構図が見られるのが、面白い。例えば、正常位(に準ずる体位)であり、かつ、女性の姿を正面から描きたい(すなわち、男が邪魔である)場合、男女それぞれの行為の姿勢はそのままで、その位置を“逆”にしている(つまり、“背中合わせ”にしている)のである。しかも、体が双方の背中側から、半分重なって(食い込んで)いる。キュビスム(立体派)入ってるというか。

 また、体の各パーツの連結の仕方がおかしくなってしまっている絵もある。「内乱の予感」(サルバドール・ダリ)状態である。

 だからと言って、“芸術的”だの(以下同文)

*目次へ戻る


*2000年03月19日:怠惰なロボット


 私がウェブページを置いている「rinc」のサーバーは、従来、ロボットの侵入を禁止していた。非力なマシンだったということもあるし、当初(数年前)は、どういうことになるか(どのくらい邪魔になるか)予想できなかったから、ということもある。

 だから、「倉田わたるのミクロコスモス」以下の全てのページは、例えば「Goo」からは検索できなかった。「Goo」に登録申請をすると、「Goo」は確認のために、ロボットを寄越すからである。そのロボットが入れないので、登録されない..

 しかし、サーバーマシンも(最新機種に)リプレースされたし、ロボット型サーチエンジン(その代表が、「Goo」である)から検索できないのも、こんにちでは「普通ではない」と言わざるを得まい、という、スタッフグループの判断によって、ロボットの侵入が解禁されたのが、ほぼ2ヶ月前。但し、簡単なアンケート(というほどでもないが)を取ったところ、ロボットに入ってこられては困る、という会員も、少なくなかったので、デフォルトでは入って来れないようにして、「入ってきて欲しい」という申請があれば、スタッフが個別にオープンする、という方法をとることにした。

 問題は、本当にロボットが入ってこれるようになったのか、確認してからでないと、一般会員に、「ロボットが入ってこれるようになりました(ので、「Goo」などに登録できます)」と、告知できないことで、それで私が率先して、自分のディレクトリをロボットに対してオープンにして、「Goo」「Lycos」「Excite」などのロボット系サーチエンジンに登録申請してみた、というわけ。それが2ヶ月前..

 ..これらには、いまだに、登録されない。が、「InfoNavigator」「Ringring」「OCN navi」「ODIN」からはロボットが入って来て、私のページが登録されており、(ほぼ)全文検索ができることを、確認した。つまり、(robots.txt から、自分のページを disallow する記述をコメントアウトするだけで)ロボットが入って来れるか、という実験は、成功である。「Goo」等に登録されないのは、向こう側の問題(スケジュールが混んでいてロボットを未だに派遣出来ないのか、私からのリクエストを取りこぼしたのか)であろう。(他はともかく、「Goo」は、取りこぼしやがったような気がするので、リトライするか。くそっ [;^J^])

 スキャナーは、今日も開梱できず。CD−RからDVD−RAMへのデータ転送は、深夜までかかって、ようやく終わった。(ベリファイを確実に取るなど、慎重に作業したからであるが。)大量保存メディアとしてのCD−Rは、(そのビット単価の廉さひとつとっても)すぐれているし、特に「究極のライトプロテクト」によって、誤操作によるデータ破壊から守られている点が、何よりも気に入っているのだが、欠点も多い。

 「究極のライトプロテクト」という長所の裏返しとして、「データの差し替え」が、非常にやりにくい。(出来ないことはないが、すんごい無駄が発生する。)1枚あたりの記憶容量が少なく、管理工数が増大する。焼き込むのに時間がかかる、等々..そこで、現時点では(ほぼ)ベストの解として、DVD−RAMに、いったん移行したというわけ。重視したのは、記憶容量よりもむしろ、「手軽な差し替え」である。その代償として、誤操作によるデータ消失の危険が、激増した。今後当分、「酒気帯びスキャニング」は禁止である。う〜、つらい。[;^.^]

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 22 2000 
Copyright (C) 2000 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]