*1997年12月01日:心霊スポットについて
*1997年12月02日:「らせん」読了
*1997年12月03日:「ガラダマ天国」
*1997年12月04日:“98”を謗る人々
*1997年12月05日:“仕事一途”を謗る人々
*1997年12月06日:「インド夜想曲」
*1997年12月07日:「熊谷守一展」
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*1997年12月01日:心霊スポットについて


 私は、心霊現象については、内心、懐疑的ではあるが、まともに取り組んだことがないので、頭ごなしに否定したりはしない(出来るわけがない)。漏れ聞く範囲に限って言えば、それらのうちの大多数は、「心霊」など持ち出さなくても、素直に自然に説明できそうに思え、その意味では、心霊現象に対して「懐疑的」というより、「その仮定が必要だとは(そのような複雑な原因を設定する必要があるとは)思えない」というスタンスである。「オッカムの剃刀」という奴だ(確か)。

 しかし、一方で、いわゆる「心霊スポット」は、(特に古い場所である場合)確かに存在するのであろうと思っている。それは「心霊現象」が実在するか否かとは、独立な問題である。

 先に、大多数の「心霊現象」は、「心霊」など持ち出さずとも説明できる、と述べたが、逆に言うと、それらの現象は、「“心霊現象として説明することもできる”現象」なのである。こういう現象の存在、及び、“(出来ることなら)心霊現象として理解したい”という心理的な傾向の存在は、もちろん認める。

 そして、それが「“科学的に説明できる”現象」である場合、ある地点で集中して起こる、ということは、いかにもありそうなことである。「ブロッケンの妖怪」のような光学的な錯覚を起こしやすい地点、というのは存在するであろう。そしてそれを科学的に解釈しようとしなければ、「心霊スポット」となるであろう。これがひとつ。

 次に、それが非常に古い場所である場合、確率的に「心霊現象」が多く記憶されている、というのも、ありそうな話である。仮に、30年(すなわち、およそ一世代)に1回しか起こらない現象であっても、300年の間には、10回も起こるのである。歴史上記憶(記録)されているだけでも、10回も“何か”が起きたということは、注目に値するであろう。この場合、何も起きなかった290年間のことは問題にならない。30年に一度、という、異常に低い頻度も問題にならない。これは記憶の錯覚と言える。

 第三に、以上に述べたような理由から、ある場所が「心霊スポット」として認知されているとしよう。そこを訪れた人は、当然、そういう目で(敬意をもって)その場所を観る。結果、他の平凡な場所では、平凡な原因で説明される現象も、その場所では、何か平凡でない理由で説明されがちになる。すなわち、“観察者”が「心霊スポット」を“裏書き”するわけだ。

 最後に、別の観点からみてみよう。ここまで述べてきた様々な理由により、「心霊スポット」というものは、確かに存在してしまう。(心霊現象が実在するか否かには、関わりなく。)それは恐らく、歴史上、無数に存在(発生)したに違いない。ところで、こんにち残っている「古い心霊スポット」は、時間の淘汰を生き延びてきた、と言える。あまり“らしくない”スポットは、いっとき話題になったとしても、数十、数百年のうちには、忘れ去られてしまったに違いないのだ。だから逆に、今なお生き残っている古いスポットは、それだけ“優秀”であり、「心霊現象」として説明しやすい現象が起こりやすい場所なのだ、と言える。これは、クラシック音楽や絵画作品など、古い時代の作品が、なぜ、傑作ばかりなのか(確率的に“傑作率”が異常に高いのか)と、同じ理由である。200年前に作曲された交響曲が、全て傑作だったのではなく、僅か数%の傑作以外、ことごとく忘れ去られてしまったのである。

 だから、きのう今日発見された(作られた)新しいスポットは、相対的に信用できないのだ。心霊現象を信用するしないではなく、その場所が、心霊スポットであるに足る“十分な想い”が込められているとは、思えないのである。荒俣宏の妖怪巡礼団シリーズ(集英社文庫など)は、古いスポットも新しいスポットも、わけへだてなく扱っており、これはある意味では卓見なのかも知れないが、私は、しらける。

 平将門の首塚が心霊スポットであるのは、恐らく間違いない。私はそこを訪れたことはないし、(くどいようだが)怨霊の存在を肯定しているわけでもないが、その地に“心霊現象”が“観察される(されてきた)”のは、事実だと思うのだ。しかし、こういう“由緒正しい(畏怖すべき)”スポットと、たかだか数年から数十年前に作られた、安物の遊園地のような施設とを並べて論ぜられても、鼻白むだけである。

 あるいは“洒落”か? と、好意的に解釈してみたこともあるが..どうも、このあたりに、荒俣宏の“二流性”が透けてみえて来る。科学的である必要など、ない。心霊現象なら心霊現象で押しとおしてしまえば良いのだ。しかし彼はどうも、確固たる“心霊的世界観”を、押しとおし得ていないように見えるのだ。

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*1997年12月02日:「らせん」読了


 いかんな。風邪が治りきっていない。昼前に退社して、T医院へ。今日は久しぶりのボイトレの日だったのだが、これも休む。声を出せる状況ではない。

 「らせん」読了。なるほどねー。

 “思ったよりも面白い”ベクトルと、“思ったよりもつまらない”ベクトルが相殺して、プラマイゼロといったところか。

 未読の方のため、ネタバレにならないよう注意しつつ、批評してみよう。ばらしても構わない(あらかじめ読者に与えられている)情報は、ふたつ。これは「リング」の続編であること。裏表紙に印刷されているように、「それは人類進化の扉か、破滅への階段なのか」、という“大きな物語”に発展するストーリーであること。(おっと、「リング」のネタバレにもならないよう、注意しなければ。)

 これは、ホラー、ミステリ、SF、スーパーナチュラルの、どれにも属さない、というより、これらのジャンルの手法(あるいはパラダイム)を、巧妙に組み合わせた傑作である。

 「リング」は、ミステリとして進行しながらも、終盤に至って、堂々たるスーパーナチュラルの驚異が繰り広げられた。「らせん」は、これを受けて、しかし驚くべきことに、SF(あるいは医療ホラー)として、スタートする。

 特に前半が、素晴らしい。死体が自分の腹の中から押し出した新聞紙に、ある数字が印刷されており、そこに暗号(メッセージ)が仕込まれている..あるいは、死体から抽出されたDNAに、死体からの暗号(メッセージ)が仕込まれている..

 これは、絶対にSFではあり得ない。この設定(発想)自体、仮説を拒否しているとしか言いようがない。それほどまでに荒唐無稽である..しかし..この、とんでもない事態に直面した主人公の行動。その一連の解読作業と、次なる(多分に受け身ではあるが)アクション。これらには、確かにSF的な魅力が満ち溢れているのだ。そもそも、突拍子もない事態を(ひとつだけ)設定し、そこから論理的に事件の推移を追っていく、というのは、最も伝統的な(旧式な)SFのスタイルなのである。

 「らせん」は、まさに、ホラー、ミステリ、SF、スーパーナチュラル、全ての持ち駒(手法)が、有機的に組み合わされた傑作であった。

 しかし、読み終えて、どうも釈然としない思いが残ったのは..結局、後半(終盤)を支える「人類破滅のヴィジョン」に、少なくとも私は、なんの魅力も感じられなかったから、というに点に尽きる。要は、「こんな原因で破滅したかぁねぇなぁ」ということなのだ。

 「それは人類進化の扉か、破滅への階段なのか」と来れば、SFファンは、“作品世界”の底が(何段にも)抜けていく快感を期待する。“認識の衝撃”によって、世界の扉が“外側に向かって”パァッと開けてゆく、その解放感を期待する。ところが、「らせん」の終盤の“恐るべき未来のヴィジョン”は、どちらかと言えば“逆”だったのである。

 まぁ、第三作「ループ」で、ここらあたりのモヤモヤは、解決されるのかも知れない。

 夜になって、ちょっと外に出てみたら..寒い..風が冷たい..

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*1997年12月03日:「ガラダマ天国」


 朝、起きてみたら、ついに、車の窓に霜が降りていた。この冬、初。夕べは冷えたからなぁ。

 有休を取り、健康診断のフォローアップの再検査を受ける。とある数値が異常値すれすれ(というより、標準範囲を遥かに逸脱し、薬による治療が必要とみなされるギリギリの値)だったのだが、今日の検査では、標準範囲にかなり近いところまで戻っていたので、まぁ許したろ、ということになった。少しまじめに生活態度を反省する(だけなら、猿でも出来る)。

 「ガラダマ天国」(唐沢商会)購入、通読。59頁に、解らないネタがある。

 読者の投稿ハガキの紹介なのだが、その読者は中学生の頃、ともだちがステージで歌を歌うから、と誘われてコンサートに出かけた。そして、いざ開演の段になると会場のお客さん全員がいっせいに拝みだし−−その真ん中にポツンと置かれセンリツしたそうだ。このハガキに対する唐沢兄弟のコメントが、「これはコワイよ。なにせ日本の人間の3人に一人は信者だそうですから」「ただ恥ずかしくて言わないだけで」

 ..解らん。[;^J^]

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*1997年12月04日:“98”を謗る人々


 ニフのとあるフォーラムの雑談会議室で、“いまだに98にしがみつき、98の新製品を買い続ける、自分の会社(上司)”の悪口が、大盛況である。(別にこの会議室に限らず、どういう場であっても、98が話題になるときには、多くの場合、こういう文脈だとは思うが。)

 なんと情けないことだ。

 彼ら、“気持ち良さそうに嘆きを披露しあっている”連中は、どういうわけか、ほとんどの場合、新入社員でも平社員でもなく、少なくとも5年目以上の中堅社員が多いと見たが、それであれば、なおのこと。

 98を使い続けることで、本当に(彼らが主張するごとく)会社が不利益を被っているのならば、その事実を、会社や上司に理解させ納得させ善導することが出来ないお前らが、無能な部下なんだよ。

 会社の損失に対して、諸君も、その責任を免れることは出来ない。会社を構成し、会社を動かしているのは、社長や役員や管理職だけではなく、自分たちを含めた社員ひとりひとりなのだという自覚は、ないのか。

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*1997年12月05日:“仕事一途”を謗る人々


 仕事一途の人々を、“信じらんなーい!”と、嘲弄する馬鹿どもがいる。

 「仕事が趣味」というのも、ひとつの生き方、ひとつの価値観ではないか。それを批判するのは自由だが、嘲笑するとは何事か。

 この馬鹿どもは、自分たちが“正しい”と信じているのであり、それは公平にみて、あるいは妥当な判断かも知れないのだが、自分たち以外の価値観をまるで受け入れられないという意味では、驚くほど価値観が一様で均一化しているのだ。彼ら自身は、趣味が多様であることから、価値観も多様であると、愚かにも信じているのだが。

 (以前、“仕事中毒”というタイトルで、仕事以外のことを考えない生き方というのは、とても楽で、知的エネルギー準位も低い、と指摘したが、これはまた、別問題である。)

 「廃墟大全」(谷川渥監修、トレヴィル)というエッセイ集を読む。中々使える“廃墟論”の集成である。

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*1997年12月06日:「インド夜想曲」


 ちょっと休日出勤する。今日は暑い。12月の陽気ではない。(車の冷房を入れてしまった。)

 帰りに、浜松市美術館の前を通りかかったら「熊谷守一展」をやっている。「没後20年」..「画壇の仙人」..

 もしかして、先日、どうしても名前を思い出せなかった、「石ころひとつで三年遊べる」という言葉の主であるところの画家は、熊谷守一であったか? だとすると、「名前も憶えていない、中央画壇で名を成さずに、地方で朽ち果てた画家」どころではない。錚々たる大家である。(が、この勘違いも、ある意味では無理もない。彼は晩年の数十年間、中央画壇と縁を切り、地方でひとりで、制作にいそしんだのであるから。)

 帰宅してから、手元の画集で熊谷守一を調べるが、ろくな情報が無く、「石ころひとつで三年遊べる」と言ったかどうか、判らない。インターネットで検索してみたら、例えば goo では100件近くヒットしたが、ほとんど外れ(のようだ。ヒット数が多すぎて、全部にあたる気力が失せた)。明日、展覧会に行ってみよう。

 「インド夜想曲」(Tabucchi,Antonio、白水社)を読む。ここち良いドッペルゲンガーストーリー(だと思うが [;^J^])。

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*1997年12月07日:「熊谷守一展」


 浜松市美術館で開催されている「熊谷守一展」を観に行く。がらがらに空いており、ゆっくりと観られた。先日の「古代エジプト展」とは、えらい違いである。

 彼が「石ころひとつで三年遊べる」と述べた、という直接の証拠は得られなかったが、そう語っても無理はない、という感触は、実感した。これは彼の言葉であった、と、決めた。

 私好みの作風とは異なるので、図録も買わなかったが、しかしいくつの作品には、確かに嘆声を上げさせられた。

 今日も暑い。しかも雨が降っている。あと2週間で冬至だというのに、ムシムシするのは、やめてもらいたい。

 昼前に帰宅。M百貨店の地下食品売り場で買ってきた寿司を、上善如水を飲みながらぱくつき(休日は、このパターンが多い)、当然ながらいい気分になって、昼寝がてら夕方まで、炬燵でゴロゴロする。

 松本市の古書店からカタログが届く。(どうして、この書店とコネクションが出来たのか、さっぱり思い出せないのだが。)ベルリオーズの著作を2冊、「ベートーヴェンの交響曲」「ベルリオーズ回想録」を発注。後者は白水社版(上下2巻)を読んでいるし、これは音楽文庫とやらで、確実に抄訳なのだが、昭和25年の翻訳テキストに興味がある。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 12 1997 
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