*1999年09月13日:「やってはいけない」
*1999年09月14日:ベネチアン・ガラス
*1999年09月15日:300円を惜しんで..
*1999年09月16日:現れるもの、消えるもの
*1999年09月17日:「たれごよみ」を買う
*1999年09月18日:「世界大百科事典」VS「日本大百科全書」
*1999年09月19日:「マトリックス」
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*1999年09月13日:「やってはいけない」


 私が持ち歩いている手帳には、なんと、ニフティ(その他、いくつか)のパスワードが書かれている。こんなことは、絶対に「やってはいけない」。

 では、なぜやっているのか。

 昨年の夏、リブ100を紛失した際、(それは無事に発見・保護されたのだが、)ショックのあまり?ニフティのパスワードを思い出せなくなってしまったのだ。

 インターネットの方は、パスワードをリブ100に記憶させてはいなかったのだが、(毎回、手入力している、)ニフの方は、パスワードを記憶させていた。つまり、このリブ100を拾得した人に、電話回線につないでみる、という甲斐性(知恵)があれば、私のアカウントでログインできる状態になってしまったのだ。それで、とるものもとりあえず、別の通信端末(バックアップ用に残していたリブ30)からニフに入って、不正アクセスがされていないかどうか、調べようとしたのだが..パスワードを思い出せず、入れなかったという次第。

 リブ100本体の紛失以上に、この、パスワードの「失念」の方が、私には衝撃的だった。

 確かに、紛失直後は寝ぼけていたし、ショックで頭の回転が狂っていたかも知れない。しかし、午後になって頭が明晰になってからも、ついにパスワードを思い出すことは、できなかったのである。

 無論、ニフにはただちに電話連絡をして、パスワードの停止と新規(仮)パスワードの発行をしてもらったのだが、それ以来、自分の記憶機能に自信がもてなくなって、パスワードを手帳にメモしている、という次第なのである。

 当然、ひとなみ以上のセキュリティ意識は、ある。パスワードを直接書くなどというバカなことは、しない。

 パスワードを暗号化した上で細分化し、手帳を埋め尽くしている文字群の中に、バラバラに紛れ込ませたのである。これを解読できる人は、まず、いないと思う..

 ..私を含めて。[;^J^]

 そう、私は今では、ニフティの(発行された仮パスワードから変更した、新規の)パスワードを、(手帳に頼るまでもなく)憶えているが、このパスワード文字列を、どうやっても、手帳から抽出できないのである。

 暗号化と断片化と散りばめ方が、あまりにも完璧だったからだ。万全のセキュリティである。本来の用途(備忘)には、もはや全く役に立たないが。

 (今夜のタイトルは、もちろん、某ベストセラーのタイトルのパロディだが、私がやったことは、メリットとデメリット、リスクとベネフィットをきちんと評価した上で、最善ではないが次善の策を選んでいる、という意味で、遙かにまともである。解読できないことを別にすれば。[;^J^])

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*1999年09月14日:ベネチアン・ガラス


 確か、80年代も後半に入ったばかりの頃のことだから、いわゆる「バブル」な時代だったと思う。ただのサラリーマンである私には、バブルの恩恵など無関係だったが、それでも、ちょっとだけ背伸びをして、贅沢をしてみたことがある。

 ベネチアン・ガラスのワイングラスを、買ったのである。

 無論、良し悪しなどは判らない。真贋についても、同様。しかしそれは、実に美しいワイングラスであった。深味を湛えた色彩と、絶妙なカーブ。そして金細工の装飾。

 価格は憶えていない。10万円はしなかったと思う。

 私は、週に数日は、このグラスに(これはきっぱり安物の)イタリア・ワインを注いで、飲んでいた。別にベネチア気分にひたれた訳でも無かったが、(何しろ私は、イタリア旅行をしたことがない、)それなりに楽しい日々であった。

 しかし、ある夜..酔った私は手元を狂わせて..

 ..この美しいワイングラスを、倒してしまったのである..

 ..残されたのは、それでも色彩だけはなおも美しい、ガラスの破片がいくつか..

 ..これが私の、ささやかなバブルと、その崩壊だったのである..

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*1999年09月15日:300円を惜しんで..


 「G−taste」(八神ひろき、講談社)の第3巻を、ようやく入手した。何しろ、発売日の9日には八ヶ岳ツアーに出発していたので、12日に帰って来るまで書店に寄る機会が無く、そして12日には、通勤経路にある全ての書店で売り切れていたのである。

 購入したのは、浜松中心街にある谷島屋本店である。あるところにはある。(別に、コミックスの在庫が豊富な店だという訳では、ないのだが。)

 価格は税込み1400円。これでは足りないので、適当な文庫本を3冊追加して、3400円にする。

 ..一体、何のことかと言うと..

 谷島屋を利用する(車で乗り付ける)時には、すぐ近くのR駐車場を使う。ここの駐車料金は、最初の30分が300円。以後、30分ごとに150円。これは浜松駅周辺の駐車場の、標準的な料金である。(ほんの3分ほど余分に歩くと、最初の30分が200円、以後、30分ごとに100円、という駐車場もある。これは(行きつけの)映画館に近いので、映画を観る(ために、数時間以上駐車する)場合には、ここを利用している。)

 さて、谷島屋で3000円以上買うと、駐車券を300円分、5000円以上買うと、450円分もらえる。つまり、3000円で30分、5000円で1時間、無料で駐車できるわけだ。

 これが、恐ろしい罠なのである。

 最初から、3000円(または5000円)分の買い物ネタがあれば、問題無い。30分(または1時間)は、駐車料金は、ただである。問題は、例えば1400円分しか買い物の予定が無かった場合。

 素直に、駐車料金を払って帰ればいいのである。しかし、あと1600円分購入すれば、300円もらえるのである。ここは、トライするべきだろう。

 しかし、無駄な(読むあての無い)本を購入してしまっては、それこそ、1600円の無駄である。いますぐ読む予定は無くても、いつかは読むかも知れない、という本(典型的には、岩波文庫)を、「できるだけ無駄なく(すなわち、1600円を大きく越えることはないように)」購入しなくてはならない。

 これがしばしば、実に難しいのである。

 買うべき(というか、「まぁ、買っといてもいいかな」という)本が、全然見つからない場合もある。また、せっかく見つけたのに、それが「6800円」の本である場合も、ある。

 この局面では、6800円の本など、全く無駄な買い物である。30分以内に駐車場に帰還するのであれば、全部で3000円クリアすればいいだけなのだ。無論、5000円を越えているので、450円の駐車券はもらえる。今日使うのは、(30分以内に帰るのであるから)300円分だけだが、残り150円は次回に使える。その意味では、無駄ではないのだが..

 そんなことなら、6800円の本を「ソロ」で買うべきなのだ。これ一発で、450円もらえる。既に1400円の本を買っているのだから、合計で8200円! これは5000円を3200円も越えている。この3200円に対する報奨金は、支払われないのである。

 すなわち、この6800円の本は、今日は買わず、今日は別の本の買値を1400円に追加して、3000円をクリアすべきなのであって、6800円の本は、明日(または来週末)に買いに来るべきだ..

 ..とかなんとか、極めて論理的で「正確な」作戦を練っているうちに、30分を越えてしまう! なんと、3000円では、もう駄目なのだ。5000円買わないと、今日の駐車料金が、チャラにならない!

 別に、駐車料金を払ってもいいはずだ。それは確かにその通り。金が無いわけではないのだから。しかし、「300円をチャラにしよう、などという余計なことを考えていなければ」、30分以内に駐車場に帰れた、すなわち、駐車料金は300円ですんでいたのである。その300円を惜しんだばかりに、駐車料金は450円に跳ね上がってしまったのだ。つまり、ここで「450円をチャラにする」すなわち「5000円以上の買い物をする」ことに成功しなければ、最初から、なんの結果も出せなかった(逆に、マイナスの結果が出てしまった)ことになる。

 この場合でも、とにかく3000円以上(5000円未満)の買い物をすれば、300円は支払われる。被害は150円ですむ。しかしこの150円も、出来れば救いたい..なんとか、5000円をクリアできないか..などと苦悶しているうちに、1時間を越え、「被害総額」は、さらに150円積み増される..

 こうして、単なる「フィルアップ」用の本を選んでいるうちに、どんどん深味にはまってしまい、しまいには現金の手持ちが足りなくなって、カードで買うハメになってしまうのである。

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*1999年09月16日:現れるもの、消えるもの


鉄腕アトム:アトム二世:8:文芸春秋デラックス:75/09/01:251

の中に、アトム二世の「シラケー」というセリフがある。テレビアニメ版の最終回の続編という設定で、太陽の中に消えた初代アトムの替わりに「アトム二世」を作ったのはいいが、それは絵に描いたような、無気力でいい加減でだらしない、駄目人間(駄目ロボット)なアトムであった、というパロディ的な物語であり、アトム二世の覇気の無さ(正義感の欠如)を嘆くお茶の水博士に対して、アトム二世が発するセリフなのである。

 私はこれを、多分リアルタイムで読んでいると思うのだが、僅かな違和感を感じたことを憶えている。つまり、1975年当時、「シラケー」という言葉は、「やや」古かった、と思うのだ。

 「死語」では、無かったと思う。「シラケ鳥」が一世を風靡したのは、1975年より「あと」だったような気がするから。(これも記憶だけで書いているから、誤っているかも知れないが。)しかしいずれにせよ、ほんの少し「外している」のではないか、という感想を、当時抱いたのは、確かである。

 それから10年位たってから、当時はまだ健在だった亡父が、「こういう時に、『シラケー!』って言うんだろう?」、と、口走ったときには、「それはとっくの昔に死語」、と、容赦なく指摘したのであるが。

 亡父はともかく、手塚治虫は、自他共に許す第一線の漫画家として、そのときどきの流行(語)を徹底的にリサーチしていた筈である。その手塚治虫ですら、「古い」言葉を使ってしまうことがあるのだ。

 多分、その理由は単純明快である。

 一般に、「ある流行が“始まった”ことは、容易に判るが、ある流行が“終わった”ことは、簡単には判らない」からである。

 今まで存在していなかったものが、急速に街を埋め尽くし始めた時、感度がそれほど高くない人でも、それには気が付く可能性が高い。(手塚治虫級のアンテナを張り巡らしていれば、さらなり。)しかし、「今まで“あった”ものが、“なくなった”」ことに気が付くためには、実に、街の風景“全体”を、常時注視していなければならないのである。

 急激に(一夜にして)消滅すれば、ある程度「鈍い」人でも、「何か変だな」と気が付くかも知れないが、消える時は、ほとんど例外なしに「フェイドアウト」するのである。そして、その「フェイドアウト期間」中、次々と、新しい流行が「出現」し続けており、人々の注意はそちらに引きつけられているのだから、ますますもって、「消えて行く」ものには、気が付きにくくなる。

 「変化」の「立ち上がり」のエッジには気が付きやすいが、「立ち下がり」には気が付きにくい..これは、応用が効く「見方」だと思う。

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*1999年09月17日:「たれごよみ」を買う


 版元、小学館。最高である。一部のギャグは「たれぱんだ」(小学館)を継承しているので、未読の向きは、2冊合わせて速やかに購入すること。これは私との約束だ。(税別、計2400円。)

 ちょっと納得がいかないのが、「りすたれ」。これは、辞表を叩きつけられた上司に見えるんだが。

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*1999年09月18日:「世界大百科事典」VS「日本大百科全書」


 リブ30のソフト環境を整備する。数週間前、ちょっとわけありでリブ100をしばらく使えない状況に陥っていたのだが、その間、ピンチヒッターとして起用していたリブ30の、メール環境に難があったからである。

 この際ついでに、リブ30の500MのHDを抜き取り、かつてリブ100に入っていた2Gに換装してしまう。(リブ100に今入っているのは、6.4G。)

 「日本大百科全書」(小学館)を、ようやくリブ100にインストールする。購入したのは、かなり前になるが、携速98でインストールしようとして、(つまり、ハードディスクの中に仮想CD−ROMという形で常駐させようとして、)うまくいかなかったので、しばらくほっぽっていたのだ。何がうまくいかなかったのか、というと、つまり、仮想CD−ROMドライブにインストールされているデータCD−ROMを認識せず、“物理”CD−ROMドライブへのCD−ROMの挿入を促してくるのである。

 なんのことはない、インストールディスクも携速化し、仮想CD−ROMからインストールしてやれば、問題無いのであった。というか、こいつは、自分がインストールされた時の(自分自身の)CD−ROMドライブ番号を、CD−ROMのドライブ番号として憶えてしまうらしいのだ。起動時に検索しろぃっ!

 それはともかく、日本の誇る二大電子百科(平凡社の「世界大百科事典」と、小学館の「日本大百科全書」)の比較であるが..

 「世界大百科事典」の、圧勝。

 (両方とも、リブ100に携速98インストール、という環境で比較したことを、お断りしておく。また、「日本大百科全書」の方は、HDの容量不足で「全文インデックス」をインストールできなかったので、検索速度の比較もしない。)

 まず、「日本大百科全書」は、起動が遅い。

 「世界大百科事典」の起動時間は、15秒。2回目からは(キャッシュが効くのか)5秒。これに対して、「日本大百科全書」は、1回目も2回目以降も、35秒かかる。(いずれも、検索語彙の入力ボックスが出てくるまでの時間。)これは、独自開発のフォントをロードしているからであろう。

 「日本大百科全書」は、標準的なウィンドウズアプリの顔をしていない。早い話が、メニューバーが無い。これはともかくとしても、本文画面スクロールがキーボードから出来ず、スクロールボタンを押さなくてはならない。PgUp/PgDnもカーソルキーも、使えないのである。これは酷い。

 多重条件検索も、貧弱である。2項目の AND OR ではあんまりだ。(「世界大百科事典」は、5項目。)

 また、これは私の環境に依存している問題かとも思うが、落ちやすい。

 「世界大百科事典」もそうなのだが、「関連URL」にURLを直書きしているのは、気になる。すぐにリンクが外れてしまうと思うのだが。ちっとやそっとではURLが変わりそうもない、カタイところだけリンクしているのか? 今後数年間はURLを変えません、と、約束してるとか [;^J^]。「インターネットによって鮮度を保つ」というコンセプトと、微妙に矛盾しているし、カタかろうが柔らかかろうが、外れるリンクは外れるのである。例えば、駄目なプロバイダを見捨てる時に、カタいも柔らかいもないわな。(大体、この方式では、いつまでたっても、私のページを「手塚治虫」からリンクしてもらえないではないかっ [^.^])

 「関連URL」は、いったん、小学館の用意する(集中管理)サーバーで受けて、そこから間接的に(自動的に)飛ばすようにし、サーバーの「間接参照リンクリスト」は(週に一度くらいの頻度でいいから)リンクチェックツールで自動メンテすればいいと思うのだけどね。(ある程度しっかりしたサーバーと回線を確保すれば、アクセス負荷は、恐れるほどのことはあるまいに。)

 (使っていないが)MS製の電子百科事典は、本文自体をWebから(最新の情報に)ダウンロードできるらしく、その意味ではさすがに優れている。なんだかんだ言っても、餅は餅屋か。(コンテンツの評価は、別問題として。)

 「関連語」検索は、少しいいかも。また、地図と年表は、それなりに使えるかな。しかし、「世界大百科事典」の検索方法の多彩さと楽しさには、及ばないなぁ。

 フォントが美しいのは、確かに取り柄ではある。

 結局、日常的に使うのは「世界大百科事典」。内容に不足が感じられる場合に、補助的に「日本大百科全書」、という使い分けかな。情報ソースは多い方が楽しいし、なんだかんだ言っても、この規模の百科事典をふたつもリブ100に収めて持ち歩けるのは、贅沢極まりないことである。以前にも書いたと思うが、こんなことが今世紀中に(というか、私が生きている間に)実現するとは、本当に夢にも思っていなかったのだ。

 (おかげで、6.4Gでは、全然足りなくなってしまった。8Gが出回り始めているようだが、焼け石に水である。12Gの噂を聞くが、いつ頃入手できるかな..)

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*1999年09月19日:「マトリックス」


 休日出勤。今週もまた電源回りの工事(に伴う停電)があるので、サーバー類のシャットダウンとリブートをしなければならないのである。

 昼過ぎには終わり、街に繰り出して、噂の「マトリックス」を観る。(以下、多少は内容に触れるが、スポイラーでは無い。)

 観る前の時間つぶしに、黒生ビールを大ジョッキ1杯と、ワインを1本飲んだ私に、非があった [;^J^] こととは思うが..序盤で少々居眠りしてしまい、遅れを取り戻すのに時間がかかってしまった。が、設定も世界観も把握できたし、後半(というより、序盤の2〜30分を除く、残り全部)は、しっかり観ていた(はずである)。

 一応、面白い。面白いが..いまいち乗れない。

 結局、格闘技(というか、カンフー)映画なのである。「まるで漫画かアニメのようだ」、と、(良くも悪くも)唖然として観ていたのだが、あとからパンフを読んでみたところ、その線を狙っていたらしい。確かにあの動き(と「効果線」)を「実写で」やったことに、値打ちを見いだす価値観はあろう。

 しかし私は、根本的なところで..つまり、この作品世界で「格闘技をする」ことの必然性が、理解できなかったのだ。「マトリックス(仮想世界)」の中にいる主人公たちに、「外側」から、銃器が大量に供給されるシーンがあるが、こんなことが可能ならば、バズーカ砲でもミサイルでも、(これはアメリカ映画なのだから、脳天気に)原爆でも水爆でも、用意してもらえば良かったのである。「そんなことは出来ない」、という「説明」が一言でもあれば、私はこのことを問題にはしない。(あったのかも知れない。何しろワインが1本..[;^.^])

 また、設定自体は、ありふれたものだと思うし..(← オタクによる、一番嫌われるタイプの「いちゃもん」の好例である。)

 ま、こんなもんか..と納得して、帰宅してから、ネットニュース(fj.rec.movies)の「マトリックス」関連発言(今日まで読まずに封じてあった)に、ざっと目を通してみたら..

 ..私の知らないことが、たくさん書かれている [;^J^]。ええぇっ! そんなもん、映っていたのぉっ!? とか。話の筋とか設定とかも、どうも私が理解していたものとは、微妙に(しばしば大幅に)違うなぁ。くそ、あのワインがっ [;^.^]

 しゃあない。後日、もう一度観ましょうかね。

 (気が付いたことを、一点。「“ヒーロー&ヒロインを除いて”、善玉側の、ほぼ全員」が、黒人。「悪玉側の、ほぼ全員」が、白人である。手塚治虫が「ジャングル大帝」を合衆国で放映していた頃から、「善玉は黒人に、悪玉は白人に」、と、スポンサーからきつく要求されていたらしいが、今でも、この伝統は生きているということか。)

 (どうしようもないのが、パンフレット(800円)である。センス、ゼロ。こんな読みにくい字配りが、クールだとでも思っているのか。とっくの昔につぶれた「Wired」というカルチャー?雑誌を、思い出す。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 22 1999 
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