*1999年08月23日:汗腺について
*1999年08月24日:幸せをふりまく金もうけ
*1999年08月25日:免許更新/お宝映像
*1999年08月26日:「赤ちゃんのデパート」
*1999年08月27日:「忸怩たる..
*1999年08月28日:「こうもり」公演
*1999年08月29日:施策について
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*1999年08月23日:汗腺について


 数年前..恐らく5年くらい前から、少し体質が変わったような気がしている。

 それは、「汗腺」の位置である。

 もともと汗っかきなのだが、その頃から、やたと「耳の後ろ」(5cm位後方)から汗をかくようになった。額やこめかみからも、汗はだらだらと流れるのだが、髪が生えている箇所で、汗が盛大に流れるのは、この「耳の後ろ」だけである。その他の(髪の下の)部位からは、ほとんど汗が流れない。髪も乾いている。

 今も昔も刈り上げにしたことは一度もないが、別に5年前から長髪にしたというわけではないのである。髪型のせいではない。

 そしてこの傾向が、この1ヶ月ほど、さらに極端になってきた。晴れた空の下を歩くと、あるいは、冷房の無い部屋でちょっと体を動かすと、襟がぐしょぐしょに濡れるほどだ。

 汗を流すこと自体は、好きだし気持ちも良いのだが、襟が湿ってしまう点だけが、ちょっと困っている。

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*1999年08月24日:幸せをふりまく金もうけ


 「**みたいなものを作っても、商売にならんからねぇ..」、と言うと、「金儲け主義!」、と謗られたりする。では、「**みたいなものを作っても、大勢の人を幸せにすることはできないからねぇ..」、と言い直せば、どうか。

 押し売りをしているわけではないのである。

 ユーザーは、みな、自分が幸せになるために、買っているのである。

 ひとりでも多くの人を幸せにするのが、メーカーの義務であり、醍醐味ではないか。

 そしてユーザーは、自分が得た(または得るはずの)「幸せ」の対価(すなわち、メーカー(の社員)にとっての「幸せ」)を、メーカーに支払ってくれる。その意味で、ユーザーとメーカーの利害は一致しているのだ。(「みんなで幸せになろうよ」(後藤隊長、(c)ゆうきまさみ))

 ま、必ずしも全ての業界(業種)に通用することでは、ないのだろう。上記の前提条件が成立しない、例えば、事実上の「押し売り」が成立している業界。あるいは、ユーザーが「自分の幸せのために、ではなく」購入している業界..

 私が身を投じた業界では、健全な競争が成立しており、(大多数の)ユーザーは、自分の「幸せ」のためにだけ、商品を購入していると断言できる。(「幸せ」を希求する余裕が生じるまでは、見向きもされない商品ジャンルなのだ。)だから、この業界では、「幸せ」原理に基づく、Win-Win-Game が成立している。

 私は、幸せである。

 「少年」誌1966年5月号、「やけくそ黙示録」(吾妻ひでお、サン・ワイド・コミックス版)、納本。吾妻ひでおの単行本、ついに(ようやく)コンプリートである。

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*1999年08月25日:免許更新/お宝映像


 一日代休を取って、免許更新。(何故、半休ではすまないのか、などという突っ込みは、全く無用なことである。)

 「教則ビデオ」は、確実に改善されている。一昔前の「教則ビデオ」と言えば、グチャグチャでドロドロでゲボゲボな流血炎上沙汰の事故現場の記録。半昔前の「教則ビデオ」と言えば、幸せな家族が突如奇禍に巻き込まれた悲惨を描く、涙なみだの(誤解を恐れずに言うが)クソ馬鹿馬鹿しいホームドラマ。前者はともかく、後者を30分も見せられるのは、拷問以外の何物でもない。

 昨今の「教則ビデオ」は、実務的である。テーマを絞り、感情に訴えることなく、冷徹に事務的に、伝えるべきことのみ伝える。(今回のテーマは「死角」であった。)結果、上記「一昔前」「半昔前」のビデオに比べて、遥かに情報量が多くなる。

 某女優のムービーデータに目が眩んで、お宝系の雑誌(CD−ROM付き)を買ってしまった。100Mバイト、約10分。なかなか結構。取りあえずHDに常駐させておく。(公序良俗に反する映像ではないので、念のため。)

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*1999年08月26日:「赤ちゃんのデパート」


 ..という看板を見かけたが、(言わんとすることは判るが、)ややブラックではないか。(「児童販売機」というのは、確かヨコジュン(横田順彌)のネタだったと記憶するが。)

 そう言えば、「人生のデパート」を標榜するデパートもあったなぁ。金で買える人生か..(いや、確かに、金で買えるんですけどね。)

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*1999年08月27日:「忸怩たる..


 ..と、社内宛てのメールで書いたら、読めない奴が何人もいやがった。情けないぞ、こら。

 「“忸怩たる”が読めないとは、内心、忸怩たるものがあろう」、という、リカーシブな定義は、どうか。(ところで、あなたは、読めますか?)

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*1999年08月28日:「こうもり」公演


 東名バスで上京。8:45頃、東名掛川手前の反対側(下り)車線で、トラックが炎上していた。

 実に律義な炎上の仕方で、しっかりと路肩に止めて燃えていたのである。運転席も荷台も火の海だが、損傷は少ない。これなら運転手は脱出できているのではないか。

 まず秋葉。次に、神保町の某書店で、ようやく(今週火曜日発売だった)「漫画アクション」を捕獲。浜松ではついに発見できなかったのである。あやうく、諸星大二郎の短期連載を、一回、読み逃すところだった。昔(といっても、10年以上前)の「漫画アクション」は、「ビッグコミック」や「プレイコミック」と並ぶ、大メジャー誌だったと記憶しているのだがねぇ..

 都営新宿線で住吉へ。ティアラ江東で、コレギウム・ムジクム(アマチュア団体)のオペラ公演、「こうもり」(ヨハン・シュトラウスII世作曲)。(ソリストたちは、プロである。)ニフのFCLAの知人が大勢参加している縁である。(そのためか、客席にFCLA人を、多く見かけた。)舞台のすぐ左手。オーケストラ・ピットをまともに見下ろす席である。

 非常に楽しい舞台であった。(日本語上演。)アマチュアだから、湯水のように金を使えるわけはないのであって、舞台装置は簡潔であったが、バランスは取れていた。オーケストラも健闘。歌手陣で特に良かったのが、アデーレ。今ひとつだったのが、アルフレードとブリント。概して声が届きにくかったのは、歌手陣の声量のせいか、会場のせいか?

 第一幕の前に(脚本には無い)寸劇を追加して、背景(状況)説明をするなど、全体に「わかり易さ」に腐心している傾向があった。それも無理は無いのであって、「こうもり」は、一回観ただけでは、筋が良く解らないのである。今年の「夏オフ」で第2幕を取り上げたのだが、「夏オフ」直前になって、意外に多くの人が「こうもり」の筋を知らないことに気が付いて、あらすじを会議室に書き込もうとしたのだが、あまりに膨大な分量になりそうだったので断念した、という経緯もある。とにかく、登場人物のほぼ全員に「うらおもて」があり、しかも、彼らの背後で(彼らを個別に)糸を引いている人物がいる、という、二重に「たばかっている」状況は、実に説明しにくいのである。

 備忘その一:ハープの代わりにシンセ。

 備忘その二:クライバーのLDでも思ったことだが、この脚本では、アイゼンシュタインに対するファルケ(こうもり博士)の「復讐」が、「甘い」。アイゼンシュタインは、終幕で「何がなんだかわけが判らなくなってしまう」のだが、これでは駄目なのであって、「かつてファルケを笑いものにしたしっぺ返しを、今、くらっている」ということが「腑に落ち」ねば、復讐にならないはずである。今回の舞台でも、この点は、もやもやしたままであった。

 「でも、オペレッタなんだから、ま、いっかー」、というのが、正解なんですけどね [;^J^]。

 FCLA関係者は、オケと合唱と裏方の参加者を別としても、20人近くはいたのではないかと思うが、(私が気が付いただけだから、多分、もっと大勢いたはずである、)終演後、オケに参加していたMさんを含めて、7人ほどで飲みに行く。

 既に、最終新幹線には間に合わない。また、「ムーンライトながら」のチケットは取れていなかった。チケット無しでも、東京駅に23:40までに行けば、臨時電車が(「ながら」の後に)出る可能性は、低くない。(なにしろ、夏休み最後の土曜日である。)また、「ながら」は全席指定なのだが、乗ってしまっても、(もちろん、座れないのだが、)降車を強要されることは(多分)無い..

 ..とはいえ結局、チケットが無いのであっては、どうしても東京駅に23:40までに着かねば、という気持ちは、盛り上がらない。しかも今夜は、(うまく立ち回ったので、)両サイド美女である。宴たけなわで中座する理由は、全く無い。

 当たり前である。

 ということで、確信犯で「ながら」(及び、あったかも知れない臨時電車)を見送り、日暮里のときわホテルへ。

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*1999年08月29日:施策について


 そこそこ早起き。秋葉も神保町も昨日チェック済みだし、現代マンガ図書館やまんだらけが開くまでは時間があるし、で、どこにも寄らずに、さっさとこだまで浜松に直行。

 不在配達通知が届いていたので、ヤマト運輸浜松西営業所へ出向く。小学館の「日本大百科全書(CD−ROM版)」である。結局、購入したのであった。(平凡社と小学館の大百科を、リブに両方入れて持ち歩くのも、悪く無い。)

 営業所内に、「バック事故撲滅」というスローガンの掲示。これはまぁ、珍しくもない当たり前のスローガンだと思うが、その下に、「バックしない集配ルートの設定」。

 感心した。

 普通こういう場合、「後方確認の励行」とかなんとか、言わずもがなというか、当たり前の「対策」「施策」が打ち出されることが珍しくなく、それ故、結局「やってもやらなくても」「言っても言わなくても」同じ、という結果になり、ウヤムヤに終わるのが、常であろう。

 それに対して、「バックしない集配ルートの設定」。素晴らしい。具体的である。実際の「集配ルート」を、どうやって設定しているのかは知らないが、(例えばコンピューター・プログラムの修正、という形で)「進捗状況・実施状況を測定できる」アクションに、ブレイクダウン出来る。仮に達成できなかったとしても、その原因を分析し、対策を立てることができる。これは是非とも見習いたい。

 それはそれとして、「日本大百科全書」(小学館)。諸事情あって、今しばらくインストールできないのだが、平凡社よりもフォントが綺麗で読みやすいらしく、その点が、楽しみだ。気がかりなのは、起動時間だが..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 1 1999 
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