*1999年04月26日:各リスト、徐々に前進
*1999年04月27日:リック・ウェイクマン
*1999年04月28日:風邪のひきかけ
*1999年04月29日:実家の近所の動物園
*1999年04月30日:「キネマ旬報」、ひとまず調査完了
*1999年05月01日:「ウイルス」を「解毒」する
*1999年05月02日:ディスプレイに、不穏な気配
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*1999年04月26日:各リスト、徐々に前進


 3軒茶屋の2階のマンガ屋から、当選していた本が3冊、届く。(「まんが王」誌2冊と、水木しげるの「墓の町/地底の足音」。)これで、「吾妻ひでお 著作リスト」から“?”がひとつ、消えた。

 「手塚ファンmagazine」の作品リストのチェックを進めているが、まだ終わらない。

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*1999年04月27日:リック・ウェイクマン


 「手塚ファンmagazine」の作品リストチェックは、“新規データ”及び“従来データと矛盾しているデータ”の洗い出しまで、終了。次にこれらを電子化(テキスト化)して、差分ファイルとして、まず確定させた上で、データベースにマージするのである。この電子化作業がまた、手間がかかる。なにしろ、従来データ(展覧会の日程等)の詳細化が19件、従来データとの矛盾が20件、全くの新ネタが153件もあるのである。

 「レコード芸術」誌を眺めていたら、(20日発売の今月号を、今ごろ読んでいるのだ、)あら、お懐かしや、リック・ウェイクマンの「地底探検」の広告が。へー、これって、累計1500万枚も売れていたのか。駄作なのに。[;^J^]

 私も、中高生時代は、イエスをはじめとするプログレッシブ・ロックに入れ込んでいたので、当然、リック・ウェイクマンは聴いていた。というか、プログレ(あるいは「ロック」)開眼のきっかけになったいくつかのLPのうちのひとつが、リック・ウェイクマンのソロ・アルバム、「ヘンリー8世の6人の妻」だった。

 リック・ウェイクマンの評価は難しい..というか、ある程度屈折した評価の仕方しか出来ないのだ。キーボードプレイと言えばビートルズの4つ打ちのピアノくらいしか耳にしたことのないロック少年たちに、どのように聴こえたのかは知らないが、それまでにクラシックを聴き込んできた私の耳には、少なくともテクニック的には、ただの「下手くそ」でしかなかった。実際、これほどまでに指の回らない「プロの」ピアニスト(キーボーディスト)が存在するのか、と、愕然とした憶えがある。これがクラシックの世界ならば、三流音大に入学することも難しいのではないか。

 そんなリック・ウェイクマンが「スーパー・テクニシャン」として評価されている世界(この場合は、「ロック界」)がある。これは、少年期の私の社会勉強のひとつとなった。いやほんと。

 無論、いまでは、リック・ウェイクマンの真骨頂は、そのテクニックではなく、さまざまなキーボードの音色の組み合わせ方であり、アレンジのアイデアであったことが、私にも理解できているのだが。

 70年代から80年代にかけてのリック・ウェイクマンのキーボードプレイの傑作は、やはり、イエスというバンドの一員として成し遂げた「危機」であり「こわれもの」であり「イエスソングズ」であろう。ソロ第一作の「ヘンリー8世の6人の妻」、第三作の「アーサー王と円卓の騎士たち」が、それに次ぐ。そして第二作の「地底探検」は..

 確かに売れたらしい。話題にもなった。オーケストラとロックバンドの共演、という「型」の、初期の代表例のひとつである。

 ロックバンドに“味付け”として、(バックでコードを流しているだけのような)ストリングス・オーケストラを加えただけ、というパターンならば、もっと古くからあった。当のイエスも、初期の「時間と言葉」などで、そういう使い方をしている。そして、こういう「ストリングス・オーケストラ」は、極めて速やかに「メロトロン」や「ソリーナ」に置き換えられていったわけだ。

 「地底探検」のオーケストラセクションは、ロックバンドセクションとは(ある程度)完全に独立して機能していた、という意味で、それなりに画期的であった。(バロック音楽をご存じの方には、「いわばロックバンドセクションを独奏楽器群とする“合奏協奏曲”のようなもの」、と説明すれば、お解りいただけるかと思う。)ただ、問題は..

 ..全く、霊感のかけらも無い音楽だったことである [;^J^]。いやはや、ジュール・ヴェルヌの小説に、どうしてこういう音楽がつくのか。小説はおいておくとしても、この音階練習のような気の抜けた音列に、どういう意味があるのか。

 ..まぁ、売ったもんの勝ちだけどさ [;^J^]。この前聴いたのは、20年位前だし、買い直して聴いてみてもいいかも知れないな。

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*1999年04月28日:風邪のひきかけ


 一週間ほど前から上顎の奥がおかしかったが、ついに喉が痛くなってきた。朝起きたら、唾を飲み込みにくい [>_<]。

 無理せず、午前中にT外科へ。熱も無いということで注射はせず、その代わりに(いつもなら三日分なのだが)薬を一週間分、もらう。仮に三日後に治っていないとすると、その時はゴールデンウィークの真っ最中で、手の打ちようが無いからである。

 夕方になって、指先が冷えてきた。まずいなぁ。現実を直視したくないので敢えて測らないが、これは熱が出ている証拠である。注射してもらうべきだったかしらん?

 「手塚ファンmagazine」の作品リストの差分ファイルの入力をひたすら続けるが、駄目。時間切れ。徹夜しても今週(今夜)の更新には間に合わない。来週に回す。

 上司に、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」「ウルトラファイト」のLDを、全て貸す。全部で41枚。70時間ほどか。彼のゴールデンウィークは、台無しであろう。わざわざ私のうちまで借りに来た方が悪い。[;^J^](「Q」「マン」「セブン」だけのつもりだった彼に、まぁこれも持って行きなさい、と、「怪奇」「ファイト」を押しつけたのは、私だが。[;^.^])

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*1999年04月29日:実家の近所の動物園


 おや、今朝は喉の調子が良い。熱も大丈夫。これなら薬は3日分でも良かったかも知れないが、(いつもの倍の一週間分を、1600円も出して処方してもらったばかりだ、)ま、備えあれば憂い無し。油断している場合では無いし。

 8時5分の東名バスで上京。

 秋葉でCD。太田裕美の限定盤CDボックス(6枚組)と、ベルリオーズを5枚ほど。徒歩で神保町へ。(書泉ブックマートでも三省堂でも、サイン会をやっている。)中野書店でとり・みきを1冊確保してから三省堂に戻り、軽くチェックして数冊。「幻想文学大事典」(国書刊行会)があれば買って帰ろうかと思っていたのだが、げげげ、こんなにおっきくて重たい本だったのか [;^J^]。おまけにパックされていて、内容の確認が出来ない。パス。

 荷物も重いので、早めに帰省。横浜から相鉄線で鶴ヶ峰へ。(最近、快速が止まるようになって、かなり便利になった。)

 ..鶴ヶ峰駅前のバスステーションに、「よこはま動物園 ズーラシア」行きのポールが新設されている。そうか。そういえば確か、動物園を作っているとかいう話を、以前帰省した時に聞いたような気が。

 実家で事情を確認した。この4/24に、日本最大級の動物園がオープンしたのである。実家から徒歩25分ほどの場所に [;^J^]。もう数十年も動物園に行っていないので、大いにそそられたが、「開園1週間目のゴールデンウィーク」+「この陽気」、という計算式からは、「地獄の人波」という答えしか出てこない。今回は、パスだ。ほとぼりが醒めた頃の平日を狙って、散歩がてら行ってみることにしよう。

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*1999年04月30日:「キネマ旬報」、ひとまず調査完了


 実家前のバス停7時32分のバスで、国会図書館へ。

 今日は「キネマ旬報」調べである。先日、実に中途半端なチェックをしてしまったので、今日は、キネ旬に掲載された文章が載っているエッセイ集を5冊、全集からセレクトして持ち帰ってきている。

 ほぼ問題無く、チェック完了。全集記載の初出データの誤りも、いくつか発見。無駄な調査ではなかった。但し、手塚治虫存命期間中のキネ旬を端から端まで調べたわけでは、もちろん無い。未知の文章が残されている可能性は、ある。

 それにしても、手塚治虫が、単行本収録に際して雑誌掲載時の原稿に(時には大幅に)手を入れることは、よく知られていると思うが、このキネ旬の「観たり撮ったり映したり」という連載エッセイは、それのかなり極端な例である。単行本「観たり撮ったり映したり」は未読であるが、作者の死後に、その単行本から再編集されて収録された、全集のエッセイ集各巻所収の(従って、文章の並べ方はともかく、文章の内容自体には、単行本収録時から手が加えられていないと考えられる)文章は、初出誌の文章から、大幅に書き変えられているのである。大体は、カットする方向であるが、パラグラフの入れ替えは頻繁であり、全く新規に書き起こされたパラグラフも少なくない。また、複数の文章を合体させて、ひとつにまとめたりもしているし..

 その他、細々としたチェックを10件弱。こういう細かい「詰め」は、終盤に差し掛かっていたはずなのだが、「手塚ファンmagazine」の作品リストのおかげで、課題が激増してしまった。本当に有り難いことである。

 閉館後、渋谷まんだらけへ。収穫3冊。

 帰宅してから深夜にかかって、ようやっと、「手塚ファンmagazine」の作品リストの差分ファイルの入力、完。ここでリブ100にクラッシュされては元も子もないので、バックアップを取る。といっても、FDDもPDも重くてかさばる故持参しなかったので、浜松のホストに接続して、ホームディレクトリ(ホームページにあらず)にFTPで転送。インターネット/パソコン通信の、地味だが便利で実用的な使い方である。

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*1999年05月01日:「ウイルス」を「解毒」する


 ようやっと、「手塚ファンmagazine」の作品リストの差分ファイルの、データベースへのマージ完了。直ちに(ネット経由で)バックアップ。ある程度まとまった作品リストとしては「手塚治虫物語」「手塚治虫エンサイクロペディア」「手塚治虫の軌跡」「手塚治虫マンガ大全」「手塚治虫全史」、未発掘/単行本未収録作品を多数再録しているメディアとしては「ヒョウタンツギタイムス」等を、既に押さえている。それに加えて、今回の「手塚ファンmagazine」リスト。今後は、未発掘/未発見作品名が、これほど大規模にまとまって追加されることは、まずあるまい。

 しかしそれは、「もう未発見作品がほとんど残されていない」ことを意味しているのでは、無い。さすがに(4コマ以上の)マンガ作品で、網の目にかかっていない(ATOK12が「《「網にかかる」の誤用》」と指摘してくれたが、無視する [;^J^])ものはほとんど無いと思うが、1コママンガは、まだまだ自信が無い。そして問題は、マンガ以外の「エッセイ」「講演」「インタビュー」「対談」「イラスト」等の類である。これらは全く、系統的に網羅できていない。

 これらについては、上記の(「手塚治虫全史」等の)諸リストでも、全く網羅的でも系統的でも無く、リストへの収録基準にも、全然一貫性が無い。これはリストをいくつも照合して、判ったことである。例え手塚プロダクション監修のリストといえども、これらのジャンルについて言えば、「気が付いたものを適当に収録している」に過ぎないのである。無論、非難するつもりは、全く無い。手塚治虫が(ときには)勝手に引き受けてしまったこれらの仕事を、プロダクションといえども、完全に把握できていたとは思えない。

 私の使命は、「網の目にかかった(おだまり!>ATOK12)ものを、片っ端からリストに加える」ことである。

 なかには、手塚治虫の著作物とは言い難い物も、多数含まれている。特に微妙なのは「インタビュー記事」であり、私はこれまで、「最初から最後まで手塚治虫の言葉で埋められていれば、“談話”という形の口述エッセイであるとみなして、カウントするが、インタビュアーの質問に応える形の記事は、手塚治虫の言葉を引用した記者の著作物であるとみなして、カウントしない」、という通則を適用してきたが、これが本当に妥当な判断基準かどうか。

 悩みはつきないのである..

 私のリストは、それ自体が完成品であることよりも、むしろ、後世の手塚治虫研究の礎石(ベース)たらんことを目指している。手がかりは多めにリストアップしておくべきだ。情報をあとから削ることは、いつでも出来る。最初に(足切りして)リストに加えなかった情報を、あとから復原(追加)するのは、非常に難しいのである。

 朝日新聞夕刊に、傑作な記事(台北発)。


 コンピューターウイルス「チェルノブイリ」を捜査している台湾・刑事警察局は30日、容疑者の元工科大学生(23)を取り調べた。
 (中略)
 元大学生は大学一年の時、自分のパソコンがウイルスに感染し、対策ソフトを買って消毒しようとしたところ、愛機のパソコンが故障してしまった。このためウイルス対策会社に仕返ししようと、強力なウイルス作りを始めた。散布後に感染力が強力なのに驚き、自分のホームページ上で解毒方法を説明した。「こんなに大変なことになるとは思わなかった。申し訳ない」と反省しているという。(以下略)

 別に、「ディテクト」「スキャン」「クリーン」等の用語の方がいい、とは思わない。確かに門外漢には意味不明なカタカナ語であるし、「スキーム」「アカウンタビリティ」などという「行政用語」はわけがわからん、という世論調査の結果が、数日前の当の朝日新聞に掲載されていたことでもある。(実際、わけわからんわな。)

 しかし、「消毒」「散布」「解毒」とは..この記者、もしかして全く何も、意味が判っていないのでは? 意味を知っていて、敢えて“柔らかい”日本語訳を当てたとは、到底思えない。

 大体、日本語になっていない。「ウイルス」を「解毒」とは何ごとだ。だから朝日は、やめられない。

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*1999年05月02日:ディスプレイに、不穏な気配


 今朝から、リブ100のディスプレイの調子がおかしいような気がする [;-_-]。薄緑や水色等の、明るい色の「地」の縦のラインが、1ドットおきに明暗が違う。完全に白い箇所は、問題無し。暗い箇所でも、問題無し。

 DOS窓のVzでこれらの色を地にすると、明らかに見にくい。明るい「地」の色が、1ドットおきに白茶けているので、白い文字との対比が甘いのだ。

 まいったなー。購入したのが1年以上前だから、保証は切れているし、そうでなくても、そもそも最近、HDを入れ替えているのだ。修理はしてもらえない。仮にしてもらえたとしても、(もちろん、HDを自分で交換しましただ、それでも修理してもらえますでしょうか?、と、全て白状 [;^.^] しておすがりして、聞き入れてもらえた場合のことである、)最悪液晶交換だと、10万近くかかることもあるし、これはもう、自力で液晶を調達して換装する他ないか、と、思いっきりブルーになっていたら..

 ..げげ、リブートしたら直った。[;^.^] ソフトの問題なのかっ!?

 その後、日中は平穏だったが、宵の口から深夜にかけて、再度同じ症状再発。今度はリブートでも治らず。時間をおいてリブートしても駄目。しかし、症状が出ている状態をしばらく観察しているうちに、(触っていないのに)目の前で症状が消えた。う〜ん。[;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 5 1999 
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