*1999年04月12日:「コミック・ビンゴ」休刊
*1999年04月13日:撤退のススメ
*1999年04月14日:「DM」について
*1999年04月15日:「怪獣王」
*1999年04月16日:「手塚治虫エンサイクロペディア」追加チェック
*1999年04月17日:「キネマ旬報」調査
*1999年04月18日:「手塚ファンmagazine」調査
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*1999年04月12日:「コミック・ビンゴ」休刊


 「コミック・ビンゴ」誌が休刊した。いい連載はいくつもあったと思うのだが、仕方がない。いくつかの長編は「描き下ろし」で決着をつけるようである。概して今秋刊行。

 とり・みきの「石神伝説」を(マンネリ気味だったとは言え)楽しみにしていたのだが、これも描き下ろしのフェーズに移る。そして今月号(休刊号)の最終頁は..実に強烈な“ヒキ”をかましている。[;^J^]

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*1999年04月13日:撤退のススメ


 まぁ、ネットニュースの fj.rec.comics を眺めてご覧なさい。これほど馬鹿馬鹿しい議論がこれほど延々と続いているのは、少なくともこのニュースグループでは、初めてのことではないかと思う。

 発端は、例の「ポケモン同人誌事件」である。そんなに難しいネタではない。それが何故、こんなに長引く“議論”になってしまったのか。それは「議論が長引いた」からである。

 循環論法のようだが、言葉遊びでもなんでもない。長引いてしまった議論は、ただそれだけの理由で、簡単には終えることが出来なくなってしまうのである。

 ここまで時間と労力を費やしておいて、今さら「議論に負けて終わるわけにはいかない」− そう考える人が、議論の両陣営に最低一人ずついれば、原理的に発振する。

 賢いあなたには、忠告するまでもあるまい。

 それほどは賢くないあなたに、忠告しよう。

 この論題は“ヤバイ”と感じたら、極力早く、降りることである。撤退することである。

 “論敵”は、簡単には逃がしてくれないかも知れない。その場合は、一方的に“非”を認めて、必要ならば謝ってしまうことである。よほどのことが無い限り、これで“議論”からは、降りられる。

 これは難しいことである。

 プライドが邪魔をする。

 全力を尽くしてとことん戦えば絶対に勝てるであろう相手に、不戦敗の白旗をあげるというのは、実に口惜しいことである。

 しかし、この取引は黒字なのだ。

 「我思うほどには人は我を見ず」というのは、観阿弥の言葉だったか世阿弥の言葉だったか。あなたの“恥”など、誰も認識していないのである。

 少なくとも、議論の初期にさっさと降りてしまった人間など、名前も憶えてもらえない。なぜなら、その馬鹿げた議論は、馬鹿げた議論であるというただそれだけの理由のために、いつまでも続くのであり、そして新規参入者も後を絶たないのである。初期に姿を消したあなたのことなど、誰も憶えていないだろう。

 だから、恥にはならない。プライドを(自ら)傷つける必要も無いのだ。

 逆に、そういう馬鹿げた議論に延々とつきあっていれば、さすがに多くの読者に名前が刷り込まれてしまう。そうなってから撤退する方が、遙かに印象に残りやすい。

 「負けるが勝ち」とは、このことだ。傷を深くする前にさっさと“負けて”、浪費するはずだった時間と労力をセーブする。そしてそれらを、別のターゲットに向けて有効活用するのだ。

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*1999年04月14日:「DM」について


 インターネット(あるいはパソコン通信)のスパムメール。私も、それなりの頻度で受け取っている。そしてそれらのほぼ全てに、「このMLからの削除を希望する場合は、メールで連絡してください」、と、定石どおり書かれている。

 無論、メールなどしない。これはスパム業者が「生きている」メールアドレスをコレクションするための常套手段なのであるから..などということは常識かと思っていたら、たまたま近くにいた何人かの初心者に聞いてみたら、ほとんどの人が知らなかった。う〜ん。

 それにしても、今日来たスパムメールは傑作。「このMLから外して欲しければ、電話しろ」だと。(もちろん、国際電話である。)こんなのに引っかかる馬鹿がいるんだろうか。(山ほどいるんだろうなぁ。)

 ついでに、以前から気色悪く思っていることをひとつ。

 「私にDMしてください」という言い方を、ネットニュースでもWebの掲示板でもパソコン通信でもMLでも、しょっちゅう目にするのだ。ニュースとかにしないで、自分に(私的に)直接メールして欲しい、という意味で、DM(Direct Mail)と書いているつもりらしいのだが、Direct Mail の意味(ニュアンス)は、そういうものではなかったと思うぞ。(最近の英語や米語の“DM”には、そういう意味があるのか?)

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*1999年04月15日:「怪獣王」


 唐沢なをきの「怪獣王」(ぶんか社)。漫画ではなく、対談をメインとした怪獣讃歌の書。これは傑作。必読。(「電脳炎」は感心しなかったが、「怪獣王」の功績に免じて、不問に処す。)

 巻頭の“つかみ”。「みんなバルタン星人のマネをするとき手をこうしてる?(親指以外の4本をそろえて、親指と向かい合わせて空を掴む) それともこうしてる?(チョキ)」、に、いきなり爆死。

 焼け焦げの死骸状態で悶絶しつつ読みながら思いついたんだけど、「ギャンゴ三兄弟」って駄目かな。

 じゃあ、「黒猫のギャンゴ」。「ブルー・ギャンゴ」とか。

 閑話休題、コミック・モーニング。

 「デビルマンレディー」を含めて、連載が5本、落ちていた。何やってんだか。[;^J^]

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*1999年04月16日:「手塚治虫エンサイクロペディア」追加チェック


 「手塚治虫エンサイクロペディア」(CD−ROM)を、何の気無しにブラウジングしていて、新たなリストを“発見”した。何やってんだか。[;^J^]

 エッセイ等の文献類のリストと、他者による参考文献の類のリストである。(これまで、漫画作品のリストと年表等しか、チェックしていなかった(気が付いていなかった)のだ。)後者はともかく、前者は「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の「全集未収録作品リスト」に、直接関わって来る。

 「手塚治虫エンサイクロペディア」は、「手塚治虫全史」どうよう手塚プロダクションが監修したものであり、前者は1995年、後者は1998年。両者の間で食い違っているデータがあれば、概して「全史」の方が信憑性が高い。じゃあ、「全史」のチェックが済んでいれば「エンサイクロペディア」のデータは不要なのか、と言うと、そうも言えない。何かの理由(時には編集ミス)で、後出しの方のデータが誤っていることがある。欠落することもある。

 つまり、どのみち、(初出誌を直接調査していない作品については、)ありったけのデータをチェックする他は無いのである。

 (念のために述べておくが、「エンサイクロペディア」のマニュアルは紛失してしまったので、確たることは言えないのだが、「文献リスト」が収録されている、とは、明記されていなかったと思う。少なくとも、画面のどこをクリックすれば出てくる、という説明は無かったはずだ。)

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*1999年04月17日:「キネマ旬報」調査


 という訳で、第三土曜日。国会図書館の日である。出がけにちょっとした忘れ物を取りに帰ったりしたので、7:14のひかりには間に合わず、8:06のひかり。国会図書館着は10:00。開館時刻に遅れること、30分である。しゃあない。

 今日は、ほとんど「キネマ旬報」誌にかかりきりになった。最初はその予定ではなかったし、「キネマ旬報」にしても、全集未収録のエッセイ、14〜5本のチェックで済ませるつもりだったのだが、結局、同誌に掲載された80本弱の文章を、全部チェックすることにした。これは結果的には、正解でも不正解でもあった。

 正解、というのは、案の定、全集に記載されている初出データとの食い違い(らしきもの)が発見されたからであり、つまりこれは収録号を全数チェックしなければならない雑誌だったのだ。

 不正解、というのは、(“らしきもの”などという奥歯に物の挟まったような言い方からも明らかなとおり、)照合チェックすべき全集を持参していなかったからである。キネ旬の網羅チェックは、今日、国会図書館でいきなり思いついたのであって、全然準備していなかったのだ。これほど不手際で無計画な調査をしたのは、数年ぶりのことである。

 それやこれやで、同誌記載のエッセイは、半分も片づけられなかった。今度こそ準備万端整えて、GW中に決着をつけるか。2日弱かかる見込み。

 神保町へ。中野書店。目録で発注して当選していた「少年パンチ」などを確保。これは「少年」誌の1966年度の別冊付録である。3冊発注して、3冊とも当選。競争率低いのかな? もっとも、「少年パンチ」が目録に現れることは、滅多にない。残り9冊が揃うのは、いつになることやら。

 横浜の実家へ。

 深夜までかかって、「手塚治虫エンサイクロペディア」の「文献リスト」のチェック終了。やはり、これまでの調査結果と、30箇所以上の相違点がある。既に初出誌にあたって結果が出ているものもあるが、「エンサイクロペディア」にあって「全史」に無い「文献(文章)」も、少なからずある。何故削除されたのか、(理由があるのか、単なるミスか、)は、現物にあたるまでは判らない。かくして、参考資料が増えるたびに課題は増殖していくのである。

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*1999年04月18日:「手塚ファンmagazine」調査


 Tさん宅へ。一日がかりで、前回からかかっていた「手塚ファンmagazine」の調査を、なんとかいったん、終わらせる。(これ以外の調査は、ほとんど全く出来なかった。)

 “いったん”というのは、ひとつには、この雑誌の刊行が今も(数ヶ月ごとにだが)続いていること。もうひとつは、毎年2月号に掲載されている「前年度の手塚治虫作品リスト」が、数時間でチェックしきれる量ではなかったので、コピーして浜松に持ち帰ることにしたからである。

 つい先日も、「手塚治虫エンサイクロペディア」の「文献リスト」をチェックし直したばかりだが、この「手塚ファンmagazine」のリストは、ざっと見たところ、他のリスト類に比べて対象ジャンルが幅広い。これまで調べた範囲では、「文献リスト」が最も豊富なのは「手塚治虫全史」だが、それにも記載されていない「インタビュー・対談・講演」の類のデータが多い。(じゃあ、「手塚ファンmagazine」のリストのデータ量が、様々な(既存の)リストの中で最大か、というと、そうではない。連載マンガ作品については、「連載中」としか書かれていなかったりする。)これを全てマージする必要がある。無論、いったんマージした上で、今度は片端から初出誌にあたって、裏をとらなければならない。

 業である。

 いまさら、どうしようもないのである。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 21 1999 
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