1998年04月27日:挫折、再び 1998年04月28日:小説の粗筋について 1998年04月29日:微熱なFreeBSD 1998年04月30日:注射など 1998年05月01日:落ち穂拾い 1998年05月02日:帰省/とり・みき/「紅い花」 1998年05月03日:映画マニアの凄さ目次へ戻る 先週へ 次週へ
さて、リブ100もリブ30もT2150も、そのWin95環境の最新(最終)イメージをVFATBAKで保存して、随時、(再インストールすることなく)簡単に復旧できるようにしてあるのだが、Win95環境の完全なバックアップ/リストアをWin95稼動中に行うことは(DOS窓環境でも)不可能で、MS−DOSを起動してから行わなくてはならない。つまり、MS−DOSから認識できるストレージにバックアップする必要があるのである。
フロッピーに分割ダンプすることも可能だが、論ずるまでも無く、現実的ではない。となると、(普通は)SCSIかパラレルか、だ。
リブ30では、パラレルを使った。この機種にはPCカードスロットが1つしかなく、FDDがPCカード接続なので、SCSIカードは使えなかったのである。(MS−DOSをFDDで立ちあげたあと、PCカードのPnPが出来るとは思えない。)パラレル接続ならば、ZIPという選択肢もあったのだが、個人的にZIPは好きではないので(容量があまりにも中途半端であるから)、パラレルSCSIを採用した。
T2150にはカードスロットがふたつあるし、そもそもFDDは専用端子接続なので、(スピードの遅いパラレルSCSIではなく、)SCSIカードによるSCSI接続が可能である。しかし、MS−DOSからSCSIカードを認識するのは、普通は(容易ではない、とまでは言わないが)素直には行かず、なんらかの別売ソフトを必要とする。この時点で私が所有していたのは、「東芝カードサービス」というソフトウェアであり、これによってかつて確かに、T2150からSCSI接続のMOを(Win3.1、及びDOSから)アクセスすることが出来ていたのだが、ま、東芝の生み出した最悪のソフトウェアプロダクトとまでは言わないが(下には下があるはずだから)、実に、実に使いにくいもので、Win95でこれの起動環境を作るのは、結局挫折し、T2150でも、VFATBAKによるフルダンプは、パラレルSCSI経由で行っている。
以上が、これまでの経緯。
さて、リブ100だが、やはりカードスロットはふたつ。パラレルSCSIが遅いのも、同じ。そこで、再度、DOSからのSCSIカード認識にトライしてみたのだが..
..「東芝カードサービス」は、東芝の生み出した最悪のソフトウェアプロダクトなのであった。[;^J^]
DOSからSCSC200A(東芝純正SCSIカード)を認識するためには、「東芝カードサービス」を使わざるを得ないとしても、ADAPTECのカードなら、別の手段が取れるはずである。しかし、これもどうも一筋縄では行かない、というような情報を、FTOSHIBAで読んだような気がする。調べればなんとかなりそうだが、結局、パラレルSCSIは問題なく使えているのであって、改善したいのは速度だけなのである。そして(そう頻々とダンプ/リストアするわけではないのだから)多少遅くても、実用上、大きな問題にはなってないのだ。
ということで、元気もモチベーションも失ったところで、リトライ終了。
目次へ戻る出勤前に、珍しく朝刊を読んでいたら、おやおや、アスキーが巨額の損失を。西和彦、6月に退任。
だから、「デジタル日記」はやめておけ、と言ったでしょ。[;^J^](週刊アスキーの次号は、売れ行きが良いことであろう。)
経営の失敗は仕方が無い?が、隠してちゃいかんなぁ。投資家(直接にはCSKとセガ)に対する、背信行為である。米国では、ただではすまないのでは?
ネットニュース(fj.books)で、多少の波風。きっかけとなった、<6hnqj9$4mc$1@news01dd.so-net.or.jp> から、marboo@geocities.co.jp 氏の発言を引用すると、
文学に教養として興味があります。文学史に残る、著名な作家たちの ”代表作”の粗筋を書いた本があったら教えてください。 マイナーな本まで紹介しているのはちょっと・・・・。
これだけなら、たいした問題発言とは思えないのだが、この「粗筋だけ読みたい」という“不誠実な”読書態度、および、「教養として興味がある」という“不純な”動機に、読書好き・小説好きな人たちが、噛み付いた。
実は私は marboo 氏の気持ちが、(動機の“不純さ”も含めて)理解も共感も出来るのである。「時間が無い」「小説ばかり読んでいるわけにはいかない」「常識人として・教養人として、最低限読んでおかねばならない本には、目だけは通しておきたい」という問題意識は、切実であり、誠実でもあると思う。
今日までの展開が、ほとんどバッシングの様相を呈していることもあり、ここはひとつ、擁護の論陣を張ろうかと思ったのだが..氏の、<6i25fd$kt0$1@news01ci.so-net.or.jp> を読んで、やめた。それは、
これ以上、私の思想に関する批判めいた発言は読みたく ありません。批判コメントを投稿したければ、私が無視できる ように、件名に「批判」と書いてください。HTML記事を見たく ない人のために「HTML」と件名に書くのと同じようにね。
という、ふてくされた捨て台詞に呆れたからでは、ない。(ま、ここまで“不誠実な”本音を吐いてしまえば、もはや(当然)何を言っても相手にしてもらえなくなるので、自動的に議論は打ち切りとなるのだが、それはそれとして。)
粗筋本に紹介されたすべての本は読めなくても、粗筋だけ 知っておけば、小説の話題にもついていけるしね。
という、ルノアールのココアよりも甘い現実認識に、抱腹絶倒してしまったからである。
私にも、行きがかり上、粗筋だけは知っている小説というのが、いろいろある。しかし..それに関する会話になど、全くついていけない。内容に関する話題については、一言も発言できない。口を開けば15秒以内に、実は私はそれを読んでいない、ということがバレバレになるのが、目に見えているからだ。
ま、何度も何度も恥をかかねば身につかないことではある。
MS−IME辞書が、なんらかの原因で壊れていた(ユーザー登録単語群に、ごみが張り付いていた)ので、修理する。テキストファイルに書き出し、個別にごみを剥がして、読み込み直す。どうしてこんなことになったんだろう?(登録単語数が、2000少々と、極端に少なかったことと、被害はカタカナ単語に集中していたので、おおごとにはならなかったが。)
目次へ戻る昨夜から、どうも鼻の具合がおかしいと思ったら、ものの見事に微熱である。37度少々。(この、ポカポカと暖かく、関節は微妙に痛く、力が入らず、指先が冷たい、という“熱”の感覚は、実は嫌いではない。)取り敢えず熱さましを(気休めに)飲んで、ドロドロと昼まで眠る。
FreeBSDにPDをマウントして、ミラーディスク化するのに成功する夢を、繰り返し見続ける。[;^J^]
実は、リブ30にインストールしたばかりのFreeBSDの振る舞い(というか、設定状況)が、どうもおかしいのだ。APM(Auto Power Management System)を活性化しているはずなのに、/etc/sysconfig を見ると、オフになっている。PCカードについても同様。APMをオンにしてカーネルを作り直そうとすると、コンパイルが通らない..
つらつら考えてみるに、パッケージ本体のバージョンは2.2.1−RELEASEなのだが、PAO(モバイルPC向けインストールパッケージ)のバージョンは、2.2.5−RELEASEなのである。これか。PAOのバージョンを2.2.1−RELEASEに戻して、インストールをし直す。
APMのテスト、オッケー。おお、UNIXなのに、サスペンド/レジュームが効く。面白い、面白い。
これはいいとして、うまくいかないのは、SCSIカード(というより、PD)。PDのマウントができない。newfsコマンドのオプションに自信が無いので、/stand/sysinstall から行ってみても、駄目。パーティションは正しく書き込めていると思うのだが。少なくとも、/stand/sysinstall は、そう表示しているし、PDに何か書き込みに行っているので、メディアとしては、認識されているようだし。
う〜ん、微熱で頭が回らない。今日は諦めるか。午前中の夢は、逆夢だったか。[;^J^]
目次へ戻るいつもの藪医者、T外科医院で、注射と薬3日分。
栄養のあるものを食べないと、と、自宅近所の串焼き屋に入ってみたが..ここは、没。味については、体調(すなわち、舌)が本調子ではないので、判断を留保するが、量が少ない。コストパフォーマンスが悪い。
(それはそれとして、仲居さんにも、客にも、日本語がネイティブでない人が、多いような気がする。)
目次へ戻る別に喉が痛いわけでもなく、たいした熱も無いのだが、ネタも無い。こういう日には、メモ帖から3件ほど。
改善提案の報奨金で図書券をもらったが、現金をもらうよりも図書券の方が嬉しい、というのが、基本だろう。 | |
日経なんじゃらだかの表紙に、「走り出すコネクテッドカー」という、見出し。恐らく、衛星経由でインターネットにつながるという話なのだろうが、有線で電信柱につながる、という連想しか出来ない。[;^J^](コードが延びきったら、運転手が降りて、次の電信柱までコンセントをつなぎ替えに走るのである。← いしいひさいち考案の電気自動車) | |
先日、街中を歩いていたら、板ガラス屋があった。板ガラス屋のショーウィンドーの中(及び店内)は、なかなかシュールで面白い。何を展示しているんだかしていないんだか。(ジャン・コクトーの「オルフェ」に出てきた、ガラス売りの少年を思い出したりもして。) |
風邪が治りきらない。それどころか、喉に降りてきた。[>_<]
こだまで帰省。まずは秋葉原。
チチブ電機で、リブ100用大容量バッテリ。1万8千円。増設メモリは火急の案件でも無いので、気合を入れては探さない。(喉が喉なので、気合が入らないのだ。)まだ高いだろうし。若松に在庫が無いことだけ、確認しておく。
ラオックス・コンピューター館で、CD−ROM版平凡社大百科事典の価格をチェックする。5万1千円。定価5万7千円(5月末まで)なので約1割引きか。ヤマギワソフト館もチェックする。やはり5万1千円。これが秋葉相場らしい。CD−ROMプレイヤ(PDプレイヤ)を持って来なかったので、今日買っても、実家ではインストールできず、荷物になるだけ。帰省明けに、浜松に買って帰ることにしよう。
中野まんだらけへ。久々に収穫あり。
「佐武と市捕物控」(石森章太郎、小学館文庫)の10巻と11巻。これは、新装の全10巻本ではなく、(確か全13巻くらいの)旧装版。以前、旧装版の1巻から8巻までを、さる方から譲っていただいた関係で、旧装版の残りを探しているのだ。(新装版は − 立ち読みしていないので確証は無いが − 旧装版とは、エピソードの収録順序が違うと推測され、従って、現在流布している新装版の後半の巻を買い足すわけには、いかないのだ。)
とり・みきの「ポリタン」(白泉社)、「遠くへいきたい」(TVBros.臨時増刊)。ぱふの「とり・みき特集号」(85/03)。そして、「漫画の手帖」のバックナンバー中、表紙に「とり・みき」「高橋葉介」の文字がある奴を、5冊ほど。新発見も少々。「漫画の手帖」は、高くも無いので、片っ端から買い集めておく方が、いいのかなぁ。だいぶ以前、吾妻ひでお関係の号だけ入手していたのだが、その時点では、とり・みきにも高橋葉介にも、興味はなかったのである。この類の漫画家に付き合っていると、またいつか、引っかかってくるかも知れないし。
をを、4Fの古書店に、なぜかフィリップ・ホセ・ファーマーの「淫獣の幻影」が。[;^J^] 1500円。今まで散々探しても、どこにも無かったというのに、別途入手できた途端、これだ。[;^J^]
実家で、NHKのドラマ「紅い花」(1976)を観る。もちろん、つげ義春の劇画を題材にしたものである。多少のひとりよがりに目をつぶれば、まずまずの出来。数箇所で、YESの「Close To The Edge」(の、中間部の音楽)が効果的に使われている。ということは、私には曲名の判らない、その他の既成の音楽も、結構使われているのかも知れない。「Close To The Edge」は、確か 1972 年だから、時代の音楽だったわけだ。
目次へ戻るfj.rec.movies などを流し読みしていて、つくづく凄いと思うのは、世の映画マニアの貪婪さである。彼らは、ジャンルを問わず、なんでも観るのである。
私も、時々は映画を観るが、SF/幻想/恐怖など、要するに、活字を読む時の嗜好と合致するジャンルの作品が、ほとんどである。まぁ、活字では絶対に読まないようなジャンルの映画も観ることはあるが、それは例えば俳優に興味があったり(ハリソン・フォードの「逃亡者」)SFXに興味があったり(「タイタニック」)映画史上絶対に外せないウルトラ級の傑作であったり(「戦艦ポチョムキン」)する場合がほとんどで、少なくとも、アイドル映画、恋愛映画、市井の人情喜劇、の類は、全く観ない。
しかし、映画マニアたちは、このようなジャンルの違いなど、歯牙にも引っかけない。なんでも観る。小説に例えれば、それこそ、古典、SF、ミステリ、ヤングアダルト、純文、時代小説、架空戦記、アイドル本、と、なんでもかんでも読んでいるに等しい。どうしてこれほど様々なものを受容できるのか、ほとんど私の想像を絶する。
手塚治虫や藤子不二雄、遥かに時代は下って唐沢俊一などの、学生時代を振り返るエッセイを読むと、とにかく、年間300本観たとか400本観たとかが語られており、「どういうジャンルの映画を何百本観た」という話には、ならないのである。映画でありさえすれば、なんでもいいのだ。
この雑食的バイタリティこそが、全人的な広がりと教養の本質なのだと思う。私には、とてもこんなエネルギーは無い。かなわない。「小説の粗筋について」で俎上にあげた marboo 氏は、数を絞って、名作中の名作だけピンポイントで読むことにより、教養を“効率よく”身につけようと考えているのだが、まるで逆なのだ。選り好みせず、質すら問わずに、膨大な数をこなす..真の教養を身につけるには、これ以外の手段は、無いのだ。
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