*1998年04月13日:リブ100、発注
*1998年04月14日:リブ100、納品! \[^O^]/
*1998年04月15日:第一次の連絡完了
*1998年04月16日:リブ100のインプレ
*1998年04月17日:植松和地線、開通
*1998年04月18日:植松和地線のインプレ
*1998年04月19日:とり・みき/FreeBSD
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*1998年04月13日:リブ100、発注


 http://www.kakaku.com/ で調べた通販店から、「シグナル」を選んで、ここにリブ100(アプリ無し)の代金を振り込む。19万3千円。これが、ほぼ底値である。他に18万9千8百円の店もあったのだが、在庫切れであった。(概して、アプリ無しモデルの在庫は、乏しい。)

 実は、先週末の土曜日の午前中には、この店に絞り込んでいたのだが、週末で振り込めなかったので、今日まで引っ張っていたという次第。土日の間に在庫が無くなってしまわないか、気が気ではなかった。(カード決済なら、土曜日に発注できたのかも知れないが、手数料が馬鹿馬鹿しい。)

 gooリスト(goo で、私の(各種)ホームページをリンクしているページを、逆検索をかけてリストアップしたもの)から、ひたすら、URL変更連絡メールを出す。(というか、ひたすら、メールアドレスを収集しては、ある程度まとまったところで、一括してメールを出す。)この作業の機械化は、非常に難しい。gooリストからURLを抽出するところまでは、半自動で出来るのだが、これらのホームページから、連絡先のメールアドレスを抽出するところが問題である。

 そのページに、mailto: タグがあるとは限らない。大概、リンクリストというのは、1階層程度もぐったところにあるので、上に登らないと、mailto: が見つからないことが多い。

 ホームページのトゥリー構造のどこにも mailto: が無いことも、極めて多い。この場合は(あれば)テキストで書かれているメールアドレスを、コピー&ペーストする。

 さらに、これも非常に多いケースなのだが、そのリンクリストが孤立していて(トゥリーの末端で)、上のページに戻れず、また、そのリンクリストのどこにも、連絡先が無いことがある。この場合は、リンクリストのURLからあたりをつけて、適当にURLを打ち込んでホームページを捜さなくてはならない。運が悪いと見つからない。

 それやこれやで、gooリストから実際に各ホームページに行ってみないと、どうしようもないのである。このあたりのノウハウは、SPAM屋から技術導入すべきであった。(をぃ。[;^J^])

 それにそもそも、gooリストは、必ずしも最新の状態を反映していないので、実際に訪れてみないと、“今でも”私のページをリンクしているかどうかは、わからないのである。実際、行ってみたら、既に私のページへのリンクは外されていた、というケースも、いくつかあった。こういうページのオーナーに変更連絡を出すと、いささか間抜けなことになる。

 ふぅぅ。あと一日位か。(こう見えても、昼間は仕事をしているのであって、この作業に割ける時間は、晩の数時間だけなのだ。)

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*1998年04月14日:リブ100、納品! \[^O^]/


 なんと、昼過ぎに、リブ100が会社宛てに宅配便で届いた。送金確認即日発送。「シグナル」は、少なくともアクションは速い、と、紹介させていただく。(トラブル処理能力その他は、未知数であるが。)

 リカバリCDが附属しているので、ハードディスクの初期イメージを、Win95のセットアップより前に取って置く必要も無い。さっさと立ち上げ、セットアップをすませてしまう。

 液晶のドット落ちは..無い。[^J^] 私は、この点に関して言えば、極めて当たりが良い。モノクロ液晶のJ3100SS02E、プラズマディスプレイのJ3100SXP、TFTのT2150、リブ30、リブ100、と、5台続けて東芝機を買っているが、ドット落ち等の液晶不良に、出くわしたことが無い。(とっくの昔に寿命が尽きていると思われるSXPのプラズマディスプレイが、ほとんど明滅状態であるが、これは別。)

 とりあえず、DOSツール群とVzエディタのみ、リブ30からフロッピ渡しでインストールして、ざっと動作確認。オッケー。とにかくVzさえ動けば、こっちのもんだ。(というか、Vzの動いていないPCでは、作業をする元気が、ほとんどでない。Vz環境に過剰適応してしまっているのだ。)

 帰宅してから、インターネットとニフにつながるように、セット。

 そして、ISDNを引いて以来の夢であった [;^J^] PCカード2枚挿しによる、ニフ(モデム)&インターネット(LAN)の同時接続実験。成功!

 100は画面が横に広い(800×480)ので、ニフ画面とTELNET画面を、ならべて広げられる。まぁ横80文字のキャラクタ画面で1.5枚幅だが、これで十分。インターネットはMnewsでネットニュースの流し読み、ニフはRT、というのが、典型的なシチュエーションだが、この場合、少々重なっても、問題ない。リブからルーターまで、紐が2本のびるのが、不細工といえば不細工ではある。(インターネットだけつなげば、インターネットからニフに入れるので、実はモデムは不要なはずだが、私の環境では、インターネットからニフに入ると、RTが(どう設定しても)文字化けして使えないのだ。)

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*1998年04月15日:第一次の連絡完了


 gooリストにもとづく、一般ページへのURL変更連絡の第一次分が、ようやく完了した。あくまでも、第一次である。これらのメールが読まれるとは限らないし(特に、学生の作ったページの場合、かなりの確率で、メールアドレスが消失していると考えられる)、読まれたとしても、対応されるとは限らない。(他人の不精を、どうこう言える立場ではない。[;^J^])さらに、仮に対応してもらえるとしても、それがホームページのリンクリストに反映されるのが数週間先であっても、不思議ではない。(ごくまれに、毎日更新しているページがあるが、こんなのは例外である。私のページを例に取ると、週に一度しか更新していない。)

 ということで、3週間乃至1ヶ月くらい経ってから、再度これらのページをスキャンして、対応状況を調べ、必要に応じて、再度連絡することになる。

 これと並行して、別のサーチエンジンから逆引きリストを作り、これにもとづく連絡もしなければならない。つまり、gooだけでは、だめなのだ。gooからは検索できない(が、他のサーチエンジンからは検索できる)ページが、無数にあるのである。

 早い話、私のホームページは、gooからは検索できない。

 それは、gooはロボットでURLを収集しているからである。私の属しているサイトは、ロボットの侵入を禁止している。こういうサイトは、珍しくない。

 リブ100、セットアップ完了。リブ30の(VFATBAKによる)フルダンプからのベタコピーは、行わなかった。OSのバージョンも(確か)微妙に違うはずだし、最初の1回は、丁寧に、アプリを個別にインストールすべきだからである。なんにせよ、リブ30での設定に合わせ込んでいけばいいので、簡単に片付いた。

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*1998年04月16日:リブ100のインプレ


 とにかく、フルカラーの液晶が、明るく美しい。第一印象は、ほとんどこれに尽きる。壁紙に風景写真などを使っているが、きめの細かさと発色の美しさに、時を忘れて見惚れてしまうほどである。リブ30も、なかなか美しいと思ってはいたが、並べてみると、全く比較にならない。(そもそもリブ30の「6万5千色表示」というのは、半分はウソで、液晶だかグラフィックチップのどちらかが4096色しか対応できないので、(もう一方には、確かに6万5千色の能力があるのだが)「疑似6万5千色」となっているのである。)

 これのどこが「大きい」のかな〜。でかいから、という理由で、リブ70に流れる、見送る、他社製品に乗り換える、はては、リブレットシリーズの将来を見限る、という人々がいるのだが、さっぱりわからん。まぁ、私の掌が、人並み以上に大きいからかな。

 リブポイントの感触が変わったことも、世間的には、というか、“リブコミュニティ”(ああ、気色悪い。“マックコミュニティ”みたいに気色悪い)の中では、大きなマイナスポイントだったのだが、全然オッケーである。全く問題にならない。

 画面が、640×480から800×480に拡大されたことについては、実は、それほど大きな変化とは感じられない。言われてみれば、確かに広いね、位のものである。それでも、Becky!で、メールのコンテンツを読む時、あるいは、ネットサーフィンをする時に、横スクロールしなければならない機会が、激減した。これは大きい。

 速い。もう、リブ30でWin95する気にはなれない。

 すべての局面で速くなったわけではない。例えば、DOS窓でdirを実行すると、その出力速度は、リブ30より遅いように見える。しかし、DOSツールの実行速度自体は、CPUの能力差に見合っただけ高速なので、不満は無い。

 不思議なのは、TELNETの出力やニフのROAD5が、速くなったことである。特に後者は、驚くほど速くなった。これらのボトルネックは、回線速度だと思いこんでいたのだが、まさかCPUが足を引っ張っていたとはね〜。(それとも、グラフィックチップか?)

 マイナスポイントとしては、まず、HDの音である。元々リブ30でも、「カッコン」という音(「小人さんのテニス」という、美しい俗称で知られている)が耳障りであったが、100のそれは、「カッコン」よりも「ガリッ」に近い。ニフのFTOSHIBAなどを読んでいると、別に不良ではなく、そういうものらしいが、静かな環境では使いにくいなぁ。いずれ(静かで大容量のHDに)換装してしまえばいいのだけれど。

 このACアダプタは、嫌いだな。小さいからといって、折れそうに見えるわけではないが、場所が悪い。背面中央というのは、意外に邪魔である。

 PCカード式フロッピーディスクは相変わらず遅い..どころか、リブ30より輪をかけて遅くなったような気がするが、まぁいいや、これは。

 問題は、キーボード。

 PgUp / PgDn / Home / End が無いことについては、諦めるしか仕方が無い。(これらは、右下にある Fn キーとカーソルキーの組み合わせになる。)キー交換ソフトを使うことも(購入前には)考えていたのだが、やめた。そういう無理で不自然なことをするべきでは、ない。カスタマイズをし過ぎず、自分から環境に合わせるように努める方が、結局は賢い。

 キー配列はともかくとして、難渋しているのが、中途半端に大きいキートップである。タイプミスが多発しており、実に使いにくい。従来の(リブ30の)キートップは、むしろ十分小さく、私の場合、指先が太い(というか、広い)こともあって、指3本でキー4つを覆ってしまう状況だったので、タッチタイプも何もあったものではなく、思い切った“外道打ち((C)倉田わたる)”を駆使していたのだが、それが出来ない、中途半端に狭い、普通のキーボードになってしまった。

 “外道打ち”というのは、平たく言えば、無規則無原則の6〜8フィンガータイピングである。小指は一切使わず、スペースキーすら、人差し指で叩くことがある。その場の気分に応じたアドリブを重んじ、右手人差し指で“r”、左手人差し指で“i”ぐらいは当たり前、左手を浮かした下に右手を潜らせて、中指で“a”、その右手を内側に回転させつつ手前に引きながら左手をキーの上に落として、中指で“n”、そのままキートップの上を右に“滑らせて”、キーボードから抜ける瞬間、薬指を“enter”の上に、落とす..この、蝶が舞い蜂が刺す華麗な手さばき指さばきを、お見せできないのが残念である。言葉で説明するのは難しい..

 ..これが、実にやりにくくなってしまったのだ。まじめにタイプしないといけないのである。まぁ、一ヶ月もすれば、馴染んでくるのだろうが..(ほとんどの人にとっては、リブ30よりも遥かに使いやすいであろうことを、念のため、付言しておく。)

 キー配列に話を戻すが、容認しがたいのが、“Windowsキー”と“アプリケーションキー”である。最前列の、実にいい場所に陣取っているのだが、これらは他のキーの組み合わせで実現できる動作をするので、私にとっては、全くの無駄なのである。(ハンディキャップのある人には、ありがたいキーなのかも知れない。)どちらかを、IME 起動キーにしてしまおう。そういうソフトは、あるだろう。(標準では“ALT + 半/全”で IME を起動するのだが、一日に3回くらい“ALT + ESC”を押してしまう。)この位のカスタマイズは、正義である。

 さて、リブ30をどうするか。

 売るのは愚か。まず、3万にもなるまい。ここは、486でもサクサク動く、FreeBSDだろう。

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*1998年04月17日:植松和地線、開通


 「3軒茶屋の2階のマンガ屋」に、「少年チャンピオン・アラバスターセット(27冊)」を、FAXで発注。遅すぎたかも知れない。(どのみち、抽選期間は終わっており、既に先着順のフェーズである。)落選通知は来ないので、1週間たっても当選通知が来なければ、諦め、ということになる。

 帰宅時に、居酒屋T八により、代行運転で深夜に帰宅。今日から「植松和地線」が開通しているので、これを使ってみる。

 「植松和地線」というと、まるで鉄道のようだが、道路である。私のアパートのすぐ南側(直線距離で20メートルと離れておらず、途中に建物等の遮蔽物が無い)を通る、片側2車線の道なのだが、私がこのアパートに引っ越してきた12年前には、既に工事が“中断していて、構造物に錆が吹いていた”という、代物である。確認していないが、おそらく、20年くらいかけて、ようやく開通したのである。

 従来は、自動車の乗り入れも通り抜けも不便で、それ故、とても静かな環境だったのだが、この道路の開通によって、環境が激変することになる。耐えられないほどうるさくなるようであれば、引っ越さなくてはならない。とりあえず深夜なので、車の通行はほとんど無く、静かなものであるが..

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*1998年04月18日:植松和地線のインプレ


 おやおや、全然うるさくないぞ。騒音で起こされるはずだったのだが、これまでと道路環境(すなわち騒音環境)が異なっていることに、気がつかなかった。

 玄関を出てみると、交通量はそれなりに多く、そこそこうるさい。窓(と雨戸)を閉めていると、案外、騒音は侵入してこないのであった。(別に、防音建築ではないが。)そういうものなのか。考えてみると、私は物心ついて以来、「交通量の多い道に面した環境」で暮らしたことがなく、騒音の常識というものが、身についていなかったのだ。

 とすると、便利になっただけ、か。これは黒字かな?

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*1998年04月19日:とり・みき/FreeBSD


 数日前にH氏から届いていた“「とり・みき」作品リスト”のプレβ版に、ざっと目を通す。このリストは、スクラッチから起こされたものではなく、2ヶ月前の 国会図書館オフ の時に、私がお渡しした「とり・みき自ら作製したリスト」を書式変換し、それをベースにして作られたもの。私自身は、とり・みきによる“原始リスト”を、とある事情で入手していたのだった。

 こう書くと、H氏の役割が、いかにも副次的に見えると思うが、とんでもない。まず、とり・みき自身による“原始リスト”が、それは作者の手になるものだから、遺漏は少ないだろうとは思われるが、データには曖昧な点が、非常に多い。どのみち、私が「手塚リスト」「吾妻リスト」で、H氏が「諸星リスト」「高橋葉介リスト」でやったように、可能な限りの全初出誌の調査を行わないと“使えない”。そのためには、まず“原始リスト”を、(調査原簿として使えるように)書式変換しなければならない。私には(1年以上、手元にあったにも関わらず)それが出来なかった。その気力が起きなかった。理由は省くが、心理的なハードルが高かったのだ。その意味で、H氏の功績は大きい。最初の一歩を踏み出さない限り、いかなるリストも、いかなる仕事も、成就することは無いのである。

 とりあえず、手元にある初出誌、「SFマガジン」「SFアドベンチャー」「リュウ」「少年少女SFマンガ競作大全集」などと照合し、差分をH氏にメールする。“戦闘開始”である。

 リブ30にFreeBSDをインストールしようと試みるも、インストーラーが、SCSIカード「SCSC200A」を認識してくれないので、中断。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 30 1998 
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